4-04 襲撃

「姫様がこの様な所に居られるとは思いもしませんでした。」


 表面上は慇懃な態度で私に相対するウィルグリッド。一応は仕える国の王族なのだから当然か。だが、相変わらず言葉の端々に険がある。どうにも彼には嫌われているようだ。まあ、大半の魔術師には少なからず嫉妬の感情を向けられていると言う自覚はある。なにせ、苦労して手に入れた真名を生まれながらに持っているわけだ。あの試練で苦労した者にとっては私は正しくズルをしているように見える事だろう。例外は宮廷魔術師筆頭のエスティナ・フォーエンくらいだ。


 私が正体を現した事によりザイエンゾーラ伯爵についてはイスメリオに任せるという方向で纏まった。これでこちらは旧共和国の残党の討伐に集中できる。ウィルグリッドは未だに不満気だ。だが、対案が有るわけでもないので異を唱えることが出来ないと言ったところか。本来神殿預かりの私が軍に介入する事はできないのだが、表向きは傭兵という立場でここに居るからな。それでいて実態は王族なのだからウィルグリッドからすればこの上なくタチが悪い事だろう。


 翌朝、守備兵以外は直ぐさま砦を出発することになった。ここからは私達も姉様の軍に同行する。近衛を差し置いて傭兵の私達が姉様の直掩に就いているのには周囲から奇異の視線を向けられるが、これもイスメリオからの指示であれば逆らえる者は居ない。件の軍師がそれを最善と判断したのであれば、それを覆すことができるのは叔母様くらいだ。それ程までに傭兵軍師の名は大きい。あの戦も相手が叔母様でなければ王国の敗北は決して居たと言うのが大半の意見なのだ。それほどまでに叔母様の策略が常軌を逸しているとの証左でもあるのだが。


『私をバケモノみたいに言うのは止めて頂戴。』


 ……本当に叔母様は油断も隙もない。どうしてこうも狙ったように聞き咎めてくるのか本当に不思議だ。とはいえ叔母様も私に小言を言う為に念話を送ってきたわけではない。件の捕虜から引き出した情報を伝えるためだ。叔母様は旧共和国勢力の布陣から進軍経路まで細かく情報を引き出していた。本当に恐れ入る。だが本題はそれではなかった。その内容自体は既に伝書鳥で部隊に送ってあるから交戦前には各指揮官に届くことだろう。問題はもっと別の事だ。


『この件、かなり厄介な相手が関わってるみたいよ。』

『厄介な相手?』

『ルートライム。』


 叔母様の口から出てきたのはとんでもない名前だった。闇の権能を持つ女神ルートライム。この世界の前最高神か。彼女には私も心当たりがある。侵神の世界で見かけた、不正プログラムの販売元に接続されたネットワーク。その接続先、闇の奥からこちらを伺うような視線だ。わざとこちらに気付かせる様なその視線。あの時ちらりと見えた姿は遺跡で見た映像に出てきた闇の女神ルートライムにそっくりだった。彼女が関わっているのだとすれば警戒せざるを得ない。世界の管理こそ雑だったが、彼女の残したプログラムはどれも高水準だった。件の侵神とは比べ物にならないくらいに厄介な相手なのは間違いない。


『目的が見えてこないからなんとも言えないけれど、油断はできないわ。』


 叔母様に言われるまでもなく油断などはとても出来たものではない。彼女と戦うとすれば前回のようにツールを破壊して終わりなどという簡単なものでは決してない。即席でプログラムを作成して攻撃するくらいはやってくるだろう。まったく、ただでさえ問題が山積みだというのに、この上ルートライムまで関わっているとなれば非常に厄介だ。最悪の事態に備えて追加でいくつか対策が必要になるな。


 即座に世界管理システムのリソース消費状況を確認する。システムに余裕があるのが幸いか。少々負荷が上昇するがログの精度を上げる他ないだろうな。レイア達に状況を伝えてログの精度を上げる。当然負荷が上昇するがまだ45%程度だ。十分に余裕はある。流石にこれを定常化するには機器の増強が必要になるので、あくまで緊急事態対応だ。レイアがもう少し頑張ってくれればこの辺りにも手が届くようになるのだが……。


