第37話

 文化祭開演から既に五時間余りが過ぎた。午前中のステージは全て終了し、一時間の昼休みの後、午後の部が開始される。

 我が校は文化部がそれなりに多いので、午前中のステージは全てそれら部活動の発表に充てられていた。中でも凄かったのは、やはり軽音楽部や吹奏楽部などの音楽系の部活か。吹奏楽部は公式に大会などがあるからまだしも、軽音楽部は文化祭のような行事でないと、中々活動の記録としては生徒達に浸透しない。どこぞのライブハウスで観客が何人入ったとか聞かされても、分からないやつは分からないし、学校で表彰されるわけでもないのだ。

 だからこそ、自分たちの存在を誇示するために、この文化祭のステージは力を入れている。そして実際に、軽音楽部のバンドはとても盛り上がっていたし、その実力を認められてるからか、午前の部のトリにもなっていた。僕の肩ですうすう寝息を立てていた白雪が目覚めるほどに。


 さて、五時間経ったという事は、昼休みも既に終了間際と言うことだ。そんな時間に何をしているのかと言うと、教室に戻って演劇の衣装に着替えていた。


「ぶわーっははははは!!! さいっこうだな智樹ィ!!」

「そうかありがとう。遺言はそれでいいのか?」

「ちょっ、待て待てステイステイ!」


 全力で腹の底から笑い声をあげる三枝を殴るため拳を振り上げる。慌てて顔の前で両腕をクロスする三枝の肩を、容赦なく思いっきり殴ってやった。


「いってぇ······。マジで殴るかよ普通······」

「君が笑うから悪い」


 僕達二年三組の出番は、午後の部の二番手だ。故にこうして準備をしているわけなのである。因みに女子達は隣の教室を借りていて、そこで着替えている。と言っても、女子は白雪くらいしか出演しないのだが。

 そして、今の僕が身にまとっているのは、井坂が作った王子様の服装。いかにもお伽話に出てくる王子様と言った服装で、腰にプラスチックの剣まで差さなければいけない。


「三枝こそ、人のことを笑えない格好になってるぜ?」

「似合うだろう」

「ああうん。似合う似合う」


 三枝は全身黒い肩出しドレスにウィッグをつけた、出来の悪い女装みたいになっている。しかも高身長で肩幅が広くガタイがいいため、めちゃくちゃ気持ち悪い。この後は老婆の役も待ち受けていると言うのだから、目も当てられない。


「男子どもー。着替え終わったかー?」

「きゃー!」


 突然教室の扉が開いたと思えばなんの躊躇いもなしに井坂が突入してきた。丁度着替えてる最中だった小人役の生徒達から悲鳴が上がる。


「うるさいうるさい。悲鳴とかいらないから。ほら、姫が来るんだからさっさと着替えて」

「君はもうちょっと恥じらいを持ったらどうなんだ······」


 つい苦言を呈するようにツッコミを入れてしまえば、井坂がこちらを向いて、メガネの奥の瞳を怪しく光らせた。


「おっ、どこのイケメンさんかと思えば夏目少年じゃあないですかー! いやぁ流石私。少年の王子様感をここまで引き出す衣装を作れるなんて!」

「僕を褒めるのか自分を褒めるのかどっちかにしろよ」

「いやーこれなら姫のハートもばっちり掴めるネ!」

「······だと良いけどね」


 折角感情の整理がついたのだから、そう言うことを言うのは勘弁願いたい。必要以上に彼女のことを意識してしまうから。


 僕は、夏目智樹は白雪桜が好きだ。

 それに気付かされたのは五時間ほど前。しかもそれから暫く、好きな子の寝顔がすぐそばにあると言う異様な事態に陥っていたので、心臓はいつも以上に鳴りっぱなしでもはや爆発するのではないかと疑ったし、顔も熱いままでやっぱりこっちも爆発するんじゃないかと思った。寧ろ僕と言う存在事態が爆発してしまうのではないだろうか、なんて馬鹿みたいな思考も過ぎったほど。

