第10話
二人の本物の魔法使いたち、二匹怪物同士による、迫合いは都合三十合の交錯に及んでいた。
もっともこれは接近戦のみを計算に入れた数字であって、光や炎の撃ち合いはその三倍に及んでいた。
長年を掛けてこの形にさせられてきただろう灯浄の街並みを、彼らの一弾が、一斬が、一瞬で、破壊し変容させていく。
ネコの敏捷さでもって、パルクールのようにネロは前転し、横薙ぎの焔を跳んで避ける。
だが、その跳躍は逃げるための空間がないための、緊急的なものであったらしい。それ以外の回避行動の許されない状況下に、追い込まれたがゆえの。
返す刃が膨れ上がり、火山流のように吹き出したた。方向を変える足場も壁も、届く位置にないネロを、襲った。
ネロは腕の銃口より弾丸を数発射出した。一発は地面に着弾と同時に、歯車のような障壁となって展開し、滑り、炎刃に噛ませて防ぐ。
だがそれは瞬く間に飴のように熱に溶かされ、数秒の時も稼げず砕け散った。
だが彼にとってはその数秒にも満たない時と、射撃という行動こそが本命だった。
その反動によって自身の軌道を変える。その剣筋の先に対象を失った炎は、虚しく空を焼いたのみだった。
熱波の流れに逆らって、ネロから再度打ち出された光弾が鎧の男を狙った。だが、手首を返して彼は難なく傾けた剣に、それらは難なく呑まれていった。
「この程度で、このイグニシアを討とうてか」
攻撃は最大の防御とは言うが、まさしくイグニシアと名乗った彼がそうだった。その広範囲の斬撃は、ただ振るだけで相手にとっての致命傷となり、同時にすべての反撃を飲み込み、傷一つ負わせることを許さない。
「そりゃ、ハナからこんな兵装でてめぇみたいなゴリラの相手どる気なんてないからな」
そううそぶくネロの頭部が、心なしか千明の側へと傾いた気がした。
そのまま立ち尽くす彼女に、露骨に舌打ちして後ろ手を払うように前後させた。
どうやら、彼の目的はあくまで時間稼ぎであるらしく、その間に自分に逃げろ、と言うメッセージらしい。
だが、一顧だにしない彼のぞんざいな態度が、千明の反発を招いた。
父母の、そして今の自分にとっての故郷がまったく関わりのない抗争で破壊されていくことに対する怒りも手伝って、千明は受け取ったバッグから『灯台』を引き抜いてその身に取り付け、ペットボトルの水を取り出して中身をぶちまけた。
「おい!」
ネロが怒号を発したのを無視して、前に進み出る。
水は地に接するそばから水蒸気となっていく。それでも問題なく、変身に必要なエネルギー循環のための媒介として機能した。金髪と軍服という姿を、銃斧をその身に宿して、イグニシアへと斬りかかった。
「愚かな……まだその男に対する妄が解けんとはな」
彼は避けもしない。手足や剣を使って防御さえ取りもしない。ただ彼の一個の軍事要塞、あるいは軍需工場のような装甲を破損させるには至らなかった。
代わりに浴びせらかけられたのは、肩口への一斬。とっさに生じさせた水幕が、ダイレクトに摩擦の熱に当てられることだけは妨げた。だがそれでも、痛い。熱い。そこから爆ぜた火花の飛沫が、あの事故のことを思い起こさせる。
「なるほど、無駄に硬いようだ。素人が扱うとはいえ、伊達にこの武装の後継機というわけではないということか。いや素人が扱えるがゆえの、汎用性と多様性か」
だが恐怖は混濁した感情によって麻痺していた。
その奇妙な納得さえも、どこか遠い他人事のようだった。
距離を取った千明は、やけっぱちのままに銃の引き金を引いた。
銃口から吐き出された澄んだ激流は途中で幾重にも分かれて、多方向から無軌道に、イグニシアへと食ってかからんとした。
「くだらん。そのような水攻め、路傍の見世物小屋より劣る」
低い一喝。それと同時に鋼の総身からほとばしる炎熱は、搦め手より甲冑の隙間を狙った一流を蒸発させ、前方と側面からの波状攻撃は自身の周囲に集中してから、一太刀で消し飛ばした。どれだけ多角的に迫ろうとも、標的がひとつである以上、最終的には一極化せざるをえない。そこを狙われた。
水克火。水は火より強い。そんなRPGのような幼稚な思考を、千明は変じて撃ってから後悔した。
「だったら……っ!」
ランタンを取り出そうとする千明の手首を、ネロが掴んだ。
「何頭に血ィのぼらせてんだ!? ここんとこずっとおかしいぞお前ッ!」
「おかしいのは君だよっ!」
怒鳴り返されるとは思っていなかにったのだろう。当惑がそのまま影響したかのように、マスクの奥で瞳が揺れ動く。
「なんで違うって言ってくれないの!? なんで自分の口から肯定も否定も、拒絶もしてくれないの!?」
「今聞くべきことじゃねぇだろっ、それは!」
「ここでしか聞けないんだよ!」
ネロの言い分に、千明は強く反発した。
「君が何も答えてくれないから、ここにしか真実がないから僕は留まってる! その人から話を引き出すために、戦ってる!」
眼前に抱える敵の強さも、圧倒的に不利な戦況も、眼中になかった。
激情に任せてまくしたてる彼女に、やはりネルトラン・オックスは目線を外し、その眼光は闇の奥底へと沈む。
「――ここまで、だな」
そして彼がくれた言葉は、ただ短く、漠然とした重く暗い呟きだけだった。
「あぁ。貴様は、此処で終わりだ」
イグニシアがそれを拾う。目の前で剣刃が紅蓮の輝度と圧とを増していく。
ネロにすがりつくようにその裾を掴む千明は、ふいに肩に強い負荷を感じた。
その怪人が、彼女の手を振り払い、身体を引き剥がした。肩を強く突き飛ばしたのだった。
そして少女は、硬いコンクリートの壁床やオブジェクトの残骸、空気の壁や魔法の装束、そして確執や固執と、すべてを焼き尽くす業火の中へ併呑された。
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