『十字路の狼(ジュウジロノオオカミ)』cross road wolf

紺乃遠也

upper・血濡れの雄(チヌレノオス) a bloody male 

 狼はヒトを好んではならない。狼はヒトを許してはならない。

 狼はヒトと話してはならない。狼はヒトと歩んではならない。

 狼は狼である事を忘れてはならない。

 狼は獣である事を忘れてはならない。

 

 異能が住む世界。

 暗く狭い部屋で、姉が弟に話し掛ける。

「ねえ例えばさ、もしこれが絶対的に不利な戦いでこれ以上は駄目だって感じたら、生き残るために、あたしがただの足手纏いで邪魔者だったら」

 姉は楽しそうな口振りで、不釣合いな遺言を語る。

荒野こうや、あんたは姉ちゃんの血を浴びて行け。もしも同じ状況だったら、あたしもそうするよ」

 姉は言って死地へおもむく日を思い、弟は真面目な顔で聞いていたが、終わりが来る日を本当に信じては居なかった。

 もしもの時はいつ訪れるか分からない。儀式のような約束の言葉が、残された少年に向けた餞別代りとなった。

 オオカミとして生きろ。それが、姉のたった一つの願いだと。

 荒野。宜しく。

 微笑が最後になるなど、思っても見なかった。

 夜空に月が満ちる。


 少年は目の前で姉が倒れる姿を見た。

 無機質なビルディングに囲まれた雑踏が交錯する交差点。灰色の建造物は行き来する集団を見送り、あるいは黙して飲み込んだ。

 吐息が熱い。

 目前の風景が色を失い、次第に足音が途切れていく。一つ、また一つ。雑音交じりの話し声が薄れた。信号は青。零れる旋律が音を失くして死んでいき、乙女の祈りが崩れていく。途切れ、停止するのではなく喪失した。停まるのではなく失われた。

 瞬くうちに足音は無い。

 集団は消失し、沈黙した建造物が見下ろす不自然に静かで斜めに引かれた白線さえ淀んだスクランブル交差点。


 存在するのは三人。

 

 一人目と二人目は密着している。一人は冷たいアスファルトにしゃがみ込み、茶髪の頭を抱きかかえていた。抱えた頭の長い癖のある髪が、血でまだらになっている。一人は膝の上に力無く体を投げ出していた。一人目は少年、二人目は少女。少年は少女と頭髪の色を同じくして、面差しも微かに似通っている。

(重い)

 重くぬるい感触が、腕の中に溜まる。滴る液体が掌を紅に染めて流れて行く。生暖かく生々しい、生の感触がある。少年は傷にまみれた肉体を硬く強く抱いていた。投げ出された腕、胴体、脚。新旧入り混じった傷だらけの痩身が横たわる。

 流れる赤は古傷が開いたのか、新たに刻まれた怪我なのかはどちらも入り混じって定かでは無い。流れ出た量も傷の数も、数えるには多過ぎた。

 少女の瞳は閉じない。

 硝子のように澄み切って時が止まっていた。


 耳障りな呼吸を誰かがしている。ぜえぜえひゅうひゅう、不規則に乱れてそうしないと止まってしまうと言うかのように荒い。自分の口が開いて、発せられているのだとふと気付いた。

(―――、あ)

 後ろから誰かに叩かれたみたいに素早い動作で、細い肩をかき抱いた。動作に連れて体が揺れて、手を使って傾いた頭部を自分の肩に押し付けた。

 命が肌の上を滑って流れていく。

 手の下にあるのはもはや笑う事も無い空ろな表情で、少年は地面に膝を付き、力の抜けた砂袋みたいな体を抱きしめて、口を開け放して息を吐き出しながら目は逸らさず正面を見ていた。

(何だよ、これ)

 視線の先に三人目が居る。濡れたような黒髪に夜闇だけを生きてきたと証明するように白い肌で、灰色交じりの黒コートに黒のジーンズ黒のブーツを身に付けたモノトーンの組み合わせの男だった。

 黒い瞳の中央を縦一筋の金色が裂いて、在った。二十歳を超えるか超えないか、少年より僅かに年を重ねている様子である。

 コートもジーンズもブーツも汚れていた。黒だから分かりにくいけれど、見ればすぐに分かる水染みがある。裾から液体が断続的に滴る。

 白線に散らばった足跡が、赤い。

 コートの袖から覗いた指先も赤く染まっている。

 激しい鼓動が耳の奥で鳴っていた。強い胸の動悸を感じた。耳の中が体内を赤い液が高速で走る音で一杯になる。手元から既に鼓動は聞こえず、自分の心臓だけが脈打っている。

 空っぽの肉体を強く抱き締める。

 男が目の前で、唇の端を歪めた。

 姉が敗れた。それが意味する、自分との明らかな力量差。自分より被った血の量も遥かに多いだろう若い男と相対して少年の唇が動く。

(俺、どうしたらいい)

 ―――なあ、


 問いかけは言葉にならない。

 呼吸と鼓動以外、聞こえない。

 返答は無い。

 もう二度と無いのだと、唐突に悟る。

 もう二度と、この先ずっと。

 手にした少女の頭をアスファルトに置く。丁寧にもぞんざいにも見える動作で冷たさも暖かさも無いただただ色の無い場所に。少女うるふの体を中心にした鮮烈な赤の上に。

 置き方など構う様子も無く、置いた少年は立ち上がり赤い手で頬を擦った。

 次の瞬間足が道を蹴った。腹の底から沸騰した怒声が噴き出した。駆け出す。喉が裂けても構わないと言いたげに体を振り絞るように叫び、相手との距離を詰め、歯を剥き出して喚きながら闇雲に腕を振り回した。

 簡単に避けて男は笑みを隠し、忌むような目を向ける。

 少年の怒りは止まらない。骨の髄から震えた。武者震いだ。

 咆哮が天を突けとばかりにされて、肉は躍り血が滾(たぎ)る。

 唸り吼え歯を剥き出して相対する。

 視線の先に居る一人の男。

!)

