麗しき咬み痕

皇緋那

今日の仕事

 世界で一番、美味しいものとはなんだろう。


 一流の料理人が作り上げたフルコースか。違う。

 では大いなる自然の最果てに棲む竜の肉か。違う。

 では魔法で以て練り上げた神代の桃の模造品か。違う。

 では幼いころから親しんできた母の手料理か。それもまた違う。


 少なくともこの世界において、美味とはこのように定義される。


 ──それは、ひとりの女の子に帰結するものである。

 光を通さない故に透き通る黒の髪、雪のように白く、時に花のように色づく肌。空よりも青を閉じ込めている瞳に、彼女を特別な存在らしく飾り立てるドレス。

 美味とは即ち『彼女』であり、その彼女こそが、世界すべての追い求める美食であるのだ。


 人間でありながら、あらゆる者、あらゆる魔に対し美味を思い起こさせる身体で生まれてしまった彼女。まともな人生など送れるはずもなく、いくつかの研究者や魔のものにさらわれたことさえあった。ただ残念ながら、そのなかに彼女を味わえた者はいなかったが。


 彼女の名前は『ドルチェ』といった。特異体質のため、ドルチェはドルチェのために建てられた館に住み、きょうも彼女は館で1日を過ごすことになっていた。外へ出ればあらゆる者より狙われる身であるため、少女は館から出ることを許されていない。


「もちろんすぐに脱出いたしますけれど」


 しかし、わがままお嬢様はそんな禁止事項やたくさんの敵程度で懲りることはなかった。自分にお付きのメイドをこき使い、毎晩のように館から脱走、好き放題夜の街で暴れていた。最近作り上げられた、簡単な魔法でも動く四輪車に乗り、運転手はメイドに任せながら。


「そこのけそこのけ、最高級食材が通るのですわ~!」


「ちょっとお嬢、あとであたしらが大変なんで堂々と自己紹介しないでくださいっす」


 風に長い金髪をなびかせ、苦笑いを浮かべる少女。こちらはドルチェのメイドのひとり『キャンディート』だ。尖った八重歯と碧の瞳がチャームポイントで、愛称はキャットである。

 ふだんからドルチェお嬢様に対してもフランクなキャットは、ため息まじりに彼女を諌めようとしたが、残念ながら受け入れてもらえないらしい。爆風で聞こえていないのもあり得た。


「あ、ちょっとジェラ、速度落としてもらってもいいっすか」


「なに言ってやがるです!? この速度、この風圧で、せっかくジェラートがハイなのに!?」


 四輪車を疾駆させているのは、銀の髪をふたつ結びにしている、こちらもキャットと同じく尖った八重歯でメイド服である少女『ジェラート』だ。紅い眼がスピードの影響か全力で開かれていて、風ですぐ乾きそうに思える。

 キャットやドルチェに比べて長身の彼女は姿勢を低くして速度を出そうとしており、ふだんはキャットよりまじめなはずの彼女もこのときだけはテンションが限界を超えていた。四輪車がときおり夜の住人を轢いても吹き飛ぶのを見て笑うだけなのだ。


 さて、なぜこうして爆走しているのかというと。

 答えは時をさかのぼるまでもない。簡単だ。ドルチェがきょう襲撃する反社会的グループの目星をつけ、キャットにもジェラートにも命じたからだ。

 今回相手取るのは、危険な薬や人身売買を生業としているらしい。そう大きくないグループだが、悪党は悪党である。


「もうすぐ着きやがります! しっかりつかまっててくださいね!」


 そう言いつつも、ジェラートはいっこうにブレーキを踏む気配がない。つっこむぞ、つかまれ、と言いたいらしい。ドルチェが車内にひっこみ、キャットも衝撃に備え、そしてついに壁と四輪車で激突。勢いがあったぶん車が勝ち、壁は粉々になって、土煙と瓦礫を生み出した。


「けほっけほっ、ジェラはほんっと運転手向いてないっすよ」


「スピードに乗れば誰でもああなのです。勝手に言ってろです」


 ドルチェはお嬢様で見つかれば狙われる身のため、キャットとジェラートが先に屋内へ降りる。壁には大穴が空いたが、建物は倒壊していない。

 騒ぎを聞き付けた黒服たちは銃を構え、突然現れ壁を破壊したメイド二人組を威嚇している。


「でもここからは、ジェラートじゃなくてキャットのテンションが上がる時間なのです」


「もちろんっすよ。こっからはあたし担当の血祭りショウっす。さぁさ皆さま、女子供の未練があるやつは下がってろっすよ!」


 口上を待てないで発砲する失礼な奴らの攻撃は回避。ついでに自分の拳銃を抜き、適当な黒服の腿のあたりを軽く撃つ。キャットの口上は、これ以上は容赦なく撃ってもいいものだと見なしてやる、という意味が込められているのだ。


 そして、黒服たちは撃たれた仲間には見向きもせずに向かってくる。そこへ拳銃をくるくる回して見せるパフォーマンスを入れ、失敗して落としかけて。隙を見せたと思わせて、いままでは黙っていたジェラートが動き出す。

 迫りくる銃弾と敵の一、二匹程度はキャットのかわりにジェラートが消してくれる。キャットは武器をゆうゆうと拾い上げ、ついでに弾を補充するだけの余裕があった。

 キャットの弾を補充する動作は非常に手際がよく、とても参考になる時間の指標ではなかったが。


「っと、ジェラ、ありがとっす!」


「慣れないことするからなのですよ」


 ジェラートだって、ただ見ているだけではつまらないようで、キャットと背中合わせで湧いて出てくる敵どもを潰すのに加担した。慣れたものだ。いくら血痕で部屋が彩られたとしても、メイド服に付かなければいい。メイド服に付いたら洗えばいい。


