1-05 メルキュオーレ

 目を覚ましたら知らない天井だった。いや、シェリー姉様のベッドに入ったのは実は初めてなのだ。私の侍女とシェリー姉様の侍女が不寝番をしていたようで、私が起きたのに気付いて声をかけようとしたので手で制する。まだシェリー姉様が寝てるのだ。


 どこからともなく取り出したハンカチでシェリー姉様のよだれを拭ってあげる。私が魔術収納を持っていることは皆知っているから、いまさら驚かれるようなこともない。本当ならば暗殺を警戒するところなのだろうが、私達の仲を知っているからだろう、私の行動を咎める者は居ない。


 しかし、ずっと抱きついたままだったのだな。大事な妹を神様に取られたような気持ちなのだろう。少々心苦しくもある。死して生まれる運命だったとは言え、奪ったことに変わりはないからな。ディーネ、という名前も神託で与えられた物だ。シェリー姉様は2歳の頃のことは覚えていないだろうが、ずいぶんと泣き喚いていたのを覚えている。私は、シェリー姉様を泣かせてばかりだな。


 シェリー姉様が目を覚ましたのは、ちょうど不寝番の侍女達が入れ替わる時間だった。目を覚ましたときに私が側に居たことにホッとしている。それが可愛くてついつい頭を撫でてしまった。シェリー姉様は不満そうだったが、それでも昨日に比べて機嫌は直ったらしい。


 今日の朝食は子供達だけで摂るようだ。シルヴェリオスはシェリー姉様が私にベッタリなのが気に食わないのか、不満顔だ。確かに、父様も母様もシェリー姉様まで私にべったりだから、「お姉ちゃんばかりずるい」という気持ちはわからなくもない。私としては可愛い弟に嫌われるのは避けたいところであるのだが、こればかりはどうにもしようがないからな。


「シェリー姉様ばかりずるいです、ディーネ姉様と一緒に寝て!」


 ……どうやら、ちょっとだけ違ったらしい。しかし、シェリー姉様と寝るのですらギリギリアウトに近かったのだ。まだ4歳とは言え、シルヴェリオスと一緒に寝るのは拙いのではないだろうか。それとも、実は異世界の常識では弟は問題ないのか?……侍従の様子を見る限りそれは無さそうだ。流石に拙い、と諌めている。


「……仕方ありません。ところで、ディーネ姉様の今日の予定はどうなっていますか。今日こそは僕も姉様達とご一緒したいです。」


 侍従の言葉に私との添い寝を諦めたシルヴェリオスがそれならば今日の同行は譲らないとばかりに訊いてくる。シェリー姉様が私についてくるのは規定事項らしい。まあ、未だにベッタリなのだから当然か。そう考えながら今日の予定を確認する。


 確か……と、思い出すふりをしながらチートスキルで創り出した今日の予定表を見るだけの簡単なお仕事だ。他の大神や眷属神達、レイアの予定まで確認できる様にしてある、言わば神様予定帳とも言えるスキルである。大神達の予定については使徒でも見れるようになっているので、使徒達も神々の予定を把握するために使用していたりする。ちなみに、レイアの予定がびっしりと埋まっていたのからはそっと目を逸らしておいた。


「今日は、メルキュオーレ叔母様に会いに行くことになっているな。」


 予定表を確認しながら私がそう口にした瞬間、空気が凍った。シェリー姉様とシルヴェリオスの顔が真っ青になる。シェリー姉は「あう、あう」と口をパクパクさせながら震え始め、シルヴェリオスは手にしていたスプーンをスープの中に落としてしまう。よほど叔母様が恐ろしいらしい。そう言えば、今年の夏に3人で王宮を抜け出して神殿に潜り込んだ時、こっぴどく叱られたっけ。私としては言葉の端々に私達を心配する様子が見て取れたからほっこりしていたのだが、2人にとってはとても恐ろしい経験だったようだ。


「きょ、今日は私、お勉強しておこうかな。」

「そ、そう言えば読みかけの本があったのでした。」


 慌てて理由をつけて同行を拒否する2人に苦笑しながら、「では私一人で行ってこよう。」と告げる。2人は信じられないものを見るような眼をしているが、私は特に叔母様を恐れては居ないからな。油断のならない相手だとは思っているが。


 メルキュオーレ叔母様は基本的に神殿で暮らしているため、会いに行くとは即ち神殿に赴くことを意味する。神殿の者たちの私を見る目は様々だ。『祝福を受けたのに神殿に入らない罰当たり』という目で見る者も居れば、純粋に大神の祝福を羨む者も居る。そんな視線に護衛の騎士達は居心地が悪そうだが、私は気にしない。


