第55話

 海と言うのは不思議なもので、遠くから見るとどれだけ綺麗な青に見えても、近くでその色を確かめるとかなり濁って見えるのだ。

 エメラルドグリーンだとか、底が透けて見えるとかは、あんなの一部環境下でのみ見れるものである。そう、例えば沖縄とかハワイとか。僕はその二つに行ったことがあるわけではないから、実際にどうなのかは知らないけど。

 そして僕たちが今いるこの場所は、沖縄でもハワイでもない。だと言うのに。


「めっちゃ綺麗だな······」

「綺麗だね······」


 水底がはっきりと見渡せる程に綺麗な海。それを見て感嘆の声を上げる、水着姿の僕と三枝。女性陣はまだ着替えるのに時間がかかりそうなので、僕たちだけで先にビーチへと出てきたのだ。

 だが、折角の綺麗な海も、男二人だけではテンションが上がるはずもない。その上、僕はさっきまで白雪からとんでもない誤解をされそうになっていたのだし。


「白雪さんの誤解は解けたんだろ?」

「さっきの昼食中になんとかね。そもそも、君が変なノリで抱きついて来たのが悪いんだけど」

「それにノった智樹も同罪だろ」


 いまいち釈然としないけど、事実であるから仕方ない。なんなんだろうね、あの、男子高校生特有の謎のノリと勢いとテンション。お陰様で酷い目にあうところだった。

 そんなことより、と前置きして、話の方向転換。これ以上あの時の話をしても、得られるものはなにもない。悲しくなるだけだ。


「三人とも遅いね」

「女子の準備ってのは時間がかかるもんだろ」

「経験談?」

「いや、紅葉さんはそこら辺無頓着なのか、結構早い」

「じゃあ、白雪姉妹のどっちかに時間を割いてるのかな」


 なんて会話をしていた矢先、後ろからキャイキャイと話し声が聞こえて来た。どうやら、漸く三人が出て来たらしい。

 振り返った先にいたのは、三人の水着美少女。


「お待たせ〜」


 まず一人目。ニッコリ笑顔でやって来た神楽坂先輩は、黄色いワンピースの水着を着ていた。お腹の辺りに花柄のワンポイントがあり、フリルのようなものも付いている。大変可愛らしい水着だ。本人の癒しオーラが底上げされている。

 しかしなによりも目がいってしまうのは、強調されている二つの大きく柔らかそうな膨らみだろう。こちらへ駆け寄ってくる先輩が一歩足を踏み出す度、その二つの丘が、いや山が揺れる。制服越しでの視覚情報だけでも、その大きさは如実に感じられていたと言うのに。水着なんて薄い布一枚になってしまえば、最早暴力的と言っても過言ではないだろう。美しさとはつまり、暴力なのだと学ばされた。

 そこに目が行ってしまうのは男として仕方ないことだ。何故と聞かれれば、男だからとしか答えられないが。

 そしてその後ろから、ちょっとテンションの高い先輩とは正反対に、トボトボとした足取りなのは白雪姉妹の二人だ。


「あ、お兄さん、三枝さん。お待たせしました」

「······」


 どこか元気がなさそうな声の小梅ちゃんと、一言も発さずに自分の胸に両手を当てて俯いている白雪。

 ああ、まあ、うん。なにがあったのかはなんとなく察しがつくから、それには触れないでおこう。

 さて、そんな白雪姉妹の水着だが。

 小梅ちゃんはシンプルな青い無地のビキニだ。シンプルイズベストという言葉がある通り、その色のビキニは小梅ちゃんの幼い体に爽やかさを演出していた。ザ・スポーツ少女、と言った風だ。胸元は神楽坂先輩と比べるべくもなく、残念ながら残念(失礼)ではあるのだけど、くびれのラインやふとももなどはよく引き締まっていて、健康的な魅力に溢れている。流石は陸上部と言ったところか。


