第34話、赤い刺客と英雄たちの輪舞⑦

 大天使を前に、殺すと言い放ったカナデ。その存在自体が、カナデにとって許せないものになった。


「神の使いに抗うだって? 人の犠牲の上で成り立つ天使なんて、ただの悪魔だろうがよ」


 カナデにはもう、ガブリエルの強さなど興味はなかった。天使に性別があるのかはわからないが、仮に彼が一体どれほど強くて、どんな攻撃をしてくるのか。そもそも天使は人とどう違うのか。そんなことは、この沸き上がり続けるカナデの怒りの前では、些末な問題だった。


 ――殺したい。


 ただこの世からあの存在を消したい。カナデの怒りは、最早そこまで到達していた。


「おい、カナデー! 大丈夫かあー?!」


 ガブリエの生徒たちがセトであったものに吸収され、戦う相手がいなくなってしまったヒュウマやユリイナ、そしてフェアリナが、首を傾げながらも、カナデのフォローに回ってくれる。女子2人から一斉にかかるバリアやステータス向上、魔法反射などの補助魔法の数々。そんな大仰な魔法たちも、カナデを包む白い光の前では、ただの気休め程度なのかもしれない。


「何も問題はない」


 そう、相手が誰であろうと、今のカナデには問題はなかった。


「お、おおう……」


 感情を押し殺したカナデの声に、ヒュウマはその怒りを感じ取ってくれたのだろう。彼がそれ以上、そのことを追求してくることはなかった。


「カナデ君……本当に大丈夫?」


 物憂げな表情でフェアリナはカナデを見つめる。カナデは彼女の目を直視出来なかった。カナデの見据えた、これからの未来はそれほど厳しいものだった。


「それにしても、何だい、ありゃあ? まさか本物の天使様だとか言うんじゃないだろうな?」 


「そうね、あれは御伽噺に出てくる天使様かしら? 随分と御姿が美しいこと。でも、そうでしたら、きっと私たちの味方のはずですけれど」


 藍色の髪を風に揺らし、ユリイナの目は少女のようにキラキラと輝いている。しかし、真の天使とは、人間に対して慈悲の心など持たないことを、これから彼女は思い知るのかもしれない。天の使いとは、神からの命令を着実にこなすだけの人形なのだから。


 ――そう。


 そういう意味で、使。乾いた笑いが、カナデから漏れる。全ては作られた道筋。予め描かれたシナリオ。カナデが何故この世界に転生出来たのかを考えれば、最初から答えは出ていた。


 ――


 そして。


 ――


 でも、ヒュウマやユリイナはどうなのだろう。魔法学校の真実を知らなかったのだろうか。いずれは命さえ危ういことを、知らされていなかったのだろうか。そして今なお気づいていないのだとしたら、彼らはいつかラファエリアそのものに魔力を吸収され、無惨に殺されることになる。彼らに関わった手前、それでは可哀想だ。


 短い間ながらも、カナデは自分に良くしてくれた人たちの顔を思い浮かべる。みんな魔法に熱心で、それがまさか魔力を集めるためだけの道具に過ぎなかったとは、気づかなかっただろう。だからこそ、誰かのために魔法を覚え、誰かを守るために魔法を使っていたのだ。


 ――助けたい。


 せめて彼らだけは。


 ――救いたい。


 ラファエリアのみんなを。その囚われの儚い命が奪われる前に。


 カナデたちを見下ろしているガブリエル。今その目がカッと光った気がした。


「愚かなる人間よ。これは、神からの言葉である。悔い改めよ」


 大天使ガブリエルが、羽を羽ばたかせながら手を横に広げると、その頭上に眩いほどの光が集まる。まるで、太陽の光を虫眼鏡で集めたような、そんな強烈な点での明るさだ。だからこそ、威力の高さがわかる。凝縮された魔力が、何もかもを消し去るほどのものであることを。


 ――そして。


!」


 無情にも放たれる凝縮された魔力。小さな光がカナデたちの元へ、まるでスローモーションのように浮遊してくる。これがカナデたちに触れた瞬間、その世界は終わるのだろう。


 ――これは裁きか。


 それが神の裁きというのなら、カナデは素直に受けるべきなのだろうか。神によって選ばれたカナデ。その神に殺されるのなら、ある意味本望なのかもしれない。


 ――だけれど。


 ガタガタ震えだす、ユリイナとヒュウマ。その天罰に、自らの死を悟ったのだろうか。珍しく2人は恐怖に顔を歪めていた。


「無理よ……七魔帝でも、無理だったのに、こんなの耐えられるはずないわ……」


「これは終わったな……まさかこんなところで死ぬなんてな……」


 人は身体が先に死を自覚すると、案外諦めやすいらしい。未来ある2人の青褪め、黒ずみさえした表情に、カナデは自らの使命を思い出した。


「さあ、愚かなる人間よ、悔い改めよ!」


 それがガブリエルが発した、終わりの合図だった。







 カナデは、その光を掴み、握り潰し、右手に魔法の剣を生み出すと、そのままそれで大天使カブリエルを、縦に一刀両断した。


 全ては一瞬。


 全ては無為に。


 そして亡くなったガブリエの生徒たちの想いを背負って。


 怒りも悲しみも苦しみも、恐怖も悲哀も多幸でさえも、全てはその一太刀に凝縮されたのだ。


「天罰が下ったのは、どうやらお前だったようだな」


 身体が真っ2つに両断され、ヒラヒラと片羽で飛ぼうとする半身たち。しかし、やがては力を失ったのか重力を受け、地面に叩きつけられた。


「神よ……ああ……神よ……」


 別々になった身体で、空高く手を伸ばすカブリエル。


「光あれ……」


 そして天罰の光の業火に焼かれるように、大天使はその身を消し去った。


 それが大天使カブリエルの最期だった。


 目を白黒させながら、ヒュウマとユリイナが、顔を見合わせている。そしてこれが現実か確かめるかのようにお互いの頬を抓り合う。


「この馬鹿ヒュウマ、痛いじゃないのよ!」


 ユリイナが痛みを思い出したかのように、時間差でヒュウマの頬を平手打ちする。


「な、何でこんな……」


 痛みのあまり涙目のヒュウマだったが、やがて現実に帰ったのか、ようやく周囲を見回した。


「まさか、カナデ、てめえがやったのか……?」


 驚きながらも、カナデに駆け寄り、飛びかかるように抱きついてくるヒュウマ。男のハグは、変な噂しか流れないから要らないのにと苦笑いする。


「カナデくぅーん!」


 今度はユリイナが抱きついてきた。ヒュウマごと抱き締めてきた、そんな具合だ。


「死んじゃうと思ったの……絶対に死んじゃうと思ったの。あなたには……いつも助けられるわね……」


 ユリイナは泣いていた。鼻を真っ赤にして、ただひたすらに泣きじゃくっていた。


「カナデ、てめえは化け物かよ? どんだけ凄いんだ? 七魔帝と1人で戦うとか言い出したかと思ったら、今度は天使様まで倒しやがって。化け物以外、わけがわからんぞ?」


 ――化け物か。


 人でなくなったカナデは、最早ただの化け物なのかもしれない。だからこそ、カナデはこれから歩む道が、棘のようであっても、きっと生きていけるのだ。


 ――だけれど。


 カナデは思う。そこに明るい未来などないのだと。


 ――そして。


 いくつもの移動魔法が、何人もの人間を運んできた。


!」


 声がした方を見ると、非情にもラファエリアの生徒たちが、怯えるようにカナデを取り囲んでいたのだった。

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