第11話 懐かしい温もり

 もしかしたら、父親は黒の民なのではないかと、そう考えたこともあった。だけど他に灰色の髪をした人を見たことはなかったし、誰もそのことについて深く言及してこなかったから、はっきりと確証を得ることもできなかったのだ。

「このことは、黒の民なら誰でも知っていることなんですか?」

 そう訪ねると、黒の王女クシェリは、くだけているようでいて、王然とした佇まいを崩さずに答えた。

「いいえ。このことは古い歴史書に書いてあることだからね。知っているのは王と臣下、あるいは知識人のみよ。そちらの国でも同じような状況なのではないかしら」

 確かに、灰色の髪がどうのこうのなんて話は聞いたことがない。もし国中の人がこの事実を知っていたなら、僕はとっくの昔に死んでいたことだろう。

「……サントニアでは、そもそも黒の民と交わったり、黒の民について深く知ろうとすることは禁止されていました。それが幸いして、僕は″異民族”程度の扱いで済まされていたのかもしれません……」

 そう言うと、彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに落ち着いて言葉を返してくれた。

「なるほどね……。サントニアでは、そんなにも規律が厳しいのね……。でもそのおかげで、あなたはここまで生きてこれた」

 彼女は僕の心を読んだかのように、悪戯な笑みをこぼして見せた。

「そうなんです。……本当に、運がよかった…………」

 訪れたかもしれない死の感覚に、少しだけ体が震える。最近は本当に、死にそうな思いばかりしているな……。

 少し俯き加減になって黙っていると、彼女はそっと言葉を紡いだ。

「……でも大丈夫よ、ここにはもう、そんな理由であなたの命を奪ったり、傷つけたりする人々はいない。もしいたとしても、あなたを傷つけさせたりは絶対にしない。この私が誓うわ。だから安心して、レイオス」

 顔を上げると、彼女の、クシェリの優しくて強い瞳が、僕を見つめていた。

「クシェリ様……」

 ポタリ、ポタリと、目から何か暖かいものが零れ落ちていく。

 ――この感覚、ずっと昔に感じていた、懐かしい感覚……。

 

 ――そうだ、この感覚は、幼き頃に感じていた温もり……。母親の腕に抱かれていた時に感じていた温もりだ……。


 母はいつも優しかった。何もかも受けいれてくれるような懐の深さを持った人だった。どんなにこの世界の風が冷たくても、母の温もりがあったから、次の日も生きていこうと思えたんだ……。


「レイオス。大事なのは、いつだって心なのよ」

 母は優しく、僕に語りかけてくれた。


 母さん……僕は…………。

「ちょっと!! 大丈夫!?」

 気がつくと、目の前にはクシェリがいて、僕の体を揺さぶっていた。

「え? すいません、今どうなって……?」

「急に泣き出したかと思えば、呆然としてたから……! どうしちゃったの!? 大丈夫!?」

 本当に心配そうな様子で、彼女は僕を見ている。その姿が再び、優しかった母の姿と重なりかける。

「いえ、あの、大丈夫です。クシェリ様のお言葉を聞いて、少し安心してしまったもので……」

「そうなの? 何ともないの?」

「はい。大丈夫です」

「……ふう、ならよかったわ……」

 彼女はほっと息を吐いて、再び席に戻った。

「あんまり心配かけないでほしいわよ、まったく……」

「すみません……」

 少し頬を膨らませた彼女の様子は、王と言うよりは人並みの女の子のように見えて、一瞬だけ胸が高まる。

「あの、クシェリ様……」

「なに?」

「ご迷惑をお掛けしました。僕はもう大丈夫ですので、本題に戻りませんか?」

「それもそうね、うん。……でもその前に」

 彼女はどこからか、ハンカチを取り出し、こちらへと手渡した。

「まずはその涙を拭いてからね?」

「ありがとうございます……」

 クシェリからもらったその黒いハンカチで、頬を伝わっていた涙を拭き取る。

「ありがとうございます。お布、お返しいたします」

「いいわ、あなたにあげる。親交の証だと思って?」

「……本当に、ありがとうございます」

「そんなに気にしなくていいわ。たかだか布一枚なんだから」

「はい……」

 言葉とは裏腹に、僕はこのハンカチを一生大事にしようと思った。

「それじゃあ、これからあなたに色々聞いていこうと思うわ。煩わしいとは思うけど、この国は少しでも多くの情報を必要としてるから、許してね?」

「あ、はい。でもその前に、一つだけ言えないことがあります。それでも大丈夫でしょうか?」

「もちろん構わないわ。何についてかしら?」

「僕の職業についてです。……あまりいい仕事とは言えなかったので……」

 そう、僕がサントニアでどんな職についていたかは、どうしても伝えたくないのだ……。彼女なら受け入れてくれるかもしれないけど、それでも怖い……。それに何より、僕自身、この職業には誇りを持てていないのだ……。

「分かったわ、あなたの職業については何も聞かない。それで大丈夫よね?」

「はい、ありがとうございます……」


 それから、彼女との質疑応答が始まった。

 彼女は色んなことを聞いてきた。国の広さ、風景、人々、食生活、奴隷の数、武器の種類など、ありふれたことから、思いもよらないことまで。僕は一市民に過ぎなかったので、たいしたことは知らなかったが、それでも、自分なりに知っている事を伝えようとはしたつもりだ。

「ふむふむ、これでだいたい終わったかしらね」

 彼女は素早く走らせていた筆を止めてそう呟く。

「そうですね。僕もだいたい伝えられることは伝えきったと思いますし」

「ごめんなさいね。あなたとしては、国を売っているようで心苦しかったでしょうに」

「いえ、サントニアには、もう思い入れはありませんので」

 母はもう、いないから……。

「そう言ってもらえると助かるわ」

 彼女は立ち上がりこちらへ歩み寄り、右手をそっと差し出した。

「これからよろしくね、レイオス」

 彼女は優しく微笑む。

「……こんな僕でも、受け入れてくれるんですか?」

「もちろんよ。あなたのような人だからこそ、私達は受け入れたいと思う。今まで辛い目にあってきたでしょうし、私の言うことは信じられないかもしれない。……それでも、今はこの手を取って欲しい」

 彼女の眼差しは真剣で、その黒き瞳からは濁りなど少しも感じられない。

 立ち上がり彼女の手を見つめる。

 

 ――白くて美しいその肌に、僕が触れてもいいのだろうか?


 ためらいながらも、彼女の手を握る。

 とても優しくて、暖かい――。


「僕は、あなたのことを信じます。クシェリ様」

 この時僕は、心の底から彼女への忠誠を誓った。

 

 

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