雨に願わば

とものけい

雨に願わば

 親友のTがトラックに跳ねられた。

 強い雨に打たれながら、僕はこの世界を強く拒絶した。


/// /// ///


 物心ついたときからTとは友達だった。

 つき合いはもう10年を越える。

 親友だ。


 その日は強い雨が降った。

 学校の授業を終え、Tの家に遊びに寄ることになっていた。

 一瞬の出来事だった。

 大型トラックが速度を緩めないまま近づいてきたかと思うと、僕の傘を吹き飛ばした。

 そしてすぐ前を歩いていたはずのTの姿が消えていた。


 道路の隅にTの姿はあった。

 歪んだ体に真っ赤に染まった衣服。

 自分が何を見ているのかわからなかった。

 最初に感じたのは僕自身の叫び声。

 次に感じたのがそれを打ち消すような激しい雨音。

 その次に感じたのが冷たくて痛い雨の感触だった。


 僕は堅く目を閉じて全てを拒絶した。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」


 どれだけの時間がたったのか、あるいは一瞬だったのか。

 いつしか雨の感触は消え、何もかもの音も消えた。


 ゆっくりと目を開けた僕はそれを見た。

 大粒の雨が降っていた。

 体の表面に次々に水滴が浮かび上がったかと思うと、そのまま勢いよく空へと昇っていった。

 不安な色の雲へと全て吸い込まれていく。

 僕はただ呆然とそれを見ていた。


/// /// ///


 空を見上げていると、背中を強く叩かれた。


「ぼーっとしてないで帰ろうぜ!」


 Tだった。


「あれ……T、生きてる?」


「は? 何言ってんの?

 まぁいいや。 今日はうちでゲームでもやろう。

 こないだ買ったソフト、2人でやらないとクリアできないとこがあるんだよ」


 僕はそれを知っていた。

 つい先ほどそれをTから聞いたからだ。

 同じ場所で、同じように。


 鼓動が早まるのを感じながら、僕は時計を確認した。

 そして知った。

 時間が巻き戻っていた。


/// /// ///


 理解はできていなかった。

 けれども僕の行動は決まっていた。

 と同じ行動をとってはいけない。


「買いたい漫画があるから、本屋に寄りたい」


 動悸が治まらない。

 目の前のTはいつも通り笑顔を浮かべているが、頭からは無惨な姿が離れない。


「おー、いいよ。面白かったら俺にも貸して」


 大切な親友だ。

 守らなくちゃいけない。


 本屋で時間を潰している間も僕は何度もTを見ては「大丈夫、Tは生きている」と確かめていた。


 適当な漫画を買って本屋を出るとサイレンの音が聞こえた。

 店の前の道路を勢いよく救急車が通り抜けていった。


「うわっ、雨強くなってんじゃん」


 僕は店から出てきたTを振り返った。

 心の中で「大丈夫、Tは生きている」ともう一度繰り返す。

 あの受け入れられない世界は現実のものではなくなった。

 しかし、心臓は一層激しく僕の体を叩いていた。


 見間違いではない。

 今、目の前を通った救急車は2だった。


/// /// ///


「おい!先、行くなよ!」


 後ろでTが叫ぶが僕の足は止まらない。

 傘も差さずにTが死んだ場所へと走り出す。


 人だかりができていた。

 赤い警光灯がクルクルと辺りを照らしていた。


 野次馬を押しのけて進んだ先には女の子がいた。

 髪を三つ編みにし、僕と同じ学校の制服を着て、そして四肢をあらぬ方向へ曲げて倒れていた。

 流れた血が雨と混ざって水溜りとなり、救急車の警光灯を反射させる。

 真っ赤だった。


 僕は息を飲み、女の子の顔を見た。

 知り合いではなかった。

 そして良かったと感じたことへの嫌悪感が襲った。


 顔を上げると、血まみれの女の子の傍にもう一人制服姿の女の子がいた。

 顔はロングヘアで隠れていたが、泣き声とも呻き声ともとれる声が聞こえた。

 

 あれは、さっきの僕だ。

 本来なら僕がああなるはずだった。

 途端に雨が冷たく感じられた。

 

「……嫌」


 激しい雨音の中で、その子の声ははっきりと聞こえた。

 ロングヘアの女の子がゆっくりと体を起こす。

 雨と涙で濡れたその表情からは彼女が絶望しているのがわかる。


 あれは、さっきの僕だ。


「嫌……!」


 その声はさっきよりもはっきりと聞こえた。

 雨音も人の声もいつしかなくなっていた。


 僕はこれを知っている。


 落ちてきた雨粒が目の前でピタリと止まり、やがてゆっくりと空へ昇っていく。

 時間がまた巻き戻っていく。


 いけない。

 Tが生き延びたこの世界を拒絶させるわけにはいけない。


「嫌だ……」


 大切な親友を失うのは、嫌だ。

 その利己的な感情だけで僕は咄嗟に拒絶した。

 Tが生きているこの世界を拒絶する、そんな女の子を拒絶した。


「嫌だ!」


 僕の声に驚いた女の子はこちらを見る。

 目が合った。

 彼女は哀しそうな目で僕のことを見ていた。

 なんでそんなこと言うのと僕を見ていた。


 体を強い雨が打つ。


 三つ編みの女の子は姿で体を横たえていた。

 救急隊員が駆け寄ってくる。


「あ……ああ……あああああ……」


 ロングヘアの女の子は膝から崩れ落ち、それでも僕のことを見ていた。


 僕は。


 僕が拒絶しなかったこの世界を僕は愛せるのか。


 激しく降り続ける雨は周りの音を掻き消してくれたが、それでも肌を打つ痛みは残り続けた。

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