都会育ちの山形暮らし!

降川雲

「おはよっすー、大輔さん起きってたが?」

 大輔が出勤するときよりも幾分か遅い時間に目覚めた時、自宅のアパートの玄関から訛りの強い声が聞こえてきた。寝起きでうまく思考が巡らない状況だったが、この声の主はアパートの向かいに住んでいる大家の息子だとわかった。

 どうにか他人と顔を合わせる体裁を取り繕おうと、よれよれのシャツに袖を通す。軽く顔を洗ってから、玄関へ向かった。

「おはようございます東海林とうかいりんさん……あの、今日は平日ですけど?」

 玄関先の東海林はにこやかに笑いながら、

「今日はいい空だから蕎麦でも食いにいかねがっす?」

 そう大輔に問いかけた。いや、問いかけたとは言ったが、既に東海林の中では蕎麦を食べに出かけることは決定事項のようである。実際東海林は大輔の手首をしっかりと握ってしまっていた。

「あの俺、まだ支度できてないので手離してもらっていいですか……?」

 そう言うと東海林が手を離したので、玄関のドアを閉める。折角の休日なのでこのまま無視しようかとも思ったが、ドアの向こうの東海林は無邪気に大輔の支度が終わるのを待っている。


 似たような出来事は、大輔が山形に越してきたちょうどその日にも起きていた。大輔のアパートの向かいに大家の一家が住んでいるので、越してきた当日に大家に挨拶に行ったのだ。そこにいたのが東海林直樹、そう彼だった。

 その後大家一家は大輔の引越の手伝いをしてくれた。しかし時間が経つにつれて、最後まで部屋に残っていたのは直樹だけになった。ダンボールの山があらかた片付いてきた頃に直樹が、

「大輔さん、ラーメンでも食いに行かねが?」

と言い出してきた。そして気づけば大輔は直樹に連れられて、ラーメン家に向かう車の中にいたのだ。だが不思議と直樹に振り回されるのは不愉快ではなく、あまり主体性を持って行動する機会の少なかった大輔にとっては不思議と心地よさもあった。


 大輔がカバンの準備をしながらぼうっとして、この土地に越してきた日のことを思い出していた時だった。

「大輔さん生きてたがー?」

 いつもよりも悲哀がこもった声がかかる。慌てて大輔は玄関へ向かうと、

「生きてます! ちょっと山形に越してきた日のことをふと思い出していただけです……」

 と、弁明をした。大輔の姿を見た直樹はとたんに表情を明るくして、

「えがった! 今日は遠くさ車乗って行ぐから、そろそろ出かけないといけないと思ってたんだっす!」

 そう相槌を打つ暇もなく直樹の車に案内される。短い付き合いの中でわかったことだが、三十路手前の大輔よりも直樹のほうが三歳ほど年が下だった。直樹の車は母から譲ってもらったらしい、少し煤けた軽自動車だ。だが今まで大輔は、家を出て最寄りに行けばなにかしら電車やバスに乗れるような、自家用車とは縁遠い生活を営んでいたので車の価値を言われてもよくわからなかった。

 大輔がシートベルトを締めながらとりとめもないことを考えていると、大介の知らない山形の可能性へ向けて、車が走り出したのだった。

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