第7話 キスとスキの距離

「え?」

 あまりに突然の出来事に、皆一瞬となってからハッと我に返った。

「ま、マイっ、待ちなさい」とハルカ。

「転んだら大ケガしますよ」とエマ。

「待って」とアヤ。

「マイちゃんが誘拐された」とリン。

 ハルカはリストバンドに内蔵された携帯端末に話しかけた。

「司令、ツルギがマイを連れ去りました。ハーケリュオンでパリに向かうつもりです。阻止してください」

「なんですって、分かったわ」

 ツルギとマイのリストバンドのモニターが、呼び出し音と共に赤く点滅した。

「なに?」

 それに答えたのはツルギだった。

「何やってるの、あなたは?」

 スピーカーの許容量を遥かに超えるサンドラの声に、マイは一瞬ビクっとなったが、ツルギはマイをお姫様抱っこしたまま走り続けていた。

「ハニーとハーケリュオンで出る」

「バカなこと言わないで、パリにはすでにチーム22と周辺諸国のAIギアが向かっています。あなた達が出撃する必要はありません。

 許可もないのにあなた達が出て行ったら現場が混乱するだけです。

 マイ・スズシロ、あなたからもツルギにめるよう言って・・・」

「そんなこと言ってたら手遅れになる」

 小さな声でそう呟いたのはマイだった。

 「え?」っと驚きの声をあげたサンドラとは対照的に、その言葉を聞いたツルギは、してやったりな笑みを浮かべていた。

「なに?」

「ううん」

 その顔を見たマイの問い掛けに、ツルギは笑顔で返し走り続ける。

 ‶ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ、ビ~っ″

 その時、通路に備え付けられた非常灯が回転しながら点滅し、ブザーが鳴り響いた。

 そして、通路の隔壁が閉じ始めた。

 それを見たツルギは更に加速し、天井と床下から同時に迫る分厚い隔壁が閉じる寸前の隙間を、マイを抱きかかえたまま、ハードルでも飛び越えるかのようにくぐり抜けていた。

 その後も、ツルギは閉じ行く隔壁を次々にクリアして行く。

 だがついに、目の前で隔壁が完全に閉じてしまった。

 「やるなサンドラ。ならこっちも、来い、ハーケリュ・・・」

 「だめ」

 ハーケリュオンを呼ぼうとしたツルギを止めたのは、意外にもマイだった。

 「なんで?」

 「今呼んだら、ハーケリュオンはに来るんだよね?」

 「うん」

 「ガリレオの中を破壊しながら?」

 「うん」

 「そんなことをしたら多くの人が死ぬ。だからダメ、誰も傷つけないで」

 「・・・分かった」

 「ほんと?」

 「うん」

 ツルギはそう言うと、マイを抱いたまま閉じた隔壁に向かって駆け出した。

 「え?待って、隔壁・・・」

 ドッゴオォォォォォンっ。

 次の瞬間、隔壁が飴細工のようにながら弾け、そこからマイを抱いたツルギが飛び出していた。

 なんと彼女は小型のブロッケンの一撃さえ防ぐ特殊合金製の隔壁を、飛び蹴りで破壊したのだ。

 「隔壁が破壊されました」オペレーターの少女が叫ぶ。

 「これじゃあ、‶ブロッケンと彼女、どっちが危険なんだ″って言われるのもうなずけるわね」

 サンドラはモニター越しにツルギをみながらつぶやいた。

 「もう一度隔壁を閉じて」

 「お言葉ですが司令、これ以上隔壁を破壊されたら・・・」

 「麻酔ガスを使用する。用意して」

 「ガスですか?以前ツルギにあれを使った時は全く効果がなかったですよね?

 それにを使ったら、マイ・スズシロは確実に死にますが・・・」

 「誰が対ブロッケン用の麻酔ガスを使うと言った?

