第11話

 雨が、降っていた。

 正確には高熱によって溶かされて剥き出しになった地下の水道管が破裂した結果なのだが、変身が溶けて千明にとっては、紛れもなく雨だった。飛び散った業火を鎮圧せんとしながらも、立ち上がろうとする体力と気力を、無感情に奪っていく。


「これは、貴様の次元においては外法の品だ。返してもらおう」

 力と主人を失い、地面に転がったランタンや灯台を回収しながら、イグニシアは言った。重厚でありながら、とうに勝敗は決したと言わんばかりに、緩慢な動作。だがそれを妨害する手立てを、千明は持っていなかった。


 千明はネロの姿を目で捜した。

 彼女から見て右手側に、仰向けになって倒れる彼の肉体を認めた。


 彼もあの一斬に少なからず巻き込まれたらしい。

 ただでさえ王者らしくないその装束は焦げ付いて擦り切れて、指の一本もピクリとも動かない。


 そんな彼に、鎧の武人は円筒を手に近づいていく。殺される。止めようがない。ただ出来ることは、


「ネ……ロ」

 と焼けつく喉から声を絞り、腹ばいになりながらその光景を見守ることだけ。


 バトルジャンキーではないから勝ち負けだとか、どっちが強いかなんてことには興味はない。それでも、今彼女は、無念と無力感を噛み締めていた。

 ネロに従えば良かった。自分が余計なことをしてしまったばかりに彼は今、死のうとしていた。


 だが、トドメを刺そうとしたイグニシアの剣が、ふと止まる。一瞬だった。次の瞬間には、彼は怒号とともに力任せにネロへと剣を叩きつけた。破砕音が聞こえた瞬間から目をそらすのが、千明にできる精一杯だった。


「やってくれたな……卑劣漢め」


 ところが甲の呼吸口から漏れたのは、勝利宣言や任務達成の喜びではなく、罵声。殺した人間に対しての。


「なんとでも言え。騙されたほうが馬鹿なんだよ」


 耳慣れた声が、頭上から聞こえた。

 少年の姿になったネロは、熱で屈折したバイパスの片隅に座っていた。

 地面にいたはずの彼の影は、すでに剣先には存在しなかった。まるで最初から存在しなかったように、痕跡一つ残さず。

 いや、実際に、とうに移動した後だったのだろう。千明たちが見せられていたものは、幻影だった。


「こうなればもう、そこの女にも用はないしな」


 冷笑を浮かべながら、彼はひらひらと手を振った。


「しかしまさかここまで物分かりが悪いとも思わなかった。世話になってたのは事実だし、境遇に対して多少なりとも憐憫はあったから世話してやったってのに、つけあがりやがって」


 ネロの唇を借りて、誰かが、知らない王様が、千明へ向けて手酷いことを言っている。


「お前とは今日限りだ。あばよ」


 そんな捨て台詞とともに、ネルトランは反対側の区画へと身を躍らせながら逃げた。


 後に残されたのは、打ち捨てられ、そして見捨てられた少女と、剣を消沈させた魔人だった。

 装甲が、空気中に火花とともに溶けていく。巨漢に戻った彼は、


「これで、目が覚めただろう」


 絶望とともに意識が薄れゆく千明に向けて、吐き捨てるように言った。


「奴は善意の職人などではない。生まれついての、救い難い暴君だ」


 荒削りの硬玉のような視線、くり抜いた神木のような腕が、彼女の心の臓を指し示した。


「己は彼奴ほどに非情ではなく、また貴様は被害者に過ぎない。よってそこに眠る一基の回収は、勘弁してやろう」


 だが、と。

 獅子を連想させる強面を寄せて、男は千明を烈しく睨め付けた。


「今後性懲りもなく我らに干渉しようとするならば、それこそ容赦せん。その心臓を焼き抜いてやる」


 それは十が十、恐れを為した牽制だったことだろう。だが、千明には届かなかった。

 自分をなすすべなく打ちのめした絶対的な強者の恫喝よりも、ネロに裏切られ、見限られたことの方が、彼女にとってはダメージが大きかった。


 次第に意識が、足音が、ありとあらゆる五感が遠いものになっていく。ただ、地下水の雨がざあざあと、少女の肢体に降り注ぐ。

 眠りに落ちる瞬間、その雨の勢いが、ふと和らいだ気がした。


 ・・・・・


 普段から散々顔を合わせているものの、彼女たちのそれは、奇跡的な発見であり、偶然の邂逅であっただろう。


 彼女はたまたま、近くにいた。

 きっかけは、本来の帰り道から少し外れて気分転換をしようと言う、気まぐれ。

 だがその気まぐれが、魔法少女を追う組織や、彼らが指揮権を牛耳る警察や消防に先んじて少女たちを引き合わせた。

 変身が解けて、自校のセーラー服を濡らす赤石千明の枕元にスカートを払って腰を下ろし、


「ふむ」


 対岸鹿乃は、折り畳み傘の下でさほど動揺も感動もなく思案した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る