第6話 無機質

私達は、どんどん無機質に近づいている気がする。

どうしてかはうまく言えないが、今は人と人の情みたいなものが少なくなった気がするのだ。

いや、もちろんSNSなどの人とのコミュニケーションは安易に出来るのだが、深いところでのコミュニケーションは少なくなった気がする。

みんなある意味サラッとしていてシビアなのである。

時代の流れなど仕方ないのかもしれないが、そんな風に感じる。

バブルがはじけた頃、木枯らしがピゅーと吹いてる感じがした。バブルなど私には直接的には関係ない物だったが、確かにそういうものは、感じたのだ。

私は、みんな仲良くが好きだった。

だが、どうもそういう時代ではなくなりつつある。表面上繋がろうとはするが。

そうか、情がなくなり、それで、余計繋がろうとするんだ。

甘いものばかりだと辛いものが食べたくなる。それと同じかもしれない。

時代が変わるとは、進化である。

進化と同時に昔を懐かしんだりする。

それでも、進化は素晴らしい。


進化ゆえに、安っぽい情みたいな物、言い方を変えれば情まがいの物、偽物は、通用しなくなってくる。


情まがいの情。

本物の情。


振り替えれば、偽物の情にかなり振り回され、痛い目にもたくさんあった。それでも、それが、偽物の情だと気づかずに同じ痛みを繰り返したりした。

ある人は、情がいけないと言った。

それでも、なかなか情を嫌いになれなかった。


ぐるぐるしながらやっと気づいた。偽物の情は要らないと。


今の人は本当に、賢いと思う。

私がぐるぐるしてやっとわかった事を、わりと早い段階で知ってると思う。


進化だ。

その方向で間違ってない。

でも、時々、あれっ?て思う。


いろいろ道理にそって考え正論していくのはいいが、だんだん無機質に近くなっている気がしてしまう。

正論がどんどん大切になってしまう。

クッションがなくなる。


本当の情ってなんだ?

人に対する思いやりの気持ちだと思う。

そこに自分の利益は関係ない。


そうやって思うと本当の情に会うのも、行うのも難しいものだ。

でも、進化が進むなら、本当の情は大切にするべきだと思う。


そうしないとバランスが悪くて人が人でなくなってしまう。


本物の情ならそれはとても素晴らしい物。

偽物の情とは、情と呼んではいけない。

情とは、一見とても高貴で愛そのものだと思うから。

情を安っぽくしてはいけない。

本物の情をかけるには、覚悟もいる。

そんな難しい事を考えたりした。

この事を考えると、父親を思い出す。

とても高貴な人でもあった。

私は、大好きだった。


そんなことを考えたりした一日でした。

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