霧島カイトは掴めない

桜田なな

第1話 気狂い色男

 私の朝の仕事は―――――

「……また学校で寝泊まりですか。……先生」


 この魔術学園の人気教師、霧島カイトを叩き起こすところから始まる。私は去年から彼の助手として働いている。


 私の名前は紫雲ミレイ。薬品系に強く毒を作るのが趣味、歳は24歳。口数が少ない上に目つきが怖いと感じられることが多い。前はこの学校の保健室の先生をしていたが、毒を作る趣味のせいか変わり者という扱いを受けていた。


 先生――――霧島カイトは私より3歳年上だ。高学歴で、とある有名な魔術高専を首席で卒業している天才魔術師。眉目秀麗で何もかも敵わない。生徒思いな教師なので、この学校の生徒の人気を独占している。もちろん生徒だけでなく女性職員からも(違う意味で)注目を集めている。

 しかし助手経験者は口を揃えて言う「霧島カイトの助手になることはおすすめしない」と――――。


 …そう。この男、非常に手が掛かる。とてつもない能力があればとてつもない欠点があるとはよく言ったもので、彼は自己管理が壊滅的にできないのである。「顔がいいからといって安易に助手になるものじゃない」というのが職員の間で有名だった。

 助手になった人はだいたい数ヶ月。中には1ヶ月もしないうちに辞めた者がいるほど厳しいものだった。


 私も初めは先生のような優秀な人に助手はいらないと思っていた。しかし、校長先生は「彼には絶対に助手をつけてほしい」とのことで、なぜか私に決まった。そして気がつけば私が助手として過去最長の付き合いになっていた。霧島先生は変わった人で本当に心の底から分かり合える人間は相当いないと思っている。そんな変わり者の先生に変わり者の私が来た。波長が合っているのか分からないが、私が助手を辞めたいとか精神を病んだことは一度も無かった。

 霧島カイトは研究熱心な教師と聞こえは良いが、どうかしていると思うほどに自己管理が壊滅的だ。どう壊滅的かというと、例えば寝る場所。学校で泊まり込みは普段からするし、いつものように研究室のソファーで寝落ちしている。家にいるより学校で暮らしているのかさえ思うが…。一番恐ろしいのは、霧島先生が床に落ちていたり、階段で倒れている時だ。時には湯船に浸かったまま寝落ちしていることもある…

 すぐに救急対応が必要なのか、それともただ寝ているのかそれとも本当に死んでしまったのか―――と、とても心臓に悪い。

 危なっかしい生活と怪しげな実験を繰り返しているため、私は先生がいつ死んでもおかしくないと思っている。本当にやめてほしいものだ…。一年も彼を見ているとだんだんと分かってくる部分もあり、慣れてきたと言えばそうかもしれないが、こんなものに慣れてたまるかという気持ちもある。助手の私がいなければ、とっくに先生は死んでいるだろう、とすら思える。校長先生が霧島カイトに助手をつけたがる理由は正しくこのことなのだ。

 彼の助手はこの3年で20人も変わったという。

 本人は助手をつけるのはもううんざりしているらしいがやはり初めは顔が良く性格も良い霧島先生の助手になりたい女性職員がとても多かったという。そして交際を狙って近づく……という大胆な職員も何人かいたようだ。

 しかし、彼はそんな女に全く興味を示さず研究に明け暮れる感じだったそうで若い女性職員の間では「気狂い《きちがい》色男」と呼ばれている。


 今日の霧島カイトはソファーで寝ている。服も着替えず、ジャケットにシャツ、ネクタイも締めたままだった。

 私は霧島先生の助手のはずなのに、なぜか先生の世話をする家政婦のようになりつつある。この先生の助手になるということはつまりそういう事なのかもしれない。

 ………まったく。本当に手が掛かる

 ただでさえ睡眠時間を削る人なので、もっとマシな睡眠を取らないと死んでしまいそうで心配だ…。


「……先生。ちゃんとした睡眠じゃないと死にますよ?」


 先生の右目と右手の甲には謎の紋様が刻まれている…。半年ほど前、初めて見た紋様だったもので気になって、これがなんなのかと先生に直接聞いたことがある。先生はよく覚えてないとしか言わなかったので、それ以上のことは分からなかったが、先生のことだからそんなこともあるのかと、納得してしまった。

