第二話「大海原の旅」

 翌朝、ステファンが目を覚ますと、美しい月は、柔らかな太陽にかわっていた。

 エミーラも横で寝息を立てている。


「よぉ、起きたか」

 マックスは、ボートの荷物を調べながらいった。

「食料と水はある程度はある。おっ、釣り竿もある。用意周到だな。あとは、変な実験用具ばかりだ」

「きっと、なにかの役に立つように、船に乗る前から準備しておいてくれたんだとおもう」

「……うーん、そうだな」

 マックスの考え込んだ顔をしていた。


「どうしたの?」

「いや、この準備は船に乗ってからしたものだろう」

「えっ、家から持ってきたものじゃないの?」

「ああ。もしお前のパパが家にいる時点でこんな危険がわかっていたら、そもそもお前たちを船には乗せなかっただろう。こんな海の上に放りだすのなら、親戚の家に預けていたほうが何万倍もマシさ。それをしなかったってことは、船に乗ってから危険に気づいたからだろう」

「あっ、そういえばパパはここ二,三日『研究がある』っていって夕飯にしか顔を出さなかった」

「きっと、研究じゃなくて、ボートの準備をしていたんだろうな」

 二人はボートに積まれた実験用具をながめた。


 そこで、エミーラが起きてきた。

「二人ともおはよう」

「おぉ、よく寝られたか?」

「お月さまが一晩中なぐさめてくれたから、結構ねむれたよ」

「ははっ、お前ら二人とも、月を見てニヤけながら寝ていたぞ。さぁ朝飯にしよう」

 マックスは、ボートにあったパンと水を二人にわたした。


「食料と水はたぶん二週間分は用意されていた。しかし、俺が来ちまったから節約して十日分というところだ。だが、このボートの旅が十日で終わる保証はなにもない。二十日かかれば俺たちは天国行きだ」

「じゃあもっと節約しようよ」ステファンがいった。

「ああ。だが、問題はいくら節約しようと、先が見えないかぎり一緒だ。大事なのは、ここの食料や水に頼らずに生きていける方法を考えることだ」

「釣り竿で魚を釣るのね」

「そうだ。釣り竿がある限り、食事のほうはなんとかなる。問題は……」

「水だね」ステファンは荷物にある水の入ったタルを見ながらいった。

「ああ。火があったから、海水を沸かして、湯気を冷やして、飲み水にすることはできる。だが、火も燃料が限られている。お前たちのパパが、なにかいい道具を置いてくれてたらいいが」


 三人は、ボートにあった実験用具をながめた。なにに使うのかわからないものが多く、使い方を書く時間がなかったのだろう。

「まあ、少しなら時間はある。生き抜くすべを考えよう。それに、ほかにすることもないしな」


 ステファンは、パンを食べながら海をながめた。

 ぐるっと一周見渡しても海面が広がっている。陸地はまったく見えなかった。

「あの、マジェスタって人はだれなの? とっても気味が悪くて恐い感じがしたの」

エミーラが聞くと、マックスがこたえた。

「いまの科学協会の会長さ。親父がいうには、突然現れて、いろんな手を使って会長にのし上がり、あっというまに科学協会を牛耳ったそうだ。得体のしれない男だと親父もいっていたよ」

「でも、なんでそんな奴のいうことをみんな聞くんだろう?」

 マックスが大笑いをした。

「ステファン、まったく同感だ。会長のいうことを聞かないと、科学の世界で生きていけないんだとよ。大人の世界はまったくバカげている」



 ボートでの生活をはじめて五日が過ぎた。魚を釣りながら、なんとか食料を節約しているが、思ったよりも水の減りがはやい。三人ともに徐々に疲労がみえてきた。

 この五日間は天候に恵まれ、海も穏やかだった。天気も、雲がかかっていたので、暑くなく過ごせた。

 しかし今日はちがった。

 雲のない青空から太陽の光がジリジリとさしてきた。

「暑いわね。空に雲がまったくないのはきれいだけど、ちょっと陰がほしいわ」

「荷物の中に、傘があった。たぶん直射日光を防げっていう意味だ。つかえよ」

 マックスは、傘を二人にわたした。傘で太陽の光がさえぎられるとちょうど心地よかった。


「一日中太陽を思いっきり浴びていたら、俺たちが干上がってしまうぜ」

 マックスが何気なくいったぼやきに、ステファンはなにかひっかかった。

(……干上がる。そうだ!)

