日常に戻ります
明けて翌日、瑞樹は昨日のお酒が抜け切らず少し頭がフワフワしていたが、身体の不調を訴えるまででもない、そんな朝を迎えていた。間もなくノルンも目を覚ましたのでビリーを起こしに行ってもらい、いつものメンバーで朝食をとり始める。
「今日はお前なにすんだ?」
パンをかじりながらビリーが瑞樹に尋ねる。ちなみにビリーは今日は一日中ゆっくりしているとの事、確かにここ最近は依頼にかかりっきりだったので身体を休めるには丁度良いと思われる。
「あぁ俺はちょっと用があるんだ、だからノルンを見ててやってくれよ」
「別に良いけど、用って何だ?また侯爵の所か?」
「いや違う、今日はな―」
そこは街から少し外れた場所にある、小さな教会だった。瑞樹も街の中をまんべんなく歩いたつもりにだったが、こんな場所にこんな物が建っているとは知らなかった。
「ここか」
誰に言うでもなく、ポツリと呟く瑞樹。ここには昨日救助された人達が一時的に収容されている。こういった事に巻き込まれた者がいる場合、最寄りの教会へと送られるのがこの世界では慣例となっている。瑞樹はギィと少し立て付けの悪い扉を開けて中に入るとそこには二人の女性がいた。一人は恐らくここの職員で結構老いた見た目をしている、そしてもう一人は昨日から何かと縁のある女性の冒険者である。
「おや、ここに人が来るとは珍しいねぇ。ここに何か用ですか?」
「あら、やっと来てくれたのね」
「あんたが昨日来いっていったんじゃないか」
瑞樹はハァとため息をつきながら昨日の事を思い出す。瑞樹は救助された虜囚がその後どうなったかは聞かされていなかったので例の冒険者に聞いてみたのだが、すると明日あたしも行くから一緒に行こうと提案される。瑞樹にとってはそんな面倒臭い事はせずに、ただ場所さえ教えてくれたら自分で確かめに行くのでそれで良かった。のだが、この女性お酒のせいかやけにネチネチと絡んで来て、一緒に行かなきゃ教えてあげないだのなんだのと、遂には瑞樹が折れてならば現地で合流という折衷案で手打ちとなる。当の冒険者本人は渋々といった表情だったが。
「おやまぁ貴女の知り合いかい?」
「そうね、昨日初対面だったけど、今はもうとても仲良しよ」
ウフフと微笑みながら女性は回答する、どこがだよと瑞樹は突っ込みたい気持ちを抑えて本題に入る。
「それで?あの人達は何処にいるんですか?」
「あの人達…あぁ昨日助けられた人達の事ですか、それならこの教会の裏にもう一つ小屋があります、そこで今は休んでいます。様子を見に行きますか?」
穏やかな物腰で職員が尋ねてくる。神に仕える敬虔な信徒とはまさにこのような方なのだろうと、瑞樹は少しだけ心を奪われる。
「いや…そうですね。ところで彼女達の様子はどうですか?」
「様子ですか?そうですね、こういった事に巻き込まれた女性は大抵心を閉ざしてしまいます、最悪の場合自ら命を絶ってしまうのですが…珍しい事ではありません。ですが今回助けられた方達は多少なりとも自分の意思を表現してくれています、普通はこんな事はありません。長い時間がかかるでしょうが、きっと元の生活に戻れるでしょう」
「そうですか、それなら良かった。じゃあ俺はこれで」
手を上げて踵を返す瑞樹を、女性は手を引っ張って制止させる。まさか一目も見ずに帰るなどと言うとは思ってもいなかったので、大分慌てた様子だ。
「ちょっとちょっと、もう帰っちゃうの!?せめて一目見てからでも良いんじゃない?」
「別に見たところでどうにかなる訳じゃないし、俺に出来る事は何も無いです。そのうち元気になるってのならそれで充分ですよ」
「もう、貴方って変なところで頑固というか偏屈なのねぇ。…ねぇお願い、あの時の歌を歌ってもらえないかしら」
「えぇ?何でですか」
「もう一回聴きたいなって思って、ね?良いでしょ?」
手を合わせてお願いしてくる女性にたじたじの瑞樹、職員は何の話し?と首を傾げている。瑞樹もどうにも美人に頼まれると断り切れないヘタレなので、ここで良いならと仕方なく引き受ける。
「じゃあいきますよ?」
ハァとため息をつきながら、癒しの歌を歌う。あの時、虜囚へ歌ったこの歌。今は怪我人とかはいないので誰にどんな効果が出るのかは未知数だ。そういえばただ聴いてもらう為に歌うのって初めてだなと、瑞樹は思いながら歌い続ける。
「…ふぅ、ご満足いただけましたかね?」
「えぇ勿論、昨日もそうだけどやっぱり貴方って良い歌声ね」
「私もそう思います、心なしか身体が軽くなった様な気分です」
手をパチパチと叩きながら、職員と女性から感嘆の声が上がる、歌の効果はどうやら職員さんに出たらしい。そして別の場所にも影響が出ていた。コンコンと扉を叩く音がする、誰かが来たらしい。はいはいと職員が扉を開けると、そこには意外な人物が立っていた。
「あらあらどうしたの?何かあった?」
