第二十八話「失踪の理由」
宮之屋に帰ってくると、主人はおらず、そのまま二階へあがった。
自分の部屋に入ろうとすると、ちょうど昨日の学者が階段を上がってきた。
ステファンは「昨日はありがとうございました」と軽く挨拶をすると、「いえいえ」と手を振って学者は部屋に入っていった。
そのときステファンはハッと思い立ち、すぐに学者の入った部屋の扉をたたいた。
扉を開けた学者が怪訝そうにステファンをみた。
「どうしたんだい?」
ステファンは丁重に頭をさげた。
「お忙しい中申し訳ございません。じつは宿の主人からあなたが学者様だと伺いました。ご相談したいことがございまして、少しでいいのでお時間をいただけないでしょうか?」
学者は、異国の少年からこんな丁寧な言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。驚きの表情をしたが、
「いいでしょう。この書類をまとめないといけないので、三十分くらいあとにまた来てくれるかな」
「猫の習性を知りたい?」
三十分後、ちょうど聞き込みから帰ってきた迅を連れて学者の部屋を訪ねた。
学者は服部治左衛門と名乗った。
彼はこの宿の常連で「看板が出ていないところがいい」そうだ。新規の客が来ず、静かに研究に没頭できるので、泊まり込みには最適だと白みがかった髭をなでながら笑みをうかべた。部屋は資料や書物だらけで、足の踏み場もなかったが、それをかき分けて二人を座らせてくれた。
しかし、さすがの学者もステファンの突拍子のない質問には驚いたようだ。ステファンはこれまでのあらましを、忍者であることは伏せながら、かいつまんで話した。
「なるほど。そのご夫妻にとって孫吉という猫は、家族のようなものか」
学者は腕をくんで考えながら目をつむった。
「私も専門ではないので、なにかで知りえた程度の知識しかないが」
治左衛門はそう前置きしながらゆっくり目をあけた。
「猫は人にはつかず、家につくという」
「家につく、ですか」
「ああ。つまり家の環境の変化を嫌うんだ。家の場所が変わったり、家にだれか新しい人間が増えたりすると、猫は機嫌をそこねる」
徳吉の家は、場所も変わっていないし、新しい人も増えていなかった。
「それに、雄猫は春になると交尾のために雌猫を探し歩くそうだ。あとは、寒さを嫌ったり、もちろん空腹も嫌う」
「行動範囲は広いのでしょうか?」ステファンが聞くと、
「いや、そこまで広くないでしょう。たぶんこの町から出ることはないだろうね」
治左衛門はそれからも腕を組んで考えていた。
「うーん、私の知っているのはこれくらいだな。役に立てそうになくて申し訳ないが、またなにか思い出したら伝えるよ」
「十分です」と丁重にお礼を言って二人は部屋をでた。
部屋に戻ると、思案顔のステファンに迅がたずねた。
「収穫はあった? こちらはあまりいい情報は得られなかったよ」
迅は、神社周辺の住人に聞き込んだが、縁日の日に徳吉の屋で孫吉を見た者はいたが、別の場所で孫吉を見かけたという情報はなかった。
「そうかぁ。きっと参拝客が多すぎて、そこまで気には留めないだろうね」
ステファンの返事はどこか上の空だった。迅は友人が大事なことを考えていることを悟り、ゆっくりと次の言葉を待つことにした。
しばらくステファンは目をつむりながら考えこんでいたが、やがて目をひらき、迅をみた。
「孫吉が出ていった理由がだいたいわかったよ」
「えっ、本当?」
迅の問いかけにうなずくステファンはなぜか寂しげだった。
ステファンが孫吉失踪の理由を語ろうとしたまさにその時、いきなり部屋の扉がガガァーっとひらいた。
そこにいたのは赤ら顔の宿屋の主人だった。
「おい、一緒に飯食わねぇか」
団之輔の『酒の肴』への恐ろしいほどの嗅覚に、二人は思わず顔を見あわせた。
