交わる幻想

第5話 目覚め

 浮き上がる意識が認識したのは、まず穏やかな光が瞼を照らす感覚。ついで、横たわる身体を柔らかな材質の何かが包んでいる心地よい感触だった。

 わずかな時間、心地よさに微睡みかけ、急速に意識が覚醒する。

―――!?

―――生きてる!?

 自身の意識が覚醒したことに驚愕を覚え、跳ね起きた。

 死を覚悟したことを明確に記憶している。どうしようもない、避けようのない死が目前に迫っていたのだから。

 上体を起こしながら、お腹に手をやる。目線を落としたところで、凄まじい違和感が視界に現れ、驚く。白糸が束状に両脇からさぁ、と音を立て現れ、視界を狭めた。同時に、下部からも何か白いものに視界を遮られ、お腹が見えない。

「ぅぁ、………!?」

 叫び声をあげかけるも高い声が喉から発せられ、動揺に口を噤む。ひとまず、そっとお腹を探るも、指先に肌の感触と、お腹を触られた感触。とても、滑らかで傷一つ、穴一つ感じられない。

―――いや、私は、何を………?お腹を穿たれた…?そんな記憶…は、なかった。いや、あった?いつ?だって、私は、頭を………

 即座に呼び起こされる記憶は、眼前に迫る牙。直後に暗転する視界。

―――そう、私は、頭を噛み砕かれそうになって………

 酷い混乱を覚える。顔を探る。目も、鼻も、口もある。触った感触では、傷ついてはいないみたいで、ひとまず、痛みを感じるところはなく怪我もないと判断する。手足は揃っており、五体は無事の様ではある。幻覚を見ていたのかと思ったけれど、眼前にあらわな物証が、即座に否違を突き付ける。

―――これは、蜘蛛糸………?

 何故か、身に帯びていたはずの服がなく、代わりに何かの繊維、糸に柔らかく包れていた。捕食される直後に意識を失ったことは確かだけれど、そのまま喰われることだけはなかったということなのだろうか。

 けれど、代償はあったみたいだった。

 先程、視界に入ってきた白糸だと思ったのは自分の髪だった。色を失って、白い。いや、僅かに色は残っているようで、淡く光を内包する様は、銀糸のようにも見える。

 恐怖のあまりに、色を失ったということなのだろうか。血の気の失せたであろう白んだ手指を見て思う。

―――元の髪は、どう………だったかしら?

 ふと現れる疑念。むしろ、髪どころか、全身くまなく感じる違和感。つま先から頭のてっぺんまで、自分の存在そのものに対してすら、言いようのない疑念がわくのだ。

 そも、目覚めてまず、自分はなぜ穿たれたと思ってお腹を探ったのか?

 強烈な悪意を持った強い熱が、腹部を突き刺さっていたはずだと、強い確信が目覚めた瞬間にはあった。それも、致命的なほどに、深々と幾つも。

―――何故………?

 得も知れない酷い困惑に、怖気を覚える。死に直面したあまりの恐怖に混乱しているのだろうかと思う。

 だが、髪の色も長さもひっくるめて、今はどうだっていいことだった。今気にしなくてはならないのは、何故自分が生きていて、どのような状況にあるかを把握すること。

―――私、私は一体………

 意識を失う直前のことを必死に思い出す。

 自分は、馬車に乗って移動していたはず。その途中で、森に入り込みしばらくしたところで何者かの襲撃を受け、怒声、悲鳴に怯えていたら、馬車ごと破壊され引きずり出され、そして、巨大な蜘蛛に頭を噛み砕かれそうになり………

 ぶるる、と体が震える。

 魔物に襲われたのだ。しかし、それでも生きているということは、誰かしらに助けられたということなのだろう。

 それが一体、誰なのか?

 助けられた恩義を感じるとともに、一抹の不安を感じる。少なからず、女性の服を剥いて転がしておく手合いであることは確かなのだから。

 ほかに助かった人はいないのだろうか。改めてあたりを見渡してみる。自分が横たわっていたのは、奥行きのない洞窟の様だった。ふかふかの落ち葉が敷き詰められており、他には目につくようなものは何もない。いや、一本の長い棒………杖が落ち葉に埋もれていた。そう思ったのは、ほぼ真っすぐに整っていたことと、片側が何かしらの意匠を思わせる複雑な形状をしていたこと。削り整えられたわけではなく、樹皮が表面を覆ったままではあるが、杖の形に、既視感を覚える。

―――目にしたことがある、というよりも、もっと身近に、感じたことが………? 

 他に帯びるものもなく、徒手でいることに不安を感じる今、身を守るために杖に手を伸ばす。杖を握った瞬間、言いようもない安堵感があった。搔き抱くと、凄まじく安心する。

―――まただ………

 覚えのない確信を得た。

 少なくとも、このような長杖を身に帯びた記憶はない。だというのに、杖を手にした瞬間から、ひどくしっくりとするような、多少の危険など気にするほどもないという自信すらあふれてきたのだ。

 理解不能ではある。けれど、目覚めて何一つ得心を得られない今は根拠のないこの安堵感すら心の拠り所に感じた。

―――とにかく、今は、状況を把握する材料が欲しい

 杖を手に、私は洞窟を出ることを決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る