「先輩も小梅ちゃんも、水着似合ってるね」

「ほんとですか?」

「ああ、可愛いと思うよ」

「ありがと夏目君。秋斗君も、どう、かな?」

「め、めっちゃ可愛いです······」

「そっか、ありがとっ······」


 赤い顔で褒めの言葉を絞り出した三枝と、同じく赤い顔でなんとかお礼を言って俯いてしまった神楽坂先輩。初々しいことで。


「で、君はいつまでそうしてるつもりなんだ?」


 残りの一人、白雪に声をかける。

 なんと彼女は水着の上からパーカーを羽織っていて、未だその全貌を明らかにされていない。分かることと言えば、膝の辺りまで伸びるパレオくらい。ちらりと見える白いふとももが、妙な背徳感を唆る。


「私、帰ってもいいかしら······」


 聞いたこちらの心臓が底冷えするような低い声だった。まるで地獄の底から聞こえたのかと思うくらいの。そこから見える感情の色は、嫉妬、羨望、憎悪、と言ったところだろうか。それかどこに向けられているのかも、誠に遺憾ながら理解出来てしまう。

 自分の胸元に視線を落としていた白雪は、神楽坂先輩のそこへと目を向け、はぁ、と短いながらも絶望を滲ませるため息を吐き出した。


「お姉ちゃん、紅葉さんの水着姿見てからずっとこんな感じなんですよ」

「あー、まあ、そうだろうね······」


 苦笑いしか返せなかった。分かりきっていた事実とは言え、それを伝えられた僕になにを言えと。

 それにしても、パーカーなんて羽織っていたら暑いだろう。下手したら熱中症の危険なんかもあるのだし。


「だ、大丈夫だよ桜ちゃん!」


 白雪へと声をかけたのは神楽坂先輩。先輩なら今の白雪を元気づけることが出来るだろうか。なんか、僕が何か言おうものなら地雷を思いっきり踏み抜きそうで怖かったから、神楽坂先輩にはどうにか頑張って欲しい。

 白雪の両手をひしっと握った先輩は、それを胸の前へと持って行く。視線をそちらに向けていた僕は、勿論先輩の山と白雪の平野が同時に目に入ってしまって。

 思わず涙が出そうになった。


「こんなのあったって、重いし動きにくいし肩は凝るし、良いことなんてなにもないよ?」

「······贅沢な悩みね」


 ふっ、とどこか悲しそうに唇を歪めた白雪は、僕たちに背を向けて、中岸さんが準備してくれていたパラソルの方へとトボトボ歩いていった。そしてサンダルを脱いでシートに上がり、体育座りで丸くなる。

 僕たちはその光景を、黙って見ていることしかできなかった。


「紅葉さん、追い討ちかけてどうするんすか······」

「えっ⁉︎ 今のダメだった⁉︎」

「追い討ちっていうか、死体蹴りって感じでしたよ、先輩」

「そんなに⁉︎」

「まあでも、お姉ちゃんのことだからそのうち元気出してひょっこり戻って来ますよ。だから放っておいても大丈夫です」


 呆れたようにため息を吐く小梅ちゃん。流石は妹、白雪の生態はこの場の誰よりも知っているらしい。

 けれど、あの落ち込みぶりを見ていたらどうしても心配してしまうと言うもので。


「お兄さん、お姉ちゃんが心配ですか?」


 振り返れば、一転してニヤニヤ笑っている小梅ちゃんがいた。顔に出てしまっていたのだろうか。見事胸中を言い当てられてしまい、少し恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。


「そうだね、心配じゃないと言えば嘘になる」

「そうですか。なら、あたし達三人は先に遊んでるので、お姉ちゃんのことお願いしますね!」

「え、ちょっと小梅ちゃん?」


 背中を押されて、無理矢理パラソルの前へ。一言くらい文句を言おうと思えば、小梅ちゃんは既に三枝と神楽坂先輩の方に戻っており、三枝までニヤニヤ笑っている。神楽坂先輩はちょっと申し訳なさそうだ。

 大丈夫です先輩。これ、別に先輩が悪いわけじゃなくて、白雪が勝手に落ち込んでるだけですから。

 さて、とうずくまる白雪に向き直る。なんて声をかけたもんか。下手なことを言えば余計に落ち込ませることになりそうだし、いつもより鋭い言葉のナイフが僕の心を抉ってきそうだし。

 まあ、なるようになるか。


「白雪」

「······なに」


 声をかければ、顔を上げずに目だけでこちらを睨んでくる。上目遣いってもっと可愛いものじゃなかったっけ?

