1 ネーミング
「マスター、どうしちゃったの。考え込んでるみたい」
コンサルタントがそう言って、彩音の目の前で手を往復させた。
彩音は、はっと我に返った。
「ああ。色々考えてました」
「マスターはこれからどうするの。よかったらランチなんか、どうですか。女子バナしましょーよ?」
コンサルタントが満面の笑みで誘ってきたが、彩音はやんわり断ることにした。
「いえ……。今はこっちに集中していたいですし。食事はまだ身体が求めていない感じがします……」
空腹感、喉の渇き、生理現象。そういったものはいまだに感じていない。
リアルな彩音の身体のほうは、ドクターに生理現象が管理されているのだから、本体が感じていることと、このVR空間の彩音が感じていることはイコールではない。そこには神経活動の断絶がある。
本体の彩音の意識のうち、必要なものだけがこの空間での行動に反映されている、そういうことになるのだろう。
「それがいいでしょうね。コンサルタントはサボるのが趣味みたいな人ですからねえ。ここでは成果さえ出していただければ罰せられはしませんが、マスターは巻き込んじゃダメですよ。持ち場に早く戻ってください。僕に呼ばれたわけでもないのに、勝手に来ちゃうんだから……」
「はーい。じゃあね。マスター、またね~」
コンサルタントは、潮見の苦言にめげる様子もなく、小さく舌を出してから帰っていった。
「さて。コンサルタントの紹介が挟まって少し中断しましたが、次はどうしますか、マスター?」
彩音は、智峰島のマップを視界に呼び出した。
最初の頃とはやや勢力が変わったチェックポイント分布が表示されている。
「私達は、スタート地点からそう大きくは動いていない……」
「そうですね。次のチェックポイントを狙うとするなら、プレイヤーと反対周りに島の外周を辿って向こう側の発電所に向かうようになります。あるいは彩音さんの興味からすれば朝凪館のチェックポイントに戻るか、さらにそこから山を登ってお社に向かうか……」
「お社ですか。チェックポイントはそこにはないようですけど」
「お話したことがあると思います。お社には、智峰の水神様である河童が祀られていますよ」
「昔はラビットがそう呼ばれてたっていう河童ですか?」
「そうです」
「そういえば、ラビットはどうしてラビットなんですか。それまで河童だったのに、名前のイメージもまるっきり違います。その、河童の時代より最近のネーミングですよね。誰が名付けたんです? どういう意味で……」
「ラビットは、どういう意味でしょう」
「それは……。ウサギのラビットですよね。英語の……」
「そのラビットでいいんです。彩音さんなら、じきに気付くと思いますよ。お社に行けば、気付くのは早まるかもしれない」
「そこにヒントがあるということですか」
「ヒントといいますか。お社でラビットについてより深く知ることで、その名前が持つ意味も自ずから分かるというもの」
彩音は、潮見の言葉を吟味した。
ラビット、つまりウサギが示す隠喩が何かあるのだ。
それが何かということは気になるが。
しかし、お社は彩音の興味を満たすだけであって、チェックポイントを翔真達から奪うことにはつながらない。
それに。
感じつつあるラビットへの疑問を考えると。
柔らかに導かれるままに潮見の指示通りの行動を選択していてよいのだろうか。
潮見を筆頭とする運用メンバーの行動には、隠された意図を感じる。
ただのセキュリティ対策としてのシミュレーションというだけではない何かが、このシミュレーションにはあるようだ。
……翔真達は、今もこれといった疑問もなく、次のポイントに単純に向かっているのか。
あるいは。
翔真には難しいかもしれないが、想像力がありそうな優菜のほうは、彩音と同じ疑問を抱き始めているかもしれない。
「……アスリート達は、今どの辺りに?」
彩音は潮見に訊ねながら、自分でも翔真達を探した。
現在位置はすぐに分かった。方向と速度も。
「ずっと道なり。やはり発電所に近付いているみたいですね。時速3km程度。ゆっくり歩いている……」
現在の事実は分かった。
だが。
潮見達に何かの意図があるとしたら。
その潮見達よりも、一歩先に考えを進めなければならないのだ。
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