第7話

 大陸のヒットマンは階段を下り終えた。

 そこに立っていた魔法少女にまず目を見開き、次いで『赤石千明』を探った。


 次の瞬間には、トリガーを絞っていた。


 破砕音。窓ガラスが割れる音。だが弾道からしてあからさまにその射撃は『魔法少女オーバーキル』こと赤石千明を狙ったものではない。威嚇射撃。だが、神経が過敏になった千明は、たやすくそれに釣られた。


 肩口に鈍い痛みがはしる。

 彼女のまとう防壁に阻まれてひしゃげた弾頭が、床に転がった。


「っ!?」


 脚を、ついで心臓のあたりを、眉間へと。

 射角を変えながら、距離を詰めながら、


 探っている。

 有効弾となる速度を保てる間合いを、血を流させられる部位を。


 そして彼は、あっさりとそれを探り終えた。

 眉間の攻撃を避けた。それより前に避け損ねた腿が、内出血を起こしている。


 つまりは、至近で9mm弾を頭部に撃ち込めば、一発では無理にしてもやがて死に至る、と。


 当然物理的な防壁はほどこした、と初戦の後にあらためてネロは説明した。そしてそれは、万全であっても完璧でも無敵でもないと。


 そんな説明をされて具体的な数値を示されてもピンとこなかったのが自分なのに、目の前のこの的は実践と経験と直感でもって、本人より先に会得した。


 そのことに、千明は慄然とする。

 あの工事作業員にしても、なぜ自分の相対する敵はこうも、魔法だの物理防壁など、概念を知るばかりで今まで見たこともないだろう事象に即応してくるのか。


 排莢。流れるような所作でカートリッジを入れ替えた『ワンショット』は、ふたたび間を詰め始めた。

 連射が千明の反撃を封じる。逃げる場所も限られていた。座席の奥に身を隠して、リロードまでやり過ごそうとした千明だったが、


〈違う! 左だ左!〉

 ネロの怒号。そしてチュンと弾ける鉄の音。銃口の向きからはありえない角度で、座席の奥から、弾が彼女の脇腹を襲った。


(跳弾!?)


 慌てて飛び退く。だがその退避した軌道上に、『ワンショット』が待ち構えていた。両のかかとを揃えての、飛び蹴り。それを払いのけようとした腕が、空中でその角度を変じさせた脚に、絡め取られた。


 まるで密林のワニの捕食のように、千明の、細腕を挟んで離さないままに全体重をかけて『ワンショット』が我が身を旋回させた。どうすることもできず、彼女は巻き込まれ、手すりにしたたかに背を打って、苦悶の声をあげる。満足に呼吸も整えられないままに、男の膝裏を少女の喉輪に乗せて圧迫した。


 肉体的に優劣はどうあれ、形勢は明らかだった。千明には肉体のシステム上四肢の力が満足に発揮できず、下半身で彼女を押し倒したままに、『ワンショット』は悠然と再装填していた。


 眉間にごり、と熱く白煙を燻す銃口が突きつけられる。だが、諦めてはいなかった。ネロが与えてくれた魔法の力を、千明は信じていたし、出し切ってさえいない。彼もそれを知ればこそ、まだ援護に出ていないのだろう。


