第92話 オモチャ


「魔法……?」



 ううん。そんなこと、あるはずがない。

 アーニャたちが言っていたけれど、ネトリールの人たちは基本的に魔法を使えないはず。

 でも、それだと、あたしがさっき警棒を握った時に、手に刀傷をつけられた理由にはならない。かすかに……ほんのすこしだけど、あの警棒からは魔法の感じ・・・・・がした。

 だとすれば、残る考えられる理由は……いまだけ、このネトリールで何らかの理由で、魔法が使えるとか?

 ……ダメ、それは考えられない。

 もし魔法が使えていたら、おにいちゃんが危険を冒してまで、あたしを助けるはずがなかった。あたしにそのまま付与魔法をかけていれば、それだけで済んでいたはず。だけど、そうしなかったということは――



「くたばれ! 地上人!!」



 おにいちゃんの脚を切り落とした男が、返す刀であたしめがけて警棒を振ってきた。

 どうやら、本当に考える時間は与えてくれないようだ。

 ……おにいちゃんが与えてくれた時間。今度こそ、直情的にならず、慎重に攻めないと……!

 警棒の軌道は水平。

 動きは緩慢。

 普通だったら、このまま余裕をもって警棒を弾き、額、喉、腹に素早い打撃を打ち込めば、必ずひるむ。

 だけど、ここはそうすべきじゃない。

 おにいちゃんのあの蹴り警告は明らかに、受け太刀するなという合図。

 あの警棒には決して、触れてはならない。

 だったら――



「な――!?」



 あたしは頭を下げ、肉薄してきた警棒を屈んで避けると、その態勢のまま、男の足を払った。

 男はぐらりと態勢を崩すと、そのまま、無防備にもあたしのほうへと倒れこんでくる。



「――ッ」



 息を小さく吐き、あたしは立ち上がると同時に、拳を男の顔面に叩きこんだ。

 見様見真似の付与魔法を使った、渾身の一撃。

 ボキッ!

 と、首の骨が折れる感触が、拳の関節から脳髄へと伝達してくる。その後、ぐにゃりと男の首が可動域を越えて曲がる。

 おにいちゃんほどの強度ではないけれど、どうやら、あたしにも少しは付与魔法が使えるみたいだ。

 普通の打撃なら、これほどの破壊力はでない。

 そして、次。

 ひとりは処分した。残りはあとひとり。

 これが騒ぎならないように、速やかに敵を排除しなければならない。

 あたしは眼球を右に左に動かすと、もうひとりの男の索敵に努めた。



「――見つけた」



 男は顔面蒼白で、銃を構えながらなにか鳴き声を発していた。

 何を言っているのか理解できないし、するつもりもない。

 あたしの頭の中にあるのは、ただ目の前の敵を処理するだけ――という、単純明快な回路のみ。

 それに、たとえその行為が何らかの脅しだとしても、それの対処法は知っている。ヴィクトーリアが使っているところを見たことがあるからだ。

 あたしは今さっき、首の骨を折った男の腹に潜り込むと、そのまま、かちあげるようにして、銃を構えている男のほうへ、投げつけた。


 ――パンパンパンパン!


 四発の連続した発砲音。

 意外と小さな発砲音。

 あたしを狙ってのものだろうけど、結果として、すべての弾が投げつけた男の体にバスバスと当たっていく。

 拳銃を構えた男はサッと、男の死体を避けるけど、もう遅い。



「死んで」



 男の死体の影に隠れ、一気に距離を詰めたあたしの拳が、男のわき腹を捉える。

 一本、二本、三本……メキメキと骨が音を立てて、あたしの拳が男の体内を抉っていく。

 でも、これじゃ終われない。

 こんなのじゃ、あたしの怒りは収まらない。

 あたしは腰を捻ると、息をふっと吐き、その回転力を拳へ乗算した。


 ドガァン!!