 若干恐怖を感じながらも、サンダルを脱いで白雪の隣に腰を下ろした。


「まあ、あれだよ。神楽坂先輩が相手じゃ仕方ない。うん。僕らの年代であの人に勝てる人は、そうそういないから。だからそこまで落ち込まなくてもいいんじゃないか?」

「······」


 なるべく声音を優しく意識して話しかける。この手の悩みは男である僕に理解は及ばないが、それでも慰める程度なら出来るはずだ。


「······違うのよ」

「え?」

「紅葉さんだけならまだよかったのよ。覚悟はしてたから。でも、まさか、小梅まで······」

「あー······」


 つまり、神楽坂先輩だけじゃなく、小梅ちゃんにまで負けていたということか。それはなんと言うか、まあ······。


「ご、ご愁傷様······?」

「無理に慰めようとしなくていいわよ。落ち込んでる理由も、多分あなたが思ってるのとは少し違うから」

「白雪?」


 そういった白雪は、どこか様子がおかしかった。そう、落ち込んだ声と言うよりは、どこか遠くを見ているような。それでいて、苛立ちが混じったような。

 僕の気のせいだろうか。漸く顔を上げた白雪はいつも通りの無表情で。海で遊ぶ三人を眺めながら、口を開く。


「小梅はね、いつも私の先を行くの。運動神経は抜群で、スポーツはなんでもできるし、絵を描かせたり楽器を演奏させたりすれば、私よりも上手くて。学年が違うといっても、勉強だってその例にもれなかった。なにかのコンクールや大会に出れば、あの子が一位で私が二位。凄い子でしょ?」


 聞かされているのは、単なる妹自慢。そのはずだ。そのはずなのに。

 どうして、そんな悲しそうな声を出すんだろう。それは、僕がまだ知らない白雪桜の一面だ。知りたいと願ったのに、こんなにも知らないことがある。

 僕がその言葉の真意を測りかねている間に、白雪は勝手に立ち直ったのか、立ち上がってぱーかーのチャックに手をかけた。


「もういいわ。私達も行きましょう。変に心配させたようで悪かったわね」

「いや、それは良いんだけど······」

「なによ?」


 チャックを下ろし、パーカーを脱いだ白雪を見て、先程までの思考が全て吹き飛んだ。

 新雪のように真っ白で綺麗な肌。折れてしまいそうに錯覚する細いくびれ。そこから少し視線を上げると、慎ましながらも確かに存在している女性らしい膨らみが、水色のビキニで覆われている。

 顔が熱くなるのを自覚した。そこから目を逸らそうとして視線を下げれば、パーカーを着ていても見えていたパレオから覗くふとももが。視線の逃げ場がない。

 そんな僕の様子を察したのか、白雪は一度立ち上がったのにも関わらず、またしゃがんで僕と視線を合わせて来た。その顔は小悪魔のような笑みを浮かべている。


「あら、もしかして私の水着姿が気に入ったのかしら?」

「······っ」


 そんな顔ですらも、水着のせいかいつもより魅力的に見えてしまって。そんな視線から逃れるように立ち上がり、開き直って言葉を発する。


「ああ、そうだよ。その通りだ。君があまりにも綺麗だから見惚れてたんだよ。先輩や小梅ちゃんなんかよりもね」

「······そう。嬉しいことを言ってくれるわね」


 聞こえて来た彼女の声は、少し弾んでいるように聞こえる。元の調子に戻ってくれたのなら良かった。


「さ、私達も行きましょう」

「そうだね。それと、後で中岸さんに頼んで写真でも撮ってもらおうぜ」

「私達の水着姿をいつでも眺められるようにしたいってことかしら?」

「なんでそうなるんだよ。記念にだ、記念に」

「鼻の下伸ばして視姦してたくせによく言うわ」

「僕がいつそんなことをしたって言うんだよ」

「小梅に手を出したら殺すから」

「怖いって」


 そんな会話を交わしながら、僕達も海へ向かう。熱くなった頬は冷めそうにないから、きっと夏のせいなのだろう。そう言うことにしておこう。

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