第14話 黒の誓い
僕が黒の国、スウァルテルムにたどり着いてから数日が経った。当分の間、僕は国を訪れた王の客人として扱われることになったらしい。いずれは正式な国民となれるようにしてくれるつもりだとも、この国の王、クシェリは言ってくれた。
寝台から体を起こし、カーテンを開いて外の景色を見る。
もうすでに朝になっているはずだと言うのに、外の様子はあまり明るくはない。僕が育った白の国、サントニアからそこまで離れてはいないはずなのに。……鬱蒼としげる木々が太陽の光をさえぎっているからだろうか??
そんな風に物思いを巡らせていると、いつものように扉を叩く音が聞こえてきた。
「失礼いたします。本日の朝食をお持ちしました」
扉を開けて入ってきたのは、金色の髪に青色の瞳の若い女性、リュメだ。彼女はクシェリ専属の使用人ならしいが、今は僕をもてなすための役割を担ってくれている。
「おはよう、リュメ。今日もありがとう」
「おはようございます。いえ、職務ですので」
机の上に食べ物を置くと、淡々とした様子で彼女はそう返事した。
「そんなつれない態度をとらなくても……。僕たち、年も近いだろうしさ……」
「そう言われましても、私にはあなたと仲良くしなければならない理由がありません」
「ええ~」
こんな風に彼女は冷たい言葉をよく使うが、不思議と拒絶されているようには感じない。それはきっと彼女の、リュメの態度が親切そのものであり、優しい心根が行動から伝わってくるからなのだろう。
「では私はこれで失礼いたします」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
部屋を出ていこうとするリュメを引き留める。
「何でしょうか?」
「せ、せっかくだしもう少し話していかない?」
「……少しなら構いませんが」
彼女はきびすを返し、机に座っている僕の方へと向き直った。
「君も座っていかない?」
正面の席を彼女に示す。
「結構です。勤務中なので」
「ええ~」
「……クシェリ様の相手をしたり、他の使用人の手伝いをしたりしなければなりませんので」
「そっか。やっぱりリュメは優しいんだね」
「………………」
彼女は無言のまま、しかめっ面で僕から目を反らしている。ひょっとしたら照れているのかもしれない。
「僕さ、人と話したりするのは苦手だけど、君とは仲良くできそうなんだ。だから、よかったら僕と友達になって欲しい。だめかな?」
「…………考えておきます」
視線をそらしたまま彼女は答えた。
「そっか、ありがとね!」
やはりリュメは優しい人だ。これからも仲良くしていけそうな気がする。
「……そんなことよりも、今日の予定について伝えなければならないことがあります」
「予定?」
「はい。今日クシェリ様は、あなたに対して本格的なおもてなしをしたいと思っておられるようなのです」
「本当!? 嬉しいなあ。…………でも僕なんかがもてなしを受けていいのかな…………。迷惑ばっかりかけてたし…………」
「それでは、『レイオス様はクシェリ様からのお誘いは受けたがっていない』と伝えておきましょうか?」
「え? いやいや! もちろん行くよ! ……クシェリ様には本当に感謝しているし、もっとお話したいと思っているからさ」
「そうですか。ではそのようにお伝えしておきます」
そう言うと、彼女はこちらに背を向け、扉の方へと向かって行った。
「あ、あのさ」
「なんでしょうか?」
取ってに触れかけた手を止め、彼女はこちらへと向き直った。
「えと、その、ありがとうね。外から急にやってきた僕によくしてくれて」
「……そのようなことを言われるほどではありません。全てはクシェリ様がお決めになったことですので。……ですが、私もあなたと同じで、この国では文字通り異色の存在です。少しは、あなたの力になりたいと思っております。……それでは」
そう言い残すと、彼女は扉を開き部屋を後にした。
「異色の存在、か」
そういえば、彼女の髪もこの国では珍しい金色だ。もしかしたら、彼女も、僕みたいにクシェリに救われたのかもしれない。だとしたらやはり、この国の王クシェリはとても暖かく優しい人で、いつもその近くにいるリュメも優しい人に違いないのだろう。
サントニアを抜け、旅を始めて思うのは、僕はとても人との出会いに恵まれているということだ。
国で酷く扱われていた僕に対等に接し、舟で対岸まで連れていってくれた漁師のぺリスさん。セイレンブルクで出会い、僕に暖かな時間と、黒の国に行くためのチャンスを与えてくれたマリヤ。そして、本来敵対しているはずの白の国からやってきた僕を、優しく受け入れてくれたクシェリ。
この世界は思っていたよりもとても優しく、美しかった。
もう後悔はない。たとえ死の定めがやってこようとも、今なら受け入れることができるだろう。
そうして時間を過ごしているうちに、会食が予定されていた昼頃の時間となり、僕はリュメに案内されて、クシェリが待っているという部屋の扉を開いた。
「こんにちは、レイオス。どうぞ椅子に座って」
扉を開いた先にあったのは、ゆったりしとスペースの中に佇む、少し大きめのテーブルだった。テーブルの上には豪華で多様な料理が並び立っており、繊細ながらも力強い風味を醸し出していた。
「こんにちは、クシェリ様。失礼します」
そう言って、彼女の正面の席に座った。
「ふふ、そんなに畏まらなくてもいいのよ? 今日はあなたに楽しんでもらうために呼んだのだから」
クシェリは優しく微笑んでくれる。
「やっぱりクシェリ様は優しいですね。こんな流れ者の僕に、こんなに素晴らしいおもてなしをしてくださるなんて」
「ありがとう。本当はもっと早くもてなしてあげたかったんだけど、色々と忙しくてね……」
「ご事情、お察しします……」
「もう、そんなに気を遣わなくていいのに……。でも、ありがとう。……それじゃあ、食事を始めましょうか。ふふ、あなたの好きなように食べていいからね」
「はい、ありがとうございます」
それから、僕たちはゆっくりと品々を味わいながら、言葉を交わした。口に運ばれる料理は、甘く、時に激しい味わいで、僕の心を満たしてくれた。だけど、何よりも幸せだったことは、彼女の優しい瞳と声が、僕に向けられていることだった。
気づけば、永遠にも感じられる長い時間が過ぎ、残されている料理もわずかなものになっていた。しかし、僕の胸を満たしてくれる甘い疼きは、この先もずっと続くのではないかと感じられた。
「もう食べられるものも残り少なくなってきたわね……。もう少しあなたと話していたいものなのだけれども……」
「僕も、少し名残惜しいです……。だけれども、こんな風に美味しい料理を頂いて、クシェリ様とお話もできて、僕は本当に幸せでした」
「もう、おおげさね。これから戦場にでも行く、みたいな風に言わないでよ」
「あはは、すいません」
今のは少し笑ってしまった。「黒の国ジョーク」みたいなものだろうか?
