役割


「連れてきたか」


 紅河ホンフェァだ。初めて聞く声だけど、なぜかそう思った。思っていたよりも少し高い声。偽りの朝陽チャオヤンと同じ気配をまとっている。優し気に見えて、冷たい。なんの感情もないのではないかと思う気配。なぜか、すごく悲しくなった。


ズーヤンの供をしているというのに、この程度か。もうよい、下がれ」


「はい」


 足音が遠ざかる。私が供をしている事で、紫陽さんの名まで傷つけてしまった。ごめんなさい。


「其方、意識はあるのだろう。目は開くか?」


 開きません……。

 瞼も指も、私の意志ではなに一つ動かせない。まるで、私の身体は誰か別の人のものなんじゃないかと思うほどに、何一つ動かない。


「神力はあるようだが、己では使えぬか」


 呆れたような溜息と同時に何かを唱える声がする。少しだけ身体に力が戻ってきた。薄暗い室内に窓はなく、蝋燭の明かりが私をあざ笑うかのように揺れている。


「我は紅河。其方、名は?」


「……」


 『名乗るものか』と強く思っていなければ、口が勝手に開き名乗りそうになる。これも、彼の神力?


「別に其方をどうにかしようとは思わぬ。神力は優れているようだが、其方自身では扱えぬのであろう。供を許されてはいるようだが、あんなところに一人で来たあたり、紫陽がどう動くかも知らされていない。それだけの供だ。名が無ければ不便ではあるが、名乗りたくなければそれでもよい」


 呆れたように紡がれる言葉。『お前なんて、敵どころが、紫陽の仲間にも見えない』と言う事だろう。まぁ、この人からみたらそうだろうな。こうして目の前にして、改めて私なんかが叶うわけがないってことがよくわかる。大人と子供、なんて表現じゃとても足りない。


 紫陽さんも神力は優れているのだろうけど、人の持つ力。この人の力は、風鬼さんに近い。もしかしたら『人ならざる者』なのではないかと思ってしまう。でも、思っていたよりもずっと穏やかに話をする。とても『帝の黒い盾』には見えない。


「其方は、紫陽の弟子か?紫陽は、弟子を取ったのか?」


「……」


「もう一人、男がいるのだろう。そやつも、其方と同じ神力があるのか?」


 珠樹チュシュの事も知っている。河北フェァベイに入る前から紅河の神力が私たちを捕らえていたのであれば、珠樹の具合が悪いことも、紫陽さんが一人で紅河を探していることも知っている。

 背中を冷たいものが上がってくる。怖い。


「紫陽は、黒龍の宝珠を求めているのであろう。なぜ、帝のものを国の民が奪おうとする?この国の未来が、欲しくはないのか?」


「……貴方の望む、この国の未来とは?」


 まっすぐに見据えて問う私に、一瞬困惑した顔を見せたがすぐにあざけるように笑った。


「むろん、周和国に攻め入って来る隣国を蹴散らし、我が国が領土と民を取る。我が帝は、過去にも未来にもないような大国を統べる」


「大国になることで、得られるものは何ですか?」


「国が大きくなれば、それだけ豊かになる。こんな寒村ではなく、作物の実る場所で今よりもずっと豊かな暮らしをすることもできよう。国が財を得、強くなり、逆らう国がなくなれば民は戦に出ることもなくなる。隣国の民も、我が国の民となるのだ」


「河北の民は、どうなるのです?」


「ここは、我が国の北の外れ。実りも少ない。だが、龍の宝珠を手に入れたのはこの村があってこそ。帝からの感謝の意として、今後税はとらぬ」


 作物の実る場所で豊かな暮らしをし、河北は実りが少ないかから税を取らない。それって……。


「河北を、捨てるのですか?」


「国が強く、大きくなることで多くの民を救える。今この地を救うが、国のためにはならぬ」


 お前には難しいか、と言わんばかりに笑いながら話すこの人に嘘はないのだろう。嘘はないが、心もない。


「民には心があります。民から春を奪い、地を奪う。そんな国を、民が誇れると思いますか?民の心が帝に向くと思われますか?」


「……民には、たしかに心がある。だがそれは、国になど向かっておらぬ。己の側に寄り添う者に向かう。国から裏切られたとしても、国を奪われても、別の国になったとしても、寄り添う者がいれば民は生きる」



