第32話 赤い刺客と英雄たちの輪舞⑤

「うぬは何者だ。普通は我の前に立てば、足が竦んで動けないはずなのだがな」


 歳が刻まれた茶褐色の顔から、白い眼がギロリとカナデを捉える。レベルが91にもなると、あらゆることを想定し、その対処が出来るのだろう。しかし、その上でカナデの存在は、想定外だったということだ。


「お褒めにあずかり光栄だ。七魔帝のセトさん。でも、僕としては、あなたが攻撃をせずにずっと待っていてくれたことのほうが、不思議だったんだけどね。フェアリナの臨界魔法を受けて、多少なりとも苛立っていたはずなのだから」


「若い者は生き急ぐ。歳を取れば、何が最良の選択肢なのかは、経験が教えてくれる。そしてこの身体がな」


 皺を深く刻みながら、セトは口元を微かに緩める。


「それで行儀良く待っていてくれたのか。天からお迎えが来るのを」


「迎えだと? どういうことだ」


「死期を悟り、死ぬ順番を静かに待っていてくれたのだと、僕は言いたかったんだけど、わからなかった? でもまあ、仮にあなたがたが、僕らを待たず、攻め込んできていたとしても、死期が少し早まるだけだったんだけどね」


「うぬは何が言いたい……?」


 顔を歪めるセト。カナデはクスリと笑いながら、彼の期待に応えてあげた。


「もし先に、僕の仲間たちをあなたが攻撃していたら、僕はあなたたちごとこの空間を、この世から消し去ったのだから」


 もちろん、はったりブラフ。決してカナデの本心ではない。


「かっかっかっ、面白いことを言う小僧だ」


 あえてセトを怒らせるように言ったつもりだったが、彼はその余裕からか、ただ可笑しそうに笑うだけだった。


「だが、果たしてそれだけの力がうぬにあるのか、興味深いものだ。レベル1の勇者よ」


 右手に握られた白樺の杖を、大きく前に差し出し、その先を地面に叩きつける。衝撃波が杖から円を描くように発せられる。空気がきゅっと引き締まり、怖がるように震えるのがカナデにもわかった。


 ――強い。


 圧倒的なまでに。きっと彼が本気を出せば、この魔法学校の領域ごと、無に返すことだって出来そうだ。それほどの力が、セトにはあるのだろう。


「一体今までに何人もの勇敢なるものたちが、我の前に1人で立ち、そして命を落としていったことか。うぬは我を楽しませてくれる存在であろうか」


 そう呟きながらも、セトはカナデの背後に一瞬で移動する。そして不気味なまでに言葉を続ける。


「我はこの平和な世の中に飽きたのじゃよ。だからこそ、強きを求め、この世界の秩序を無に返し、戦いと殺戮の世界を再び生み出そうとしている。ラファエリアへの侵攻は、そのほんの序曲に過ぎん」

 

 カナデが振り向くと、セトは、再びカナデの背後へと移動する。カナデはそれを目で追うように、再びその場でくるりと回る。


「それでラファエリアの人間を殺そうとしたのか。何の罪もない、純粋に強くなることだけを目標に頑張っているあいつらを、その努力を無にするどころか、その未来まで奪おうというのか」


 カナデの言葉に、セトはまた可笑しそうに笑い声をあげる。


「何の罪もないだと? 愚かだ、実に愚かな者よ。うぬはまだを知らぬようだな」


 ――世界の、構図?


