君と一緒に猫を飼いたい
深瀬はる
1
お土産屋さんで見つけた、猫のイラストの緑茶ティーバッグパッケージ。飛びついたのは
「うわー! てっちゃん見てこれカッワイイー!」
他の土産物はというと地元の海産物を使った干物なんかがメインで、手にぶら下げて飛行機の距離を帰るには少し気が引ける。その点、お茶なら鞄の隙間に収まる程度のものだ。
「島のお茶なんですか?」
麗奈が尋ねると店員さんは苦笑した。
「島でとれたわけではないんですが、
福岡県
相島産ではないものの同じ新宮町産ということで麗奈は納得したらしく、件のお茶と、ついでに猫のポストカードをお買い上げとなった。
夕方の飛行機で羽田に飛び、埼玉にある
お風呂上りに早速麗奈がお茶を淹れてくれた。二人顔をくっつけるようにしてスマホで撮った数々の写真を眺めながら、旅の思い出に花を咲かせる。
一日目は太宰府天満宮に行った。梅ヶ枝餅がすごくおいしくて、参拝の行き帰りで二回食べた。
今回の旅のメインは二日目である。
宿泊先の天神のホテルから地下鉄で貝塚駅へ。西鉄貝塚線に乗り換え、西鉄新宮駅で降りた。新宮漁港まではコミュニティバスが通っているが、麗奈の希望で徒歩になった。曰く、せっかく来たんだからその土地を歩いて実感したいということだった。思ったより遠かったのと真夏の日差しが殺人的だったのとで間もなく後悔したことは言うまでもない。
哲哉は画像フォルダをめくった。
新宮漁港のフェリー乗り場で早くも発見した黒猫、フェリーをバックに笑う麗奈、船着き場でお出迎えの猫、民家の前で寝そべっている猫、お昼に食べたおさかなバーガー、道の真ん中を我が物顔で歩く猫、国指定史跡・相島積石塚群、
相島は言わずと知れた猫の島である。哲哉も麗奈も猫好きで、お盆休みを使ってはるばる福岡の猫島、相島を訪ねた。ちなみに去年の夏は宮城の猫島、
「見て。動画も撮ってた」
哲哉が再生したのは、ベンチに鎮座している猫に、一歳くらいの子どもがおぼつかない足取りでとてとてと近づいていく動画だ。物珍しそうに首をかしげて猫を見つめていたかと思うと、突然ぺしんと叩く。眠りを邪魔された猫はクワっと目を開くと、猫パンチで反撃! ……しようとしてベンチから転げ落ちた。きゃっきゃとはしゃぐ子どもと、きまりが悪そうに立ち去る猫。
「うん、かわいかったね。……あ、この仔!」
動画が終わってスマホ画面をめくった麗奈が指を止めた。島を一回りした後、戻ってきた港の近くで出会った仔猫である。麗奈はうっとりと目をすがめ、
「懐っこかったねぇ」
車の陰でぴょこぴょこしているのがいると思ったら、両手にすっぽり収まりそうな仔猫だった。相島の猫はみんなそうだが、近づこうがそばでしゃがもうが撫でようが全く逃げない。むしろ猫の方から人間に向かってくる始末だ。仔猫もすでに相島スピリットに染まっていたらしく、にゃーにゃー鳴きながら二人の周りをくるくる歩いた。しゃがんで頭を撫でてやると、哲哉のジーパンに爪を立てて膝によじ登ろうとしてきた。
にゃー。まんまるの青い目がこちらを見上げる。
ぐはっ、と撃ち抜かれた。帰りのフェリーが来るまでの残り三十分を、この仔一匹とじゃれ合って使ったのは当然の帰結だろう。
「あーあ、猫飼いたいなぁ」
と、天井を仰いで口を尖らせたのは麗奈である。哲哉も麗奈も、住んでいるのはペット不可物件だ。
そうだな、と哲哉は応じ、
「結婚したら猫飼いたいな」
口からするりと流れた結婚というキーワード。麗奈と付き合って三年。お互いにちゃんと口に出したことはなかったが、少なくとも哲哉は徐々に結婚を意識してきていた。同い年の二十六歳。仕事もこなれてきたし、お金もまあまあ貯まった。時期としては悪くないはずだ。ペット可物件を探して、猫を飼って、子どもも二人くらい。一姫二太郎が理想だ。想像は膨らむ。
「あのね」
「ん?」
