EPISODE:1 玄崎明の場合/Just an ordinary day

 EPISODE:1


"Just an ordinary day"


 ――鼓動が、ひときわ大きく聞こえた。


 何かが起きる予感だと思った。


 心臓の音が大きく聞こえる時は、本能が予兆を知らせているのだと、誰かが言っていた気がする。虫の知らせか、あるいは気のせいか。


 けれど、今まで生きてきた十六年間で何か大きな事件が起きた試しは無かったし、これから生きていく上でもきっと劇的な事は無いだろうと思う。


 今までも、そしてこれからも。平凡に生きてきた自分は平凡に老いていき、そして普通に死ぬのだと思っている。


 玄崎明くろさきあきらはそういう人間だ。何かに秀でた取り柄もなければ、特に異常な人間でも無い。何もかもが平均的で個性のない、つまらない人間。


 自分は永遠にこのままなのだと思う。例えば高校を卒業して、進学かあるいは就職か、いつかどこかの企業に勤めたとしても。それでもきっと、つまらない大人になっていく未来が見える。


 誰にでも出来る役割を当てられて、誰にでも出来る仕事をこなして、満員電車に押し込められる労働者の一人として、緩やかに老いて死んでいく人生。


 歴史に名を残すのではなく、社会の歯車として摩耗していくだけの日々を繰り返していく内に、いつのまにか人生が終わりに近づいていくのだろうと、この年齢にして、薄々と予感していた。そういうものだと思っていた。


 けれど、最近は違った。


 繰り返される日々のループ。毎日変わり映えのない日常。無味乾燥な人生のサイクル。どこまでも見え透いた将来が、いつの間にか怖くなっていた。


 このまま大人にはなりたくないと思った。

 未来を考えるだけで気が狂いそうだった。


 だから、ここから抜け出したいと思い始めた。


 けれど、そう簡単には出来なかった。中学を卒業して、高校に入れば何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったけど、今やそれも彼方の話。結局、玄崎明は玄崎明のままで、何も変わりはしなかった。取り柄も無ければ大した魅力も無い人間は、結局、最後の最後まで変わりはしないのだと思う。


 あなたの代わりはいません。あなたは特別なオンリーワンだって先生は言うけれど。じゃあ先生、あなたは僕の何がオンリーワンだと思うんですか。


 毎日が一ミリも変わらない日常に、溺れてしまいそうだった。誰かに助けて欲しかった。自分という人間を、退屈という名の絶望から引き上げてくれる蜘蛛の糸が欲しかった。ちょっとくらい過激すぎても何でもいい。きっかけが欲しい。僕をこの平凡すぎる日常から、引き上げてくれる何かが。


 ――けれど、そんな都合のいい話が空から降ってくるはずもなく。

 だからこうして、見たくない現実から目を背けている。朝っぱらから机に顔を突っ伏して、誰とも話さず、放課後までをやり過ごしている。


 そんな玄崎明に話しかける物好きが、このクラスにはいた。


「おう、クロ」


 整髪料で逆立てた茶髪と着崩した制服が目を引く少年、真山隼人まやまはやとが、明に快活な笑顔を向けていた。


「なに」


 親しげにあだ名で呼びかけるも、明の声は冷たい。


「今日も相変わらず陰キャだな。だからクロって呼ばれんだよ」


「わざわざイヤミ言いに来たのかよ。ならとっとと帰れ」

「わりわり、ちょっと話し相手が欲しくてさ――知ってるか? 例の連続殺人事件。昨日も出たんだってさ……」


 人なつっこい奴だと思う。見た目も悪くない上に、運動神経もそれなりに良い、高校一年生からのクラスメイト。成績は良くないが愛嬌があるので先生達にも親しまれている。そんな明るいキャラの隼人が自分と話したがる理由がよく分からなかったが、とにかく暇さえあれば明の所にやってきて、くだらない話をして帰って行く。


「ああ……また例のやつの話?」


 明はうんざりした顔で隼人を見た。ここ最近、クラスの話題やネットニュースを賑やかしつつある「怪人」の話だ。隼人は明と顔を合わせる度にしょっちゅう、この話を持ち出してくる。