そこには昨日救助された女性の一人が立っていた、まだどこか生気の薄い、瑞樹はそんな印象を受けてしまうが目には少しだけ力を感じる。が、それはそれとして瑞樹はしてやられたと思った。何で唐突に歌えなんて言うのかと思ったらこれが狙いか。他の魔法であれば効果範囲は見て分かるものが多いが、歌魔法は違う。対象者を選ぶ事自体は可能だが周囲の人間に対して聴かせない、という事は出来ない。そこを突いたのか。などと瑞樹は仮説を立てるが答えは本人に聞いてみないと分からない、そもそも偶然ここへ来たのかもしれないのだから。
「えっと、あの、その…」
「大丈夫、ゆっくりで良いですよ。さぁ深呼吸して?」
目が泳いでいるその女性を職員が落ち着くように優しく促すと、漸く重々しく口を開く。
「さっき、ここから歌が聴こえたんです。それがどこかで聴いた事があるような気がして、気になって来てしまいました」
恐らく昨日の事を朧気に覚えているのだろう、意識が殆ど無い状態であっても瑞樹の歌は心に影響を与えていた。
「もしかして昨日の事を覚えているの?ならこの人が―」
女性は瑞樹の方を指指しながら紹介しようとするのを、瑞樹は無理矢理前に出て制止する。
「確かに今歌ったのは俺だけど、別に俺は何もしていないです。聴いたことがある気がするだけですよ。じゃあ俺はこれで」
「あっ、ちょちょっと待ってよ。待ちなさいってば!」
別れの挨拶も程々にそそくさとその場から立ち去る瑞樹とそれを追いかける女性冒険者。それを呆気にとられながら見ていた職員は、訳が分からなかったが何となくあの人がこの女性達を救ってくれたんだろうなと勝手に納得する。
街へ戻る道中、行き先も同じ二人は無言に耐えきれなくなった女性の方から話しかけてきた。
「ねぇ、さっき何であんな事を言ったの?実際貴方が治したも同然なんだから名乗っても良いと思うのだけど?」
女性は片眉を上げながら瑞樹に尋ねると、はぁと深い溜め息を一つ吐いた後、瑞樹は答える。
「確かにそうかもしれないけど、心の傷なんて実際誰が治したかなんて分かる訳が無い。たまたまあのタイミングで治っただけかもしれないし、そこに俺が治したなんて恩着せがましくするのなんて嫌だし、恩を感じてもらってもこっちとしては迷惑なだけですよ」
瑞樹は彼女達のこれからの枷になりたくなかった。一生分の傷を負わされた彼女達に、さらに恩という枷をはめるのは心苦しく感じていた。あの歌は間違いなく心の傷を多少なりとも癒した、だがそれは一歩間違えればそれに依存させかねないともとれる、瑞樹はそう感じてあのような行動を取ったのだ。
「やれやれ、貴方って本当に頑固で偏屈で…優しすぎるわね。あの人があんな事を言うのも頷けるわ」
肩を竦めながらも顔は微笑ませながら女性はそう口にする、瑞樹の頑固さはビリーですら手を妬く程なのだから、会ったばかりの人に何とか出来る程簡単では無い。
「どう思ってもらっても良いですよ、そもそも何で頑なに俺を誘ったんですか?あの職員さんと随分仲が良さそうでしたけどそれと何か関係が?」
「別に深い意味は無いわ、ただ現実を見てもらいたかっただけよ。結局貴方は会わないで帰っちゃったけど、ああいう目に合った人って無事に助けられてもその後の人生をまともに送れるとは限らないからね。だから自分がもっと上手くやればなんて自惚れを砕いてあげようかなって」
この女性、見た目によらず中々手厳しい事を言ってくれる。先程瑞樹もこれ以上自分に出来る事は無いなどと言っていたが、直球で言われるとズンと来るものがある。
「あと何だっけ?あぁそうそう職員…というかシスターの事だったわね。別に仲が良い訳じゃないわ、昔からの知り合いってだけ。…あたしは産まれも育ちもここだから、ああいうのは良く耳にしていたし見てきた。それでも冒険者をやろうだなんてあたしって本当に馬鹿だよね」
女性のその瞳は何処か遠い場所を見ている感じがする、もしかしたら昔ゴブリン関係で何かあったのかもしれない。だがそれを聞いてみようとは思えない、そこまで踏み込んではいけないような無言の圧力が瑞樹の隣から感じられていた。そこからは互いに話しかける事もなく街へと戻っていく。
街の入口まで着き、瑞樹は別れようとするが待ってと彼女に呼び止められる。
「そういえばまだ自己紹介してなかったわね。あたしの名前はカトレアっていうの。これから仲良くやっていきましょう?もし縁があれば一緒に依頼もやりたいわね、だって貴方にとても興味が湧いてきちゃったし。じゃあね、バイバーイ」
「あっ、ちょっと!」
カトレアと名乗る彼女は手をヒラヒラさせながら人混みの中へと消えていく、興味って一体何だよと答えの無い疑問に頭を抱えながら、宿へと戻る羽目になるのであった。
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