4-06 神学談義

 ルートライムの一件から1週間が過ぎた。彼女の介入が無くなれば旧共和国の残党に大した力はない。傭兵軍師の指揮の元、瞬く間に反乱は鎮圧されていった。そして私達と姉様にも日常が戻ってきたのだ。エミーとアルシュは聖王国に戻り、私と姉様は王都ラースに帰還した。姉様は王宮に帰るなり宿題という新たな敵と戦っている。新たな、と言うべきか元々の、と言うべきかは悩ましいところだが。とりわけ苦心しているのは神学の宿題だ。


「ディーネ~~!!……う、叔母様!?」


 そして、姉様が私の所に来るのもいつもの事である。だが、姉様にとって運が悪かったのは、私の部屋にちょうど叔母様が訪ねてきていたタイミングだった事だ。姉様が持っていた宿題を目ざとく見つけて目を細める叔母様。「せっかくだから私が教えてあげるわ。」などと言われて頬を引き攣らせている。その様子を念話越しに聞いていたエミーも微笑ましそうに笑っている。距離が離れていてもこうして会話できるのはやはり便利だな。


『しかし、ルートライム様が出てくるなんて……』


 既にこの世界について知っているエミーは、前世で崇められていたのがルートライムである事を知っている。闇の女神と言われていた彼女の存在を。ちなみに、闇と言うとどうしても現代日本の知識で邪悪だとかそういう印象を抱くが、ルートライムが神として君臨していた頃は闇は神聖な属性の代表格だった。すべてを飲み込む闇は、人の魂が戻る場所として崇拝の対象ですらあったのだ。世界が変われば認識も変わるという良い例だろう。


『彼女も彼女なりに守りたい物があったのだろう。だが、それによって無辜の民が虐げられるのであれば、それを認めてやる訳にはいかないがな。』

『神獄に送られた方々ですね。ディーネ様、神獄とはどの様な所なのですか?』


 エミーがイメージする神獄は数秒毎に極寒と灼熱が交互に襲い来る恐ろしい世界だった。古代王国時代に信じられていた罪人が堕ちる地のイメージらしい。せっかくだから、と私はエミーに神獄の様子を見せる。そこに広がっている光景は、ごく普通の世界だ。海があり、山があり、森や川があって、街がある。そして、そこでは神獄に送られた者達……隷使徒の位に堕とされた元使徒たちが生活している。


『ごく普通の世界なのですね。』


 過酷な世界を想像していたエミーとしては拍子抜けのようだ。私としても、彼らを隔離しておく必要があるとは考えているが、即刻滅ぼしてしまおうという気はない。あの者達は、同じ思考の者達であれば問題ないのだ。上の者に虐げられるのを当然と考え、それを下の者にも実践する。彼らは下に立つ分には無害だ。上に立った際に他の思想の者達を虐げるから問題なのだ。隔離された世界で彼らだけで社会を営む分には問題ない。


 神獄が一つだけこの世界と違う点は、神獄では新たな生命が生まれないということだ。なぜなら、新たに生まれた者達は必ずこの者たちに虐待されるからだ。彼らの思想では自分より下の物達の価値を認めることはない。そして、新たに生まれた者達は必ず最下層に位置する。つまり、搾取される存在だ。この思想に染まった者たちが上の者に虐げられるのは自業自得だが、無垢な命が虐げられるのを黙って見過ごすつもりはない。新たな命が生まれなければ、彼らは緩やかに滅びを迎える。それこそがこの神獄の役割だ。


 そして、この神獄にはもう一つ仕掛けがしてある。それは、神獄に送られる前に地位が高かった者ほど、低い地位になるように配置されていることだ。自分が虐げてきた者達に虐げられる。それこそが彼らに与えられる罰だ。だが、それでも殆どの者達は自らの思想を悔い改めることはない。そもそも悔い改めるくらいなら私も手遅れとは判断しなかっただろうがな。


『確かに、これはこれで地獄と言えるかもしれませんね。』


 彼らの思想は世界を滅ぼす害悪だ。それでもルートライムはこの者たちを許すのだろう。だが、虐げられる者たちに目を瞑って彼らを許容するのは盲信と同義だ。残念ながら私にはそれは出来ない。たとえ神の介入と言われようと、だ。それに、私が裁いたのは使徒だけだ。人については、指針を示したに過ぎない。例えば、犯罪を判別する神術には、パワーハラスメント行為が犯罪として示される。だが、それをどう判断するかは人に任せている。私から人を神獄送りにすることもない。


『それでも、目に付けば手は出すでしょう。まあ、アレは私も見ていて気分が悪かったからディーネがやらなくてもいずれ私がやっていたでしょうけれど。』


 シェリー姉様への授業を終えた叔母様が念話に参加する。叔母様が言っているのは王宮での粛清の話だろう。部下を虐げていた者達をリストアップして父様に報告したのだ。報告を受けた父様は彼らの行為が目に余ると判断し、降格ないしは解雇の処分を下している。その後、正式にパワーハラスメント行為を犯罪として王国の法に記載し、即日施行された。施行と同時に国中から多数の訴えが上がり、裁判を行う者達が悲鳴を上げていたとも聞く。


「……光の女神、ルートレイア様……影の女神、ルートディーネ様……」


 叔母様の講義を終えたシェリー姉様は無事宿題を終えたようだ。その口から私の名前が出てきて思わず噴き出しそうになる。叔母様、それは教えなくても良いものではないか!!?