「クシェリ様、僕はこれから、ずっとここにいていいのでしょうか?」
「ええ、もちろん。……でもあなたが嫌なら、いつでも抜けて行ってくれても構わないわ。……寂しいけれど」
「いやだなんて少しも思ってません。……けれども、ただあなたの優しさに甘えているだけじゃ、だめなんだと思うんです。あなたのためにできることを、少しでもしたいんです」
気持ちの強さを伝えるため、まっすぐにクシェリの目を見つめる。
そうすると、彼女は僕の目をみつめ返し、返事をしてくれた。
「ありがとう。あなたの気持ち、とても嬉しいわ。私は、あなたが今まで辛い思いをした分、ここでゆっくりと羽を休めてくれればいい、と、そう思った。だけど、あなたのその気持ちも、十分に分かる。だから、あなたの好きなように、あなたのできることをやってもらえたらいいと思う」
彼女の言葉は本当に真摯で、僕のことをよく考えてくれたんだなということがしっかり伝わってきた。
「……本当に、ありがとうございます」
僕は嬉しさでいっぱいになったせいで、はにかむような、それでいて微笑むような表情になり、目には少しだけ涙を浮かべているという、なんとも言えない顔になってしまった。
「え? だ、大丈夫?」
おかしな顔を見せまいとうつむき気味になったせいか、彼女は僕を心配して言葉をかけてくれた。少しの涙をぬぐい、なんとか見れるものになった顔をクシェリに向ける。
「ごめんなさい。嬉しかったので、つい」
そう言うと、彼女は安堵の表情でほっと息を吐いた。
「なんだ、そうだったのね。てっきり何か、ひどい言葉をかけちゃったのかと……」
「あはは、それはさすがにないですよ。……それでなんですけど、僕がどんなことができるか、聞いて頂いてもいいですか? その方がきっと、クシェリ様の役に立てると思うので」
「ええ、それもそうね。遠慮なく話してみて」
「はい。えと、とりあえず、多少の読み書きはできます。本をよんだりもするので。役に立つかは分かりませんけども……。あと、それと……」
「? 他にも何かあるの……」
彼女は不思議そうに僕を見ている。
「は、はい。……それと、体を動かすことは得意です。なので、力仕事などで役に立てるとは思います。……ただ、生き物の命を奪うことだけは、したくありません」
「そうなのね。分かったわ。よかったらなんだけど、どうして生き物の命を奪うのは嫌なのか、聞いてもいい?」
「それは……」
僕は彼女に答えることがてきず、下を向いてしまう。この理由を答えるには、彼女に伝えることができていない、僕の忌むべき秘密を告白しなければならない。
……白の国、サントニアで冷遇されて育った僕には、職業選択の自由が与えられていなかった。たいていの仕事場は、僕が加わることを受け入れてはくれないからだ。そんな中、僕が選んだ選択肢は、生き物を狩って生計をたてる、猟師というものだった。しかし、サントニアにおいて、猟師という職業は、穢れた忌むべきものして扱われてきていた。二重の意味で差別される上に、人ではないとは言え、動物から命を奪わなければいけない日々は、僕の心をひたすらに蝕んでいったのだ……。
「レイオス」
名を呼ばれ、はっと彼女の方を見る。
「大丈夫。あなたの気持ちはよく分かったわ。誰にだって言いたいことの一つや二つはあるもの」
「クシェリ様……」
「でもね、レイオス。私はあなたのどんな辛い過去だって受け入れるわ。あなただって、もう、私が守るべき民の一人なのよ」
「クシェリ様……僕は……」
「レイオス、こっちにおいで」
手招きされ、言うとおりに彼女の座っている席の近くに行く。
彼女は立ち上がると、僕の目をみつめ、優しく抱きしめてくれた。甘く懐かしいような匂いが、僕を安心させる。
「大丈夫よ、レイオス。もう、一人じゃないから……」
「はい……クシェリ様……」
サントニアの人々は、黒の民を、悪魔の化身だ、闇の住人だ、などと言っていた。……ならばそれでも構わない。
この身を悪魔に捧げ、闇の眷属となろう。だって、この国の悪魔は、こんなにも甘く優しいのだから。
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