 それは、きっと正しい。たとえ清華国がなくなったとしても、龍庭が奪われたとしても、私は珠樹がいればどこででも生きていくだろう。でも、故郷を奪った国を憎む気持ちはどこへ行くのだろう。


「今を生きる民は、周和国を誇らぬであろうな。だが、未来を生きる民が誇れる国であれば、それでよい」


 言葉がでない。この人の言うこともわかる。清華国よりも北にあるこの国で生きることは、きっととても厳しいものなのだろう。豊かな地を欲することもあるだろう。今の民よりも、未来の民を望むこともあるだろう。

 でも、だからと言って引き下がることはできない。

 私は、龍庭で今を生きているのだから。


「誇れぬ国で生きたくなどない。そう思う民とているはずです」


「ならば止めぬ。生きる意志のない民は、帝には不要。弱き民は、この国には不要」


 背筋の凍るほどの低い声。口調は柔らかいが、氷のような冷たさと硬さを感じる。


「其方では、何も出来ぬ。紫陽を捕らえるまではここにいてもらうが、その後はどこへなりと行くがいい」


「紫陽さんは、私を助けになんか来ない。そういう人よ」


 そう。紫陽さんは周和国を第一に考えている。捕まってしまった私などにかまう事はないし、私だって助けてもらおうなんて思ってはいない。人質になどなれない。


「……知っている。其方よりも、ずっとな」


 暗くて、顔なんてよく見えない。でも、一瞬。本当に一瞬、彼の顔が背けられたのがわかった。痛みを堪えたように、感じた。不思議と私の手は紅河に差し伸べられたが、その手が紅河の頬に届く前に紅河は立ち去った。私は、暗闇に一人取り残されたのだ。



 カビの匂いがする闇に一人取り残されて、どのくらい経ったのだろう。外が見えるほどではないが隙間はあるらしく、空気の動きで蝋燭の光が揺れる。紅河の気配は近くにはない。紅河が戻る前に、脱出する方法を考えなくてはいけないのに、頭に霧がかかったようで、何もまとまらない。これも、紅河の神力?


 風鬼さんの数珠は、紅河と対峙したときから、風をまとわなくなった。それだけ紅河の神力が強いという事だろう。朝陽の神力を分けられた紙を持っていれば、もう少しまともに対峙することもできたのだろうか。自分自身の力ではまるでかなわず、紅河の情けで生かされている。それがわかるのに、逃げ出す力も、諦める潔さも持ち合わせていないのが情けない。


 『お前なら、大丈夫だ』『もう、帰ろう』珠樹の言葉が頭の中をぐるぐる回る。

 そうだ、もう帰りたい。何もかも投げ出して、こんな暗い場所から逃げたい。逃げたい、帰りたい。

 逃げられる?ここを出られる?できなくても、やらなくちゃ。

 きっと頭にかかっていた霧が、紅河が私につけた錠。それを、珠樹が外してくれた。



 黒龍様、約束は違えません。貴方の宝珠を取り戻します。だから、自由になったら珠樹を助けて。


「黒龍様」


 願いを込めて名を呼んでみるも、当然ながら返事はない。でも、きっと近くにいる。そんな気がする。神力の使い方をゆっくりと思いだす。目に頼らずに、気配を探る。動く空気が運んでくる情報を、ひとつ残らずくみ取る。


 紅河はここにはいない。私を連れてきた人たちも今はいない。

 ここから出る事が出来れば、黒龍様の元に行ける。一緒に逃げられる。

 

