第67話

 始業式が終わり、殆ど自由時間みたいなLHRの時間が過ぎ去って、放課後がやって来た。つまり、部活の時間だ。

 夏休み中にも文芸部の部室には何度か足を運んでいる。各々の進捗を確認するためだ。たった二回。ただそれだけの回数ではあったけど、当たり前のように白雪が顔を見せることはなかった。

 そしてそれは、今日も同じ。

 部室にいるのは、僕と三枝と神楽坂先輩の三人だけ。五月までと同じ状況ではあるけど、あの頃にはなかった喪失感が、部室に蔓延している。


「桜ちゃん、やっぱり来なかったね······」


 パソコンから顔を上げた神楽坂先輩が、ポツリと零した。僕も三枝も原稿は夏休み中に渡してあるので、神楽坂先輩は現在編集作業の最中だ。

 しかしそれが終わることはないだろう。あと一人、原稿を提出していない部員がいるのだから。


「教室ではあんなこと言ってたけど、実際どう思ってるんだろうな。俺にはあれが白雪さんの本心とは思えない」


 間に合わなかった夏休みの宿題にペンを走らせていた三枝が、手を止めて考え始める。

 いやなんで宿題終わってないんだよ。なに、先輩とイチャイチャしてたからか? はー、これだから彼女持ちは。


「灰砂さん、だっけ? 桜ちゃんのこと思いっきりビンタしたのって」

「あれは俺もビックリしたなぁ」


 神楽坂先輩には、朝の教室で起きた出来事を説明してある。僕たち文芸部まで馬鹿にした発言を伝えるのは躊躇われたのだけど、力強い眼差しで全部話してと言われてしまえば、話さないわけにはいかなかった。

 さて、では何故白雪はあんなことを言ったのか。何故理世は、あんな表情をしていたのか。

 前者については、三枝の言った通り、本心からの発言ではなかったのだろう。彼女が自慢の毒舌を披露する時は、いつもなにかしらの表情を浮かべていた。それは笑顔か、はたまた呆れか、もしくは悲しみか、あるいは怒りか。

 少なくとも、無表情で相手に罵倒を浴びせるなんて、今まで見たことがない。仮にそうだったとしても、声には彼女の感情が確かに乗せられていた。

 けれど今朝の白雪は。その表情にも、声にも、なにも感じられなかった。徹底的に押し殺された感情。それは一体どのようなものなのか。

 ではそれを踏まえた上で後者。理世について考えてみよう。

 きっと彼女は、その感情の正体に気がついたのだろう。白雪と面識がなかった理世は、それがなにに起因するものかまでは分からなくとも、僕や井坂では到底辿り着かなかった答えを垣間見たのではないだろうか。

 何故初対面の理世がそれに気づくことが出来たのかは分からないけど、いや、寧ろ初対面だからだろうか。僕や井坂では、いらぬ先入観を持って白雪のことを考えてしまうから。

 それのない理世だからこそ、なにか気づけたこと、分かったことがあるはずで──。


「智樹」

「······ん、どうした三枝?」


 よく通る親友の声が耳に届いて、思考が中断された。向かいに座る親友はなぜかため息をついて、言い聞かせるようにして僕に言う。


「考え事するときに俯くのは、お前の悪い癖だ。自覚あるか?」

「いや······」


 言われてみて、思い当たる節がありすぎた。この前の花火大会の時も、多分その癖のせいで理世に変な心配をされてしまったのだろう。


「顔を俯かせちゃうと、自然と暗い考えになりがちだもんね」

「そう言うこと。お前は分かりやすいんだよ」


 うんうんと頷く神楽坂先輩を見るあたり、先輩と話してる時もそう言うことがあったのだろうか。あったのだろう。


「で? なんか考えはあんのか?」

「考え、ってほどの事でもないけどね。取り敢えず、気晴らしにコーヒー飲んでくるよ」


 立ち上がり部室を出て、これまで何度も通った道を歩く。理世に呼ばれているからだ。

 部室に来てもらおうかと思ったけど、あそこは理世にとってアウェーみたいなもんだし、出来れば二人だけで話を聞いた方がいいだろう。

 図書室前を経由して、自販機へと辿り着く。そこには連絡をもらった通り、理世が缶コーヒー片手に一人で待っていた。


「悪い、待たせたね」

「ううん、そんなにだよ」


 ここは外だけど、丁度頭上にある空中廊下が屋根になってくれているお陰で、未だ振り続ける雨を凌げる。

 ザーザーと雨の音を聞きながら、僕もコーヒーを自販機で購入した。プルタブを開けて喉に流し込む。うん、美味い。


「白雪さんって、不器用な人だよね」


 ポツリと、言葉を落とす。

 理世は黒いスチール缶を傾け、困ったように眉根を寄せて続きを話した。


「なんのためかは分からないけど、智樹くん達と少し距離を取りたかったんだと思う。いや、ちょっと違うかな。独りになりたかったんだと思う。でも、あんな風に自分を傷つけることでしかそれが出来ない。本心じゃない言葉の毒を吐いて、それで自分まで蝕まれちゃう。分かっていて、そんな方法しか取らない。それ以外の方法を知らない」


