第26話 事務所に帰って

田尾は、田尾あかりのいる自宅へ。長谷部は、高円寺の、両親と住んでいるという自宅へ。いすみも。自宅へ戻った。

概ね、3カ月弱、異世界という、日常とは異なる環境に身を置いていたにも関わらず、大きな疲労感はない。

久しぶりに行った、肉体労働の日々で、筋肉はより盛り上がり、日焼けのあとが黒光りしている。

食事の質が悪かったため、さすがに体重は落ちているようだが、疲労感はここちよい。


事務所から、車で10分ほどのところにある、木造平屋建ての、一軒家に愛車のピックアップを止める。

鍵をあけて、室内に入る。

この家屋は、父親・・・。社長が母親と離婚して、神戸に住んでいたいすみが、東京に再び戻り、舞波工務店に勤めることになったために、それまで、資材置き場として使っていた土地に、社長が建ててくれたものだ。


「家なんか建ててくれなくてもいいから、親子なんだから、一緒に住もう・・・。」といったいすみの申し出を、優秀過ぎる息子への引け目もあってか、社長は断った。

そのときの、お互いの複雑な心情は、もう、なくなっており、ともに会社を経営するパートナーとして、うまくいっている…。と思う。


8畳ほどのLDKと、6畳ほどのシンプルな平屋だが、駐車場が広いこともあり、いすみは気に入っている。


SK事務所をやめて、舞波工務店で修行していた田尾も一緒に住んでいたことがあり、「そのうち取りに来る。」と言って、置いていった、田尾やいすみの作品が掲載されている建築雑誌のバックナンバーは、そのまま置かれている。


冷蔵庫を開けると、「お疲れ様でした、今日はゆっくり休んでください 華江」 。と書かれた手紙とともに、鍋に入ったカレーが入っていた。


基本的に自炊をしているいすみだが、今日はさすがに余裕がないので、レトルト食品ですまそうと思っていたのでありがたい。

炊飯器のなかのご飯をよそって、カレーをかける。

骨付きの鶏肉が入ったチキンカレーだ。

炊飯器の保温時間は、1時間。となっていたので、ついさっきまで、ここにいたのだろう。


一般的な恋人同士であれば、恋人の家で、帰ってくるまで待っている・・・。というのが、セオリーなのだろうが、今日は、考えたいことも多々あり、華江がいたとしても、きちんと話ができるかどうか、自信がなかった。

出会ってから、5年経つが、彼女はそんな距離感をはかるのが、絶妙で、ありがたく思うが、実際に望んだとおりの行動に出られると「待ってくれていてもよかったのに。」という感情が湧き出てくる自分をひたすらわがままなヤツだと思う。


ビールを飲みながら、カレーを2杯平らげると、ベッドに横になった。


「いろいろ考えたい。」などと、思いながら、自宅に明かりがともっていないことにほっとしたのもつかの間、さみしくなったり、華江が来てくれていたことにうれしく思ったり、落胆したり。

気持ちの整理がとにかくできないので、今日はとにかく寝ることにした。

すべては、明日だな。と考えながら。


◇◇◇


翌日は定時に事務所に向かった。


事務所に入ると、社員が彼を向えた。


「お疲れ様でした!」


華江がまっさきに出迎えてくれた。

ここで、人目をはばからず、抱きついたり・・・。は彼女は決してしない。

メテオスの情熱的なアプローチに動揺していた日々があったので、落ち着く。


この後の予定は、各自あるようだが、とりあえず、全員に打合せスペースに集まってもらう。


「とりあえず、昨日、異世界より帰りました。みなさんも、聞いているとは思いますが、ちょっとしたトラブルはありましたが、見ての通り、無事です。

現在、トラブルの報告を安西先生がクライアントに行ってくれていますので、事業の継続はそれまで保留ですが、みなさんの力をお借りすれば、十分、まっとうできるお仕事だと判断しましたので、この事業は継続するつもりでいます。」


一気に話すと、全員を見渡し、


「継続の決定が出るまでは、通常業務ですが、今後は、みなさんにもお手伝いいただくこともあるとは思いますので、ひきつづき、宜しくお願いします。」


いすみのあいさつが終わると、社員全員は一斉に散っていく。


社員それぞれに、担当の業務があり、自分が帰ってきたとしても、それは変わらない。

数週間前から決まっていた、資材の搬入、今日中に終わらせなければ、明日、入る予定の工程が進まない現場。

天候や、段取りの状態によって、自分自身で作業をしなければいけない現場。

各自が余裕を持って、組んでいるはずの工程だが、最終的な「つじつまあわせ」は、それぞれの監督の技量にかかっている。


いすみが異世界に旅立つ前は、実務をやっていなかった社長さえ、現場に出かけて行った。

行動予定表のホワイトボードを見ると、今日は2つの現場を回るようだ。

奥まった社長室にあったデスクは、皆と同じワークスペースに移設され、T定規と呼ばれる製図台が置かれ、トレッシングぺーペーパーに書きかけのRC住宅の増築計画の実施図面が置かれている。


自分のデスクに付き、パソコンを起動して、担当していた物件の概要を確認する。

すべての物件の進行状況、現場の画像は、クラウドにあげてあるので、報告を聞かなくても把握できる。

すべての物件が、華江と小林の二人で滞りなく進行しており、玲奈も順調に、業務を進行しているようだ。


これなら、大丈夫かな・・・。


異世界に自分が行っている間にも、「舞波工務店」はきちんと稼働していることを確認して、いすみは安堵する。


工務店という<会社>を経営するポジションにいる者として、異世界の仕事なんて言うイレギュラーなものに、うつつを抜かすのは経営者失格ではないのか。という葛藤を、昨日、つらつらと考えてもみたが、自分がいなくても会社はきちんと廻っているということと、異世界で見た、魔法を使った建築や、見たことのない素材。

経営者としてではなく、それらを活用した、自分だけの<作品>をとして、作ってみたい。という欲求も抑えきれないほど、膨れ上がっている。



「大丈夫だ。やってみよう。」

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