 古く変形した扉が、カビの匂いをさせた空気を運んでくる。鍵はかかっているようだが、つくり自体はそんなに強くはなさそう。扉の下を強く押せば湿気を含んだ板が曲がり、腕一本なら何とか出せる。精一杯腕を伸ばして、何かないかと探す。まぁ、ないよね。そんな都合のいいもの。


「風(ふう)鬼(き)さん、助けて」

 苦し紛れにつぶやいた瞬間、左手の数珠に風が戻る。風が、うなりをあげて部屋の中を踊る。ガタガタと、何かが倒れる音。指先に、何か固いものが当たる。ゆっくりと引き寄せたそれは、固い荒縄。引き寄せてはみたものの、扉を壊すには役に立たないかな。どうしよう。


「これ、失敗したら、もう帰れないよね……」

 目の前で燻り始めた荒縄を見ながら、溜息が漏れる。部屋の隅に置かれた弱々しい蝋燭の小さな炎を、荒縄に移し、扉を燃やす。我ながら名案とはいいがたいが、私が自力で扉を破る事は出来ないので炎に頼る以外に方法が思いつかない。きっと、風が味方をしてくれる。なんとか、する。


 バチバチと音を立てながら、扉が少しずつ、黒く染まる。湿気が多いせいか、炎は思ったよりも大きくはならない。風が部屋を踊るおかげで覚悟していた煙も、息ができないほどではない。でも、このままだと、扉が落ちる前に見つかってしまうかも。


 『緑龍の加護を受ける娘、其方はいつまでそこにいるつもりだ』

 突然、頭の中に響いたのは黒龍様の意志。黒龍様、やっぱりここに居る。


 私はいつまでここに居る?私の役割は、なに?


 どうしたらいいのかと考える前に足が動き、黒くなった扉を必死に蹴る。  

 熱い、痛い。そう思うのに、足が止まってくれない。まるで私の身体ではないみたい。



 捕らえられた部屋から出れば、そこは煙で前も見えない。そうだよね、建物の中でこれだけ燃やして、煙が出ないはずないよね。


『我が従者の、加護を生かせ。其方は一度退くがいい』


「黒龍様の従者?風鬼さんのこと?」


 手首にある数珠から風鬼さんの気配を感じる。側にいてくれると、信じることができる。朝陽、ほんの少しだけど貴方の気配も感じることができる。貴方の気配は、私を安心させる。

 黒龍様がここに居ることはわかったから、一度退いて紫陽さんに相談して。情けないけど、今の私にはそれが最善だと思う。ここまで来たのに申し訳ないけれど。


『其方が死ぬことはない』

 ごめんなさい。


「風鬼さん、助けて」


 『加護を生かす』なんて難しいことがわかるはずもない私は、左手をめちゃくちゃに振り回してみる。風鬼さん、目が回っていたらごめんなさい。

 わかったわかった、と言うように少しずつ空気が動き、煙が薄くなっていく。同じ方向に流れる煙に導かれて進めば、壁の隙間からわずかに紅い光が差し込んでいる。


「ここ?」


 せっかく教えてもらっているのに、失礼だとは自分でも思う。それでも、がっかりとした声を抑えることができなかったのは、仕方ないと思ってもらおう。だって、私の指先ぐらいしか出せないような壁の隙間から外に出られるなんて、煙だからでしょう?私が、出られるわけがないじゃない。

 流れる煙の量が増えている。見えないのに、炎の爆ぜる音が聞こえる。勢いのついた炎が、近づいてくるのを、感じる。早くここからでなくちゃ、帰れなくなっちゃう。嫌だ。


 風のおかげで、煙は私をよけてくれる。でも、激しく迫る熱気に肌が焼かれそう。どうにも、ならない。帰る事をあきらめかけると、頭の中に霧がかかる。ああ、もう立ち上がることも出来ない。ごめんなさい。

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