第16話

 家に帰ってからも、ライの困ったような顔が幾度か瞼の裏にちらついたが……それは俺を不機嫌にするばかりだった。

 俺は妻の顔も見ず、居間のソファに身を投げ出して、そのままふて寝してしまった。


 しかし翌朝、耳障りな笑い声が寝ている俺の耳元で朗らかに響いた。たたき起こされた。


「はーはっはっはー、起きたまえ! 朝だぞぅ!」


 言うまでもなくあの男――雑風ライの声だ。

 跳び起きると、その男は、ソファのすぐそばでムキムキとポーズを決めてご機嫌である。


「はっはー、お目覚めはいかがかな?」


「最悪だよ、何しに来たんだ」


「君のための特別メニューを伝えるために!」


「うっぜえ、おい、モモ!」


 俺はキッチンにいるであろう女房に向かって声をかける。

 彼女はむっちりとした腰を左右に振りながらキッチンから出てきた。


 あんたら、オークの女っていうとビア樽に手足をつけたようなおばさんを想像するだろうが、ウチの女房は違う。

 あんたらがみても十分にセクシーダイナマイツな飛び切りの美人だ。


 うちの女房はオークにしては細身で背も高く、全体的にシュッとしている。

 ただ、胸と尻と太ももにだけは実にオークらしい柔らかい肉がむっちりぽってりとついていて、つまりはダイナマイツボディ!


 妻は俺に抱きつき、そのダイナマイツな胸元をギュウギュウと押し付けながら、色っぽく身をよじった。


「ハウディ、ダーリン」


 耳にねじ込まれるのは、しっとりと張り付くようなハスキーヴォイス……むっちりとしたカラダの肉感そのまま、あまくてセクシーな声だ。


「ダーリン、おはようのキスは?」


 セクシーヴォイスでせがまれて、俺は照れながら唇を差し出す。


「ああ、おはよう、ハニー……」


 と、そんな俺たちよりもさらに熱い……というか、暑っ苦しい笑い声。


「はーっはっはっはー、良きかな良きかな、仲良きことは美しき!」


「まだいたのかよ!」


「まだいたとも!」


 俺は妻をこよなく愛している。

 だが、この暑っ苦しい男を家に招き入れたことだけは許せない。


「なんでこいつがここにいるんだよ!」


 思わず妻の肩をつかんで揺すってしまう。

 彼女は顔をしかめて、それから身をくゆらせた。


「痛ぁい、ダーリン、乱暴」


「わ、わるかった、けどよ、何でこの筋肉バカがここにいるんだ」


「ダーリン、そういう言い方、良くないわ。ライさまはね、あなたのための特別トレーニングメニューを持ってきてくれたのよ」


「な~にが『ライさま』だ! お前、こいつと俺、どっちの味方なんだよ!」


 俺の女房は見た目のセクシーさからは想像もつかないほど賢い女だ。

 おまけに情も深い、ともかく全方向からいい女なんだ。


 だからこそ彼女は、この時の俺の態度に腹を立てた様子だった。


「味方とか、味方じゃないとか、なに言ってんのよ、ばっかみたい」


 ふいとそっぽを向いて、妻は俺から離れた。


「ライさまはねえ、ダーリンを心配してくれているのよ」


「何を心配されることがあるっていうんだよ」


「ふん、自分でお聞きなさいな」


 妻はすいっと立ち上がり、これ見よがしにライに体を擦りつけた。

 これはもちろん、俺への挑発だ。


「それにしてもライさま、今日も素敵な筋肉ねぇ」


 ライは、超セクシーな俺の女房にすり寄られても、顔色一つ変えやしない。


「そうだろうとも、はっはー!」


「ああっ、腕もたくましくて素敵ぃ」


「はっはー、筋肉だ!」


「すっご~い、触ってもいいかしら?」


「どうぞ!」


 ライの腕に自分の腕を絡めて、妻はちらりとこちらを見た。

 明らかに俺を煽っている!


「うちのダーリンにも、こんな筋肉があったらいいのにぃ」


 この挑発に、俺はうっかり乗ってしまった。


「筋肉か! 筋肉がそんなに好きか!」


「ええ、好きだわ、筋肉」


「うぐぐぐぐ!」


 すっかり頭に血の上ってしまった俺は、地団太を踏んで喚き散らす。


「わかった、筋肉だな! 見てろ、俺のほうがそいつよりも筋肉が似合うってことを思い知らせてやるからな!」


「へえ、どうやって?」


「筋トレだ!」


 雑風ライが、朗らかに笑いながら手のひらほどに折りたたんだ紙を俺に差し出す。


「おおっ、いいねえ、やる気だね! これを使いたまえ!」


「そんなものはいらん!」


 俺はライの手を跳ね上げた。

 紙片は彼の手を離れ、宙に舞う。

 その紙の向こうに見えた彼の顔は少し悲しげで、さすがの俺も少しだけ――本当に少し、胸にちくりと痛い程度の罪悪感を覚えた。


 だが、ここで謝ってしまっては、なんだか俺の負けを認めるみたいで悔しいじゃないか。

 だから俺は、わざと憎々しく口元をゆがめて、悪態をついた。


「お前の助けなんか不要だ! 俺は俺の力で、筋肉を手に入れてみせる!」


 それだけを言うと、あとは誰の声も聞かず……俺は家から飛び出したのだった。



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