 使うのは人間用だ。マイが意識を失えばツルギも出撃するのを諦めざるを得ないはず」

 「わ、分かりました。麻酔ガス、スタンバイ。繰り返す、麻酔ガス、スタンバイ

 」

 そして再び、2人を閉じ込めるように前後の隔壁が閉じると同時に、シュ~~~~っというかすかな音が漏れ聞こえてきた。

 「この音は?」

 「麻酔ガス」その瞬間、ツルギの表情が変わった。

 「どうしたの?」

 「ハニー、息を止めて。これはブロッケン用のガス。ニンゲンが吸ったら即、死ぬ」

 「!!」

 その頃、指令室でも異常を知らせるブザーが鳴り響いていた。

 「大変です。今、流入しているガスは対ブロッケン用のものです。人間用のものではありません」

 「なんだと!今すぐ止めろ、早く」

 その頃、辺りを見渡していたツルギは、通路の壁のに気付いていた。

 それは、小さな液晶モニターだった。

 ツルギがそれにリストバンドをかざすと、壁の一部がスライドしながら大きく開き、彼女はマイを抱きかかえたまま、その中に飛び込んでいた。

 その中は、2人がやっと入れるぐらいの狭い場所だった。

 壁がすぐに閉じられ密閉された。

 その様子は、監視カメラを通じて指令室にも流れていた。

 「大変です司令、2人がゴミ箱の中に・・・」

 「分かっている。第67番カタパルトのシステムを今すぐカットしろ」

 「だめです。すでに射出フェーズに移行しています。止められません」

 「カタパルト内は見れるか?通信は?」

 「だめです。前回の襲撃でブロッケンにケーブルを切断されたままです。カタパルト内、映像も通信もつながりません」

 「くそっ」だが、サンドラにはこの状況をどうすることも出来ず、ただ2人の無事を祈ることしか出来なかった。



 『隔壁の密閉を確認。衝撃吸収ジェルを注入します』

 アナウンスと共にジェル状の液体が流れ込んで来る。

 自身がいる円筒形の狭い空間に、マイは見覚えがあった。

 「これって、もしかしてゴミ箱の中?」

 そう。それは、例えばテロリストによって仕掛けられた爆弾や細菌兵器などの不審物が見つかった時に、それらを衝撃吸収ジェルで包み、一瞬のうちに宇宙に撃ち出し破棄するためのレールキャノン、通称ゴミ箱と呼ばれるリニアカタパルトの砲身の中だった。

 2人がいるのは、そこに2人の人間がギリギリ収まるほど巨大な砲弾の内部だったのだ。

 足元がみるみる間にジェルに満たされていく。

 マイは社会見学でガリレオに来た時に聞いた説明を思い出していた。

 (レールキャノンが撃ち出される際のGや衝撃はジェルが吸収してくれる。けど宇宙空間の出たら爆発の衝撃を吸収するため弾頭は展開し球形になる)

「宇宙に出たらハーケリュオンを呼ぶから」

「うん」

 (恐らく、いや、間違いなくハーケリュオンは私たちを助けるために弾頭を破壊するだろう。

 それはつまり、私たちは生身まま宇宙空間に放り出されるということだ。

 宇宙は真空で0気圧で、気温はー270℃。

 宇宙に出た瞬間に、水着から露出している肌の毛細血管は全て破裂する。もし目を開けたら、眼球の水分が凍結し目玉が凍って砕け散る。もし口を開いたら、肺の中の空気中の水分が一瞬で凍結し肺が凍って死ぬ。

 いや、そんなこと考えてるヒマもなく身体が凍り付いて、・・・)

 「ハニー」

 そんなことを考えていたマイにツルギが話し掛けた。

 「ハニーはニンゲンだから宇宙に撃ち出される衝撃で気を失うかもしれない。でも、すぐにハーケリュオンが来る。絶対にハニーを助ける。私を信じて」

 「うん、分かった」

 「え?」

 あまりにあっけなくマイが返事を返したことで、逆にツルギの方が戸惑いを隠せない様子だった。

 「なに?」

 マイは、当たり前のことを言っただけなのに、といった感じで言葉を返す。

 「だって、サンドラも他のみんなも私のことなんか信じてくれないから。

 ほんとうに信じてくれるの?」

 「もちろん」

 「なんで?」

 「もう3回も命を助けられたもん。信じるの当然でしょ」

  すでにジェルは、おへそのあたりまで来ていた。

 「は、ハニー」ツルギは戸惑い気味に話し掛けた。

 「なに?」

 「ハニーは、私とキスはイヤ?」

 「え?」あまりに場違いな質問に、マイはどう答えていいか戸惑う。

 「あ、あのね、私、サンドラと一緒に暮らしてるんだけど、サンドラのは彼女がいて、彼女のことハニーって呼んでるの。

 その彼女が遊びに来るたびにキスしてるんだよ」

 「そ、そうなんだ」

 「で、聞いたの。なんでキスするの?って」

 「それ聞く?」

 「そしたら、感謝の気持ち、嬉しいって気持ち、あなたが好きだよって気持ちを伝えるためだよって。

 言葉で伝えることも大事だけど、キスだとそれ以上に気持ちが伝わるからって、でもハニー、キスしてもちっとも嬉しそうじゃないし、私とキスするのイヤ?」

 「いや、その、イヤとかそういうことじゃないんだけど、・・・え?え?てことは、まって、じゃ、じゃあ、もしかして、さっきのシャワールームも?」

「うん、あれもそう。前にサンドラの彼女が泊まっていった時に、夜中に目が覚めたら2人がいなくて、どうしたのかなって思って捜したら、シャワールームで同じことしてた」

 「なに見てんの、あなた」マイの顔は耳まで真っ赤になっていた。

 「で、なにしてたの?ってあとから聞いたら・・・」

 「き、聞くな~~っ」

 「あれはキスじゃ伝えられない気持ちを、身体全部を使って伝えてたんだよって言われた。だから私もハニーに、なのにハニーったらちっとも・・・」

 「どうしよう。もう司令の顔、まともに見れないかも」マイが困り果てた顔でつぶやく。

 「で、その、ハニー」

 「なに?」

 「き、キスして」

 「え?」

 「おまじない。前にサンドラと見たテレビで、囚われのお姫様を旅の若者が助けて、2人で逃げるんだけど崖に追い詰められて、飛び降りることを迷っている若者にお姫様がキスして言うの、『上手うまくいきますように』って、キスは『そのための‶おまじない″よ』って。・・・だから、あの、イヤなら別に、その・・・」

 次の瞬間。

 そう言いながら耳まで真っ赤にしてうつむくツルギも頬を両手で包み、マイは彼女にキスしていた。

 そして、そのまま抱きついた。

 「は、ハニー?」

 「離さないでよ。私、意識を失うかもしれないんでしょう?