 調子の出てきたメイドたち。このあとは、時には近接戦闘も使いつつ対応し、建物の重要そうな部屋を探っていった。見つけた奴にはちゃんと口上を聞かせ、未練がないことを確認して撃った。背中を向ける臆病者はしっかり逃がす。

 キャットを前に逃げ出せたのは、ひとりかふたりか、そのくらいしかいなかったが。


「さぁて、今回もハズレっすかね」


「情報を聞き出す前に殺し尽くしやがったのはキャットのほうですけど」


 メイドたちふたりは何も、ただ大暴れしたいとか、お嬢様の命令だけで銃を乱射しているのではない。あてのない捜し物があるのだ。けっきょく手当たり次第に探し回るしかなく、おかげで毎晩大騒ぎなのだが。


「にしても、一回狙われただけの刺客っすよ? それをここまで捜し回って。お嬢にはあたしらがいるでしょうにねぇ」


 ドルチェのことを襲った者のひとり。ドルチェの初めての友人として近寄り、不意を突き、彼女を仕留めようとしたとある少女。当時まだ10歳ほどだった6年前の記憶はいまだ濃く、ドルチェはあの時間を忘れられないのだろう。


「お嬢様が幸せなら、ジェラートはそれでいいのですが」


「強がっちゃってぇ。自分だってお嬢とくっつきたいくせに」


「なななに言ってやがるです、そ、そそそんなことないのです!」


 キャットは隠す気もなく、ジェラートは内に秘めているつもりでもばればれで、ふたりとも主従以上の関係を望んでいる節があった。

 よって、お嬢様の命とはいえ、ほかの女のことを捜索しているこの状況。ふたりにはすこしながら嫉妬の心がある。


「ま、お嬢のためですし。がんばるしかないっすよねぇ」


「珍しく同意見。虫さんがトコトコしやがります」


「むしずっすよ、それ」


 ジェラートとキャットの夜は、やはりお嬢様のためにある。

 このあとふたりは、立ちはだかる敵を殲滅し、情報を漁り、収穫がないことを確認。すみやかにお嬢様のところへ戻っていくことになるが、その心にはきっと、さまざまな感情が渦を巻いていることだろう。


 ◇


 キャットとジェラートを連れ、半壊の四輪車を駆り、三人で館へ戻る。キャットとジェラートにとっては、ここからが本番だ。収穫がないのをドルチェに伝えるときだけはしんみりした雰囲気となるが、ドルチェはすぐに明るく振る舞う。手がかりがないということは、とうにわかっているのだろう。


 メイドのふたりを自室へ招き、ドルチェは自分のベッドに座る。天蓋からおりているレースが彼女の姿を霞ませて、少女ふたりに息を呑ませた。


「それよりも。お二人とも、欲しいものがあるのでしょう?」


 そういって、ドルチェは自らの首を指す。包帯の巻かれていたところを露出させると、首筋につけられた傷痕が白い肌に赤い点を残していて。本当は痛々しいはずなのに、美術品のようであった。


 ふたりの少女は生唾を飲み込んだ。目の前の少女に対し、食欲とは違う、情欲に近いものが沸き上がってくるのだ。ふたりの欲しているものとは、紛れもなくドルチェそのものだった。


「ご褒美ですわ。めしあがれ?」


 ドルチェのことを味わうことが許されているのは、このふたりの少女だけだ。

 ふだん恥ずかしがっているジェラートも、いつも飄々としているキャットも、誘惑には抗えない。

 ドルチェに自分自身が傷をつけ、それがお嬢様とメイドの関係を越えた秘密になる。彼女たちの八重歯はそのためにあるのだ。


 取り合うようにふたりが迫り、ドルチェは痛みにすこし顔を歪める。そんなことは露知らず。キャットの碧も、ジェラートの紅も、ドルチェの生命のかけらを啜ることしか映していない。こぼれた血を残さず舐めとり、それだけでは飽きたらず、吸い出そうとまでする。

 そのたびにドルチェの口からは淫靡な吐息が漏れ、身体は無意識のうちに逃げようと動く。どちらもキャットとジェラートを煽ることになり、勢いは増すばかりであった。


「だっ、だめですわ、これ以上は、ひからびて……」


「ひからびちゃえ、なのです」


 ジェラートが首筋から離れた。自分の口回りに付着した血液を舐めとって、今度はドルチェの唇に吸い付いてくる。舌がドルチェに侵入し、唾液も吸い上げていこうとする。ドルチェの息苦しさから来るささやかな抵抗で、ジェラートとのあいだで唾液が交換され、しきりに水音をたてる。


「あっ、ずるいっすよ! あたしだってキスしたいんすから!」


 ジェラートと入れ替わりで、キャットもまたドルチェとのキスを求めてくる。ジェラートが欲望に任せたままなのに対し、キャットには技術がある。ドルチェを蕩けさせてしまおうと、ふだんは触れてこないところまでいじくるのだ。

 同時に、吸血による責めも再開された。だんだん何も考えられなくなってきたドルチェは、表情がゆるみ、意識もあいまいになっているらしい。


「ぷはっ。ごちそうさまっすよ、お嬢」


「ぁ、おしまい、なのです? うぅ、仕方がねーです……」


 キャットが唇を離し、ジェラートもドルチェが気を失いかけていることにやっと気づいて顔をあげた。まだ物足りないが、このままではドルチェが先に倒れてしまう。


「じゃあ、血じゃねーものでお願いしていーですか……?」


 ふだんなら一番の長身であるジェラートの上目遣いは可愛らしく、吸血によるご褒美はこれ以上なくとも、代わりにドルチェたちはなかなか終わらない夜を迎えそうであった。

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