第九話「儀のはじまり」

 翌朝、とうとう「月鈴の儀」が行われる日になった。


 早朝から忍者たちが竜神の滝の前に集まっている。

 一人だけ忍びの装束でない、青い服を着た者がいた。ステファンだった。

 忍者でないステファンは忍者の装束を着られないので、迅の母のアキがステファンのために作ってくれたのだ。

 家を出るとき、アキは

「キヲツケテ イッテオイデヨ」といってステファンを抱きしめてくれた。

 ステファンはびっくりしたが、まるで自分の母に抱きしめられたようで胸にしみた。

 その後ろでエミーラが隠れるようにステファンを見ている。

「エミーラ、行ってくるよ!」

 ステファンが、あえて元気よく声をかけた。

 エミーラが小さくうなずいた。

 すると、迅の母がエミーラの元へ行き、エミーラの肩を抱いてステファンに手をふった。

 エミーラのことは心配するな、というアキの心遣いにステファンは頭をさげた。

 手をふってから歩き始めると、後ろから声がきこえた。

「お、お兄ちゃん! 気をつけてね!!」

 エミーラが泣きながら叫んでいる。

 ステファンは振りむいて、もう一度手をふった。



 竜神の滝に着くと、迅たちが準備のために先にきていた。

 ふとみると、松五郎の姿もある。

「よっ、この一週間で体力をつけられたか?」

「できるだけのことはしました。迅や湯吉も手伝ってくれました」

「そうか。この国の言葉で『人知を尽くして天命を待つ』というものがある。できるだけのことをやったんなら、あとはやるだけやって天命を待とうという意味だ。がんばれよ」

 松五郎はステファンの肩をたたいた。


 忍者たちの前に、長老がでてきた。

 犬のムサシも足元についてきた。横にはあの秋然の姿もある。

 長老の和ノ国の言葉を、松五郎が隣で訳してくれた。

「皆の者、今から『月鈴の儀』を執りおこなう。一同、竜神様へ礼!」

 忍者たちは滝に向かって一斉に礼をした。ステファンもそれにならった。

 長老がつづけた。

「神聖なる竜山の入山を許されるのは、一年の内、今日だけだ。この地を開かれた偉大なる忍者・紫電しでん様が、竜神様を奉る神聖な山として、何人たりとも入山を禁止されたが、竜神祭に供える月鈴草を給うこの『月鈴の儀』のときのみ入山を認められておる。皆の者、心してかかれ」

 ハッ、という忍者たちの一斉に返事をした。


「それでは、今日、月鈴の儀に挑むもの、黒忍者、星丸、猿飛」

「ハッ」

 黒い装束を着た二人が頭をさげた。

「赤忍者、迅、湯吉、雷太郎。白忍者、風太郎」

「ハッ」迅たちが声をそろえて返事をした。迅と湯吉に加え、ステファンが里にいるのを反対しているあの兄弟も参加するようだ。

 長老は、ゆっくりステファンをみた。

「そして、異国の者、ステファン」

「ハッ」

 ステファンはこたえた。


 雷太郎と風太郎はステファンをにらんでいた。

 長老はそんな忍者たち一人一人の顔を見るようにいった。

「皆も知っておろうが、今日の月鈴の儀で、このステファンと妹のエミーラがこの里に住むに値するかどうか、判断させてもらう」

 忍者たちは静かに聞いている。

「この儀で判断するという意味は皆、分かっておろう。我々が判断するのではなく、竜神の判断を仰ぐものである。よって、それぞれ思いはあるだろうが、この儀のあいだは私心を竜神の滝に置いていけ」

 長老の言葉に雷太郎と風太郎は嫌な顔をした。



 月鈴の儀に挑む忍者はそれぞれ準備をはじめた。

 ステファンは体力を最優先に考えて、荷物は少なめにしていた。

 雷太郎と風太郎が、ときどきステファンをにらんでいる。

 ステファンは無視したが、それに気づいた松五郎が、

「あいつらは 秋然さんの孫だ。有力者の親族だから天狗になっているデキの悪い兄弟だ。秋然さんが慎重論者だったんで、あいつらもお前に冷たく当たるのだろう。まあ気にするな」

 その秋然は長老の横で孫たちを見ることなく毅然と立っていた。

 