 ただ、感情の整理がついた今なら、嘘偽りなく言える。僕は白雪が好きなのだと。

 誰かを好きになることなんて初めての経験だし、この感情を持て余し気味なのも否定出来ないが。


「姫ー、入ってきていいよー」


 思考の海に沈んでいると、井坂のそんな声に意識が引き戻された。

 開かれた教室の扉から、あくびをかみ殺すこともせずに手を当てて大きく口を開けている白雪が入ってきた。

 教室内にいた男子生徒全員が、その姿に息を飲む。

 化粧をしているのか、いつもは幼さを残す可愛らしい顔が大人びた美しいものになっている。纏ったドレスはディズニー版白雪姫に色々とアレンジを施したもののようで、白雪の儚さを際立たせていた。長い黒髪は纏められることもなく、重力に任せて垂れ下がっており、本物のお姫様のように優雅な足取りで、彼女は教室に入ってくる。

 お伽話の白雪姫が、確かにそこにいた。


「馬子にも衣装、ね」

「おい」


 しかしそんな雰囲気も一瞬で霧散。馬鹿にし腐ったような視線を僕に投げかけ、最大限の侮蔑を込めたような笑みを形作る。


「あら、なにか間違っていたかしら」

「間違ってないのが腹立たしいんだよ。仮にも相手役なんだから、もうちょっと気を遣った言葉を投げかけられないのか?」

「今更私があなたに気を遣うとでも? 飛んだ自惚れね」

「僕は君のその自信過剰なところがたまに怖くなるよ」

「それで?」

「なに」

「今の私を見てなにか言うべきことはないのかしら?」

「口を開かなければ理想の白雪姫なのに、残念だよ。色々と」


 全くどうして、こんな少女を好きになってしまったのか。けれどやっぱり、白雪とのやり取りは楽しい。ともすれば、ずっとこの軽口の応酬を続けていたいほどに。


「でも」


 でも。


「似合ってるよ。いつも可愛いとは思ってたけど、今日はいつもの比にならないくらいだ」


 軽口だけじゃなくて、こう言うセリフだって言いたくなる時もある。今までも似たようなことは言ったことがあるはずなのに、今日はどうしてか、心臓がバクバクと煩く鳴っていて。