 男は何も言葉を発することなく、公園のベンチにぶち当たった。

 ベンチは粉々に吹き飛び、男の体が視認できないほど、パラパラと土煙が舞い上がる。

 それに伴い、血が上っていた頭も冷めてくる。



「お、おにいちゃん……!」



 そんなあたしの頭に真っ先に浮かんだのは、おにいちゃんの安否。

 あたしは身をひるがえすと、おにいちゃんを助け起こしに向かった。



「おにいちゃん! おにいちゃん……!?」



 あたしは必死に、おにいちゃんを上下にゆすったり、人工呼吸したりしたけど、おにいちゃんは気を失っているのか、何も反応を示さない。

 このままじゃ危ない。

 そして、パニックになったあたしの視線は、自然におにいちゃんの太ももに注がれる。

 さきほど切断された脚の切断面からは、ドクドクと大量の血が流れ出ていた。



「ど、どうしたら……!」



 あたしはどうしていいかわからず、オロオロと狼狽えていると――



「今すぐ傷口を縛ってくださいませ! 血が止まるまで! キツく!」



 と、後ろからパトリシアさんの声が響いた。あたしはその声には振り返らず、相槌も打たず、腰のベルトを抜き取ると、それをおにいちゃんの脚にギュッときつく結びつけた。

 それにより、心なしか、出血の量が抑えられた気がした。



「フム、出血がひどいですね」



 名前も知らない男の人が、てくてくと能天気にあたしたちのほうに近づいてきた。



「……これは、さすがに死にましたね。その男の悪運も――ブホッ!?」



 その男の態度がなんとなく癪に障ったので、あたしの裏拳を男にお見舞いした。



「……死んでいません。まだ生きています。ぶっ飛ばしますよ」


「ぐ……! も、もうぶっ飛ばされているんですが……! はな……鼻血が……」


「そうですわ。ユウさんの言う通りですの。まだ助かりますわ」



 パタパタと、慌てたようにしてパトリシアさんが駆けつけてくる。もう、いまはパトリシアさんに頼るしか選択肢がない。



「ぱ、パトリシアさん、ここから、どうすれば……?」



 あたしはそう言って、すがるようにパトリシアさんを見上げた。

 パトリシアさんは少しだけ考えた後「そうですわね。ここからですと……あそこが近いですわね……」と、遠くのほうを指さした。


「あそこ?」



 パトリシアさんが指さしたのは、なんの変哲のない民家……の連なり。

 時間帯が時間帯のため、明かりがついていないので、どれを指しているのか全くわからない。おもわずあたしも、なにがなんだかわからず、訊き返してしまった。



「では、お二人とも。ユウトさんをあそこに見える建物まで運んでくださいまし」


「えっと……どれ……かな?」


「あー……、えっと……たしかに今は見えづらいのですが……と、とにかく私についてきてくださいまし!」



 パトリシアさんはそう言って、あたしたちを急かすようにしてきた。

 たしかに、ここでモタついている時間はない。いまはどうしても、時間が惜しい。

 おにいちゃんを助けるにしても……、ヴィクトーリアを助けるにしても……。

 あたしはおにいちゃんの体をそっと抱きかかえると、パトリシアさんの後に続いた。





 公園付近。

 さきほど、パトリシアさんが指さした、民家の連なり。

 その中の一軒。

 あたしたちはそこへ、半ば逃げ込むようにして、おにいちゃんを担ぎ込んできていた。

 幸い、時間帯が時間帯だったため、何者かがあたしたちを追っている気配も、近隣の人間が騒ぎ立ててくる気配もなかった。

 そのお陰もあって、パトリシアさんによるおにいちゃんの治療はスムーズに終わったようだ。

 現在、おにいちゃんはベッドの上で目を閉じて大きく、静かに呼吸している。

 脚もほとんど元通り、きちんとくっついていた。

 ちなみに現在、あたしたちがいるこの場所は、パトリシアさんがときどき、アンと一緒に泊まりに来る隠れ家みたいな場所らしい。

 しかし、どう見ても内装は隠れ家というよりも別荘。

 ざっと見ただけで、生活に必要なものはすべてそろっている。



「……脚の縫合は済ませましたわ。失った血液もなんとかなりましたの。でも……」



 パトリシアさんがそう言って、マスクと血の付いた手袋を外しながらあたしに近づいてきた。



「でも……?」


「ユウトさんはこのまま、絶対安静ですの。これ以降、ユウトさんの力を借りることはできませんわ」



 ……正直、なんとなくわかっていたけれど、ここでのおにいちゃん脱落はかなり痛い。でも、それもこれも、全部あたしのせいだ。自業自得。

 もうすこし慎重であるべきだった。

 けど、そんなことよりも、いまはおにいちゃんが助かったことを喜ぶべきだ。

 あたしはパトリシアさんの手を握ると――



「あ、ありがとう。パトリシアさんのお陰だよ。……なんてお礼を言っていいか……」



 と、何度も何度もパトリシアさんにお礼の言葉を言った。



「そんな、気にしないでくださいまし。これくらい、なんてことはありませんの」


「ありがとう……! ありがとう……!」


「……それより、姫様」



 空気を読まず、ジョンという男が話しに割り込んできた。この人の名前は、パトリシアさんがおにいちゃんの治療中に聞いた。どこかで聞いたことがある気はするけど……、たぶんすぐに思い出せないので、その程度のものだったという事だと思う。



「その手際の良さから見るに、姫様には医療の心得があると推察できるのですが……?」


「あ、それ、あたしも気になってました。パトリシアさんって、お姫様兼、お医者さんなんですか?」


「あ……、いえ、私はそんな大層なものではございませんわ。私はただの、なんの変哲もないネトリール王女ですわ」



 何の変哲も………というより、変哲の塊のような身分だと思うけど……、あたしはあえて何も言わなかった。



「……いやしかし、このようなこと見事な術が出来るのは――」


「医療キットのお陰ですわ」


「キット……?」


「はい。ネトリールには基本的に、『お医者様』という職業は存在しませんの。大抵、一家に一台、私がさきほど使用した医療キットがあるんですの」


「その医療キットというのは……?」


「そうですわね……。えっと、簡単に言えば機械のお医者様……のようなものですわ。病気の症状や傷の状態など入力すれば、その患者様に合わせた治療法などを提示してくれるものですの」


「なるほど、さすがネトリールですね……。そのような技術もあるとは……」



 ジョンさんが、すこし驚いたような声を上げた。



「いえいえ、あなた方の魔法に比べればこんなものは……」



 たしかに、治癒魔法に比べればすこし不便かもしれないが、これはこれで立派な技術だ。あたしたちの世界には、後にも先にも、こんなものは出てこないだろう。



「……それに、これは本当はオモチャのようなものですの」


「お、オモチャ!? これが……ですか?」



 ジョンさんが、今度は大きな声で訊き返した。



「は、はい。医療キットは小さいお子様でも扱えるものですの。本当はもっと、本格的なものを使用したかったのですが、今はこれしか……。申し訳ございません……」



 オモチャ……これが?

 ネトリールの技術は一体、どうなっているのだろう。

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