記憶と記録

「そういえばノルンって歳はいくつなの?」


 色々と目先の事に囚われていたらすっかりとノルンの年齢を聞くのを忘れていた。エレナ嬢よりは小さいので多分十歳よりは下だと瑞樹は思っている。ただ実際の所は聞いてみた方が早いので尋ねたのだが、何故かノルンはしゅんと悲しい表情を瑞樹に向ける。


「すみません姉さん、私は気付いた時からあの場所にいたので歳は分からないんです」


 物心ついた時から奴隷として扱われていたノルンは、自分の年齢を知らないまま過ごしてきた。ならば名前も知らないのでは?と瑞樹が問いかけると、店主は自分の事をノルンと呼んでいたので自分の名前がノルンであると知ったそうだ。ただそれが合っているか確証は無いが。


「そうなんだ…それじゃあ私がノルンの歳と誕生日を決めてあげる。そうだな…歳は今年が七歳で、誕生日は私と貴方が出会ったあの日にしようと思うけど、どうかな?」


「私は問題ありません、むしろとても嬉しいです。でも何で七歳何ですか?」


「特に深い意味はないんだけどね、私の故郷では七っていう数字は縁起が良いとされていたからって理由なんだけど、駄目?」


「いえ、姉さんが決めてくれたんですから私は大満足です」


 ノルンが不思議そうに首を傾げたりニパッと笑うのを見ていると、やはり年相応の少女なんだなと瑞樹は目を細めながら観察する。今という大切な時間を未来にも形にして残してあげたい。そんな気持ちから瑞樹はとある物を作ってもらいたいと侯爵の元へと向かう事にする。


「さて、今日はどのようなご用向きですかな?」


 思い立ったら即行動、侯爵の元へとやって来た瑞樹。急な訪問だったがファルダンはいつもと変わらずにこやかな笑顔で迎えてくれた。


「実はファルダン様にお願いしたい事があってきたのです」


「おや瑞樹殿が頼み事とは珍しいですな。わたくしが出来ることであれば喜んで力をお貸ししますよ」


 瑞樹の発言にファルダンは目を丸くする。直後いつもの微笑みに戻るが、その視線がギラリと光ったのは瑞樹も見逃さなかった。


「ありがとうございます、その頼み事というのはある物を作ってもらいたいんです」


「ほう、ある物、ですか。それはもしかして異世界の物ですかな?」


「その通りです」


 やはり、とファルダンは顎を撫でながら考え込む。先程の鋭い視線は多分新しい異世界知識の気配に惹かれたのだろうと、瑞樹は勝手に納得するがそれにしてはやけに考え込んでいる。


「とすると、異世界の知識となれば商談にしたほうがよろしいのでは?契約では貴方の知識に対価を支払う事になっていますので。貴方の知識を形にするのはわたくしとしても望む所ですが、それをやってしまうといくら瑞樹殿の依頼とはいえ、貴方が丸々損する事になります」


 なるほどそういう事かと瑞樹は得心する。確かに契約ではそうなっているが今回はあくまで私的な理由で、そもそも自分一人では作る事はおろか、材料の調達すらままならないのでファルダン様に丸投げという事になってしまう。材料と手間賃を負担してもらっているのにさらに金銭をもらうのは流石に申し訳がない、という考えを伝えたところ意外な提案を持ちかけられる。


「ふぅむ、瑞樹殿の欲の無さも貴方の良さであるとは思いますが、もう少し自分の欲を出しても良いとは思いますがな。それはさておき、ではこういうのはどうですかな?」


 曰く、異世界の知識である以上いずれは商品化し販売される事になる、その時の売上を折半してみてはどうか?という話しで、いわば共同事業である。瑞樹もあまり自分の主張ばかり押し通しては相手に失礼と思い、これを受け入れる決断をする。


「ほっほ、ではお金の話しはこれくらいにして本題に入りましょうか」


「そうですね、今回作ってもらいたいのはカメラと写真の設備です」


「カメラと、写真ですか。初耳ですがそれは一体どのような物ですか?」


 前回もそうだったが、ファルダンは異世界の知識の話しになった途端に豹変する。いつもは控えめながらも全体を良く見ている出来た大人だが、今は前のめりになっている感じだ。例えるなら幼子にお伽噺を聞かせているような感じだろうかと、瑞樹はその豹変ぶりに苦笑しながら説明を始める。