「へぇ、するとお前の意見はこうだな」
主人は猫探しの話を聞きながら、酒を片手に意気揚々としている。
「徳吉の家に問題があって、孫吉が逃げ出したっていうのか? 徳吉夫婦に愛されてたっていうのにか?」
ステファンはうなずいた。食卓には彼らのために焼き鳥などが並んでいた。気が利くのか利かないのか、本当によくわからない人だ。
「はい、私もそう思っていましたが、服部先生から『猫は家につく』と聞いて合点がいきました。徳吉の家には二つ、問題があったのです」
「なんだ、その二つっていうのは。もったいぶらずに言え。それにお前たちもっと食え」
主人は焼き鳥のくしをとり、美味しそうにほおばった。ステファンたちもそれにならった。肉質といい焼き加減といいかなりのものだった。
焼き鳥をほおばりながら、ステファンはつづけた。
「孫吉の寝床は玄関付近につくられていました。しかし、徳吉の家の壁が腐ってきていて冷たい風が玄関を通り抜けるのです。夏は心地がいいでしょうが、冬はかなり冷え込みます。寒さ嫌いな猫にはかなり辛かったと思います」
なるほど、と迅は腕組みをした。
「それでもう一つはなんなんだ?」
「もう一つは食事です。好物のエサの値が上がり、別の安いものを試していたそうです。それが孫吉の口に合わず、残していたことも多かったようで、それで空腹の状態がつづいていました」
「なるほどな、それで縁日の日に愛想をつかしたってわけか」
団之輔は今度はつくねと呼ばれる丸い焼き鳥をほうまそうに口にいれた。
「愛想をつかしたというより、その場でなにか食事や暖を取れるものを見つけたのでしょう。徳吉たちが屋台で気を取られている間にどこかへいってしまった」
「それ、ちょっと寂しいね。貧しさが家族のような孫吉と離れ離れにしてしまったってことだろう?」
それを聞いた主人は赤い顔で迅をギロっとにらんだ。
「バカ言え! 貧しい中でもちゃんと気にかけてやんなかったからだ。玄関が寒いことも気づかず、何が家族だ! 相手を思い合ってこその家族だろう!!」
見ると団之輔は鼻をひくひくとすすっている。自分の涙を悟られないようにぶっきらぼうに言いはなった。
「で、どうやって孫吉を見つけるんだ!」
「服部先生の話だと、猫の行動範囲はそんなに広くないから、そう遠くには行っていないはずなんです」ステファンが思案顔でこたえた。
すると迅が聞き込みで仕入れた情報を披露した。
「縁日の日は街道にも雪が積もっていて、行き来がほとんどできなかったみたいだよ」
「迅、この町の家の数は何軒くらいだかわかる?」
「およそ三百軒だ。長屋を合わせるともっとあるぞ。さいあく一軒一軒聞きまわって確かめるしか……」
迅がそう言ったとき、バンっ!と食卓をたたく音がした。
主人がふらふらになりながら立ち上がり、怖い顔で二人を見下ろしている。
「おまえら! そんな固い頭しやがって、奉行所の役人か!」
奉行所から仕事を受けたのはあなただろう、と二人は反論しそうになったが、火に油を注ぎそうでやめておいた。
「さっきから聞いてりゃ、お役人の謎解きみたいなことをチマチマチマチマ言いやがって!」
それを自分が酒の肴にしていたことをすべて棚に上げて、千鳥足の団之輔はまくしたてた。
「お前らの本業はなんだ! 何のためにここに来てんだ。役人の修行じゃないだろう!」
大声で怒鳴ったあと、団之輔はその場で仰向けになり、すぐにグゥーグゥーといびきが聞こえていた。
ステファンと迅は、団之輔の言葉に顔を見あわせた。しかし、そのあとお互い決意したようにうなずきあった。
「大事なことを忘れるところでした、ありがとう、団之輔さん」
ステファンはそっと布団を宿の主人にかけ、部屋にもどった。
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