 ──だから私は、あの子が嫌い。


 敵意すら滲ませた理世の鋭い眼差しは、雨で黒く塗りつぶされたコンクリートの地面を睨んでいる。


「多分、白雪さんがそうなってる理由は、智樹くんなら分かるんじゃないかな?」

「僕が?」

「これまでの白雪さんとの会話で、なにか思い当たる節があるでしょ?」


 真っ先に思い浮かぶのは、夏休みの合宿中に、海で聞いた彼女の言葉。小梅ちゃんがいつも自分の先を行くと、無表情で、悲しそうな声で語った白雪。


「ふふっ、やっぱり、あるんだ?」

「え、いや、別にそんなこと一言も······」

「なにか考え事してたりする時に俯くのは、智樹くんの癖だよね」

「······」


 ついさっき三枝と同じことを言われた。まさか理世にまで見抜かれていたとは。


「白雪さんが、どうして自分を傷つけようとするのかは私には分からない。私に分かったのは、今朝のあの言葉は決して本心じゃなくて、何か理由があって独りになりたいってことだけ。その理由は、智樹くんが考えて。それで、白雪さんを独りにしないであげて?」


 理世にニッコリ微笑まれてそう言われてしまえば、断るなんて出来るわけもない。

 小梅ちゃんにも頼まれたんだ。白雪に何かあったら、助けてあげてくれと。元より、僕は彼女を独りになんてさせるつもりはない。


「任せてくれ。ついでに、君と白雪が仲良くなれるようにもしてみるよ」

「うーん、それは多分無理じゃないかな?」

「そりゃまたなんで?」


 友達同士が仲良くしてくれることに越したことはないし、理世も白雪も案外仲良くやれると思うんだけど。


「女同士だから、だよ」

「······?」

「ふふっ、智樹くんは分からなくてもいいの。さっ、そろそろ部室戻ったら? 私も今日はお店の手伝いがあるし」

「あ、ああ。そうさせてもらうよ」


 飲み干して中身のなくなった缶をゴミ箱に捨て、理世とはその場で別れた。

 今日は色々とお世話になったと言うか迷惑をかけたので、今度先輩や三枝にも改めて紹介しよう。その時に白雪もいてくれればいいんだけど。

 来た道を歩き、部室へと戻る。校舎に残っているのは部活にある生徒だけで、けれど未だ活気に満ちている。

 途中、図書室に視線が吸い寄せられたけど。白雪は、そこにいるのだろうか。終礼が終わってすぐ、話しかける暇すらなく教室を去ってしまった彼女は、どこでなにをしているのだろう。

 そんなことを考えていると、あっという間に部室へとついた。ダメだな、また俯いてしまっていた。人にぶつかったりしそうで普通に危ない。


「戻りました······って」

「あ、夏目君。お帰り······」


 部室に入っていた僕を出迎えてくれたのは、困ったように微笑んでいる神楽坂先輩。三枝はしかられた犬みたいにシュンとしてしまっていて、その親友の前に、ひとりの男子生徒が立っていた。


「君が夏目智樹君か」

「えっと、そうですけど。生徒会長、ですよね?」


 そう、生徒会長である松井一夜だ。圧倒的なカリスマと甘いマスクでこの学校の生徒の頂点に立つ男。前に見たのは、文化祭の開会式の時だったか。

 その彼がどうしてここに?


「ああ、改めて自己紹介しておこう。生徒会長の松井一夜だ。白雪桜君を探してここに来たのだが、彼女はここの部員ではなかったのか?」

「松井君、さっきも言ったんだけど、白雪さんは今日は来てないんだよ」

「ではどこに?」


 白雪を? どうして?

 いや、生徒会長が白雪を探す理由なんて、あれしかない。花火大会の時に理世が言っていた、時期生徒会長の勧誘だ。


「白雪は暫く来ませんよ。図書室にいるか、もう帰ったか」

「そうか。彼女に次の生徒会を任せようと思っていたのだが······」


 ダメだ。

 直ぐにそう思った。そして、口は僕の思考よりも早く動いていて。


「白雪は生徒会長に相応しくありません」

「なに?」


 生徒会長の整った顔が、鋭い眼光で僕を射抜く。それに怯まないよう自分を鼓舞して、僕は言葉を続けた。


「生徒会長には、二年生の成績優秀者が選ばれる。そうでしたよね?」

「その通りだ。だから、白雪君を選ぼうと思っているのだが」


 ふぅ、と一つ息を吐き、負けじと生徒会長の視線を見つめ返す。大丈夫、言え、言うんだ。事実を述べる、ただそれだけだ。


「前回と前々回の定期テスト、学年一位は僕でした。だから、僕がやります。次の生徒会長」

「ほお?」


 これ以上、白雪が文芸部から離れる理由を、作ってたまるものか。

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