異世界女神は眠れない

焔数

Incident 0. 異世界リプレース

0-01 死と目覚め

※主人公の職業柄、初めの方にはコンピュータ関連の専門用語が多めに出てきます。末尾に解説を記載しておりますが、詳細については読み飛ばしても問題ありません。


 その日、私は1人サーバルームに篭っていた。女が一人、こんな所で何をしているのか、と思うだろうが何の事はない、いつもの障害対応だ。運用中のサーバが故障し、データを復旧する必要が出たのだ。休日に電話で呼び出され、「なんで壊れるんだ」なんて理不尽な文句を聞き流し、慌てて会社に向かって今に至る。なんで、も何も。RAIDも組んでないのだから、HDD1本壊れたらデータが吹っ飛ぶのは当たり前だ。


「はあ……」


 思わずため息が漏れる。真冬のサーバルームは堪える。いや、夏でも冬でも中の温度は変わらないはずなのだが、なんとなく寒さが身体に染み込んでくるような気がするのだ。特に、床に座って作業しているとじわじわと体温を奪われていくような感覚がある。せめて椅子くらい欲しい。


「バックアップを取っておいてよかった。」


 リプレースしてお役御免になったサーバをなんとか説得してバックアップ用のストレージ代わりに確保しておいたのだ。そこに一日一回バックアップを取るようにしていたので、どうにか今日の早朝時点には戻せそうだ。リプレース対象の機器を全部確保できていればスタンバイ系にすることもできたのだが、確保できたのはたったの1台。必要な数には全然足りていない。苦肉の策で重要なデータだけを集めて保存している。それもせいぜい1~2世代がやっとで、とても十分とは言い難い。


「これで良し、と。」


 予備のHDDと取り替える。最後の1個だ。これも、廃棄する機器から取り外しておいたものだ。正常なHDDを取り外し、代わりに故障したHDDを取り付けて廃棄する。苦肉の策だ。こうでもしないと、予備のHDDなんて買ってもらえるわけがない。取り付けたHDDにデータを書き戻し、サーバを立ち上げ、動作を確認する。とりあえず問題は無さそうだ。


 私の名前は七槻ななつき 紗雪さゆき所謂いわゆる、1人情シスというやつだ。ろくに予算も人員も与えられず、要求だけは雨霰のように降り注ぎ、何かあればすべての責任を押し付けられる。何事もなくて当たり前、何かあれば詰られる。まったくもって理不尽だ。このサーバも買い換えなければならない時期はとっくに過ぎているにもかかわらず、未だにリプレースの申請が通らないのだ。障害も、今月でもう5度目。それも全部休日出勤だ。この前はメモリが壊れて、その前はLANカードだ。次に何か壊れたら、もう手の施しようがない。


 作業を終え立ち上がろうとした所で、世界が揺れた。胸が苦しい。呼吸ができない。ああ、死ぬのか。頭の何処かが冷静にそう考えている。よくよく考えたら、もう何連勤しているかもわからない。休日に狙ったようにサーバが故障したせいだ。まあ、平日に故障したとしても、日中の業務が減るわけではないのだから、どの道同じ事になっていた気もするが。やれアカウントを発行しろ、だの、やれパソコンが立ち上がらなくなった、だの。どう頑張っても私は1人しか居ないのだ。……これも走馬燈だろうか。同じ死ぬなら、もう少しまともな記憶を思い出してほしいものだ。


 段々と息苦しくなってきた。意識も朦朧としてきて……。そこで私の意識は闇に飲まれてしまった。


 苦しさが唐突に消え去った。私は死んだのだろう。無神論者の私は死んだらそこで全てが消えて無くなると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。ゆっくりと目を開けると、そこは白い部屋だった。……あ、これ異世界転生とかいうやつだ。でも、なんで異世界に転生すると白い部屋に行くんだろう。「なにか理由があるのか?」なんて思っていたら、バタバタと走る音が聞こえてきた。


「ぜー、はー、ぜー、はー」


 扉を開けて現れたのは、すごく綺麗なお姉さんだ。絶世の美女、とはこういう人のことを言うのだろう。胸は私と同じくらいの平たさだが。……まるで自虐しているようで非常に悲しい気持ちになったので、その事には触れないでおこう。そこを除けば容姿は完璧。まるで女神様だ。そう言えば、異世界転生だと女神様は定番だったか。だが、その美貌も纏った雰囲気のせいで全て台無しになっている。なんせ、全力疾走で荒く息を吐いているのだ。もう、この時点で残念な予感しかしない。