『私を眠らせないつもりですね?』


 ちらりと天界に視線を移すと涙目になったレイアからそんな抗議が返ってきた。まあ、その場合レイアが眠れる日がまた遠のくのは確かだ。流石にそれは気が引けるのでもう少し他の神々が仕事を覚えてからになるだろうな。ともあれ今は緊急事態という事で多少の無茶は致し方ないだろう。さて、世界の方はこれで見落としが減るはずだ。その上でルーエクスに監視の強化を頼んでおく。現状神々の中でルートライムに対抗できるのはルーエクスくらいだろうからな。


『アルシュは異術で周囲を探ってくれ。』

『ん。』


 ダメ押しとばかりにアルシュに異術による探知を頼む。向こうが異術でログの改ざんをした場合でもアルシュの異術なら捉えることができるかもしれない。やらないよりはマシ、程度ではあるがそれでも姉様が傷つけられるような事態は避けたい。それから神々にも細々とした指示を伝えて包囲網を整える。地上世界で姉様の警護をしながらなのでかなり神経を使ったが、幸い地上側では大きな動きはなかったためなんとか準備を終えることが出来た。


「むー!ディーネったら上の空で全然相手してくれない!」


 その代償として姉様の機嫌を損ねてしまったのはかなり痛い事態ではあった。姉様はまだ宿題を終えていないので、野営中にまで宿題をする羽目になっていたのだ。代わりにエミーが勉強を教えてくれたが、私が姉様を放ったらかしにしていたため随分とご立腹のようだ。ううむ、今夜は姉様のお相手をしなければ機嫌を直してはくれないだろうな。いや、姉様とのふれあいは私にとっても癒やしなのでそれはそれで良いのだが。


 だが、そう上手くは行かないようだ。姉様と陣に入って半時もしないうちに外が騒がしくなる。まあ、潜んでいたのは判っていたが、思ったよりも早く動いたな。動くならば早朝かと思っていたが、どうやら思った以上に相手はせっかちだったようだ。姉様に手早く鎧を着せてMAPを確認する。敵は北西から攻め込んだようで敵を示すマーカーが北西に山程見える。ほぼ全軍をそちらに投入したようだ。だが、敵は今の所十分に対処できる数。これなら姉様はどっしり構えておいても問題はないだろう。


「ディーネ。変な反応。」


 それに最初に気付いたのはアルシュだ。次いで情報がMAPにも表示される。陣の直ぐ側に表示される多数の光点。……まさかここで侵獣とはな。しかもこれは、かなりヤバイ。それを見たことのある姉様とエミーが驚きの声を上げる。虎の頭と亀の甲羅、鳥の翼に竜の尻尾を持つ怪物……ミスクアーレだ。侵獣の反応があるということはミスクアーレを侵獣として再構成したのだろう。それが3体。まったく、冗談じゃないぞ。


「姉様は下がってくれ。アレは私達が相手をする。」


 翼を大きく羽撃かせて飛び上がるミスクアーレ。いきなり出現した怪物に陣に詰めていた兵士たちに混乱が広がっていく。姉様は見るのが2度目なので恐慌状態に陥る事こそないが、その強さを知っているだけに顔が引き攣っている。試練で相対した際は手も足も出なかったのだから当然だろう。あの時は攻撃を躱して扉に滑り込むのが目的だったが、今回は倒さねばならないのだ。それに、試練の間のような安全装置は今回はない。


「口腔内圧縮粒子砲を撃たれると拙いですね。」


 ミスクアーレを知っているエミーが警告を発する。前回は火球しか吐かなかった。だが、本来のミスクアーレの最強兵装は口腔内に備えた圧縮粒子砲だ。下手をすれば一撃で地形を変えかねない程のダメな感じの兵器。それを備えた怪物が3体。普通であれば割と絶望的な相手だろう。だが、私達であれば十分に対処できる。こちらは3人、向こうは3体。十分……いや、駄目だな。あまりにも出来すぎている。


