触れる温かさ

「瑞樹よ、一体その顔はどうしたと言うのかね? 」


「えっ、そんなに酷いですか? 」


「メウェンの言う通り、目の下が酷く青いですよ瑞樹。どうかしたのですか? 」


 瑞樹が朝食を取る為に食堂へ行き、メウェン達と顔を合わせた途端に彼らはぎょっと驚いた様子で、瑞樹の顔を覗き込みながら目を丸くしていた。というのも、寝ているのかいないのか分からないままで、一晩過ごした瑞樹の目の下は大きなくまが出来ていた。


「実は昨日の夜なかなか寝付けなかったので……」


「何だそのような事か。大方昼寝のし過ぎであろう」


 瑞樹が弱々しく苦笑しながら発言すると、メウェンは呆れたように肩を竦める。すると、エレナがむっとした表情でメウェンを睨み付け、少し苛立ちを滲ませながら言葉を投げかけた。


「もう、お父様はまず心配をしたらどうなのです? 確かにそれも原因かもしれませんが、それだけでこれ程酷くなるとは思えませんわ」


「む……それはまぁ、確かに」


「この状態では瑞樹様をお父様のお手伝いをさせる訳には参りません。故に今日は私が責任を持って看病致します、宜しいですわね? お父様」


「だがそれは、甘やかし過ぎでは無いか? 」


「宜しいですわね? ……お父様? 」


 実に攻撃的で恐ろしい微笑みを浮かべたエレナの要請に、メウェンは遂に根負けし、渋々承諾する。


「何か申し訳ありませんメウェン様」


「まぁこうなってしまっては致し方あるまい。今日は療養に励むと良い」


「お心遣いありがとうございます」


「気にするな。あぁそれと、これは後で言おうと思っていたのだが今伝えておこう。君のニィガ行きは明日の午後に決まったから、その心つもりでな」


「承知致しましたが、存外早かったですね」


「あぁ。それ程君に会いたいのだろう」


 その言葉で少し心が温かくなった感じがした瑞樹は朝食も程々に、エレナと共に自室へと戻っていた。看病するとは言っていたが、別に寝不足なだけでどこか具合が悪い訳でも無い。何をするのだろうと瑞樹は不思議そうにベッドへ身体を預けると、何とエレナも瑞樹の隣で横になり、添い寝の状態を取り始めた。


「ちょ、ちょっとエレナ様。一体何をしているのですか!? 」


「あらいけずですわ瑞樹様。どうせまた良からぬ事を深く考え込んでいたのでしょう? お父様は誤魔化せても、私には利きませんわ」


 うふふと微笑みながらエレナは優しく瑞樹を撫でる。流石に何で悩んでいるかまでは分からなかったようだが、その観察力には瑞樹も脱帽した様子で、頬を薄い赤に染めながら現状を受け入れていた。


「これでは、どちらが子供だか分かりませんね」


「うふふ、確かにそうですわね。今の瑞樹様はとても愛らしいですわ」


「いつもご心配ばかりかけてしまい、申し訳ありません」


「私が好きでやっている事ですから、お気になさらないでくださいな。それでもお気になるようでしたら、誰かに頼る、甘える事を覚える為の勉強だと思ってください」


「成る程、それは難問です……ね……」


 もう少し誰かを頼れ。いつの日かビリーがそんな事を言っていたのをふと思い出し、懐かしさに包まれたように瑞樹はすうすうと寝息を立て始める。それを確認したエレナはほっと安堵したようにぽつりと呟いた。


「……手のかかる旦那様ですわね、そこが堪らなく愛おしいのですけど」


 惚れた弱みという物だろうか、エレナは苦笑しながらも今この瞬間の幸せを一身に感じ、瑞樹の頭をきゅうっと優しく抱きしめながら、自らも寝息を立て始めた。


 それから二人は昼食を取る事も無く眠り続け、目が覚めた頃には黄昏となっていた。流石に昼食を抜いてお腹が空いたらしい二人は、はしたなくお腹を鳴らしながら夕食の時間になるまで耐え、その時が来た途端に食堂へと足早に向かっていた。


 夕食の時、快復したらしい瑞樹の様子を見て、メウェンはふぅと一息吐き、オリヴィアは安堵した様子で微笑んでいた。その後、滞りなく団欒の時間が終わり、風呂を済ませた瑞樹が部屋に戻ると、何故かエレナの姿がそこにあった。曰く、今日の夜までは添い寝するとの事で、瑞樹は昨日の夜とはまた別の意味で悶々するはめになったのである。


 翌日、瑞樹は午前中そわそわと落ち着かない様子でメウェンの執務の手伝いをしていた。それもそのはず、一月以上もニィガから離れていたので、瑞樹もそれなりに里心がついてしまうのも無理は無い。ただ、その落ち着きの無さから、仕事に支障が出ては困るとメウェンに窘められる場面もあったが、それでも彼のどこか浮ついた雰囲気が拭われる事は無く、メウェンは半ば諦めた雰囲気で接する事となる。


 そのまま時間が過ぎ、昼食の時間となったので瑞樹はメウェンと共に食堂へ向かうと、いつも通りオリヴィア達が既に卓へと付いていた。彼女達に挨拶を交わし、彼らも卓へ付くのを合図に温かな昼食給仕される。その後各々が食事を口にし始めるのだが、何故か自然と笑みを零している瑞樹の姿がオリヴィアの目に止まった。


