Act4:因果と侠悪

第1話

 夏の浄都銀行本店に、けたたましい交響曲が鳴り響く。

 警報装置のサイレンと、夏休みなどまるで関係なく働く証券マンや銀行員の悲鳴。そして何か重く硬質な物体を金属の扉に打ち付ける衝撃音。そして、


「ウィー、アー!!」

 ……白人男性の咆哮。

 

 二メートルを超える筋肉ぶくれした巨軀から発せられる重低音の雄叫びは、それほど広くはないもののほどよくシステムがまとまった店内の隅々まで届く。


 タンクトップにミリタリージャケットという格好に。ヒゲや毛髪を含めた全身の体毛は金ではあるものの、加齢のためかそろそろと白く変色し始めていたが、その筋肉量や声量に老いや衰えは感じられない。

 秘密裏に捕獲された北欧のイエティが脱走し、関西の一都市銀行に逃げ込んだ。そんな荒唐無稽なバックストーリーさえ考えてしまう、異様な光景だった。


 だが彼はなにも野人そのものではない。丸腰でここに来たわけではない。

 その両腕に提げていたのは、低学年の小学生ほどはある円筒だった。


 中世においては敵城の門扉を打ち砕く兵器。

 そこから派生し、凶悪犯やテロリストの立て篭もる建造物を突破し、制圧するためのツール。


 いわゆる破城槌バッティングラムと呼ばれるそれは、何の因果か銀行強盗の手に渡り、かつその業界における彼自身の名を意味するコードネームとなっていた。


 隅に追いやられた行員を押し除け、反撃を加えられて昏倒した警備員や警官を踏み越えた。


 ただの預金や証券類が保管されている場所は、眼中になかった。

 一般の銀行員でも把握しきれていない区画。誰の営業マニュアルにも記載がないから無視されていたポイントが、物置の向こう、目立たない片隅に存在していた。


 施錠されたドアを打ち破り、偽装された壁を粉砕し、そして剥き出しになった鉄格子を叩き折り、中から顔を覗かせた分厚い金庫に一撃を加える。

 先端をホローポイントのように改造された破城槌は、彼の持ち前の腕力と相まって最大の効率でもって打撃を与えていく。


 一撃……

 二撃……


 銅鑼か凡鐘のように、耳を覆いたくなるようなけたたましい金属音のたびに金庫の形は変形し、やがて内外の圧に耐えられなくなった扉が、弾け飛んだ。


 舞い込んだ外気にさらされ、中に合った書類のいくつかが舞う。だがそれにさえ彼は視線をくれなかった。

 彼の目はプリントされた字面を追うことはしない。ただ別の形状の、別の媒体に保存されていた何かを、探していた。それが何なのかは、彼自身知らない。ただそれっぽいものを探して来いというのが、依頼人クライアントからの命令だった。


 だがそれは、見当たらない。

 文書ではないという。この街の興りより共に在ったものがそうあるはずがないと、『彼』は言っていた。

 それらしきものを、見つけなければ。そうくまなく目を配る彼の視界が、ふと片隅に、異形の影を捉えた。

 くすんだ色遣い、様々な意味において古式めかしいフリルのついたドレス。

 ちらつく角灯。そしてそれらを一身につけた……魔法少女の拳。


 気づいた時には、巨体が浮いていた。打たれた痛みは遅れてやってきた。

 床のタイルにしたたかに背を打ち付け、痛みの第二波が総身を襲った。


「あ、当たっちゃった」

 娘は、巷間をにぎわす怪人魔法少女オーバーキルは、自分でも意外だったといった調子で拳を引き戻して見返した。


 それがなおのこと、屈辱で、腹立たしかった。

 荒々しく息巻いてバッティングラムは少女に向かって突撃した。


 乱戦に巻き込まれ、券類が飛び交う。

 その季節外れの吹雪の中で、ロビーに戦場を移した少女と巨漢は、あらためて対峙した。

 彼がくり出す重撃は、日本の警官隊をも撃退した。機動部隊とはやり合っていない。おそらくは五龍恵あたりが根回ししているのだろうが、たとえ本気でSWATを要請、投入してきても単身で押し返す自信がある。