 どうしてか、なんて白々しい。それはきっと、僕が自分の感情を知ったからだ。


「······そう。ありがとう。あなたも、ギリギリ私の相手役が務まるくらいにはカッコいいわよ」

「そいつはどうも」


 化粧を施した白雪の頬がほんのり朱に染まって見えるのは、僕の幻覚か妄想か。

 ただまあなんと言うか、彼女の口からカッコいいと言われたことは、素直に嬉しい。気を抜くと口角が上がってだらしない顔になってしまいそうだ。

 なるほど、これが誰かを好きになるという事か。白雪のなんでもない言葉で一喜一憂してしまう。なんだかそんな自分が恥ずかしくも思える。


「よっしゃ! これなら最優秀賞も間違いなしだな!」

「やめろその格好でひっつくな気持ち悪い」


 気持ち悪い女装でいつもみたいに肩を組まれるとなんだか鳥肌が立ってしまう。気持ち悪い。やっぱり地獄絵図になりかねないじゃないか······。


「まあでも、やるからには本気で狙っていこうか。最優秀賞ってやつ」

「······」

「どうした?」


 得意げに笑いながら、ここにいない他クラスを挑発するような僕の呟きに、三枝が呆気にとられたような顔でこちらを見る。そんなにおかしなことを言ったつもりはないのだが。

 けれど次の瞬間には、優しげな顔を見せて。組んでいた肩を離し、ポンッと背中を叩かれる。


「お前、昔に戻ったみたいだな」


 その言葉の意味を理解するのに、ほんのすこしの時間を有した。

 僕が、昔の僕に戻った。三枝の言う昔とはつまり、中学の頃の僕で。野球に貪欲で、なにをするにも全力だった頃の僕で。


「三枝」

「ん?」

「文化祭が終わったら、久しぶりにキャッチボールでもしようか」


 でも別に、昔の僕に戻ったわけじゃないんだ。ただ、誰かさんのお陰で、心の中の腫瘍が取り除かれて。今の僕としての再スタートを、しっかりと踏み出せただけ。


「それ、死亡フラグみたいよ」

「ほっといてくれ」


 水を差してくる白雪に苦笑を返す。

 野球をまたやり始めようとら今更思わないけれど。帰ったら、久しぶりにグローブをはめてみたい。その時のことを想像してみて、不思議と気分が高揚した。

 でも一先ずは、僕も白雪にいいところを見せてみよう。










 ステージの幕は下り、体育館は真っ暗闇に染められている。僕たちが待機している舞台袖は蛍光灯の灯りがあるけれど、本番直前の独特な緊張感もあってか、その灯りがどこか頼りなく思えてしまう。

 前のクラスは既に下手に掃けて、数分後にはついに僕たちの出番となっていた。

 いよいよだ。いよいよ、これまでの練習の成果を発揮する時が来た。登校して来た時は精神状態故にセリフが頭の中から飛んでいたけど、今は大丈夫。さっきここに来る前、改めてセリフを確認した時に全て思い出した。

 それでも、不安がないわけじゃない。

 なにかの拍子にまたセリフを忘れたり、頭が真っ白になったり。はたまた、突然今のタイミングで誰かが怪我して出れなくなり、演劇そのものがパーになったり。

 そんな考えが、未だに払拭しきれない。


「大丈夫よ」


 不安が顔に出ていたのか。僕の隣で控える白雪から声が掛かった。


「絶対、大丈夫」


 その声は小さく潜めたものではあるけど、とても力強い響きを持っていて。彼女の言葉は、いつも僕の胸に深く浸透してくる。

 隣に首を回せば、無表情ながらも強い光を湛えた瞳で、ステージを睨むように見つめる白雪が。そんな横顔にまた見惚れてしまう。


「言ったでしょう? あなたの努力は、無駄にはならない。私が無駄にさせない。何かあったら、私が拾い上げてあげる。だから、あなたは安心して演技に集中しなさい」


 なんと頼もしい言葉だろうか。白雪のその言葉だけで、胸の不安は晴れてしまう。安直にも程があるけれど、それでも彼女にそう言われるのは、どうしても救われた気になってしまう。


「最後までちゃんと出来たら、ご褒美でもあげるわ」


 クスリとイタズラな笑みを見せた白雪がこちらに振り向いて、目があった。

 舞台袖はそう広いスペースと言うわけでもないから、自然僕と白雪の距離もそれなりに近いものになっていて。

 顔が熱くなる。至近距離でそんな可愛い笑みを見せられるのは、心臓に悪い。


「白雪姫からのご褒美だなんて、下賤のものには身に余る光栄だね。間違えても、毒林檎なんて投げてくるなよ?」

「あなたがお望みなら毒林檎どころか子々孫々にまで残る呪詛をプレゼントしてあげてもいいけど」

「やめてくれ」


 自分の顔色を誤魔化すように軽口を叩けば、白雪もそれに乗ってくれる。お陰で緊張がほぐれた。


『続きまして、二年三組によります演劇『白雪姫です』


 放送部からのアナウンス。それを聞いて、まず最初に出番の三枝がステージに向かうため準備する。相変わらずその女装は気持ち悪い。


「よしっ! んじゃ気合い入れていきますか!」

「頑張れよ三枝。精々笑い者になって来い」「その気持ち悪さを全校生徒に知らしめてきなさい」

「もうちょい気の利いた励ましの言葉とかないのかよ!」


 笑顔で僕たちに突っ込みながら、三枝はステージにのぼり。

 ついに、幕が上がった。





 むかしむかしあるところに。

 ナレーションのそんな語りから始まるこの演劇。白雪がグリム童話やらディズニーやら実写映画やらオリジナル展開やらをごちゃ混ぜにしたキメラのような台本ではあるが、そこは流石の白雪桜と言うべきか。台本におかしなところはなく、一つ筋の通った話として成り立っている。