 朝の日差しがカーテンの隙間から入り込み、先生の頬を白く照らす。少し開いた窓から柔らかな風が吹いて漆黒の髪を揺らした。


「ん………」


「ほら!起きてください。朝ですよ!」


 先生の授業は午前中に2限入っている。そろそろ起きて朝の支度をしなければ間に合わなくなってしまう。

 霧島カイトは眩しそうに瞼を薄く開けた。細めた目で私を見る。


「ミレイ先生………おはようございます……」


 左下にほくろがある口を小さく動かしてそう言うとまた目を閉じようとしていたので「ほら!起きてください!」私は窓のカーテンを勢いよく全開にして先生の膝をパシッと叩いた。


「んぁッ……まぶしッ」


「もう朝の7時を回ってます!教師が寝てる時間じゃないですよ全く」


 霧島カイトはだるそうに体を起こす。目をこすりソファーの背もたれにミシリと寄りかかる。黒い十字架のピアスが揺れてキラリと光った。


「こんなところで寝ないでください。体に悪いですよ。」


「部屋の寝る場所、ソファーしかないからしゃーない…」


 そもそも学校で寝泊まりする発想から変えていただきたいのだが………これは言ってもしょうがない。この先生は学校で寝泊まりするのが普通だと思っているから…。


「前から思っていたのですが、なんでソファーで寝るんですか…?学校に泊り込むなら責めてベッドを買った方がいいですよ…」


「それは買ったら負けだな…私がもっとダメになってしまう……」


 ちゃんとダメな自覚があったのか………

 先生は頭に手をやり、さらさらした漆黒の髪の毛をかきあげて寝癖を取る。


「もう少し生活習慣見直した方が良いですよ。当たり前のように徹夜していますよね?本当にいつ死んでもおかしく無いですよ。」


 ムッとした表情で先生を睨む。


「う……ごもっともですミレイ先生……。昨日は生徒の宿題の丸付けやらノートの評価と…全部終わってようやく自分の実験をしていたらいつの間にか……って感じで、……というかいつ死んでもおかしく無いって、平然と恐ろしい事言わないでくださいよ……。」


 そう言って先生は苦笑いを浮かべる。目の下にくまができていた。


「はぁ。それで昼間に倒れられたら困りますからね…。朝ごはんも食べないとですよ。何かあります?」


 私は冷蔵庫を開くと卵とハムが目に入った。


「私は目玉焼きとハムを焼いてる間に、先生はシャワー浴びて来てください」


「………え、申し訳ないです。分かりました」


 霧島先生は「5分以内に済ませます」と言うとそのままシャワールームに入っていった。

 この部屋はそんなに広く無い。研究室の空き部屋、という感じで長いこと使われていなかったところを校長先生が彼のために与えた場所なんだという。どういうわけか校長先生と霧島カイトは仲が良く、私はなんとなく、校長先生から彼は特別な目で見られているような気がしている。霧島先生がここの魔法学園の教師になったのも5年前に校長先生が誘ってきたことがきっかけらしい…。


 教師になる前の先生は何をしている人だったのか全く聞かされていない。いつもニコニコしているが、一人でいるとたまに凄く怖い顔をしていることがある。そして自分の体に悪魔との契約を結んでまで研究しているときは、漆黒の瞳の奥に宿る熱く狂気に満ちた何かを感じる…。時々見せる曇った表情や、陰りにはまだ私の知らない秘密がたくさんあるのだろう。この先生は頭の中で考えていることがあまりにも多すぎる……。

 フライパンにのせたハムに卵を落とし、じゅわ〜という音が鳴り響いた。焼き終えた頃には先生がタオルで髪を拭いて上がってきていた。


「ありがとうございます。ミレイ先生。」


 霧島先生は椅子に座って「いただきます」と言うとぷっくりと膨れ上がった半熟の目玉焼きに醤油をかけて美味しそうに頬張った。黄身がとろけて口の端からこぼれ落ちそうになって、ぺろりと舌ですくい取る。その姿はどこか少年のようで魔術学園の生徒と何も変わらないような気がした。


「美味しそうに食べますね。先生は。」


「そりゃ、美味しいですから」


 満足そうに明るい笑みを浮かべてそう答える。


「もう時間ないですよ?先生。」


「う…5分以内に済ませるので……」


 時計にちらりと目をやり食べながらも先生は授業の書類と支度を進める。

 慌てている先生を見て私は意地悪な笑みを浮かべた。


「…全く。普段は完璧な学校一の人気教師が、こんなに朝はバタバタしているなんて生徒が知ったら笑われますね。」


「そ、それ、誰にも言わないでくださいよ…?ミレイ先生…」


 こうして霧島カイトの慌ただしい1日は始まるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る