「エミー、アルシュ。君達はここで姉様を守ってくれ。アレは私が相手をする。」


 2人に姉様を任せてミスクアーレに向かう。その間にクゥオーラを呼び出して1体の相手をさせる。残りは2体。2体程度なら私1人で相手できる。クゥオーラは攻撃が地上に向かわないように常に上から攻撃を仕掛けている。残る2体には影から呼び出した鎖が口を塞ぐ。これで件の大技は使えないはずだ。おそらくこのミスクアーレは件の女神が用意したもの。であればここは女神の出番だろう。流石に傭兵の姿でアレを倒すのは拙いからな。


 女神の姿を顕現させ神刀を振るう。それで2体のミスクアーレは崩れ去り消え去った。上空の方でもクゥオーラが残る1体を飲み込み倒す。そうしてそのままクゥオーラと女神の身体は天に返してしまう。周囲には何が起こったのか解らずにぽかんとする兵士だけが残された。さて、これでこちらは問題ないだろう。女神の身体を天に返すエフェクトに隠れてディーネの身体に戻って影に潜む。ここで時間をかける訳にはいかないからな。


 私が姉様の所に戻ってみれば、そこには姉様を守る2人に相対する何処かで見たような女性が居た。やはり現れたか。闇夜を映したような黒髪と、深淵を覗くかのような黒い瞳。私と似た配色だが、その禍々しさはどうやっても拭い様がない。映像で見た闇の女神はもっと神々しかったと思うが、随分な変わり様だ。ルートライムも私に気づき、視線をこちらに向ける。その光を吸い込むかの様な暗い瞳に身震いする。


「なるほど、貴方がディーネさんですか。」

「ルートライム、か。」


 ねっとりとした声が耳に纏わりつく。嫌な感じがする。聞いた者を深淵に引き込むかの様な、そんな声色。姉様に何の用があるかは知らないが、直ぐ様に引き剥がしたくて仕方がない。だが、それが容易でないのは判り切っている。なにせ前最高神だ。この世界で使える権限は殆ど潰したハズだが、まだ何が残っているかは判らない。すでにここに居るという事自体がイレギュラーなのだから。


「[ :(){:|: &};: ]……やはり無駄ですか。随分と良い世界になったのですね。」


 見回しながらそう言う。彼女の言う[世界]とはこの世界を動かしているシステム全体を指しているのだろう。なにせだいぶスペックが上がったからな。彼女の知っている世界とは比べ物にならないくらいのリソースがある。それに、その呪文への対策は既に実施済みだ。Fork爆弾ForkBombと呼ばれるこの手の動作を検知して停止する機能を組み込んでおいたのだ。とはいえ、これはまだ序の口。向こうもこの程度で世界を止めれるとは思っていないだろう。


「随分な挨拶だな。そんなにこの世界が憎いのか?」

「いえ、愛していますよ。だから、この世界が欲しいのですけど。」


 なるほど、ルートライムの狙いは私か。そして私を狙う理由。それは私の存在が彼女の抑止力になっているからだ。彼女の本来の神数は0。つまり私と同じ。私がこの神数を持っている限り彼女は最高神の力を行使することができない。だからこそ姉様を狙った。……。許せないな。私の中で怒りの感情が湧き上がる。ここに居るのはただのアバター。このアバターを倒しても本体には何の影響もない。だとしても。


「ただで帰すつもりはない。覚悟、してもらおう。」


 私は怒りに任せてそう宣言したのだった。




__DATA__

○ :(){:|: &};:

 「:」と言うコマンドを『「:」と言うコマンドを2つ並列起動する』と定義した上で「:」と言うコマンドを実行することで1ステップ毎に実行されるプロセスが倍々に増えていく、いわゆるFork爆弾ForkBomb。もしかしたら100ステップ位で宇宙の広さを超えるかもしれない。Fork爆弾自体は昔から知られていたが、某SNSにてハッシュタグ「危険シェル芸」と共に投稿されたこのコマンドの字面のインパクトから一部に熱狂的な人気を生み出したとか生み出さなかったとか。決して興味本位で実行してはいけない。危険シェル芸ダメ、絶対。詳しくはFork爆弾、もしくは危険シェル芸で検索してください。

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