「儀に関わるもの集まれ!」

 黒忍者の一人が招集をかけた。

「私がこの集団を指揮する星丸ほしまるだ。私の指示を聞き、各自任務を全うせよ」

 星丸は、トレーニングで見習い忍者を指導していた忍者だった。まだ若いが責任感の強い目で少年忍者たちをみている。

「まあまあ、星丸、気楽にいこうぜ」

 横でもう一人の黒忍者が腕を組んで笑っていた。

 猿飛さるとびという名の通り、猿のように顔中に毛が生えていて、星丸とは対照的に野性的な雰囲気の持ち主だ。

 星丸はそれには答えず、長老に目で準備ができた合図をおくった。


 長老がやってきて、ふたたび滝のほうをむいた。

「竜神様のご加護を!」

 一同がつづいた。

「竜神様のご加護を!」

 星丸が一歩前に出てさけんだ。

「出発するぞ!」

 ステファンは長老と目があった。長老はそっとほほえんでウインクした。

 頑張ってこいよ、と言われたようで、ステファンも一礼でかえした。


 

 一行は里の門をでて山道にむかって走りはじめた。

 その道は毎朝トレーニングで走り慣れた道だった。このあたりも迅の配慮がうかがえる。

 竜山まで走って二時間くらいだと松五郎に聞かされていた。それから登山で二時間。休憩も入れると、合計九時間に及ぶ。

 一行の走る速さはいつもステファンたちが走っていたスピードと同じくらいだった。

 すると、雷太郎がみんなに聞こえるようにいった。

「ホシマル、モットハヤク ハシラナイノカ?」

 ステファンには、ホシマル、ハヤク、という言葉が聞きとれた。なるほど、今日はいつもよりスピードを遅くしてくれているのか。

 ステファンへの配慮と、雷太郎の悪意の両方を感じとれ、複雑な心境だった。

(それでもやるしかない)


 朝の空気は冷たかったが、空は晴れて気持ちがよかった。

 忍者の集団は、竜神の滝をこえ、川に沿った林の獣道を走りつづけた。

 ふと、今度は風太郎がステファンを見て、迅にたいしてなにかをさけんだ。

「オマエハ ニンジャノ ハシリカタヲ アイツニ オシエタノカ!?」

 ステファンは、迅たちのように前かがみにする走り方をしていた。朝のトレーニングで迅たちを見て研究したものだった。前進しようとする力を利用し腰に反動をつけて走ると、疲れにくいと感じたからだ。

 迅は振りかえりもせずに、

「オシエテイナイ ステファンガ ミテ オボエタノダ」

「ワザヲヌスマレタンダゾ コノ オキテヤブリガ!」

 雷太郎も参戦する。

「サトヲケガスナ!」


 星丸は合図をして一行をとめた。

 腕組みをして、なにも言わず雷太郎と風太郎をみた。

 雷太郎はニヤりとわらった

「ナニカ モンクガアルノカ ホシマル。ジイヤニ イイツケテヤルゾ」 

 その言葉を聞いて猿飛がどなった。

「オイ イイカゲンニシロ!」

 二人はびくっとして下をむいた。

 一行はまた走りだした。



 走りつづけて一時間たつと、さすがにステファンの息が切れてきた。

 まだ竜山まで半分の距離だ。

 ステファンが集団から離れそうになった。迅と湯吉が助けにいこうとするが、猿飛がそれを制した。

 猿飛はステファンに厳しい目をむけた。

 この程度で脱落するなら勝手にしろ、と言われているのがすぐにわかった。

 ステファンはスピードをあげて集団になんとか追いついた。

 その様子をみた猿飛はステファンに指をだした。そして指を口にあて、外へ二回、内へ一回、という動きを二回繰りかえした。

 そして何もなかったかのようにふたたび前をむいた。

(なんだ、いまのは?)

 ステファンを馬鹿にしたり罵ったりする感じではなく、むしろなにかを伝えるようにみえた。

(口の外へ二回、内へ一回……)

 ステファンは、猿飛のしぐさの意味をかんがえた。きっとこの状況で必要なことに違いない。

(この状況で必要なこと……)

 自分はいま走っている。そして集団から遅れてまた戻ってきた。いま必要なのは自分の体力。その体力を維持するもの。それが口と関係しているもの。

 ステファンは目を見ひらいた。

(そうだ! 呼吸だ!)

 猿飛は走るときの呼吸法を教えてくれたのだ。

 口から外へ二回は、息を二回吐けということ。口のほうへ一回動かしたのは、息を一回吸えということだろう。

 ステファンは、さっそくやってみた。

 スゥスゥ ハァー スゥスゥ ハァー

 呼吸にリズムができたようで、少し楽になったような気がした。

 

 それから三十分ほど走りつづけると、川の支流が行く手をはばんだ。


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