「何を言っているんだ? 健気に頑張る生徒たちのどこに罪があるっていうんだ?!」


 不条理な言葉に、カナデは怒りを覚えてしまう。あの病弱なダンだって、何かしら魔法の力で世界の役に立とうと、身体を酷使してまで努力しているのに……。そんな気持ちを無にするなんて、カナデは絶対に許せないと思った。


「小僧、怒りは我を見失わせるだけだぞ。だが、まあ、よい。知っていようが、知っていまいが、うぬらの世界はここで終わる。それは覆るものではないのだからな、かっかっかっ」


 セトの左手が紫色に怪しく光ったかと思うと、その手には黒い髑髏で作られた杖が握られていた。白樺と髑髏の2つの杖。その不気味な笑みに、カナデの脳は痺れた。


「さて、を始めるかのう」


 セトがそう呟くと、彼の肩の右上辺りの何もない空間から、白い光が蛇が蜷局を巻くように襲った。それを寸でのところで避けるカナデ。そこを待っていたかのように、今度は左手の空間から、紫色の怪しい光が、カナデを襲った。カナデはそれさえも、身体を一歩後退し、静かに回避して見せる。カナデが避けた地面は、パワーショベルで削り取られたように、見事に何もなくなっていた。


 背筋が凍らすカナデ。それがカナデに直撃していたと考えると、ゾッとして震えが止まらない。これは恐怖によるものか、それとも歓喜の震えか。しかし、冷や汗をかきながらも、カナデの顔は笑っていた。


「面白い攻撃だな。初めて見たよ」


「まさか両方とも避けられるとはな。大した若造よ。だからこそ、惜しいな。未来ある若い芽を、今この時に摘まなければならないとはな」


 カナデの成長を見たいとでも言ってくれているのだろうか。しかし、セトの表情は面白おかしそうに笑っていただけだった。


「おい、その割には、顔が全然残念そうじゃないじゃないか?」


「かっかっかっ。喜んでおるのじゃよ。我の身体が魔力マナが、良い遊び相手を見つけたとな」


 それはありがたいことだとカナデは思った。


「だから、まだ壊れてくれるなよ、小僧!」


 セトの目が光ったかと思うと、今度は彼の頭上に、黒い禍々しい球体が現れた。それ自体が生き物であるかのように、黒い魔力が渦巻き、怪しく蠢いている。そしてビビビビという不気味な音。その球体そのものがかなり危険なものであることは、カナデにも容易に想像出来た。


「壊れてくれるなよ、か……。壊す気満々のくせに、よく言えるな、この嘘つきジジイがよ?」


 ニカッと白い歯を見せて笑うセト。そして彼が両手の杖を掲げると、その球体はみるみる巨大なものへと変化していった。


 直径20メートルはあるだろうか。その大きさに、流石のカナデも蒼褪め、脂汗をかいてしまう。避けようにも、最早逃げ場がないくらいに巨大化していくのだ。セトはやる気だ。いや、最初から全てを壊すつもりだ。この場所だけではなく、まだ他の場所で戦っている味方の存在さえも……。


「さあ、これでうぬらの世界は終わりだ」


 掲げた杖を一気に振り下ろすセト。空気が悲鳴を上げるように、カナデの周りから逃げていった。


 震える大地。そして黒く塗り潰されていくカナデの世界。


 ――やばい!


 これはやばい。カナデは、すぐに周囲を見回した。


「フェアリナー! 今すぐバリアを張れー! とんでもないのが来る!」


 遠くで残りの赤い魔法使いたちと戦っている彼女たちは、カナデを一瞥すると、ぐぐっと親指を突き立てた。


 ――間に合え。


 間に合ってくれ。黒い影に、禍々しい魔力の塊に押し潰されながら、カナデはただそれだけを願った。


「禁呪・黙示録アポカリプス!」


 『新約聖書』の最後の書のように、カナデたちの終わりが記されているとでもいうのだろうか。あるいは、それは彼らにとっての慰めであるのか。


 ――どちらでもいい。


 筆で乱雑に塗ったように黒く染まっていく世界を、消えゆく命の灯火を、そして生きたかった者たちの断末魔の叫びを、カナデは目にし、ただ受け入れるように耳にし、黒きナイフを地面に捨て、頭上高く両手を突き上げた。


 後戻りは出来ない。そう、もう後戻りは出来ないのだ。カナデは魔力のたがを今、外したのだった。




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