 さて、王子様の僕は、ほかのみんなと比べると出番が少ない。一番少ないのは、白雪姫を森に連れて行く狩人役ではあるが。

 僕たちの劇は話も暫く進んで、今は白雪姫と七人の小人達が平和に暮らしているシーンだ。


「姫は相変わらず、すごい演技をするねぇ」


 休憩している僕の方に井坂が寄って来た。彼女は衣装係のリーダーとして、何かあった時のために一応舞台袖で控えている。

 井坂の言葉につられてステージ上を見る。白雪は演技に入ると、文字通り人が変わったように見えてしまう。そこにいるのは白雪桜ではなく、『白雪姫』となるのだ。

 ちらりと見た客席では、観客の全員が、白雪のその演技に魅了されていた。

 前に何かの拍子に、以前習い事でもしてたのかと尋ねてみたが、特にそう言ったものはしていなかったらしい。つまり、これは彼女の才能が成せる業ということだろう。


「白雪が凄すぎて、王子役の僕の肩身が狭いよ」

「そんなことないんじゃないかにゃー? さっきの白雪姫と王子様の出会いのシーン。私はなかなか良かったと思うよ」

「お世辞でもそう言ってくれるなら嬉しいね」


 ステージの上では話が着々と進み、小人達が全員仕事に出かけると言って、白雪姫を一人家に残して去って行く。

 ここから先は、誰もがよく知る展開だ。


「三枝くーん。準備はいいかな?」

「おう、バッチリだぜ」


 井坂が声をかけた方に首を巡らせると、そこには黒いローブと黒い魔女帽子を被った三枝が。女王から老婆への華麗なシフトチェンジ。


「なんだ、案外そっちの格好は似合ってるじゃないか」

「お、そうか?」

「その気持ち悪さがもう『悪い老婆!』って感じで最高だと思うぜ」

「だから! もうちょい気の利いた言葉はねぇのかよ⁉︎」


 女王役の時の三枝は、それはもう本当に気持ち悪くて観客の笑いを誘ったけれど。こっちの老婆役は、ある意味では似合ってると言える。まあ、気持ち悪いのに変わりはないんだけど。


「んじゃ、お膳立ては任せろよ、王子様」

「白雪姫に毒林檎を食べさせるとか、酷いお膳立てがあったもんだ」


 ニッと笑顔を浮かべて、三枝は再びステージに上がる。


『小人達が仕事に出かけた後の話です。白雪姫がいる家に、ひとりの老婆がやって来ました』


 ナレーションの声が聞こえ、演技が進められる。それを舞台袖から見守りながら、ふと気づいたことがあった。


「井坂」

「ん、なにかな?」

「誰かにカフェオレを買って来てもらうよう頼んどいてくれないか?」

「カフェオレ? またなんで?」

「白雪の体力が持つか分からないから、栄養剤代わりに」

「姫のためとあらば喜んでー!」


 誰かに頼んでくれと言ったのに、井坂は喜び勇んで自販機へと走っていった。

 白雪は今日寝不足だった。午前中は人の肩を枕がわりにして寝ていたが、それで十分な休息が取れたとは言えないだろう。しかも彼女は、この演劇に出ずっぱりだ。そろそろ、体力の限界が訪れてもおかしくない。


