第8話
「なぁ、千明」
時速35km程度で走る観光バス。
その後部座席から身を乗り出しながら、ぼんやりとした調子でネロは隣の千明に尋ねた。
「ひょっとしてこの世界では自動車より人間が速いのがデフォなのか」
「――そうだったら僕は朝連続で遅刻なんてしないし、学校から帰っても夕方のアニメには間に合ってるし、そもそもクルマ自体が必要ない」
言わんとしていることに予測はついていたから、否定の言葉はすんなりと出た。
……だったら、目の前で後続車両を二台、三台とぐんぐん追い抜いて接近してくるアレはなんなんだ、という疑問に行き着くわけであるが。
パルクールか映画のスタントのごとく、自家用車と並走し、混乱によって速度を緩めたそのボディの下を、自身は減速せずスライディングしてくぐり抜ける。そこから抜け出すと同時に、追跡者『ワンショット』は、まっすぐに伸ばしたシグザウアーから銃弾を放った。
縁にかけた指。そのあたりで、小鳥のごとく、チュンと鉛玉が鳴いた。
いくら魔法少女とは言え、相手は殺し屋。常人の肉体を余裕で貫通する飛び道具である。
知らず、口からはぴぇっと奇声が漏れた。
「うろたえるな」
とネロ。
「まだ有効射程外だ。的相手ならまだしも、届いたところで当たりゃしねえ」
彼の言葉を証明するかのごとく、二発目が飛んできてが、それもまた車の板金を貫くには至っていない。
「ヤツの名前が、それを証明している」
「名前」
オウム返しに、その意味を問う。
「ほら、名は体を表すって言うだろ。スパイダーマンだって蜘蛛に噛まれたからこそスパイダーマンだし、バットマンだってコウモリに噛まれたからそう名乗ってる」
「……いや、べつにバッツは噛まれたわけじゃないよ……」
「ともかく、『ワンショット』だって通り名としている以上、そこにルーツがあるはずだ。つまりヤツはあの一丁の拳銃とあの身体能力で幾多の難事を乗り越えてきたんだろう。すなわち逆に言えば、この射程こそがあいつの限界とも言える」
ゆえに引き離せば、少なくとも接近を許しさえしなければ、体力と弾を消耗するのは『ワンショット』のみだ。その後しかるべき地の利を得て戦えば、勝算はぐっと増す。
ネロが示したその理には、千明も同意する。
だが、と一方で思う。
そのことに気づかず、盲目的に追い、無駄撃ちをくり返す『ワンショット』だろうか。
千明には、一定の間隔を置いて撃たれているようにも感じた。まるで、何かの塩梅を確かめるように……
(まるで、ピアノか何かを調律するみたい、な)
そう思案した、矢先だった。
殺し屋はその一丁しかないと、シンボルマークだと仮説の立てられた拳銃を、空のカートリッジごとポイと投げ捨てた。
「は?」
懐から、別の銃を持ち出した。
「は?」
子供の腕ほどはある銃身、いや砲身を持つそれの中程を折る。口径に見合う、筒と言った方が良いほど太い弾を装填し、手のスナップによってそれを正しい状態へと戻す。安全装置を解除すると、片手で撃ち放った。
当然、その反動は相当なものだったろう。少なくとも、追走中に銃を乱射しても身じろぎせず、速度も落とさなかった男が、その体幹を大きく崩すほどに。
だが男には、もはや追いつけるかどうかは問題ではなくなっていた。ここまでの連射による試算、それに基づく一発は、彼の見出したポイントを的確に射止めていた。
――ワイヤーのついた特殊弾は。
銃口に繋がるそれは、バスの後部フレームへと命中した。リアタイヤが衝撃で浮き上がり、車体そのものが一瞬前のめりになった。
アンカーのように展開した弾頭が、根深く食い込んで固定された。
そして男は、足を動かすことをやめた。
水上スキーのように、バス自身の加速に牽引されて、滑走する。
彼らを隔てていた最後の一台。そのタントのボンネットを乗り越え、もはや互いの顔が見える程度の距離まで詰められた。
「俺としたことが、とんだ解釈違いをしていたようだな」
ネロは苦しげに呟いた。
「あのショットガンみたいなカスタム銃こそ、真の『ワンショット』たる所以ってことか。最初の拳銃はブラフ。仕留める真の一矢はあの銃から発せられる」
そう付け加えたネロだったが、もし彼の第二の予測のとおりであるならば、ワイヤーが繋がれている以上、唯一の銃口を塞がれた彼に追撃の手段はない。近づけさせないという基本方針は変わらない。
真っ赤に彩られた浄南大橋を、一行はすでに半ばまで通過していた。
水平線の向こう側に、対岸の人工島が見える。
(その港までせめて行ければ)
落ち着けとおのれの心を制する。動揺はこの車を作動させている杖にダイレクトに反映されて、運転に乱れが出る。
そう思って無心を心がける彼女の前で銃巴を握りしめる男は、そこから右腕を離した。
そしてまっすぐ伸ばして今まで反ることも屈することもなかった背から、木と鋼の合成物を引き抜いた。
「は?」
機能美を追求したかのような、無駄のない造形。斜めにカットされたマズル。
スーツのポケットよりバナナにも似た弾倉を取り出し、一本の腕で器用に装填し、小脇に抱えてレバーを引き、トリガーに指をかけた。
日本ではとうてい耳にしない連射音。まず二連続。次いで断続的に空へと向けて轟き、地面と『ワンショットの手のあたりに白煙を生じさせた。
「めっちゃ撃ってきたぁぁぁ!?」
「じゃあなんであいつ『ワンショット』なんだよッ!?」
ことごとく推理を外したネロは、とうとうたまりかねてツッコミを入れた。
だがどれほどその矛盾を追及しようにも、『ワンショット』はめいっぱいの銃器を所持していたし、湯水のごとく弾丸を消費してくる。それが現実だった。
そもそもあの東洋人は本当に『ワンショット』なのかと、まずその前提さえ疑わしくなってくる。
接することができない代わりに、離れない。そんな射手の代わりのように、弾丸の群れが魔法少女たちを追っていた。
やがて地面に杭打ちするかのように穿たれる弾痕は千明たちの眼下にまで至った。
彼女たちを乗せた灯浄アークラインが大きく揺れた。
後部座席が左右に暴れ回る。鉄がアスファルトを引き裂く音がする。火花が青白い轍を描く。
撃たれたのは後輪だった。いくら燃料を注いだところで、歯車を回したところで、直接地に接する部品が破損しては、むしろそれは仇となる。
暴れ狂った観光バスは、それこそ戦象のようだった。小規模ではあるが、ひとつの災害と呼んでも良かった。
このままでは前後の一般車を巻き込みかねない。そう思った千明は、ネロには断りを入れずに、制御の効く間にただ杖に祈る。
他人を巻き込まずこの状況を脱する方法を。
シンプルに、有り体に言えば乱暴かつ強引に。
次の瞬間。
舵を思い切り左側へと向けたバスは、頭から橋の手すりを突き破った。
そして二色の絶叫の尾を引かせながら、乗り物ごと千明たちは海面へと突入したのだった。
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