 拘束されたのとは、逆の手で腰のランタンのつまみを回す。オレンジ色の炎が、ケージの中で跳ね上がった。


 『ワンショット』の頭上で、槍にも似た杖が精製された。落ちろ。そう命じると、果たしてその命に杖は従った。


 あとは自分に注意を向けている彼の後頭部にそれが……


 『ワンショット』は、拳銃の持ち手を捻るとそれを撃ち落とした。ノールックで。


 あらぬ方向に魔法の杖は飛んでいく。自分の手の届かない方向へと落ちて、床にその先端が突き立った。


 何事もなかったかのように、銃口が翻る。千明へと凶弾を見舞うべく、引き金を絞る。


 だが、『ワンショット』と自分との認識は、少し食い違っていると思った。

 たしかに単純な威力とか、細かい有効射程とか、魔術に対する理解度は向こうの方が高いのかもしれない。

 だが、受け入れることと信頼を置くこととは、また違う。そして千明は後者だった。


 たとえその全容をいまだおのれで把握できていないとしても、ぶっつけ本番で、魔法を行使する程度には。


 バタつかせるその手は、ギブアップを訴えるためではなく掌を床に押し当てるため、魔力を流すため。

 床に突き立つ杖は奇襲の失敗の証ではなく、まして狭い場所で武器として用いるためではなく、そこを基点に、自分に与えられた新たなる魔法の権能を起動させるため。

 そして自分はかくも苦境に立たされるのは、判断ミスのせいではなく、こんな街中と閉所で戦っては被害が増すという配慮から。


 紫電のような力が自分たちの間を抜けていく。

 有り余る千明の生命力から抽出、還元されたエネルギーは、杖にはめ込まれた宝玉の輝度を強めて先端の突起を回転させる。


 次の瞬間、バスはひとりでに動き始めた。いや、彼女の意思に呼応した。

 もちろん、大型免許どころか一般の軽自動車さえ運転経験のない彼女には、クラッチの切り替え方さえし知らない。どういう技術と判断力が必要かも。


 だがこの炎の魔法は、ありとあらゆる動力を司ると製作者にうそぶかれたこの戦装束は、そういった過程を吹っ飛ばして、ただ機構を持った無機物に命じることができる。


 我が意に従え。

 炉に火を入れろ。

 歯車を、回せ。


 停留所に停まったいたバスが、徐々にスピードを上げ始めた。

 プロの運転手でもかくやという狭い車幅を器用にすり抜け、十分な走行スペースが確保されると、一気に加速した。


 ただしその無茶な操縦の代償は、乗り心地を無視した車体の大揺れだ。いや、むしろ千明としてはそちらの方が本命だった。


 思いもよらぬバスの出発に、『ワンショット』の体幹が揺さぶられた。拘束力が緩まった。千明は生じた間隙から腕を抜いた。


 傾く車体に沿って身体をスライドさせると、自身の荷物を男へ向けて蹴り上げた。

 応射。土産物屋で獲得したキャラグッズが、血の代わりに綿を吐き出した。


 その下を、魔法少女は駆けた。


 今度は自分が、彼にドロップキックを食らわせる番だった。

 彼女の両脚が、『ワンショット』の胸を叩く。

 べきり、と音がする。肋骨を折ったわけではない。スーツの中に仕込まれていたであろうプロテクターが、一撃で限界を迎えた感触だった。

 かまわず、勢いをそのままに、千明は鋭い気勢をあげてさらに脚部を押し込んだ。


 景観を眺めるため、大きめにとられた窓ガラスを突き破って、走行するバスから男は追い出された。


 車内に、静けさが取り戻された。


「だ、大丈夫かなぁ?」

 いろいろな不安を込めて、千明は自問する。


「むしろ、自分の身を案じろ。多分あいつ、わざと落ちた。仕切りなおす気だ」

 座席の下に隠れていたネロが這い出てきたのを、睨む。


「手伝ってくれてもいいじゃん」

「手伝ったろ。というかこの程度なら、まだ加勢の必要はない。……オレが直接力を出すと、より厄介なモノを招きかねないしな」

「というと?」


 直截に問う。重厚な駆動音を響かせながら、バスは中央区に位置する人工島と橋の口に差し掛かっていた。

 胴体よりはやや大振りな頭部を、ネロは揺れにまかせて左右に振っていた。しばらくそのまま、返事をしなかった。


「あの『ワンショット』の挙動は、魔法少女オーバーキルの情報うごきをすべてではないにせよ、知っていた。しかも、本来のターゲットである赤石千明そっちのけで戦いを挑んできた」

「――だから別にそんな妙なコードネームと違うんですけど……つまり?」

「つまりあいつを雇った連中の意図はふたつ。ひとつは赤石千明の暗殺。もうひとつは、威力偵察。つまり、彼女が苦境に陥ると現れる守護天使がいったいどういう存在なのか、目下研究中ってところだな」


