廻りの物語
逆傘皎香
空に想う
白鷺下秋水
孤飛如墜霜
心閑且未去
獨立沙洲傍
――李白『白露鷥』
風が辺りを撫でる。木の葉が歌い、落ちていたものが宙に誘われ舞う。風が止み、歌が消え、宙を舞ったものは地に墜ちる。何もなかったように世界は元の姿へと戻り、誰も風の行方など、意識することはない。鳥が木から飛び立つが、雲は次の風を待っている。
私も次の風を待っていた。これは比喩ではなく、ただここに吹く風を待っていたのだ。すべき事やしたい事、目指す自分になるための研鑽など、次の予定がないわけではない。しかし今は、流れる世界をただ見ることしかしていない。ただ、目を開いているだけだった。
以前のことを思い出してしまった。久しぶりの青空や水溜まりを飛んで行く鳥に、忘れていてもなんら問題ない記憶が想起された。
ひと月ぶりの太陽が眩しい。ひと月、太陽が雲の向こうに隠れて空を暗くしていたにも関わらず、街の灯は人間を問題なく活動させていた。晴れている今日も同じように見える人間を見ながら、以前のことをもう少しばかり思い出してみる。
「例えば」と、視界から消えていく鳥に借問した。
「例えば、羽を手に入れたとして、それを自在に扱える体だとして。行く場所がなければ、どうすればいいだろう」
「では、まず大空に遊び、行く場所が見つかったらそこへ飛んで行けばいいさ」
鳥からの答えは、体を預けていた木の後ろ側から返ってきた。もう木に鳥はいないはずだったし、私の後ろには私の影とそれを呑んだ木の影しかなかったと思ったが、誰かに聞かれていたようだった。
「行く場所がないなら、私と一緒にどこかへ行かないか」
空の記憶に引きずられ、ある出会いのことを思い出した。なぜ、忘れていたのだろう。先も述べたが、その時は何もしていなかったが私にはする事はあった。だが、私は木の後ろから現れた彼女についていくことにした。
目的地はないようだった。その時は気づかなかったが、その誘いはむしろ無意識のどこかで待っていた理想の誘いのようだった。妖か何かに化かされているようにも思えたが、このまま不毛に生き続けるよりは、最期に一時でも奔放な旅をしてみたいと思った。
彼女は私の過去を訊かなかったし、私も彼女の過去を訊かなかった。最後まで、彼女について私が知っていることは少なかった。
私と同じくらいの年齢であること、目的のない旅をしていること、そして私と同様に突然旅に出ても街に影響のない、他愛ない存在であること。
名を聞いたが、何と言ったかは忘却の海の中だ。何せ私は彼女のことをずっと「あなた」と呼んでいた。彼女も私をずっと「君」と呼んでいたから、名前で呼ぼうとは思ったこともなかった。
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