魔法少女の勤勉
そのアニメ映画は、満場の拍手と共に幕を下ろした。
新進気鋭のアニメ監督によるサイエンス・ファンタジー娯楽作品。
未来の地球――異星からの侵略者を衛星タイタン上で殲滅したサイボーグ部隊は、敵の 残党を追って異世界に赴く。そこは既存の物理法則が通じない魔法使いの世界だった――
画面狭しと超高速戦闘を繰り広げる無敵のサイボーグ。
ヒロインは美貌の天才魔法使いで、炎と雷を自在に操る。
しかし鋼鉄で覆われた侵略者残党は強大で膨大だ。増殖と進化を繰り返し、地平線を埋め尽くすほどの大勢力に育ってしまった。
緊迫のクライマックス――市井の人々が為す術もなく踏み潰されていく。サイボーグは屈さずとも、すべてを守りきれるわけではない。やがて戦略的敗北が決定的になるかと思われた時、絶望の曇天を割って、全長五キロメートル超の宇宙戦艦が現れた――
映画の興行的成功を予感させるほどに鳴りやまない拍手。
日本で行われた完成記念試写会だというのに、スタンディングオベーションする者すらチラホラ見えた。
評判のいいアニメ制作会社が、ヒット作連発の監督とタッグを組んだのだ。ある程度のクオリティーは担保されていたが、全編を通じてしゃべり続けた一人のアイドルの力も、想定を超えるこの大拍手の一助となったはずだ。
声優発表当初は批判も受けたキャスティング。
文句の付けようもない実力派声優たちの中に、客寄せパンダとしか思えない声優初体験のアイドルが紛れ込んでいたのである。
端役ではない。ともすれば皮肉屋な主役よりも台詞がありそうな準ヒロインだ。
しかも……素直なくせに一癖ある人工知能という難易度の高いキャラクター……ずぶの素人にこなせるような役どころではなかった。
「それではご登場いただきましょう! “異境機甲隊”ご出演の皆様です! 盛大な拍手でお迎えください!」
――――――――――――――大歓声。
黄色い歓声と野太い雄叫びで、シアターの天上が崩れ落ちんばかりである。
完全に幕が下り、待望のゲスト・トークショーが始まったのだ。
司会者に促されて舞台袖から出てきたのは。
「どもどもー。いやぁ、すでにヤバイくらいに盛り上がってますねぇ。“本間圭介”を演じさせてもらいました三波啓ですー」
女性人気が絶大という三〇代の男性声優と。
「“ニルヴァ・シェブラ”役の塚原聡美です。えっと、今日はこんなにたくさんの方々にこの映画を見てもらえて、叫びまくった甲斐がありました」
ヒロインハンターとあだ名される見た目ゆるふわな女性声優。
そして――スタイル抜群、眉目秀麗、黒髪紅眼――目を見張るほどの完璧美少女が、マイクを握って頭を下げるのだった。
「この度初めて声優に挑戦させていただきました、“アンドロメダ”役の妙高院静佳です」
客席のあちこちでペンライトが踊る。
拍手とて、主役とヒロインを演じた声優よりも大きかった。妙高院静佳のファンは当然掌を真っ赤にしているが、おそらく男性声優目当てで映画の試写会にやってきたはずの女性すらも拍手喝采だった。
――声優初挑戦の国民的アイドル――
大多数のアニメファンからバッシングを受けるそんな立場でありながら、妙高院静佳は、アイドル離れした演技力一つで、映画を見たほぼ全員を虜にしてみせたのだ。
「こんにちは。監督の山内です」
最後にオマケのように小太りの監督が登場。大人気声優や超一級アイドルと比較すると笑ってしまうほどに控えめな会場の反応だった。
トークショーということで、ステージに用意されたスタンディングチェアにもたれながら四人がフリートークに興じる。とはいえ、話題の中心は、やはり妙高院静佳であった。
人気男性声優・三波啓が柔和な笑みを浮かべながら言った。
「静佳ちゃんは声の仕事は初めてだったわけだけど、実際やってみてどうだった? 想像してたのと違う所とかあった?」
黒ワンピース姿の妙高院静佳は長い脚をもぞっと動かして、少し考える素振りだ。
「そーですねぇ……なんか……凄く、真っ白なんだなぁ……って」
すると塚原聡美がくすりと笑った。
「映画のアフレコで、あんなに画面が真っ白なことってあんまりないんだけどね。静佳ちゃん初めてなんだし、最低でもラフとか欲しかったよね。ほら、ですって、監督」