「まあ、美味しそうな林檎ね!」

「どうだいお嬢さん。こいつをひとつ貰ってくれないかね?」


 やたらと図体のでかい老婆が腰を曲げて、白雪姫に林檎をひとつ手渡す。白雪姫はその林檎を老婆の手から受け取り、一口齧るとその場に倒れ伏してしまった。


『なんということでしょう! 白雪姫が食べたのは、毒林檎だったのです!』

「ひっ、ひひひっ、あひゃひゃひゃひゃひゃ!! これで白雪姫はもう死んだぁ······。この世で一番美しいのは、この、私だぁぁぁぁぁぁ!!」


 無駄に力の入った演技を見せる三枝に、観客も若干引き気味だ。僕はかなり引いてる。

 笑いながらその場を去る老婆。仕事から帰ってきた小人達は、白雪姫の死に涙を流しながら棺にいれ、老婆の正体を森の動物達から聞き、女王に復讐を誓う。

 ここでようやく、白雪がステージから降りてくる。


「お疲れ」

「本当に疲れたわ······」


 舞台袖に降りてくるなり、白雪は設置された椅子に座って机に上体を投げ出した。やっぱり、かなり疲弊していたようだ。

 て言うか、そんなダラーっとしてたらドレスがシワになるぞ。


「お待たせー!」

「ナイスタイミング」


 井坂が戻ってきた。早い。

 その手にはカフェオレを三本抱えていて、戻る時も走ったのか、額にはわずかに汗をかいている。


「ほら白雪。君の大好物だぞ」

「姫、こちらをどうぞ!」

「ありがと」


 カフェオレを受け取った白雪は、まず一本目の缶を豪快に一気飲み。続いて間断なく二本目の缶を開け、それまた一気飲み。そしてそこで一息つくように、三本目はプルタブを開けても一気飲みせず、チビチビと飲み始めた。


「生き返る······」

「そいつは良かった」


 はふぅ、と幸せそうなため息を吐く白雪の表情は、演技中でもないと言うのに、カフェオレのお陰でふにゃりと笑顔になっていた。


「少年少年」

「ん?」


 ちょいちょいと井坂に手招きされ、そちらに顔を向けると、耳元に口を寄せてきた。妙に距離が近くて少し擽ったい。白雪はカフェオレによる幸福感の余韻に浸っていて、こっちの様子には全く気づいていなさそうだ。

 そして井坂は、内緒話のようなトーンで、こんなことをのたまった。


「次は姫とのキスシーンだねっ!」

「······っ」


 急激に赤く染まる頬。視線は自然と、そこでカフェオレを飲んでいる白雪の唇に吸い寄せられる。

 出来るだけ意識しないようにしていたのに、井坂のお陰で必要以上に意識してしまう。


「······ニヤニヤと笑ってるとこ悪いんだけど、ただのフリだよ。本当にキスするわけがないだろう?」

「顔が真っ赤だぞ、少年?」

「······」


 そんなやり取りをしているとステージが暗転し、ついに僕と白雪の出番。問題のシーンの時間となってしまった。小人役の七人はそのままステージ上に残り、今しがた小人達に無残にも殺されてしまった三枝が舞台袖に戻ってくる。