「そういえば、瑞樹は昼食が終わったらニィガへ行くのでしたね」


「はい、そうです。実はとても楽しみでして」


「やはりそうでしたのね。パンを手に取りながら笑っているものだから、一体何事かと少し心配したの」


「あっそうだったのですか? それは申し訳ありません」


「気にしないで良いわ。久し振りの外だもの、存分に羽を伸ばしていらっしゃい」


「ありがとうございます」


「瑞樹様、私も連れて行って頂けませんか? 貴方様がどのような場所で過ごしていたのか、私とても興味がありますの」


 エレナは目をきらきらと輝かせながら瑞樹に詰め寄ると、彼は少し困ったように眉尻を下げながらオリヴィアに視線を向けた。すると彼女はどことなく察してくれたようで、瑞樹に微笑みながらこくりと頷いた。


「エレナ、あまり無茶を言っていけませんよ? 瑞樹はただ遊びに行く訳では無いのです。自身の従魔の保護という重要な役目を担っていますし、何より一人の方が色々と捗るでしょう」


 その言葉を聞いたエレナはっとした様子で瑞樹から離れ、少し顔を俯かせた。わざわざ瑞樹本人がニィガまで行く理由、それなりに長く接しているエレナであれば察する事も可能だったのだろう。


「申し訳ありません、瑞樹様。無理を言ってしまって……」


「いえ気にしないでください。いつか、今度は二人で行きましょう」


「はい、その時を楽しみにしておりますわ」


 瑞樹の励ましに、エレナはくすっと笑みを零しながら答えた。メウェンは勝手に決められると困るといった面持ちで二人を見ていたが、彼はそれを止める程野暮では無い。とりあえずは静観する事に決めたようで、特に言明する事も無く昼食は終わった。


 昼食が終わると、瑞樹はそそくさと食堂を後にする。食堂の扉が閉じる音を聞いた途端、どうやら居ても立っても居られなくなったらしく、廊下を走り始めた。無論出発の時刻は決まっているので、瑞樹が早く行った所で時刻が早まるでも無いのだが、それでも早く行きたいという衝動が彼を突き動かしているようだ。


 それから予定時刻の間、瑞樹は玄関前の階段に腰を下ろしそわそわとしながら待っていると、漸く待ち望んでいた馬車が視界に入る。馬車が玄関前に止まり、瑞樹が駆け寄ると、中からギルバートが出てきた。


「お待たせ致しました瑞樹様」


「あれ、ギルバートさんも同行するのですか? 私はてっきり一人で向かうものと」


「えぇ、メウェン様も当初はそうするつもりのようでしたが、本日の瑞樹様は気分が浮ついて危ないから付いていくように命を受けたのです」


「あぁ、それはすみません」


 自分でもそれは気付いているようで、瑞樹は顔をぽりぽりと掻きながら照れ臭そうに答えると、ギルバートは「お気になさらず」と一言だけ言葉にして、瑞樹を馬車へ乗せた。


 瑞樹を乗せた馬車は定刻通り出発し、邸宅を後にする。ここ一月邸宅と城のみの風景だった瑞樹にとっては、城下町の変わらぬ風景でもどこか新鮮に感じ、窓から頻繁に顔を覗かせていた。ただ、その行動は貴族らしくないとギルバートに遠回しに苦言を呈されると、一言「ごめんなさい」と謝りニィガまでの道中を静かに過ごしていた。


 そしてニィガの入り口から冒険者ギルドへ向かい、遂に瑞樹が待ち望んだ時が来た。ギルバートが先に降り、降車の許可を出された瑞樹は胸が痛い程高まり、手で胸を摩りながら降車する。待ちに待ったそこは、確かに瑞樹の知る風景となんら変わりは無い筈なのだが、どこか様子が違う。違和感を感じた様子で首を傾げながら中へ入ると、そこには誰も居ない。確かにこの時間なら冒険者は依頼で外に出ている筈だが、そのような次元では無く、本当に一人も姿が見えなかった。


 普通ならあり得ない状況に瑞樹は困惑と不安が入り混じったような面持ちでギルバートを見やると、黙したまま頷き彼を手引きする。訳が分からないまま黙って従うと、二階のとある一室、つまりギルドマスターの部屋へと案内された。さらにギルバートに促され、恐る恐る扉をノックすると「どうぞ」と声が聞こえた。それは瑞樹の良く知るギルドマスター、オットーの声で、漸く瑞樹は安堵する事が出来た。


「失礼します」


「よぉ、久し振りだな。元気にしてたか? 」


 少し緊張した様子で部屋へと足を踏み入れると、以前と変わらないオットーが瑞樹を出迎えた。そのままぱたんと扉が閉まり室内は彼等の二人きりとなると、静けさが二人の間に訪れる。逢って何を話そうか、瑞樹は色々と思案していた筈なのだが、いざ対面したら頭が真っ白になってしまったようで、目を泳がせていた。その様子に見かねたのか、オットーは苦笑し、肩を竦めながらやれやれといった様子で瑞樹に話しかけた。


「一月見ない間に少しは成長したかと期待したが、大して変わってないな」


「あはは……手厳しいですねオットーさん」


「まぁ立ち話しも何だからそこに座って待ってな。今お茶を持ってくる」


「あ、ありがとうございます」


 そう言ってオットーは部屋を後にすると、室内に残された瑞樹は周りをキョロキョロと見回しながら、懐かしさで心を満たす。以前の生活に戻ったような、嬉しい筈なのにどこか寂しさが溢れてくる。そんな複雑な感情を抱きながら少し待っていると、オットーが漸く戻って来る。お茶を淹れに行っただけにしては結構時間がかかっている、瑞樹は悪態でもついてやろうかと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、扉の方に視線を移すと、瑞樹は仰天する事となった。

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異世界に歌声を くらげ @6940abcde

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