横浜プリン
三日月次郎
第1話 カレンダーはテキトーでいい。
仕事に疲れているだけだと思っていた。
そんで、そのストレスを体が感じての不定愁訴だと思っていた。
朝起きて身支度を済ませ、俺のポルシェという愛称の国産軽自動車を走らせる。
俺が自分の軽自動車をポルシェと呼ぶのは、世の中のご婦人方が仕事から帰った亭主に発泡酒をビイルと呼んで飲ませているのと同じだ。
人間は成長するにつれて物事を詳しく見るようになる。たとえば、幼児にスズキ・アルトとポルシェ・ボクスターとキリンが描いてある絵を見せたら、おそらくその子の目には、「2台の車とキリン」が映るだろう。
スズキ・アルトとポルシェ・ボクスターが全く違うものだという認識を持っている人たちの中には、
「アルト?アルトって軽でしょ?軽なんて車ですらねーじゃん。」
みたいなことを言うやつがいるかもしれない。っていうか、いるよね? そういう奴はどうせ中古のランエボとか下品な車に乗って、パワーがデカいのをいいことに、周りの車を見下して、
「おっせえなあ、ま、しかたないか、ボクちゃんのランエボ300馬力あるからねえ。むふふ。」
とか助手席の女の子に言っちゃっているに違いない。そんで、たまに交差点でGT-Rが隣に並んだりすると、加速で負けるのが嫌なので、青信号に変わったことに気付かなかったふりをしてワンテンポ遅れてスタートしたりして。
「あれ?青?見てなかったなあ。今、ほら、お、オーディオの調子が悪くてさ。そっち見てたら信号変わってるんだもんなあ。あれ?先行ったのあれGT-R?え?馬力?ろ、600…だったかな。まあ、車は馬力じゃないからさ。安全運転、安全運転。ね?」
とか言ってあわてているに違いない。おお、そうじゃ、そうなのじゃ。
あれ? 何の話だっけ? あ、そうそう、物事を詳しく見るって話だ。
詳しく見るってことは、違いを見つけるってことと同じことなのだが、違いを見つけてはその違いに名前を付けるということを人類は長い間やってきたのだ。なので、なんとなく同じに見えるものでもチョットの違いで名前が違うことは往々にしてあるのだ。うちの台所に入ってきたのがクロオオアリなのかクロヤマアリなのか家人は誰も気にしないが、養老孟司先生ならチョー気になるんじゃないかと思う。
森羅万象、世の中全ての事柄を詳しく見るってことは精神に異常をきたす恐れがあるのね。だから、ふだん僕らは自分の興味のあることにだけ虫メガネのピントを合わせるようにしているのだが、物事の特徴を捉えていちいち名前をつけたいと願うこの欲求は人間の本能なので、長い年月をかけて僕らの身の回りの物事は石ころからヘアースタイルに至るまで誰かしらがその隅々に至るまで名前を付けてしまった。オーマイゴッドだね。
自分で何か全く新しい物を生み出さない限りは、名前を付けるという恩恵にあずかれないので、僕らは他人がつけた名前を知識として知ることで疑似的にその快感を得ている。しかも、他人がつけた名前をあたかも自分の手柄のようにまだそれを知らない人の前で声高に宣言することで優越感に浸ったりするんだよね。あーヤダヤダ。
このバーチャルな快感はそれ自体にはなんの意味もないのだけれど、多くの人間が共有できる経験なので、社会の中で幅を利かせてくる。
この怪物の名は「ソンナノモシラネーノ」という。
「自分にしかわからない言葉」だけが本当に貴いんだけど、その貴さは誰にもわかってもらえないという悲しさを本来的に含んでいるんだよね。
スゲーな。ってか、救いねーじゃん?って言われると思うんだけど、そして確かにある意味救いは無いのだけれど。
「今日ってここらへんだよね?」ってタバコ部屋の壁に貼ってあるヤニで黄色く変色した4年前のカレンダーの5月と6月の境目のあたりを指さして話をした。「そうそう。」って同僚たちもなんの引っかかりもなく俺に答える。そういうぼんやりした感覚が俺を人間に戻す気がする。
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