 にも、関わらず。

 彼の攻めは、少女には当たらない。対象が華奢で心理的なブレーキが無意識のうちに働いているのか。否、そうではない。手抜かりはない。

 少女の澄み切った瞳は、正確に速さと風圧をともなった縦横無尽の攻撃を、確実に追っていた。次の手を読み切っていた。

 なんとかせねば。その焦りがかえって隙を生んだ。大振りの合間を、少女の細腕がすり抜ける。手にした槍のような長物の石突きが、鳩尾を打った。


「No!」


 思わず子どものような声をあげてしまった。その場に踏みとどまることを意識する前に、その肉体は再び空を泳いだ。

 肉体と床とか立てる轟音が、周囲に軽い悲鳴をあげさせた。だが人目とプライドがなければ、それを発したかったのはバッティングラムの方だった。


 大仰な名とは裏腹のビクつくような、味の悪そうな表情で、少女が日本語で何かを言った。降伏勧告あたりではあるだろう。

 だが彼女はいまだ知らないはずだ。

 己の異名となったこの武器の真価を、もう一つの姿を。


 バッティングラムは手にした破城槌を、この国で言うところの『ワリバシ』の要領で、左右に開いて縦に二分した。

 出来上がったのは重量が分散された、巨大なガントレット、あるいはトンファーに近い打撃武器だった。

「Come on girl」

 武器の裂け目に内蔵されていた把手を掴み、彼女を招く。

 おそらくは日本人のコスプレイヤーである小娘にわかるような、ごく単調な挑発とともに。


 少女は戸惑いとともに、今度は自分から押し迫った。

 迎撃。文字通りの鉄拳を打ち出した。

 少女の長柄を横へと払い、連打、緩急と方向を織り交ぜての、無心の打。


 速度を増した彼の攻めは、その幅も格段に増していた。純粋なスピードであれば、フェザー級のボクサーにも匹敵するだろう。パワーは言うに及ばず。フットワークにもアクセルがかかり、勢いはさらにつけられていく。

 先と変わらぬ反応速度で対していた少女だったが、次第に目線から彼の拳の軌道が外れるようになってきていた。凌げる。倒せる。勝てる。外に発するのではなく内を歓喜で満たし、バッティングラムは少女の交差した腕を強引な二本のストレートでこじ開けた。

 少女が崩れた体勢を立て直すよりも先に、腕を引く。ひねってフックを撃ち出す。


「よう」


 ――の、はずだったが……足下からふいに聞こえた声に腕が止まる。

 視線を下せば、摩訶不思議なケットシーが、短い両腕を組むようにして立っていた。

 驚き怪しむバッティングラムの真下にあって彼は少年の声音で、フードの奥底でただ一言。


「危ねぇから、受け身とっとけよ。つっても手遅れか」


 ……次の瞬間、彼の鬚面は真正面から伸びた少女の腕につかみ取られた。

 そのまま力づくで押し切られ、後頭部に床のタイルが急接近していく。

 そうだった、と後悔する。

 今おのれが対峙していたのは、幼き魔女だった。使い魔の一匹や二匹、使役していたとしても不思議ではない。

 それをもって注意を外すのは、ごく順当な手であった。ここはそれこそ、ボックスやコーナーの内側ではないのだから。


 みずからの敗北と迂闊とを悟り、そして受け入れながら、彼は硬い感触に叩きつけられた。


 ・・・・・


 地面や、いまだ宙に舞い散る金銭や紙類を、風の流れが絡め取っていく。

 その流れを、紫髪にフォームチェンジした魔法少女オーバーキルこと赤石千明は、鉄棒のごときそのデバイスで操ってまとめていく。

 その作業は、体験したこともない釣りや凧揚げのようにも感じ、あるいは古いスーパーによく置かれているワタアメ製造機のような気もした。


 できる限り散ったものを回収したものをロビーに平積みにして、ノビている銀行強盗をビニールひもでくくり、一仕事終えた表情で彼女は銀行を出た。


「えー、とりあえず中にお金については被害はないと思います。誰かがネコババでもしない限り」


 本人は冗談のつもりで言ったのだが、遠巻きに見ていた警官隊やマスコミはぎょっとした表情で見返した。


「……いやいや僕はしてませんよ?」


 まったく失礼な話だと思いつつも、過剰に反応はしない。迂闊な発言が炎上を招くということは、今のSNS社会に生きる者としては当然の知識であった。


 最後に警官に「ご苦労様です」と敬礼しながら後事を任せ、自身は大きく飛び上がった。

 最大限の風力浮力でビルの屋上へ。奢るわけではないが、少しばかりスパイダーマンの気分を味わえた。

 一瞬だけだ。あとは正体を知られたのではないかという、漠然にしてとてつもない不安が怒涛の勢いで押し寄せ、嫌な汗が流れる。


「上手くいった、よね?」

「おう、上出来上出来」

 足下に降り立ったネロが、マスコット姿のままに答えた。

「これだけ目撃者がいれば、もう偏向報道なんておいそれとできるもんじゃない。無理にしようとすれば、誰もがこの街のいびつさに気が付くことになる」


 いまいち感情の乗らない声音で、彼は筋道を立てて説明する。

 彼への不審にまみれていた頃であったら、自分の気持ちを悪い方向に持っていって、変に勘ぐっていたことだろう。

 でも本当は彼なりに、不器用なりに、励ましてくれていることに千明は知った。もう迷うことはないだろうと、自分でも確信していた。


「にしてもお前、今どき別れ際に敬礼って……」

「うるさいよっ!」


 ――あとはこの、余計なお世話さえなければ。

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