 ステファンは立ち上がって、実験用具のところへいった。

「おい、どうしたんだ、ステファン」

「マックス! ここにガラスのビンと、銀色のシートがあっただろ。太陽だよ、太陽の力で海水を温めるんだ!」

「なるほど、じゃあ、この反射鏡やレンズも使えるな」

 二人は、話しながら実験用具を組み立てていった。

「ちょっと、お兄ちゃん、マックス、どういうこと?」

「太陽の力で海水を蒸留するんだ」

「蒸留?」

「ああ、太陽を一つに集めると、強い熱になるんだ。その力でガラスの中の海水を温めて、蒸気になったものを集めれば、水になるんだ!」

「そうなの、すごい! これで生きのびられるわね」

 ステファンとマックスは、ガラスビンのまわりに銀のシートや反射鏡、レンズなどを置き、太陽のほうにむけた。

「うわぁ、もうまわりが温かくなってきている。太陽の力はすごいな」

「よしステファン、次は蒸留の装置をつくるぞ。湯気を誘導して集めて、冷やすんだ。冷やすには逆に海水を使ってもいいかもしれないな」

 二人が作った蒸留装置のおかげで、少しだが水をつくることができた。太陽が強いときは釣った魚に焼き身を入れることもできるようになった。



 そうして、また五日が過ぎた。まだ陸地は見えてこなかった。

 風が強くなってきた。

 マックスは双眼鏡で遠くの空を見ていった。

「二人とも、ついに恐れていたことがおきそうだ」

「嵐がくるの?」エミーラが不安そうにいった。

「ああ、あの空の向こう側に大きな黒い雲がかかっている。こっちにくる可能性があるから、準備をしておこう」

 ステファンたちは、空気の入った筒状の箱を、いくつも体に巻きつけ、ボートにも体を巻きつけた。

 やがて、黒い雲がこちらに接近してきた。風もどんどん強くなってきている。

「さあ、来るぞ、二人ともどこかにつかまっておけよ」

 

 黒い雲はぐんぐんとステファンたちの船に近づいてきて、ついに空が黒くおおわれた。

 その雲に連れられてものすごい風と雨と波が襲ってきた。


 ブウォォォーー


 ボートがまるで荒れ狂う竜に乗っているように、振りまわされた。

 ステファンたちは、必死にボートにつかまった。


 ザバババーンッ


 なんどもなんども大波が襲ってくる


 ザバババーンッ ザバババーンッ


 三人とも生きた心地がしなかった。それでも必死にボートにつかまった。

 しかし、強い波にボートが打たれたときだった。


「キャッー」


 エミーラが巻きつけていたロープが外れてしまったのだ。

「エミーラ!!」

 エミーラは、今にもボートの外に投げ出されそうだ。

 ステファンが助けにいこうとしたそのとき、一瞬早くマックスが飛び出していた。

 マックスはエミーラの手をつかむと、ステファンのほうへ押しやった。

 ステファンは、エミーラを抱えるようにつかんだ。

 しかし、その次の瞬間、またしても大きな波がボートをおそった。


 ザザザバーーーンッ


「マックス!!!」

 ボートが元の位置に戻ったときには、マックスの姿はなかった。


「マーーーックス!!」

 二人は泣きながらさけんだ。

 しかし、嵐はまだやまない。


 ステファンが顔を上げると、そこには今までで一番大きな波がこちらへ向かっている。

「エミーラ、来るぞ、このロープでお互いの体を急いで結ぶんだ」

巨大な波がうねるようにして向かってきた。

「お兄ちゃん!」

「エミーラ! つかまっておけ!」


 ザザザァアブーーーーン


 竜のような大きな波は一気にボートごと飲みこんだ。

「うわぁぁぁ」

 ボートは水中で何度も回転し、ついに大破した。

 ステファンはエミーラを必死で抱きしめた。

 一瞬、海面に打ち上げられたステファンの目に不思議なものがうつった。


(巨人の手?)


 大きな巨人が海から手を出しているような岩があった。

 次の瞬間、また大きな波におそわれ、ステファンは意識をうしなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る