麗奈はうつむいている。スマホを覗いて触れ合っていた肩はいつの間にか離れていた。
急に気温が下がったような気がした。
「ずっと考えてたの。早く言わなきゃ言わなきゃって思ってた」
直感が警告を発した。
やめろ。その先を言うな――。
「私たち、別れよう?」
ごめん、と麗奈は裏返った声でかろうじて続けたかと思うと、爆発するように泣き崩れた。絶句する哲哉の手の中で、仔猫を映したままだったスマホ画面が真っ黒に消えた。
*
哲哉は大学院修士課程へ進学するにあたって外部受験をした。理由は単純で、いわゆる学歴ロンダリングである。旧帝大の院の方が就職に有利かなと思った程度で、特別やりたいことがあったかというと答えに窮する。
麗奈は進学先の研究室の内部進学生で、学部生時代に論文投稿経験のある優秀な女性だった。
哲哉に与えられた研究テーマが麗奈と似ていたこともあって一緒に実験することが多く、すぐに打ち解けた。
やがて二人は付き合うようになった。告白は哲哉からだった。好きだ、付き合って欲しいとド直球で告げると、麗奈はわかりやすく慄いた。後で知ったのだが麗奈は彼氏いない歴=年齢で、それが麗奈を慎重にさせたのかもしれない。押し切ったのは、ひとえに自分の熱意が通じたからだろうと自負している。
麗奈は実験が深夜に及んだ日に決まって哲哉の部屋を訪ねた。哲哉のアパートは大学のすぐ近くだったので、態のいい宿替わりである。いつの間にか私物も増えている。食料をため込んで秘密基地を作るハムスターみたいだ。
一緒に過ごす時間を積み重ねるにつれ、友達期間とは違う麗奈の姿も見えてきて、本当に相性が合うのかとか、今後やっていけそうかとか、そんなことが見通せるようになってきた。
哲哉の見立ては「末永く一緒に」だ。付き合う前、あるいは付き合って間もない時期は、かわいくて頭が良くて気立てがいい麗奈のことがただ好きなだけだった。
今はどうだ。「これが愛しているという感情なのか――」などとがらにもなくたそがれるくらいにはベタ惚れ状態である。
麗奈も俺と同じ気持ちに違いないと信じて疑わなかった。
「末永く一緒に」と。
*
一度爆発した麗奈は、以降はだいぶ落ち着いた様子だ。
「私、てっちゃんのこと好きじゃないみたい」
頭をガツンと殴られた気分だった。
「てっちゃんと付き合うまでは男性経験なかったからさ、告白されて彼氏ってどんな感じなんだろうってOKしたの」
最初はそんなもんだろう。相思相愛で付き合うほうが珍しい。
「告白されたのも初めてだったからびっくりしたよ。新手の詐欺かと思ったもん」
麗奈はふふっと笑った。
「てっちゃんと一緒にいた三年間、すごく楽しかったよ。愚痴も黙って聞いてくれたね。いっぱい旅行も行ったね。ありがとう」
ありがとうとか言うな。本当に終わりみたいじゃないか。俺はまだ麗奈のことを、
「でも、このままおばあちゃんになるまでてっちゃんと一緒にいるんだろうなぁって考え始めた時ね、気づいちゃったの。仲が良くて楽しいのと、好きだとか愛するだとかって、違うんだよね」
麗奈は淡々と言葉を繋ぐ。
「俺は違わなかった。一緒にいて楽しくて、仕事がつらくても麗奈と会えばそんなの吹っ飛んで、好きで、愛している」
「私にとっては違ったの」
取り付く島もないとはこのことだ。
でもまだ。
今日だって一緒に旅行に行ったばかりだ。楽しかったのは俺だけか。麗奈は好きじゃない俺と仕方なく一緒にいたのか。そんなわけあるか!
「私たち、二十六でしょう? 結婚して三十くらいまでに子ども……とか考えたら、もう最後のチャンスかなって思うの」
麗奈は、俺と結婚することなんか考えちゃいなかった。俺だけだ、愛していたのは。末永くとか甘っちょろい未来を空想していたのは。
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