あなたとなら。
なっち
二階堂翔太#1
僕が本当の意味で大学生活をスタートできたのは、入学式から二週間が経とうとしていた頃だった。
中部地方の山深い町から胸を躍らせて上京してきたのが3月下旬。
地元の公立大学ではなく東京の中堅私立大学を選んだ僕を両親、とくに母親は最後まで許そうとしなかった。
「東京になんてあんたが一人で住めるわけないでしょうが」
頑なな僕を見て最終的にしぶしぶ入学の手続きをし、荷造りを手伝ってくれた母は、繰り返し同じことを言っていた。
「よっくんもいるしヤマケンもいるし……第一、同じ日本なんだし言葉が通じるんだからなんとかなるよ」
少しでも安心させようと冗談っぽく一緒に上京する友人達の名前を出し、母に向き直った。
ふと荷造りの手を止めた母はそんな僕に鼻白んだ風に言った。
「そういうことじゃないでしょうに。あんた自炊できないでしょうが。
それにこんな信号もないようなとこに住んでて、いきなり東京なんて交通量の多いとこで事故にでもあったらどうすんの。あ、あと、あんたみたいにボーっとしたのはちょっとばかりキレイなおねえちゃんにコロッとだまされたりするのよ。ホント心配だわ!」
母にとって僕はよっぽど頼りなく見えるらしい。
「大丈夫だってば!」
ボストンバッグのジッパーを勢いよく閉じると、少し強めに僕は言った。
だが、母が正しかったのだということがわかったのは、上京して一週間後のことだった。
怪我自体は大したことがなかった。
ただ、付き添ってくれる母の愚痴と、始まったばかりの学生生活に乗り遅れた焦りで毎日イライラしていた。
「だからあれだけ言ったでしょうに。相手が100%悪かったにしろ、こっちもちゃんと気を付けてないとこういうことになるのよ。やっぱりあんたはいつもボーっとして……。いつか事故に遭うんじゃないかと思ってたけど……ハァ」
病室でテレビを見ている僕の枕元で、母は同じことを言い続けた。
「だから悪かったって言ってるだろ!だいたい青信号で歩いてる時にバイクがぶつかってきたんだから、気を付けようがないだろ!」
僕も毎回同じことを言い返す。
そんなストレスの溜まる日々が数日続いた後、ようやく退院の許可が出た。
部屋に泊まり込んで世話をすると言い張る母を半ば無理やり電車に乗せ、左腕を三角巾で吊り下げた僕はトボトボと越したばかりのアパートへ帰った。
一週間ぶりに帰るまだ見慣れない僕の部屋。
ただ、そこには確かに僕だけの日常生活があり、その中に戻れることがたまらなく嬉しかった。
履修登録自体は事故前に済ませていたので、みんなより一週遅れて初めての授業に臨むことになった。
「大丈夫か」
一緒に上京してきた友人、よっくんこと
「お母さんはもう帰ったんだろ?寂しい?」ニヤニヤしながら話しかけてきたのは、もう一人の友人、ヤマケンこと
「うるせっ」
短く答えて二人の間に座った。
授業が始まる前に教室をグルッと眺めてみる。高校の教室とさほど変わらない大きさだ。
同級生達はすでに小さなグループがいくつかできているようだ。心なしかこちらをチラチラ見てくるものも多い。
「なんか見られてない?」
机の上に几帳面そうにペンとノートを並べているよっくんに小声で尋ねた。
「あー、かもな」
よっくんの返答に疑問を持つ前に、ヤマケンが肘でこちらをつつくような素振りをしながら口を挟んだ。
「お前さ、『謎のイケメン』ってことになってるぞ」
「何それ?」
「みんなが顔と名前を覚える前に入院したもんだから、休んでる奴がどんな奴かみんな噂してたんだよ。そのうちにどうやら『すごいイケメンだったはず』という結論になったらしい」
よっくんが前を見据えたまま涼しい顔で言う。
「いや……困るでしょ。否定してよ!」
慌てる僕を見て、相変わらずニヤニヤしてるヤマケンが僕の肩にポンと手のひらを置いた。
「言ったんだけどな〜。騒ぐほどでもないよ、って。ま、無駄だったけどね」
反論しようとしたその時、授業開始のチャイムが鳴った。
教室中がさっと居住まいを正し、教授(担任の先生だ)が入ってくるのを見守った。
老年に差し掛かった教授がおぼつかない手つきで出席カードを配る。
その時だった。
よっくんの三列前に座っている彼女に目を奪われた。
彼女が出席カードを後ろに送る時に半身を捻り、数秒目があったのだ。
なんてかわいいんだろう、と思った。
と同時に、理由はわからないがなんだか彼女の纏う空気があまりにも異質に感じられて鳥肌が立った。
それが僕と彼女の、みんなより少し遅れた出会いだった。
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