「いやいやいやいやいやいや――それに関しては本当に申し訳ないっ。でもほんと、みなさんには上手くまとめてもらって。感謝してます、ほんと、はい」
「でも、実際、静佳ちゃん凄かったよね。本職じゃないのに長台詞でもペラペラーって一発オッケー出しちゃってさ。僕との掛け合いもばっちりだもん」
「三波さん嬉しかったんじゃないですか? こんな綺麗な女の子と、作品の中とはいえ相棒になれて。ずっと鼻の下伸びてましたよ?」
「これ元々そういう顔なの! 聡美ちゃん、そのネタ最近よく使うね!」
「あははっ。あたしこそ光栄でした。お二人とも、いえ、キャストの皆さん、凄い声優さんばかりで、素人がご迷惑をおかけしないかとそればかり――」
「ご迷惑なんかじゃないよ。僕もみんなも、正直、圧倒されっぱなしだったんだから」
「ホントですか? よかった。そう言っていただけて、本当――ホッとしてます」
顔の前で手を合わせて首を傾げる妙高院静佳の仕草。塚原聡美がウズウズしたようにマイクを口元に寄せた。
「あーもー、静佳ちゃん可愛いなぁ。監督ぅひどいですよぉ。なんでニルヴァとアンドロメダの絡み、あんなに少なかったんですかぁ」
「いや……だって、脚本がね……」
「映画が売れたら絶対に続編つくってくださいね。それでストーリーの半分ぐらい、ニルヴァとアンドロメダの話でいきましょう。愚痴ばっか言ってる主人公さんなんか、画面の端っこでグチグチ言わせとけばいいんです」
観客たちは時に笑い、時に妙高院静佳の美しさに見惚れながら、大人気声優と大人気アイドルの掛け合いを見つめている。話題は、まだ妙高院静佳から離れない。
「えっと――アンドロメダの印象、ですか?」
「ほら。結局、最初から最後まで声だけだったし。普通のアニメじゃ見ないよね、ほとんどあらゆるシーンに声だけで出続けるキャラクターなんて。それなのに、静佳ちゃん、初顔合わせの時から演技に何の迷いもないんだもん」
「うぅん……そう、ですね……監督からはこういう感じの芝居が欲しいとご指導はいただいてましたけど……きっと美人なんだろうなぁって思ってました」
「美人?」
「はい。黒髪ストレートでクールな感じの」
すると、妙高院静佳をチラチラ見ていた監督がぼそりと言った。
「実を言うとですね……」
言いにくいことでもあるのか辺りをキョロキョロと見回し、少し照れくさそうに白状する。
「実は……アンドロメダって、キャラデザはまんま妙高院さんなんですよね……」
塚原聡美が反応した。
「はぇ? キャラデザなんてあったんですか?」
「当初ですよ。最初はあったんです。ホログラムとかで登場させるつもりだったんで。でも、声だけのキャラにした方がキャッチーかなぁって」
「えーっ。見たいです。どっかで公開してくれないんですかぁ?」
「そ、そうだねぇ……映画が売れて、設定資料集とかを出せることになれば、没デザイン案としてそこに載せられる、かも……?」
「劇場パンフレットに載せといてくださいよ! それくらい!」
ふと――わいわいと盛り上がる声優とアニメ監督を尻目に、妙高院静佳が立ち上がった。
マイクのスイッチを切り、スタンディングチェアの上に置く。
トークショーの最中にはあり得ない奇異な行動。
だというのに――
「にしても、さすがのコネクションですねぇ。静佳ちゃんの声優初体験をもぎ取ってくるなんて。普通こういうのって、ハリウッドの吹き替えとかが多いじゃないですか」
ステージ上の出演者や舞台袖に控えているはずのスタッフはおろか、何百人といる観客すら、妙高院静佳の不可解な動きを見逃していた。
「そりゃあ、僕もがんばりましたから。個人的にも大ファンだし、構想当初からアンドロメダは妙高院さんの一本釣りって固めてましたからね。土下座も辞さない覚悟でした!」
笑っている。観客たちは、壇上の声優とアニメ監督を見つめて口を開けている。
誰も妙高院静佳を見ていない。
「ほほぅ。それで、やったんですか……? 土下座」
「いや、それがですね、まさかの二つ返事オッケーだったのよ。凄くないです? 多分、去年文化庁さんからもらった賞のおかげです。初アフレコの時とか、スーツ着ていっちゃった」