「その話、好きだよな」


 明の皮肉な態度を気にもせず、隼人は続けた。


「『事件現場に現れる謎の怪人』だってよ。今度の殺人もそいつの仕業らしい」


 隼人は週刊誌を机の上に置いた。けばけばしい色使いの表紙に、所狭しと目を引く見出しが並んでいる。明はしぶしぶ週刊誌を手に取ると、記事に目を落とした。


 ――曰く、この町には怪人がいて。ここ最近、ネットやニュースを賑わせている連続猟奇殺人事件はそいつらが引き起こしているのだという。


「……レイブン?」


 記事の中に何度も出てくる名前を、明は無意識に呟いた。


「怪人に付けられた名前だよ。何でも、ビルとビルの間を飛び回ったりだとか、あとは鴉ヶ丘市の怪人だから、カラスの英語訳でレイブン――なんだと」


 人口十万人ほどの中途半端な政令指定都市に蔓延る都市伝説、あるいは与太話。


 ついには怪人の噂に尾ひれ羽ひれが付いた挙げ句、遂にはレイブンと言う名前までもが生まれてしまった。


 本当に、くだらない。

 あまりの胡散臭さに、明は大きくため息を吐いた。


「そういうの、今までホントだったことあったか?」


 今の時代に、心霊写真や怪奇映像などの噂話を信じられる気持ちが分からなかった。どうせCG加工だとか、ハクビシンやアライグマなど動物や何かの見間違えに決まっている。テレビのバラエティ番組で楽しんでいる程度ならまだしも、そのうち種明かしがされるだろう下らない茶番に、興味は湧かなかった。


「ところがどっこい。今回に関しては目撃者が滅茶苦茶いるらしい。おまけに写真や動画も撮られてる」


 見たいなんて一言も言ってないのに――あからさまに嫌な顔をする明を差し置いて、隼人は自信たっぷりに、自分のスマートフォンを突き出した。


 駅前の繁華街を夜間に撮影した写真だった。確かに灰色の……人型の「なにか」が、雑居ビルの間を飛んでいる様子が写し出されていた。しかし画像のブレはひどく、おまけに暗くて見えづらい。よくある未確認生物の画像みたいに不鮮明な写真だ。しかしSNS上では一万人以上に拡散されていて、お気に入り数も相当多い。


「どうせ着ぐるみとかCGだろ。殺人事件は殺人事件、怪人なんているわけ……」

「この写真が撮られたのは殺人事件と同じ日。つまり昨日だ。死体が見つかったのは鷹宮。しかも駅のすぐ近く、でだ」

「昨日? しかも鷹宮って……すぐ近くじゃないか」


 鷹宮駅と言えば、明たちの通う市立八咫第一高等学校からそう離れていない距離にある。徒歩にして15分程度。そんな所で殺人事件が起きたとなれば大問題だ。


「お前、ほんっとニュースとか見ないのな……職員室は大騒ぎだぜ。殺人犯がうろちょろしてるなら学校どころじゃねーだろ。たぶん、今日は早退できるぜ。つーわけで、放課後カラオケでも行くか? 山本たちと行く予定なんだが」


 明が「行かない」と即答すると「そう言うと思ったぜ」と隼人は呆れ顔で肩を竦めて、自分の席へと戻っていった。


 程なくして朝礼が始まった。担任の教師は隼人の言う通り、殺人事件の影響で今日は短縮授業を行うと告げた。担任の深刻な表情の裏腹、生徒達は放課後どこへ行くだとか何をするだとか、殺人事件も怪人もそっちのけで大盛り上がりだった。


                  *


 授業中、退屈な数学の授業に耐えかねて、明はスマートフォンをいじり始めた。口で興味が無いとは言いつつも、近所に殺人犯がうろついているとなれば、流石に事件に対する関心が湧いてくる。


 連続猟奇殺人事件。一番最初の犯行は半年前にまで遡り、現在の被害者は昨日で十五人目。被害者全てが鴉ヶ丘市内で発見されており、見つかった遺体は野生動物に捕食された跡のように損壊されているのだと言う。


 化け物の噂は、こういう背景から生まれたのかもしれない。と明は思う。ネットを少し調べるだけで、レイブン騒ぎについて沢山の書き込みやまとめサイトがヒットした。週刊誌やスポーツ新聞はひっきりなしに事件の記事を掲載し、最近では地元の製薬企業を引き立てて陰謀論まで示唆されている始末だ。


 製薬会社が作り出した人体実験の産物から始まって、宇宙人説や古代人説までよりどりみどり。オカルトマニアのネタには事欠かないだろうな――と明は思う。


 ネット上にアップロードされている幾つかの写真や動画を見ても、怪人の姿に統一性は全く無かった。獣人のようなものもあれば鳥人間のようなものもある。目撃者の証言を元に描かれた再現図のイラストでさえも千差万別だ。結局、共通するイメージが無いから作り物にも説得力が無くなるのだと、明は内心で小馬鹿にしていた。


 ネッシーはラジコンの模型だったし、ビックフットだって着ぐるみだ。ロズウェルの宇宙人だって作り物だった。レイブンだって、きっと誰かが殺人事件に乗じて仕込みを入れた大ほら吹き話に決まっている。


 だから単純に、興味が無かった。こんな噂話ごときに夢中になれる世間が羨ましかった。自分にはそんな余裕が無い。自分自身のことを考えるだけでいっぱいいっぱいなのに、都市伝説にうつつを抜かすほど、自分は暇じゃない――そう思って、明は机に突っ伏した。退屈な数学の授業をやり過ごす為に。


 ――そう、僕には関係が無い。


 僕には関係が無い。


 そう。思っていた。

 つい、数時間前までは。


EPISODE:1 End.

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