現在を憂ふ
憂類
現在を憂ふ
誠に、嘆かはしいことであります。外を
私の若い頃は、それはもう美しい世界でありました。人々は
私の生きた彼の日々は、
唯こんな私にも、楽しみといふものが御座います。年に一度、短き間のことであります。其の間だけ、唯其の間だけ、私は昔を想ひまする。
「今日は何時にも増して、葉桜が見事であるな」
梢から射す陽の光に目を細め乍ら、あの人は
私は彼に大層気に入られておりましたから、外へ往くときは、常に一緒におりました。
私も彼と同じ、葉桜を眺めました。本当に見事でありました。
今日のうちに峠を越へて了おう、そう彼は云ひました。彼は隣の村に、塩を届ける仕事をしておりました。隣と言ひましても、一山越へねばなりませぬ。大変な仕事でありました。
私は其の時、大変疲れておりました。其れでもじいっと、耐へていたのです。
「今日は
と云ひました。
彼は近くに生えていた草で、私を直して呉れました。
「これは漢方に使ふから、以前より丈夫になるやもしれぬ」
彼はそう言って、一人で笑っておりました。
其の夜は本当に、月が綺麗でありました。ほんのり青めいた、満月でありました。私はあの人と見た最後の月を、生涯忘れないでせう。
次の日に私は、隣村の家へ預けられました。彼は私を瞥見することもなく、
もう半世紀以上も、待ち続けております。もう一世紀以上も、お慕い申しております。
これは、私への罰なのでせうか。
其れは分かりませぬ。私のような物の怪に、其のような
唯、私は現在を憂ふ。汚れて了った現在を憂ふ。
そして、過去を想ふ。あの人と歩いた、彼の道を想ふ。
私はそんな、哀しき草履で御座います。
現在を憂ふ 憂類 @yurung13
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