「そうですね、例えばファルダン様は何か思い出の場所とか、絵画にして残したい風景とかってありますか?」


 ファルダンは目を閉じて、顎を撫でながら過去を想起し、その懐かしい思い出を噛みしめながら答える。


「ふむ、わたくしも若い頃は色々な場所を旅していましたから、いくつか思い当たる所はありますな」


「でも絵画にするには手間も時間も何より技術が必要です。旅の合間のほんの一瞬を残すには余りにも難しい。そこで効果を発揮するのがカメラと写真です。これが完成すれば一瞬…とは言えませんが圧倒的に短時間で絵画の様に残す事が出来ます」


「ほう、それは素晴らしいですな。それが出来ればもしかしたら画家が生活出来なくなるかもしれませんな」


 口ではそう言っているが、言葉の端々からはまだ懐疑的であると印象を受ける。事実、以前の冷蔵庫もどきは構造が単純で容易に想像が出来るが今回は違う。景色をまるで絵画のように短時間で記録するなど魔法でも出来ない。それをやろうとすれば疑問など尽きないだろう、故に瑞樹は製法は後にして簡単な理屈や仕組みから始める。


「具体的な製法とかは後にして、まずは簡単に仕組みとかお話ししましょうか」


とは言っても瑞樹も詳しい訳ではない、元の世界で呼んだ書籍の知識をフル動員してかろうじて説明出来るか程度でしかないが、それでも一生懸命熱弁する。


 まず大前提として、この世界で再現可能な物を選定する。デジカメなぞ論外、インスタントカメラですら無理で消去法で考えた結果、ある物に辿り着く。それは簡単に言うとピンホールカメラで、これなら極端に言うと箱さえあれば出来る、小学生の夏の自由研究でも出来る代物である。レンズを付ければより鮮明になるが、そこは今後の技師に期待する。それよりも問題なのがフィルムの代わりをどうするかだが、カメラの歴史を学んでいく中で知識自体はある。


 まず銅板を銀メッキして鏡面処理し、これをヨウ素の蒸気にさらすと膜が出来る、これがフィルムの代わりになる。これを光に当てないようにカメラの中に仕込むと写真が撮れる。


 箱に開けられたピンホール孔から光が入り、おおよそ大体十分から二十分程度そのままにすると、この板に記録されるのだが、そのままでは見ることは出来ないので現像が必要になる。どうするかというと、水銀の蒸気に当てるという今では考えられないとても危険なやり方を行なう必要がある。どうやって極力安全に行なうかは後で考えるとして、このままの状態だとすぐに画像が崩れてしまう。その為この後さらに食塩水にさらす、すると画像が定着するという寸法だ。ちなみに何でそうなるか科学的な理由は瑞樹は全く覚えていない。


 ここで問題になるのは水銀とヨウ素の調達が果たして出来るのかという点だ。水銀はこの世界でも発掘されている事を期待するしかない。ヨウ素は確か海藻とか硝石とかから出来るんだっけ?と瑞樹は思考していると途端に胸がざわつき始める。硝石…いや今考える事ではないと、瑞樹は首をふるふると振り頭を切り替える。まずは調達出来るかどうか、それが肝要なので瑞樹はファルダンに尋ねてみる。


「ふぅむ、どちらも聞いた事はありませんが海藻は手に入れる事は出来ます。どうやって抽出するかは後にして、水銀というのはどんな鉱物なのですか?」


「確か…見た目は赤いような気がします、俺も実際に見た事は無いんですけどね。」


「赤い鉱物ですか、確か採掘場にそのような物があったような気がします。後で確認しておきますよ」


「ありがとうございます、しかし自分で言うのも何ですけど問題が山積みですね」


「ほっほ、全く新しい事に挑戦するのです。そんな簡単に出来る程世の中甘くありませんぞ?それにしても何故これに執着されるのですかな?恐らく…いえ間違いなくこれは歴史に残る発明です。これが世に出れば嫌でも貴方の名が売れてしまう、それは貴方の生き方に反するのでは?」


「そうですね、確かにその通りです。でも私はあの子の成長を記録に残したい。成長し、男性を愛し子を成す、さらにその子にもその想いを継いで欲しい。過去を懐かしみ、未来を描いて欲しいのです。親バカかもしれませんけどね」


「親バカ…ですか?」


「子を思うあまり、行動が度を過ぎるって感じですかね」


 瑞樹は照れ臭そうに頭を掻きながら話す。その様子をぽかんとした様子で見ていたが、その言葉を噛みしめるように深く頷き、目を細める。


「ほっほ、確かに今の瑞樹殿は大変な親バカですな」


 問題は山積している。それでも瑞樹はこの世界にカメラと写真の知識と技術を確立させたい。この世界の人々の大切な思い出、記憶を記録として後世に残す。自身の目的のついでに達成出来れば万々歳だ。

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