やがて――妙高院静佳がステージの縁から足を踏み出し、そのまま空中を歩き始めても――誰一人として彼女の方へは視線を向けなかった。
――杖――
果たして、妙高院静佳は、背丈ほどもある巨大な杖をどこに隠し持っていたのだろう。
杖と言っても、目立った意匠のないただの棒だ。赤銅色の金属を適当に叩き延ばし、適当にあちこち尖らせたような無骨な代物。
「こうは言ってますけどね、この監督、静佳ちゃん相手にも結構無茶ブリしますからね。俺が鼻歌歌うシーンで、いきなり『じゃあ妙高院さんも合わせて歌ってもらえます?』とか言い出した時とか、マジか!? って思いましたよ」
無関心な観客の頭上を、当たり前のように妙高院静佳が歩く。
黒ワンピース姿のアイドルが頭の上に来ようとも、誰も彼女のローアングルを狙わない。ピンク色の法被を着ている熱心な妙高院静佳ファンもそうだ。ステージから目を離さない。
異様な光景だった。
その空中歩行は、現実的なトリックなど微塵も存在しない、純然たる超常の業に見えた。
そして、妙高院静佳が足を止めた先――
「こんにちは。映画どうでしたか? それと、死体のくせにどうして動いてるんです?」
女子大生らしき若い女がいた。
妙高院静佳に声をかけられて初めてアイドルの存在に気付いたらしい。
「今日は副業に専念するつもりだったんだけどなぁ。視界の端にチラチラと邪悪が入るものだから、気になっちゃって。こういうのをワーカーホリックって言うんですっけ?」
女子大生は辺りを見回し、ギョッとした。
支えもない空中に立って見下ろしてくる超絶美少女。
その異様を容認する周囲の無反応。
やましい心当たりがあったから、女子大生は逃走を即断したのだろう。赤布張りのシアターチェアから立ち上がろうとして――しかし首から下は指先一つ動かせなかった。
妙高院静佳が深いため息を吐く。
「闇に埋もれていた邪法をこうもつまびらかにされて、情報化社会も考え物ね。どうせあなたも、ネットで見つけた悪魔召喚を試してみたクチでしょう?」
そして艶やかな黒髪を掻き上げた。
コホンッと小さく咳をして、大きく腰を曲げる。ピジョンブラッドを思わせる瞳で、女子大生の怯えた目を覗き込んだのだ。
「時々あるのよね。素養のある人間が、『あたしたち』の消し漏らした本物に辿り着くことが」
女子大生の顔が段々と歪んでいく。
頬の筋肉が痙攣し、驚くほど立派な犬歯が剥き出しとなった。
血の気が引いて青黒くなった肌。まるで厚化粧が割れるように、表皮が崩れ落ちていく。
ゴポッと音を立て両眼が張り出すのなんて、もはや人体の構造上ありえる事態なのだろうか。
邪悪と恐怖を凝縮したかのような顔面に。
「……非力な木っ端……こんな小悪魔に心臓を喰わせたわけ?」
妙高院静佳は眉すら動かさなかった。
ただただアイドルとは思えない冷徹な表情を浮かべ、手にした赤銅色の杖を高く掲げただけ。
「何を願った? どうして良心の制止を振り切ってしまった? あなたが手を出した方法は、およそ普通の精神では試そうとも思えないおぞましいものだったはず」
動けない女子大生がガチガチと歯を鳴らす。
何かを訴えているようにも見えたが、妙高院静佳の琴線には触れることができなかったらしい。
戦士の顔をしたアイドルは、少し考える素振りを見せた後で。
「まあ、罪は罪よね。人類の敵にくみした魂なんか弔ってあげないわぁ」
赤銅色の杖で女子大生の左胸をぶち抜いた。
杖を引き抜くと、まるでブラックホールに吸い込まれるみたいに、女子大生の全身が左胸の大穴へと収束していく。
――わずか三秒。
気付けば、血液の一滴、衣服の一片も残さず、女子大生の存在はこの世から消え去っていた。
後に残されたのは……最初から誰もいなかったかのような空席だけだ。
「バカな人。空っぽの胸に悪魔を飼ってるような人間を、生者とは言わないのよ」
一仕事終えた妙高院静佳は、「んー」と大きく伸びをしながら再び空中を歩き出した。
戻るべきステージを見つめたその顔は、慈悲を知らぬ戦士の冷たい美貌ではなく、至上のアイドルにふさわしいきらびやかな笑顔だった。
「さてと。お仕事、お仕事」
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