「よお智樹。ようやく、お楽しみのシーンだな」


 井坂と同じくニヤニヤした三枝が近寄ってくる。なんかムカつくので、取り敢えず肩を殴っておいた。


「いてぇっ!」

「気持ち悪い笑みを貼り付けてる君が悪い」

「俺、今日だけで何回気持ち悪いって言われるんだ······」


 なんにせよ、時間は待ってくれない。僕もそろそろステージに上がらなければならないし、白雪も先程までのだらしない姿は影も形もなく、キリッとした表情をしている。


「行くわよ夏目」

「······ああ」


 このキスシーンのことを、白雪はなんとも思っていないのだろうか。練習の時にも、どうせただのフリだからと、僕の言葉を一蹴していたけれど。

 少しでも意識していてくれたらいいと思うのは、僕の傲慢だろうか。


 暗闇に包まれたステージに上がり、白雪は用意された棺に横たわる。そして準備が整い、ステージが明転した。


『白雪姫が死んでしまい、悲しみに暮れる小人達。そんな中、幼い頃に出会った白雪姫を探す隣国の王子様がやって来ます』

「ああ、白雪姫! ようやく会えたと思ったらこんな姿になっているなんて······!」


 頭の中にあるセリフを、体育館の奥まで届くように大きな声で読み上げる。

 棺に横たわり目を閉じた『白雪姫』はとても美しくて、演技中の僕ですら、思わず目を奪われてしまう。


「王子様、白雪姫を助けてください!」

「毒林檎の呪いを解くには、王子様のキスが必要なんです!」

「分かった、僕が白雪姫を助けよう!」


 棺の側で跪き、眠っている『白雪姫』に顔を近づける。観客席からは、キャーと黄色い声が聞こえてくる。

 フリだ。あくまでも、キスのフリ。実際にするわけではない。頭の中で必死にそう言い聞かせながらも、長い睫毛が、白い肌が、艶やかな唇が目に入ってしまい、どうしても頬の加熱を止められない。

 やがてその顔を直視出来なくなって目を閉じる。しかし今度は、視覚以外の五感が敏感になってしまって、白雪の髪から香るいい匂いが鼻腔を擽る。

 嗅覚をシャットダウンなんて出来ないのでなんとか我慢しながらもギリギリまで顔を近づけると。

 同じく敏感になった聴覚が、本当に小さな、すぐそこにいる小人役の生徒達にも聞こえないくらい微かな声を捉えた。


「少し早いけど、頑張ったご褒美あげるわね」


 ──柔らかいなにかが、唇に触れた。


 咄嗟に顔を離して距離を取る。それが不思議に映ったのか、小人役の生徒達は訝しげに僕を見ている。

 今のは、なんだ。一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。唇になにか、柔らかいものを押し当てられた。

 まさか、まさかとは思うが。あれは──


「こほっこほっ」


 起き上がり演技を続行した白雪を見て、ハッと我に帰る。出かかっていた答えは霧散してしまい、強制的に思考が中断される。

 そうだ、今はそれを考えるよりも、演技に集中しなくては。


「あら? 私は一体······」

『なんと、白雪姫は王子様のキスで目が覚めたのです! 小人達は泣いて喜び、白雪姫に近寄ります』

「白雪姫!」

「白雪姫が目を覚ました!」

「よかった、よかったよぉ······」

「王子様が、白雪姫を助けてくれた!」


『小人達』に向いていた視線を、『白雪姫』は『王子様』に寄越し、華やいだ笑顔を見せた。


「まあ、あなたはあの時の王子様! あなたが私を助けてくださったのですか?」

「ああ、そうだとも。白雪姫。ずっと君を探していた。女王に殺されたという君が生きているのを信じて」

「そうなのですね。ありがとう王子様」

「僕はもう、君を見失いたくない。君と離れたくない」


 頭の中で冷静な自分が、臭いセリフだな、なんて言ってくる。でもこれは演技だ。実際に僕が白雪に対して言ってるわけではない。『王子様』から『白雪姫』への言葉だ。

 無理矢理にでもそう言い聞かせ、続きのセリフを口にする。


「だからこれからは、僕が君を守ろう。どうか僕のもとへ来てくれないだろうか」


 手を差し伸べる『王子様』。笑顔を浮かべた『白雪姫』は、とても嬉しそうにその手を取って、棺から立ち上がる。


「ええ、喜んで。私は、これからあなたと共にありましょう」

『こうして白雪姫は王子様の国へ行き、二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし』


 ナレーションが締めの言葉を言い、大きな拍手が体育館に鳴り響く中。

 僕たちのステージは、幕を下ろした。

 ただひとつ、僕の唇に。柔らかいなにかを残しながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る