第8話 追いかけない人

 後藤は石原が好きだ。

 俺は石原に、後藤は良い奴だと言って『お勧め』した。

 それに対して石原は『無理なもんは無理』と言い放った。

 …その時、目の前に後藤がいた。



 駅近くのコンビニ、出たところだったのだろう。立ち止まってこちらを凝視している。

 石原も固まっている。

 俺は後藤の傍へ行き、思い切って『お疲れさん』と声をかけた。

「残業してたのか?」

 全然違う話題を振ろうとしたのだ。が、後藤は俺のことなど目に入っていなかったし、なんなら声も聞こえちゃいなかった。

 後藤は、石原の方へ一歩踏み出した。

「あの…」

 俺を完全無視した後藤の背中から、悲しさが溢れて伝わってきた。俺は自分がめちゃくちゃ部外者であることを実感した。

「石原さん、佐々木さんにじゃなくて、俺のことは、俺に言ってください」

 そう言うと、後藤は石原の返事を待たずに走り去った。石原はその場で顔をしかめて立ち尽くしている。

「石原」

 肩を揺すった。

「ん?」

 石原は放心していた。

「追いかけないのか」

 その言葉で、石原が我に返った。俺を見上げる。

「なんで?」

「仕事に差し障りが出たら嫌だと言ってたじゃないか」

 そうは言ったが、追いかけてやってほしいのは、本当はそんな理由じゃない。

 後藤を、ただ傷付いたままにするのが嫌だと思った。

 でも石原と俺の考えは、当然だけど全然違った。


「もういいよ、そんなの。この状況で追いかける程、あいつを大事に思ってない」


 ……。

 今こそここに後藤が居なくて良かったと思った。

 石原は、間違ったことは言っていない。しかしこれほど後藤の傷をえぐる言葉もないだろう。

「そうか」

 妙な脱力感に襲われた。

 石原は本当に後藤のことなどなんとも思っていないんだ。

 ……。

 俺の足が、勝手に動いて後藤を追いかけ始めた。




 追いかけてどうするのか何も考えていなかった。

 後藤の走って行った方向に向かって何も考えず走った。

 わりとすぐに、速足で歩く後藤の後ろ姿を見つけた。

 どこへ行く?

 職場へ向かってる?

「後藤!」

 呼んでみた。

 後藤が、心底嫌そうな歪んだ顔で振り返った。

 何か言いかけて…走って逃げた。

「後藤!」

 言っちゃ悪いけど、後藤は足が遅く、すぐに追いついてしまった。

「後藤って!」

 真後ろから声をかけられた後藤が、諦めて足を止め、振り返った。

「なんで佐々木さんが追いかけてくるんですか!」

 当然のごとく怒っている。

「分からん」

 本当に、俺にも分からない。

「佐々木さんのこと、今一番見たくないです」

 まあ、そうだろうな。

「帰ってください」

 そうは言うけどさ。

「…お前、どこ行くんだ」

「どこでもいいでしょう」

 吐き捨てるように言うから、つい訊いてしまった。

「死んだりしない?」

「はぁ?」

 心底馬鹿にしたような声。死にたい人が出す声じゃない。

「そんな訳ないか」

 ホッとして言ったら、後藤の顔が情けない表情に変わった。

「そんなこと、あるわけないでしょう」

 そう呟いて、鼻で笑った。鼻で笑って、俯いた。

「あの程度のことで、そんなことしません」

「そうか」

 後藤が、俺を無視してまた歩き始めたので付いて行く。

「死にませんから、付いて来ないでください」

「進む方向が同じなんだ」

 というより、俺はこれからどこへ向かおうとしているのか。

 俺に突っかかる、後藤の新たな一面を見てもっと見たいと思っている。

 付いてくる俺に後藤が迷惑そうな顔で言った。

「どうして俺と石原さんの事で、佐々木さんが間に入ってくるんですか」

「分からん」

「分からんって…」

「じゃあ、成り行き」

 そう答えたら、後藤がまたちょっと怒った。

「成り行きなら、もう関わらないでください」

「じゃあ、俺、後藤に興味がある」

 え?

 言った自分が驚いた。

 しかし、妙に納得もした。

「はぁ?」

 案の定、後藤もびっくりして足を止めた。これは今日二回目の『はぁ?』だ。なんだろう、後藤にこの言葉を吐かれるのが好きだ。目を丸くして俺を見上げている。

 嫌そうな顔、迷惑そうな顔、悲しそうな背中、石原に向けられた感情、真面目な後輩くんの顔と、俺に向けるライバル心から出る戦闘モードの顔。そして今のこの驚いた表情など。

 そうか、俺、後藤のことをもっと見ていたいと思っているんだ。

「それ、どういう意味ですか」

「そのままの意味だが」

「興味って…」

「後藤を見ているのが面白いし、何を考えているか分からないときは何を考えているか知りたい」

 うん。

 だから昼飯に誘っていたんだな、俺。

「え?何その訳の分からない答え。動物園でパンダ見ているみたいな感じ」

 後藤、更に怒っている。

「そんなんじゃないけど」

 いや、近いかな。

「とにかく、研究者的なアレですね」

 そう…かな。

「そういう目で俺を見ないでください」

 まあ確かに失礼な話ではあるのだが、俺は今、やっと自分のここしばらくの行動の意味が分かって、すごくホッとして、そしてこの気持ちを優先したい。

「後藤、ゴメン。俺、多分それはやめられない。お前のこと、ずっと見てしまう」

 真剣にそう言葉にしたら、後藤が呆れた。

「…なんの告白ですか…」

「…分からん。俺もそれを知りたい」

「佐々木さんの好奇心を俺に向けられても困るんですよ。恋愛感情とかじゃないですよね。ホントに好奇心で俺を観察してますよね。先輩だけど、ちょっと失礼な言い方しますけど、今の俺の気持ちを表すとね」

 後藤が、そう前置きをしてから叫んだ。


「なんなのお前、もう帰れよ!」


 今まで見たことが無いような表情で睨みつけられた。


 …もう一回、それ、言われたい。


 俺の中に、新たな感情が芽生えた。

 

 

 







 

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