夜の子どもと朝の王国への旅
ねこ
第1話 夜の章①
わたしは眠れない子どもだった。
小児喘息を患っていたので、夜中に突然発作を起こすのだ。眠る前、胸からひゅうひゅうと変な音がした夜は決まって、くる。
軽いときもあれば、ひどいときもある。軽いときは、ゆっくりと深呼吸をする。ほんとうは今にも呼吸が止まるんじゃないかと怖くて仕方がないけれど、その気持ちを抑え込んで、ただゆっくりと息を吐くことだけに集中する。
けれど、ひどいときはそうもいかない。呼吸が速くなり、息が苦しくなる。胃から熱いものがせり上がってきて、吐くこともあった。
わたしはひとり、夜のなかで、じっと死を待つ子どもだった。
高校生になる頃にはすっかり治ったけれど、その代わりこの頃のことを夢に見るようになった。
だんだん苦しくなる呼吸を気のせいだとやり過ごすため、布団の中で縮こまるわたし。夢の中のわたしは呼吸が止まることを恐れて眠れない。
記憶の断片を繋ぎ合わせた映画のように、夢は繰り返す。鮮烈に焼き付いているのは、発作を起こしたわたしの首に伸びる2本の腕だ。
苦しむわたしの首に腕が伸びてきて、締め上げる。やめて、おかあさんと叫ぶ声が聞こえる。そうしているうちにも、だんだんと手足から力が抜けるのがわかる。完全に意識が途切れるその直前、その映像は終わる。
朝になると、涙が流れていたり、ひどいときは喉に掻きむしった痕がついていた。そして1日中、わたしの角膜には暗闇に浮かぶ白い日本の腕と、鼓膜にはやめて、おかあさんというか細い声がこびりついて、離れない。
わたしにはこの声の主が自分のものなのか、それとも別の誰かなのか、そしてあの腕がわたしの母親のものなのか、判別できなかった。わたしの記憶の中の母はいつだって優しかったからだ。
施設にいた頃、母は穏やかに微笑んでいた。やさしくわたしの髪を梳き、美しい言葉を紡いだ。どうしてもあの2本の腕と、わたしの頭を撫でてくれたあの愛おしい母の腕とが結びつかないのだ。
最近、夢を見なくなった。まわりの大人たちは思考を止めてはいけないと言う。思い出すことをやめてはいけないと。けれどわたしはただ眠りの世界に溺れていた。夢と現実の区別がつかないほど、深く。その矛盾に気づかないふりをして。
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