続々・新生活

 その後、一足早く食事を終えたオリヴィアとエレナはその足で退室する。エレナが去り際に「私の部屋でお待ちしております」と瑞樹に話しかけると、彼も微笑みながらこくりと頷く。瑞樹は心が温まるような感じで顔を綻ばせていたが、メウェンは少し不満げに顔をむすっとさせていた。


「まぁ瑞樹が精神的に安定してくれるのなら大変喜ばしい事なのだが……どうにも腑に落ちぬな」


「申し訳ありません、私のせいで……」


「別に君のせいでは無い。仕事に忙殺されている事を理由にして家族との時間を蔑ろにした私の責任だ。ただまぁそれも君が早く仕事を覚えてくれたら解消出来るだろう」


「家族が不仲にならぬよう私も精一杯努めます」


「あぁ期待しているぞ」


 先の二人に遅れながらも彼らの昼食が終わり、食後のお茶でリラックスしていた頃、一人の従者が少し慌てた様子で食堂に足を踏み入れる。


「まだ食事中だぞ、後にしなさい」


「申し訳ありませんメウェン様。ですが速やかに報告するべき案件だと判断致しましたので」


「ふむ? ならば致し方無いか。一体何事だ?」


 メウェンが顎を撫でながら質問すると、従者は何かを手渡す。


「メウェン様、それは一体何ですか? 」


「あぁ瑞樹は初めて見る物だな。良い機会だ、ギルバート説明してあげなさい」


「かしこまりましたメウェン様」


 こほんとギルバートが咳払いをした後、瑞樹へ説明を始めようとしたのだが、メウェンはそれを見た途端に血相を変え、慌てた様子で立ち上がる。


「全く陛下ときたら……! 済まないが私は急用が出来た。ギルバートはそのまま瑞樹に付いていなさい。供は他の者に任せる」


「かしこまりました」


 そのままバタバタと慌てながら退室するメウェンに、瑞樹はそれを困惑した様子で見ているとギルバートが「そういう事でしたか」とぽつりと呟く。彼の言葉で瑞樹ははっと我に返り、再びギルバートの方へ視線を向ける。


「ギルバートさん、そういう事ってどういう事ですか? 」


「それも含めてご説明致しましょう。これは書簡と言いまして……っと瑞樹様ならそこまではご存知でしたか? 」


「書簡とは手紙の事ですよね?それは存じていますけど……どう見ても只の黒い板切れにしか見えませんよ?」


 瑞樹の言葉通り、それはまるでA4サイズの板切れに黒インクをぶちまけたような見た目で、どう見ても瑞樹の知るそれとはかなり違っていた。


「勿論普通の紙に文をしたためる事もございます。むしろそれが普通なのですが、これは簡単に申しますと密書のような物なのです」


 曰く、黒くなっているのは闇属性の魔法の効果で、他人にはそう見えるようになっているとの事。それを受取主が触ると初めて文字が浮かび上がる仕組みになっている、一種の指紋認証のような物だ。その説明を興味深そうにこくこくと頷きながら聞いていた瑞樹は、何か疑問が浮かんだらしく首を傾げた。


「つまりそれを使用するという事は余程の事という訳ですよね? ただ城に呼ぶだけでそんなに仰々しい物を使用する物なのですか? 」


 瑞樹の疑問は尤もで、ただ呼びつけるだけならそれこそ普通の手紙で良い。ギルバートも納得のいく回答が浮かばないようで、顔を顰め顎に手を当てながら考え込んでいた。


「瑞樹様の疑問も尤もなのですが……恐らく瑞樹様と共に向かわなかったという事はそこまで緊急性は無いかと」


「それは何故ですか? 」


「此度の案件も恐らく貴方様が関係していると思われますが、メウェン様のみ向かわれました。故に貴方様が同席しなくても良いと判断されたか、もしくは単身で向かうよう書かれているのか。こればかりはメウェン様に尋ねてみなくては分かりかねます」


