食に革命を

 教会から戻り、宿で昼食をとっていた瑞樹に一人の客人が訪ねる。その人とは頻繁に顔を合わせているので最早新鮮味は無いようだが。


「おやファルダン様、どうかしましたか?」


「ほっほ、瑞樹殿に少々用がありましてな。ご足労いただけますかな?」


「えぇ分かりました、もうじき食べ終わりますのでそれからで良いですか?」


「えぇ勿論、ではわたくしの家でお待ちしておりますので。では」


「またあの人か、今度はなんだってんだ?」


 スープをズズッと啜りながらビリーが尋ねてくるが、瑞樹には心当たりがありすぎてどれだか分からないのが現状である。さあてね、と返すだけに留めて昼食の残りを早々に平らげ、ノルンの事を再びビリーに任せてファルダンの屋敷へ足早に向かう。


「お邪魔いたします」


「おぉ申し訳ありませんな、急にお呼び立てしてしまって」


 穏和で柔らかな物腰で頭を下げるファルダンに対して、何と言うか腰が低すぎて本当に偉い人なのだろうかという心配すらしてしまう程だが、瑞樹にとってもう見慣れた風景になりつつあるのでもう気には留めていない。興味の対象はどちらかといえば、これもいつも通りである屋敷の人気の無さの方であろうか。


「いえ気にしないでください。それよりも今日はどんなご用件でしょう?」


「そうですな、まずは部屋へ行きましょうか。話しはそれからです」


 二人はいつもの部屋へと向かい、中へ入る。すると瑞樹はある物が置いてある事に気付く。前に見た試作冷蔵庫一号だ、これがあるという事はつまりそういう事なのだろう。


「今日のご用件はこれですか」


「ほっほ、その通りです。まずは現物を見ていただけますかな?」


「はい、分かりました」


 前回と寸法は同じ、三十センチ四方程で外見には変更点は見られない。続いて中を確認しようとノブをひねって開けようとする、すると瑞樹は何か違和感を感じる。何故か板戸が以前より固く感じる、歪んでいるのかな?と不思議に思いながらももう少し力を込めて扉を開ける、すると答えは中にあった。以前瑞樹が提案した、本体と板戸を凹凸にというのが採用されていた。ただそれだけではこれ程の違和感は感じない筈、瑞樹はさらに調べると凹凸面に何か貼り付けてあるのが見えた。


「ファルダン様、ここに貼り付けてある物は何ですか?」


「それは動物の皮です、その昔皮を紙の代用品としていたようですが、これが意外と合いましてな。ゴムの代わりに充分だと思います」


 瑞樹が感じていた違和感は、その密着性から来るものだった。ここまで現代のそれに近づけるとは、瑞樹は目を丸くしながら、へぇと感嘆の声を上げる。だが驚きはこれだけでは無かった。


「では実際に中で魔道具を作動してみましょう」


 そう言ってファルダンは中の魔道具に手をかざし作動させる。すると内側の左右から細長い氷柱が生えてきて、その隙間から微弱な風が流れてくる。瑞樹のイメージでは大きい氷に風を当てる、大昔のクーラーの様な感じだったのだが、これは中々どうして工夫されている。これなら冷気が満遍なく行き渡り、何より中で使えるスペースが広く取れるというのが大きい。


 細やかな創意工夫、発想の転換、閃き等は科学技術において重要な事である。そういった土壌が確立された時代に生まれた瑞樹ならいざ知らず、ファルダンがそのような発想を持つ事が出来るのは、自身が商人であるだけでなく、科学とはどのようなものかを朧気に理解しているからなのだろう。


「これは…素晴らしい仕上がりですね。僅かな期間でここまでの物が出来るとは、驚き過ぎて腰を抜かしそうですよ」


「ほっほ、そう言っていただけるとわたくしも嬉しいです。それでは構造的な問題は解消されたと理解して宜しいですか?」


「えぇ、ここまで仕上がっていれば何も言う事はありません。後は閉じて冷気が逃げないかを確認出来れば大丈夫だと思います」


 瑞樹は板戸を閉め、隙間に手を当てて冷気の漏れがないか入念にチェックする。僅かにひんやりとした冷気が感じられる箇所もあったが、そこまで気にする程のものでは無いだろう、そもそもまだ試作品の為、そこまで厳しくする段階では無いだろうと考え、構造の確認という意味でなら申し分無いだろうと判断する。


「冷気の漏れは完全に無くす事は難しいと思います。そもそも魔法で中に風を起こしているから逆に少しくらい隙間があっても良いかもしれませんね、完全に密閉されていると膨張して最悪破裂するかもしれませんし」


「なるほど、確かに考えられなくもない事です。ですが、その隙間が職人の誤差で生まれる物なら機能としては信頼性に欠けるのでは?」


 ファルダンは眉を顰めながら瑞樹に尋ねる。商品として販売する以上、万が一があってはいけないとファルダンが付随するが、瑞樹は少し誇張しすぎたかと苦笑しながら答える。


「そうですね、でも破裂するほど空気が溜まるなんて余程の事がない限り大丈夫だと思います。これを使う人なら頻繁に開け閉めするでしょうし、一日に一回開ける様にしてもらえば問題無いかと」


