晴れのち曇りの時々雨、たまに虹。
絹 さや子
第1話 納豆食べてたら降りてきた
私には、こういう事がよくある。
不意に、新しいというか、今までとは全くぎゃくの発想が降りてくるのだ。
もちろん何も考えていない時。
どちらかというと、ちょっとぼうーとしている時が多い。
例えば、飲みに行ったトイレでとか、今日の場合は、夕飯に納豆を食べている時だ。
急に降りてきたのだ。
私達は、自分の人生は、今の時代、だいたいは自分で選択できるのではないかと思う。
もちろん中には、そうではないと言う人もいると思う。
そういう人は、今私が選択できると言った言葉に反発があるでしょう。
わかります。
私は、無理やり選択してきたのだから。
普通の家とは違う事情があり、時々がんじがらめで生きてきたのです。
わりとだいたいは思ったように生きてきたのですが、そうできない問題にぶち当たり自分を殺した事もあるのです。
辛かったですね。
理不尽なことは確かにあります。
だから、物事を他方向から見る事、時々アンテナもはり、勉強することも大切かと思います。
話しずれましたね。
戻しますね、今回降りてきたのは、こんな考えです。
「踊らされていたかもしれない、でも、それでいいじゃない。踊らされたから、いろいろ経験できたじゃない」
いろいろ思っていたんです。
知らないうちに被害者になっていました。
時代に踊らされた。
私は、犠牲者だ。
損をした。
失敗した。
だから、もう、踊らされないように、傷つかないように、損をしないように、失敗しないように気を付けていた。
でも、降りてきた言葉は、踊らされてもいいと言う言葉。
多分、今の私にとっての正解だと思う。
確かに、あの頃時代に踊らされて仕事頑張ったり、親に踊らされて、家庭のめんどくさいこと引き受けたり…。
私達も、自分の言いたくないこと、悪知恵使って、他の誰かに言わせようとしたりする。
そんなような事が、大きな流れの中で起きるのは、よくないけど、あって当たり前。
私は、その大きな流れの中で、自分で選択して生きてきたつもりだった。
だが、自分だけの選択ではなく、そこに確実に、他の意志による流れがあったのも事実である。
しかし、それに私は、賛同したのだ。
私の中のもう一人の私が、かたくなはもうやめなさい。と教えてくれたんだと思う。
失敗を許しなさい、と言ってると思う。
傷つくのも、失敗もあっていいよ、と多分言っているんだと思う。
私の中のもう一人の私は、随分優しくなった。
踊らされて失敗して被害者。
踊らされて、失敗したけど楽しい事が、たくさんあった。
間違いなく、楽しい事はたくさんあった。
あの生き方はあれで、よかったんだ。
これであの時の私も納得するだろう。
それで、踊らされるのも、たまにはいいかも?そんな気持ちに少しなった。
許すとはこういうことかも?多分そうだと思う。
納豆を食べ終わり、ほうじ茶をゆっくり飲んだ。
ほうじ茶の香りが気持ちをいっそう優しくする。
ありがとう、あの頃の私。
たくさんの経験、ありがとう。
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