「ま、間に合いました。え、えーと、七槻 紗雪、さん……ですよね?」


 なんとか息を整えながらそう問いかけてくるお姉さん。私がこくりと頷くとそっと胸を撫で下ろす。走ってきたせいか髪もぼさぼさになってる。うん、なんて言うか、この挙動から溢れ出る残念感。せっかく綺麗なのに、それを打ち消して余りある残念さだ。とりあえず、悪い女神様じゃ無さそう。


「ごめんなさい、私もここに赴任してきたばっかりで、部屋の場所とかちゃんと覚えて無くて……」


 ルートレイアと名乗った彼女は、前任者の代わりに異世界レイアムラートの新しい管理者になった女神様らしい。前任者が引き継ぎすらせずに辞めたせいで、世界の管理が殆どできてなくて、人手が全然足りてないんだとか。ああ、よくあるパターンだ。引き継ぎされていないのは。それに、女神様のお手伝いで異世界転生というのもお約束だ。ライトノベルと呼ばれるジャンルの本を読むのが好きだった私は、割とこの手の小説は読み漁っていたのだ。とりあえず、女神様が黒幕というパターンは、気にしなくて良さそうだ。


「それで、早速なんですけど……」


 そう言って、女神様……ルートレイアは私に半透明のタブレットの様なものを見せてくれる。あれか、チートスキルを選んで、的なやつか。そう思いながら覗き込んだ私は、そこで固まってしまった。私はこれに見覚えがある。どころか、とても見慣れている。いつも見ているやつだ。……これ、サーバの構成図だ。


「私、こういうのちょっと苦手なんです。」


 そう言いながらルートレイアは私にコンソールを渡してくる。異世界レイアムラートを構成するサーバ群の構成図がそこには書かれていた。


 これは、酷い。まず、記憶域……ハードディスクに当たるものが全く冗長化されていない。その上、バックアップも一切取られていない。もし何かあれば、世界は消えてなくなるだろう。そこの上で生活している人達ごと。それに気付いて、私は軽く目眩がした。このままではいけない。


「予算はどの位ある?」


 まず、それが大事だ。先立つものがなければ、状況を改善することもできない。予算がなければ、ある程度世界の規模を縮小してでも余裕を創らなければならなくなる。余裕が全く創れなければ、ノアの箱舟の神話よろしくある程度選別しなければならなくなるだろう。私にそれを割り切れるだろうか。


「ええと、このくらい、です。あ、価格表はこっちです。」


 ルートレイアが別の端末を見せてくれる。そこには、目眩がするほどに潤沢な予算が記されていた。これだけあれば、世界の3つや4つは作れる。それも現状の構成ではなく、考えうる限りの最高のコンディションで、だ。どうやら、前の管理者は本当に最低限の構成で世界を作っていたらしい。これなら、行ける。私は早速世界の修正に取り掛かることにした。





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■用語集

○サーバ

 サービスを提供するための、専用のコンピュータのこと。


○サーバルーム

 複数のサーバを格納するための、専用の部屋。サーバが熱に弱いため、部屋の中は季節を問わず低温に保たれている。


○障害

 運用中のシステムに何らかの問題が発生すること。機器の故障、データ異常など、その種類は多岐にわたる。ここでは、サービスの継続が困難になった状態を指している。割と致命的な状況だ。


○HDD(ハードディスクドライブ)

 コンピュータで使用する記憶装置の一種。主にデータ等を格納するのに使用する。


○RAID(レイド)

 複数のHDDを1つのHDDに見せる技術。複数のHDDを纏めて大きなHDDに見せる方式と、複数のHDDのうちいくつかをバックアップ用にして故障に備える方式がある。ここでは、後者を指している。


○リプレース

 老朽化した機器を買い替えること。買い替えてお役御免になった機器は試験用や検証用に再利用することが多い。保持していると資産として扱われるため、不要であれば廃棄する。


○ストレージ

 記憶装置のこと。ここでは所謂ネットワーク接続型外部ストレージの意味で使用している。


○スタンバイ系

 ここでは運用中のサーバに障害が発生した際に代わりにサービスを継続するために用意される予備のサーバ、という意味で使用している。


○1人情シス

 ここでは会社に情報システム(コンピュータやネットワーク、サーバなどの管理全般)を担当する社員が一人しかいないこと、またはその様な状態の社員を指している。


○メモリ

 ここではコンピュータの主記憶装置、所謂いわゆるRAM(ランダムアクセスメモリ)の事を指している。HDDなどの補助記憶装置と比べて読み書きが高速だが、電源を切ると保存したデータが失われるため、基本的に一時的にデータを格納するために使用される。


○LANカード

 ローカルエリアネットワークアダプターカードの略。コンピュータをネットワークに接続するための通信装置。ここではコンピュータ本体に備え付けられたものではなく、カード状で着脱が可能なものを指す。


○アカウント

 ここでは、サービスを利用するためのユーザIDの事を指している。

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