「……色々面倒なのですね」


「いずれ瑞樹様も経験される事です。知識として覚えておいて損はありません」


 その後瑞樹は、何とも腑に落ちない様子で少し顔を顰めながら食堂を後にする。エレナとの約束に応じる為に彼女の部屋へと向かっていた。


「お嬢様、瑞樹様をお連れ致しました」


「お待ちしておりましたわ」


 ギルバートが扉を開け、瑞樹が足を踏み入れるとエレナの姿が確かにあったのだが、先程と様子が違い少し悲しそうに眉尻を下げていた。


「どうしたのですかお嬢様? 随分と元気が無いようですが」


 瑞樹も心配そうに顔を見つめるが、彼女は頑なに目を合わせようとせず、目を伏せたまま自身の心情を吐露し始めた。


「瑞樹様……あの場では私は威勢の良い事を申しましたがどうしても貴方様に謝らなくてはならない事があるのです」


「謝らなければならない事? それは一体なんですか? 」


 瑞樹の問いかけにエレナは少し逡巡するように口をきゅっと閉じた後、深呼吸しながら重苦しく口を開き始める。


「昨日私も瑞樹様があのお二人とお別れするのを見ておりました。貴方様の胸中を若輩者の私が察するには余りありますが、それでも悲しさは痛い程伝わりました。ですが私はそれと同じくらい安堵してしまったのです、瑞樹様を独占出来る、と。私は自身の卑しさが許せない……故に貴方様に謝罪し、罰を与えて頂きたいのです」


 エレナは涙を浮かべながら胸中を吐露し瑞樹に罰を懇願するが、そんな事が出来る筈も無く瑞樹は困り果てた様子で目を泳がせていた。だが何かしらの結論を出さねばならず、瑞樹は深い溜め息を吐きながら再び彼女の顔を見つめる。


「……それならば私にも謝らなくてはいけない事があります」


「……え?」


「オリヴィア様やエレナお嬢様、それに決して口には出しませんがメウェン様も私の事を家族同然に接してくださっています。それはとても嬉しくて幸せな筈なのに、何処か埋まらない心の隙間を感じてしまうのです。宜しければお嬢様が私に罰を与えてくださいませんか? 」


「そのような事……出来る筈がありませんわ。私ではあのお二人の代わりになれない事を知っているからこそあのような卑しい思いを抱いてしまうのに……」


「そう……ですか。ではこうしましょう、罰としてお嬢様は私を寂しい思いをさせない事、私は罰として埋まらない隙間を感じ続ける事。これでどうでしょうか? 」


 その提案はエレナにとっては思いもよらなかったようで目を丸くする。直後目に涙を浮かべたまま、瑞樹に優しく微笑みかけ口を開く。


「それは……罰なのでしょうか? それでは瑞樹様の負担の方が大きいのではないですか? 」


「いいえそれは違います。お嬢様一生懸命私の隙間を埋めねばならないのですから、むしろお嬢様の方が大変ですよ? 何故なら私の寂しがりやは筋金入りですから」


 瑞樹の言葉にエレナは「まぁ」と一言呟きながらクスクスと笑みを零す。エレナを元気づけるつもりだったのだが、いざ自身を寂しがりやと評するのは気恥ずかしいようで、瑞樹は頬を赤く染めていた。


「では謹んで罰をお受け致しますわ」


 そう言いながらエレナは瑞樹の胸に飛び込み力強くぎゅうっと抱きしめる。その様子に瑞樹は思わず彼女の頭をそっと撫でた。彼の行動はエレナにあの子の面影を重ねていたのかもしれない。


 それから午後の間、瑞樹は彼女の罰に付き合い邸宅内の広大な庭の散策や探検、オリヴィアを交えて午後のティータイムに興じたりと、優雅な時間を過ごす。


 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、現在は空が赤く色付いた黄昏時で、瑞樹とエレナは彼女の部屋へと戻っていた。エレナは胡坐をかいている瑞樹を座椅子代わりにすっぽりと収まりながら、控えめながら趣のある装丁の本を読んでいる。彼女はここ最近物語を読む事にご執心らしい。今読んでいるのは騎士と貴族の女性の恋愛を題材にした物で、時折「まぁ」とか「あら」など無意識に感嘆の声を上げていた。