「叔母様、ご無沙汰しております。」


 メルキュオーレ叔母様は今年で23歳。私の享年よりも若いのはもちろんだが、実年齢以上に幼い外見をしている。どう見ても16~8位にしか見えない。地球よりも1年の日数は短いが、その分成長の速度が早いので、肉体年齢については地球と同じに考えて良いはずなのだが。


「相変わらず不躾ね、ディーネ。身長と胸の事は気にしているのだから、あまりジロジロと見ないでちょうだい。」


 苦笑しながらメルキュオーレ叔母様が私の視線を咎める。いや、誰も胸がお子様だとか、こいのぼりだとかという話はしていないのだが。だが、その事に触れると命に関わりそうなのであえて黙っておく。私も好き好んで虎の尾を踏む趣味はないのだ。


 口には出さなかったつもりだが、眼鏡の奥の瞳が険しくなる。叔母様の眼鏡は神から授かった魔導具である。今でこそ人の手によっても魔導具が作られるようになり、冷蔵庫や上下水道のような設備が普及するようになってきたが、元々は魔導具とは神から与えられるものだった。そして、神から与えられる魔導具は人の作り出した魔道具とは一線を画する。


 叔母様の眼鏡はマーレユーノから与えられたもので、相手の感情を見抜く力がある。チート持ちの私のすべてを見抜くことは出来ないだろうが、この程度の感情の揺れなら読み取られてしまうのかもしれない。叔母様自体が鋭い可能性も捨てきれないのだがな。お祖父様がアスカノーラに祝福された際に、自らマーレユーノに直談判をして祝福をもぎ取った、という噂もあながち嘘ではないのかもしれない。マーレユーノ自身は黙秘していたが。


「それで、だいぶ無茶をしたと聞いたのだけれど?おかげで、貴女を神殿に、という声を抑えるのにとても苦労したのよ。」


 気を取り直して本題に入る。呼び出された理由はわかっている。昨日の侵獣討伐の件だ。1人で数十体の侵獣を殲滅したのだから、叔母様が頭を抱えるのは当然だ。ただでさえ私を神殿に、という声は大きいのに、その様な功績を上げられてはその声が大きくなるのは避けられない。強硬に主張する神官たちを抑えるのに叔母様がどれだけ苦労したのかに思い至り、申し訳ない気持ちで一杯になる。必要だったとは言え、もう少し配慮をすべきだった。


 それ以上に、叔母様が私を心配しているのが見て取れる。ウェルギリア王家は家族の情が厚い家系のようだ。170年の歴史を紐解いても、血族間の争いが殆どと言って良いほど無いのだ。建国王が姪の政略結婚を跳ね除けるために独立を決めた、という与太話が真実なんじゃないかという気にさえなってくる。実際には魔導具制作を人の手で成し遂げた技術者集団を迫害から守るためであったはずなのだが。そう言えば、その技術者集団を重用していたのはその姪だったか。


 自国のアレな歴史に思いを馳せていたら、叔母様の視線が険しくなっていた。考え事をしていて話を聞いていなかったのがバレたのだろう。ここは素直に謝っておくべきだ。「建国王の家族愛に思いを馳せていました」という私の主張に、叔母様がため息を吐く。


「今度はちゃんと聞いてちょうだいね。……使徒達から、貴女の呼び出しがかかっているのよ。神殿の方はどうとでもなったのだけど、こればかりはどうしようもないわ。」


 話は使徒達からの呼び出しについてに移っていたようだ。叔母様でも流石に使徒からの呼び出しを跳ね除けるのは無理だったようだ。とはいえ、これは判っていたことだ。従使徒として活動するにあたり、顔合わせをする事になっているのである。下級使徒6名と上級使徒1名の連名で呼び出されれば、断れる者は居ないだろう。……叔母様なら大神に直談判してでも止めそうな気がちらりとしたが、考えないことにしよう。


「ああ、承知していますよ。今日の午後に神域に来るように、という話でした。」


 神域とは神殿内の下級使徒が集まっている区域だ。呼び出しの連名には上級使徒も入っているが、実際に会うのはウェルギリア王国担当の下級使徒6名だけだと聞いている。上級使徒は忙しい、というのがその理由だが、どこまで本当かはわからないな。まあ、私にとっては同僚になる予定の下級使徒との顔合わせの方が大事なので、どうでも良いのだが。


「あまり問題を起こさないようにね。」


 ……まるで私が問題を起こすとでも言わんばかりだな。まあ、昨日の今日なのだから否定出来ないのは事実なのだが。とはいえ、これから一緒に仕事をする仲間達なのだ。悪い印象は与えたくない。私は「判っています。」とだけ答え、叔母様の部屋を後にしたのだった。

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