 水着で宇宙に放り出されて、あなたと離ればれになって、孤独死して氷漬けになって宇宙を永遠に漂流とか絶対にイヤだからね」

 「うん」

 そう言うと、ツルギもマイを抱きしめていた。

 そして2人は抱き合ったままジェルに飲み込まれた。

 『ジェルの注入を確認。発射5秒前』

 砲身内が青白い輝きに満たされていく。

 『3、2、1、0、射出』

 次の瞬間、2人は宇宙空間に撃ち出されていた。

 「来い、ハーケリュオン」

 砲弾が開き、球形に変形すると同時にツルギが叫ぶ。

 その刹那、凄まじい衝撃と共に、弾頭は巨大な‶何か″に刺し貫かれていた。

 そしてが引き抜かれると、その衝撃で大きく歪んだ弾頭が、その内部から激しくジェルを噴き出しながら崩壊し、ツルギとマイもジェルと共に宇宙に吐き出されていた。

 その瞬間、ジェルが一瞬で凍り付いて四散し、2人は生身で抱き合ったまま宇宙に放り出された。

 マイの水着からすらりと伸びる四肢や顔、そして首筋の毛細血管が一気に破裂し、そのあまりの激痛に飛びそうになる意識を何とか繋ぎ止めながら痛みに耐える全身がみるみる凍り付いていく。

 その頃、基地の中でも一際分厚い扉が開き、複数の人間が指令室に駆け込んでいた。

 「司令、マイは、マイは無事ですか?」

 それは、チーム36の仲間たちだった。

 彼女らは水着のまままで走って来ていた。

 「!!」アンナたちの視界に飛び込んで来たのは、正面の巨大なモニターに映し出されたマイたちの映像だった。

 水着のまま抱き合い宇宙を飛んでいく2人の、マイの身体がみるみる凍り付いていく。

 アンナの絶叫が指令室に響き渡る。

 その時、2人の前に巨大な壁が立ちふさがっていた。

 「!!」

 真っ暗な宇宙区間と同化することを拒否するかのように、漆黒の全身から漏れるようにあふれ出る赤い炎と不気味に光る4つの目。

 突然2人の前に現れたは、ブロッケンにしか、いや、ブロッケンよりも禍々まがまがしい存在にしか見えなかった。

 だが今は、皆、その姿を羨望せんぼうまなしで見つめていた。

 「ハーケリュオン」

 そう、それは、ツルギが呼んだハーケリュオンだった。

2人が閉じ込められた弾頭を刺し貫いたのは、漆黒の守護神がその手に持つランスだったのだ。

 ハーケリュオンが2人を包み込むようにえた手に導かれ、ツルギとマイはその胸の真ん中に開いた穴に吸い込まれるように入っていった。

 「司令、通信は、会話は出来ますか?」

 「ええ、今なら出来ると思うわ」

 「マイっ」

 アンナは、あらん限りの声でリストバンドの向かって話し掛けた。

 「マイ、聞こえる?聞こえたら返事して。お願い」

 だが、返信はなかった。

 モニターの中のハーケリュオンも、装甲の隙間から弱々しく揺らぐ赤い炎がかろうじて見えるのみで、ピクリとも動かず宇宙を漂っていた。

 「司令、大変です」

 空気が凍り付くほどの重苦しい静寂を破ったのは、オペレーターの少女だった。

 「何事だ?」

 「パリでブロッケンと交戦中のチーム22と45が・・・」

 「・・・マイっ」

 その間も呼びかけ続けていたアンナの声に絶望にも似た色が混ざり始めたその時、それは起こった。

 ハーケリュオンの全身から溢れる、かろうじて見えていた弱々しい凄まじい勢いで噴き上がるように燃え広がったかと思うと、は、ハーケリュオンの全身を飲み込みながら、禍々まがまがしい赤から神々こうごうしい金色へと変わっていた。

 「マイっ」

 「「パンツァーシュラウド、ハーケリュオン。モード・フェニックス。クロス・エンゲージ」」

 マイとツルギ、2人の声がリストバンドからハモって聞こえたのと同時に、ハーケリュオンは目も開けていられないほどのまばゆい光りに包まれていた。

 そして、再びフェニックスへとその姿を変え、光りの矢となって地球へと飛翔して行った。


    

                                〈つつ”く〉


 



 

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