「ふむ、商品として売りに出すにはもう少し検証した方が良いかもしれませんな。それはさておき折角ですから牛乳も冷やしてみましょう、事の始まりはこれから始まったのですから。少々お待ちください」


 そう言ってファルダンは部屋から出ていく。待つ事数分、小瓶に注がれた牛乳を四本ファルダン自ら持って来てくれた。のだが瑞樹にはそれ以上に気がかりな点があった。


「ちなみにその牛乳って搾りたてなんですよね?」


「えぇ、今日の朝牧場で絞られた物をそのまま持ち込んでいますが、何か問題でも?」


 ファルダンの言葉に、瑞樹は思わず眉を顰める。


 この世界では牛乳はチーズ等の加工品の原材料としか認識されていない、それは生乳が危険だと知っていての行動かは不明だが、少なくとも牛乳を飲む文化は無い。殺菌していない牛乳に、最悪死に至るような菌がいるというのは無駄知識を多く蓄えている瑞樹なら知っていても不思議ではない。


「申し訳ありませんファルダン様、牛乳の取り扱いについては全く触れていませんでしたね。この牛乳、どこでも同じだと思いますけどそのまま飲むのはとても危険なんですよ」


「おやそうだったんですか?それは知りませんでした」


「最悪の場合死ぬかもしれない、そんな菌がいるようです。俺も詳しく知りませんが」


「ほう、それは危ないところでした。危うく二人揃って食あたりで死ぬところでしたな」


 ぎょっと目を丸くする侯爵、知らない事とはいえ万が一飲んでいたらと思えば驚くのも無理はない。


「ではどの様にすれば安全に飲めるのですか?」


「一番簡単な方法はとにかく沸騰させる事ですね、ただ味と栄養はどうしても落ちてしまいます」


「むう、味が落ちるのは勿体無いですね。他に何か方法は無いのですか?」


「一応あります。確か六十、七十度くらいの温度で暫く維持すれば良かった筈です」


「それもまた難しいですね、温度の維持は出来ると思いますが、その温度を知る術が無いんですよ」


 ファルダンの言う通り、この世界に温度計は存在しない。水銀の存在が確認されているので、それを用いた温度計も作製出来るだろうが、いくら瑞樹でも温度計の作り方までは知らなかったので、取り敢えず沸騰させて殺菌する方法をとる事となる。


「この量ならすぐに沸騰させる事が出来ますが、どのくらいの時間を置けば問題無いでしょうか」


 これもまた難しい、現代であれば百二十~百三十度の温度で二~三秒加熱するのだが、この世界でそこまで温度を上げられるかは疑問である。勿論これ以下の温度でも殺菌出来るのだが、果たして本当に殺菌出来ているのかはこの世界では判断する事が出来ない。故に瑞樹は沸騰して何秒とすぐに決める事は出来ず、最初は三十秒から始めて、後は味と毒見を繰り返し少しずつ確認していくしか方法が無いだろうと瑞樹はファルダンに提案する。ファルダンもまだまだ商品化の道のりは長いですねと苦笑しながら、その提案に乗ることにした。


 ともかく、今ある少量の牛乳を火にかけてくると再び部屋を出ていくファルダン。普通は従者なりにやらせるものだと思うが、やはりどこか変わった御仁だと瑞樹は肩を竦める。少し待っていると、湯気をモワモワと立たせた熱々の牛乳を持って再びファルダンが戻ってくる。


「では冷やしてみましょう」


「粗熱は取らなくても良いのですか?こんなに熱いと中の氷が融けてしまうのでは?」


「問題ありません、これくらいで融けてしまっては魔道具の名が廃りますよ」


 ファルダンはそのまま試作冷蔵庫の中に投入する。ファルダンはそう言うが、瑞樹はどうにも半信半疑だったのでソワソワとしながら見守っていた。するとファルダンの言う通り氷柱は全く姿を変えないまま牛乳が冷やされ、小瓶の周りに結露が出始める。その様子を観察していた瑞樹は、改めて魔道具の凄さを思い知らされた。


 それから暫く待ち、ようやくその時がやってくる。キンキンに冷えた牛乳、外気にさらされた小瓶には水滴がついている。見た目は現代のそれと変わらず、久しぶりの牛乳に瑞樹は思わずごくりと喉を鳴らす。


「では試飲してみましょうか」


「はい、ではいただきます」


 ごくりと一口、感想はただ一つ、牛乳だ。そう呟く瑞樹を見つつファルダンも一口、感想は無くただ、ほう、とだけ口から漏れ出る。


「私は美味しいと思いますが、ファルダン様はどう評価されますか?」


「ふむ、初めて牛乳を飲んでみましたが中々良い味だと思います。ただ、あまり量を飲む物では無いかもしれませんな」


「そうですね、あまり大量に飲んでもいくら殺菌されているとはいえお腹を壊すかもしれません。元の世界でもたまにいますから。意外とこの小瓶くらいの量が丁度飲みきりやすい量かもしれませんね」


「確かに、これなら美味しいと思える範疇の量でしょう」


 二人は牛乳の味を確かめつつ、どうすれば売れるか真剣に話し合う。売れれば何でも良い、ではなく安全性もきちんと考えておかないと後々大変な事になってしまう。生まれた世界は違えども、客に良いものを提供する、というのはどこでも同じなのだろう。

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