『あら、せっかくなのだから新しい女神様についても、もっと広めても良いのではなくて。』

『私もそう思います。』


 私の抗議は叔母様のそんな言葉で一蹴されてしまった。まあ、間違っているわけではないし、最近では神殿にも神像が飾られるようになったから授業に出てくる可能性も十分にある。そして、その都度私を称える言葉を聞かされるのだ。これは新手の拷問ではなかろうか。そんな私の嘆きを他人事のように聞いているエミー。だが、エミーは1つ大事なことを忘れている。


『エミーもアルシュも、そろそろ教科書に載るのではないか?』

『う……』

『とばっちり。』


 何も、広まっているのは私だけではない。エミーやアルシュの神像だって私ほどではないが神殿に飾られている。もちろん、軍学校の小神殿にも優先的に配置済みだ。私同様、徐々に信徒も増えている。特に隠密を司るアルシュは顕著だ。アルシュの昔の仲間達も皆信仰していると聞く。これについては確かに完全にとばっちりだな。応答を自動応答システムに任せているとはいえ、祈りを捧げられるのは非常に気恥ずかしい。


『この前なんて一緒に神殿に行った友人たちに隣で祈られて、どんなに身悶えたことか!』


 それについては、非常によく判る。私も隣でエミーに祈りを捧げられた経験があるからな。そう答えたらエミーは顔を赤くする。あの時は知らなかったとはいえ、隣りにいる私に祈りを捧げていたからな。私の正体を知った今となっては忘れたい過去かもしれない。


『ま、まあ、ディーネ様に感謝をしているのは確かですので、あれはあれで良いのです。』


 照れた様子でエミーがそう言う。そういう対応をされると私も非常に気恥ずかしいのだが。隣で祈りを捧げられたことを思い出して顔を真っ赤にする。それを誤魔化すように膝の上に座ったシェリー姉様にお菓子を食べさせる。叔母様の授業がよほど厳しかったのだろう、姉様は未だに虚ろな目をしている。普段は私を抱っこしたがる姉様が膝の上に座っているというのも少々新鮮だな。


 私の家系は皆家族に甘い。父様や母様は未だに子どもたちを抱っこしたがるし、叔母様もああ見えて私達を可愛がっている。少々愛情表現が判り辛いだけだ。私が神だと判明した後でさえ私を案じてくれている。有り難い限りである。そう叔母様に感謝の言葉を口にすると、顔を真っ赤にしてそっぽを向く叔母様。これは少々どころではなく可愛いと思う。見た目が少女にしか見えないから尚更だ。


「もう、からかわないで頂戴。」

「え?えっ!?」


 照れる叔母様と、珍しいものを見たという風に目を見張るシェリー姉様。2人の様子があまりにも可愛かったのでもう少し眺めていたい気持ちになったが、あまりやると拗ねるからな。この辺りにしておこう。シェリー姉様もやっと宿題から解放されたので、これからやっと夏休みを堪能できる。せっかくだから何処かに出かけるのも良いかもしれない。


『それでしたら、温泉に行きませんか?知り合いのドワーフの故郷に良い温泉があると聞いていたので、一度行ってみたかったのです。』


 当然だが、この世界にも温泉はある。鉱山の採掘中に見つかることが多いため、採掘業務に従事するドワーフの村にはだいたい温泉がある。ドワーフはエルフと並んでポピュラーな亜人種だが、彼らはレイアが作った種族ではないため聖王国でも人権が保証されている。他の亜人種も今は待遇は改善されているが、彼らのように聖王国内に集落はまだ存在しない。そういう意味では彼らは亜人種の中でも特殊な存在と言える。


 目的の集落は王国と聖王国の間に位置する山脈にあるそうだ。そこであればシェリー姉様やシルヴェリオスを連れて行くこともできる。叔母様が保護者として着いてくれば許可も出るだろう。叔母様も温泉は好きなので、非常に乗り気だ。シルヴェリオスも最近あまり構ってやれていないので、これは良い機会かもしれない。問題は国を超えることなのだが……。


『問題ないわ。近くの神殿には手を回しておくから。』


 温泉好きの叔母様がこの件で手を抜く訳がない。聖王国は神殿の力が強いため、神殿の許可があれば国境を超えることも容易なのだ。これで問題は無くなったと言っても良いだろう。温泉か。私も前世ではよく友人と温泉を巡ったものだ。仕事が忙しくなってからは機会が減っていたので、久しぶりの温泉は正直楽しみで仕方がない。折角の休日なのだから堪能させてもらおう。私はまだ見ぬこの世界の温泉に、そう思いを馳せるのだった。

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