「そういえばメウェン様はまだお戻りにならないのですね」


「そうですわね、少し心配ですわ」


 口ではそう返すエレナだが彼女の心は未だ物語の中にあるようで、視線を全く逸らさず反射的に返したかのようだと印象を受ける瑞樹は、彼を憐れむように苦笑いする。すると部屋の扉をノックする音が室内に響くとギルバートが何かを報告してきた。


「瑞樹様、メウェン様がお呼びです」


「あぁ噂をすれば。そういう訳ですのでお嬢様、離れて頂いてもよろしいですか」


 その言葉に彼女は頬をぷくっと膨らませ、唇を尖らせながら「致し方ありませんわね」と渋々立ち上がる。その仕草はとても可愛らしと瑞樹も思っているようだが、どちらかと言えばどんどんと株が下がっていく感じがするメウェンに対して益々憐れむような表情をしていた。


 ともかく瑞樹は部屋を退室し、ギルバートの案内でメウェンの所へ向かおうとするのだが、いつもと比べてやけに歩いている。進めば進む程人気から離れていくような感じに彼も流石に不審に思ったのか、ギルバートへ尋ねてみた。


「あの、ギルバートさん。本当にこの先にメウェン様がいるのですか? そもそもここは何処なのです? 」


「はい、メウェン様はここの最奥の部屋にてお待ちしております。ここはこの邸宅でもあまり使用されていない物品が保管されている物置のような場所です」


「そんな場所でどうしてメウェン様が? 」


「申し訳ありません。理由に関しましてメウェン様から口止めされておりますので」


 口止めというだけあって確かに事情を知っているらしく、ギルバートの口角がほんの少しだけ上がっているように見えた瑞樹だったが、益々訳が分からないといった様子で部屋に着くまでの間首を傾げていた。


「メウェン様、瑞樹様をお連れ致しました」


「分かった、入りなさい」


 メウェンに促されながら瑞樹が部屋に入ると、少し薄暗いそこは確かに物置のようで、戸棚や様々な物が所狭しと置かれていた。瑞樹は目を細め少し怖そうな様子で部屋の奥へ進んでいくと、メウェンが姿を現し漸く彼もほっと一息つく。


「あぁメウェン様、やっと見つけました。ところで何故わざわざこのような場所へ? 」


「ふっ、それは私の口からよりも直接見た方が理解しやすいだろう。二人共こちらで挨拶しなさい」


 メウェンはそう言いながら誰かを手招きすると二人の人影が瑞樹の前に姿を現す。それを見た瑞樹は、まるでこの世の物では無いような物を見るかのように、目を見開いて仰天しながらそのまま硬直する。暫し間が空き瑞樹が漸く我に返ったかと思えば、口をパクパクとさせたままその二人とメウェンの方へ視線を往復させていた。


 その二人の姿は一人は若い男性で、もう一人はそれよりも、エレナよりも若い童女だった。そして恭しくお辞儀をすると、万感の想いが込められたように力強くはっきりと挨拶を口にする。


「初めまして瑞樹伯爵様。私はビリーと申します、以後宜しくお願い致します」


「初めまして瑞樹伯爵様。私はノルンと申します、以後宜しくお願い致します」


 その二人は確かにビリーとノルン本人だったのだが、随分と他人行儀な物言いに瑞樹の胸に痛みが走った。ただそれ以上に彼は嬉しさが目から溢れ、思わず飛びつき抱きしめる。


「逢いたかった……寂しかったよ……」


「……私もです姉さん」


 それまで必死に耐えていたノルンも遂には素に戻り、抱き合いながらわんわんと泣いている。暫くの間ずっと逢えないと思っていた、昨日別れを告げた筈の二人がここにいる。そう思うだけで瑞樹は泣く事を止められなかった。

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