 はぁ、と生返事をして魔法少女オーバーキルこと赤石千明はいちおう納得する。

 どうにも大切な部分をはぐらかされたような心地がしないでもないが、筋は通っている。彼らについての動機は、おそらくそれが正しいのだろう。


「ひとまず奴を引きはがすことには賛成だ。あそこじゃ被害がデカ過ぎる」


 ――このネロが力を使わない理由と合致するかは、さておき。


「それに水辺なら、ようやくこいつの本領ってワケよ」

 その彼の手には、幾重に渦巻く螺旋構造を内包した、水晶玉のような球体が握られていた。

 あるいはそれは、灯台のレンズにも似ていた。


 ・・・・・


 『ワンショット』は、路上駐車されたミニバンのボンネットに背から激突した。

 破砕音とともにフロントガラスが砕けた。そのまま力なく路上を転げたが、さほど経たぬうちに直立した。


 彼の視線の先で、バスはどんどんその像を遠のかせていた。すでにして800mは離されているか。


 『ワンショット』は計算し、思考する。

 果たして追いつくことが可能であるか。


 敵は奇妙なる鬼法でもってバスを動かしているが、いかんせんあの図体で、しかも前方にはほかの車両も存在する。最高速度は出せてせいぜい時速40kmといったところか。


 彼女と同様車を使うことを考えた。だが彼女らが走り去った後、周辺の交通状況はさらに麻痺していた。

 積み木のようにひしめく自家用車を、テクニックでもって通り抜けができるだけのドライビングスキルはない。バイクを使おうにも、不運なことにめぼしいものはすぐには見当たらなかった。


 ならば、方法はひとつしかない。


 人間に出せる最高速度は、記録として残っているのはウサイン・ボルトの時速44.6km。ただしこれは100m走の記録である。速度としては妥当であろうとも、距離のうえでは参考になるとは言い難い。


 現状にもっとも近い距離は800m走のデイヴィッド・レクタ・ルディシャの 一分四〇秒九一という数値。時速に換算すると28.5km。

 つまりある人間は800m走ってもある程度は速度を維持できるというわけだ。これで距離とペースの問題もクリアーできた。


 彼らも人。我も人。


 つまりおよそ時速45km前後を維持しながら800m走ったところで、理屈のうえではおかしなところはなにもないはずだ。


「お、おいあんた大丈夫かいな?」


 状況を呑み込めていない中年男性が、自分を一被害者と勘違いして気遣う声をかけた。

 だがもはや一刻とて惜しい『ワンショット』にとって、それは無用の配慮だった。


 次の瞬間、彼の脚は確固たる計算のもとに割り出された速度でもって、バスの追走を始めた。


 ・・・・・


 赤石千明は、あらためてバスを操作しながら二階へのぼる。

 視界は良好。橋の交通量も、追い越せないほどではない。まだ予断の許せない状況下ではあるものの、とりあえずはやり過ごせたかと、胸を撫で下ろす。


 ――その、はずだった。


「え」

 その緩みかけた空気に一石を投じたのは、ネロが漏らした声だった。

 たいがいは理知的な彼らしからぬ、あまりに間の抜けた調子外れな声。


 バスの後方へと投げっぱなしになったその視線の先に、変化があった。もはや交通法規もあったものではなかったが、ドライバーはそれでも良識にのっとって行動し、思ったよりの混乱は少なかった。


 だからこそ、その異常な光景は、違和感丸出しで浮き彫りになっていた。


 それを目撃した瞬間、魔法少女はあまりの非常識さに相棒同様にしばし言葉を喪うことになった。




 『ワンショット』が、追ってきていた。足で。


 スーツで、革靴で。

 眉ひとつ動かさず。汗の一筋も流さず。他にも車がいるにも関わらず、まるでお構いなしに橋の中央を抜けて。

 まっすぐに背と手を伸ばした。美しいライニングフォームで。


 ――そして自動車並みの速度でもって、確実に距離を詰めながら。

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