 黒尽くめを見据え、爛々らんらん煌々こうこうと少年の復讐にただれた瞳に狂気が踊る。瞬きを忘却したかのように、目が見開かれて停止した。狂った瞳で睨み付ける。喉が壊れたふいごのように鳴り、噛み合わせた奥歯が音を立てる。


 ―――そして。

 僅かな痛みを伴って、茶色い頭髪の間から尖った耳の先端が突き出た。カーゴパンツの隙間からTシャツを跳ね上げて髪と同色の尾が飛び出し、口端から牙が伸びる。尾が揺れる。前髪の隙間から、金色の瞳が見える。見開かれて復讐に燃えている。

 少年は異能だ。

 低く喉を鳴らす。短く太く、威嚇するように吼え唸りながら上体を屈める。男に向けて踏み込んだ右足に体を捻りながら体重を預け、黒いコートの右脇腹を目掛けて鋭い突きを放つ。刃物のような爪が飛び出す。さばいて内蔵引きずり出すつもりで指を突っ込んだ。爪がコートの表面を掠めたぐらいで、男の足が浮きバックステップで回避して、逃げる。スニーカーの溝が地面を噛み、追いすがって左、右、左の突きを繰り返す。届かなくて少年は舌打ちする。空いた距離を詰めるつもりで右蹴りを繰り出す。

 飛び込んだ体が空中にある状態で、左足を回して相手の側頭部へ向ける。右は牽制。踵がこめかみを打ち抜くはず。だったが、かわされた。

「はは」

 男が笑いを零す。

 唸る。標的を胴体から頭部に切り替え、フェイントを混ぜて体を右へ翻す。爪を剥き出し神経を尖らせた。狙いは頚動脈か手首、心臓でもいい。一瞬の隙も見逃さないように気を張って、それでも付け入る隙はミリ単位すら発見できない。焦る。見た限りでは隙だらけに見えるのに、近付いた途端あったはずの隙が最初から無かったみたいに消える。

 未だ、一度も捕らえられない。

 男は横を横切る寸前に囁いた。

「余裕が足りない。全然足りない」

 もっと遊べよ。

 怖気おぞけが皮膚を這い回った。縦横無尽に紙で出来ているみたいに逃げ回る男に、もてあそばれている。見せる隙は全部良く出来た偽物フェイクだと思わせる立ち回りだ。突き出した腕に、見えない糸が付いている気がした。いいように操られ、踊らされているような恐怖が少年の額に汗を浮かばせる。

 冷や汗かどうかは判断できない汗で、背中が湿っていく。痺れを切らして、怯えを振るい落とす為に吼えた。少年には意図を見破るだけの力が無い。どれが罠かも分からずに、闇雲に踏み込むしかできない。

 俺と戦え。

 男がふとコートの裾を揺らして向き直った。一瞬だけ肉体が止まり、血が凍った。瞬く間に信号に飛びついて、気が付いたら天辺まで上っていた。心臓が嫌になるくらい早く打っていた。

 瞳に射抜かれた。

 うがぁあ、と声を出す。

「腰が引けたか? 負け犬」

 男は呼吸に乱れ一つなかった。拳を避け蹴りをさばいて防戦一方を装い、技を繰り出す相手の疲弊ひへいを誘う。有益な手段だ。一方は冷静で回避の動作は無駄が無く、立ち回りは重さを感じさせないのに対し、一方は頭に血が上っている。男は頭に血が上った少年一人扱うのは訳もないと言いたげに、首を振った。

 膝に力を溜めバネを使い鉄柱から飛び上がった、少年の体躯が中空を舞い、男の頭上から落ちて爪が瞼を裂いて指が目玉をえぐった。つもりだった。狙いは僅かに逸れたが、頬に深い切り傷が刻まれて鮮血が吹き出す。相手は目を見開いた。

見縊みくびるなよ!)

 そのまま首へ手を躍らせたが、男は瞬時に飛び退いて避け、少年は空振りバランスを崩す。移動速度が段違いに上がっている。男が完全に本気で無かった事を実感し、ほぞを噛んだ。傷を一つ付けただけで心の中で火炎が踊るのが分かった。まだ引っ掻いただけだ。全然足りないと体が喚く。

 もっと傷を、もっと血を。

 血は血によってあがなわれる。

「驚いちゃったよ。……そう。こうでなくちゃ」

 赤い指先が頬に触れて新たな血を掬った。男の動作から、焦りは欠片も見て取れない。うたうような低い声は嘲笑と揶揄やゆを含んでいた。舌が唇を割って現れ、口元に運んだ爪を舐めた。魔物の如き長い爪を。

 不味まずいとアスファルトに唾を吐く。

「自分の血は、不味いな。男と女じゃ血の味も違うのかもな」

 舌先で血液を拭った指で、横たわった少女の体躯を指し示す。

「そこの女の方が、味は良かった」

「殺す」

 ひび割れた声が吐息に混ざった。

「――――てめえだ」

 相手は答えない。悪意の欠片も無いような目をして、こっちを。

「てめえがうるふを、殺した」

「うるふ?」

「姉貴だ」

「ああ、が?」

 見つめ、首を傾げるのに似た動作で男はうるふを顎で示し、こともあろうか〝それ〟と呼んだ。動物の屍骸でも見るように何も考えずに、淡々と。

 馬鹿にして肩をすくめる。

「まあ、お前ら生きて行くにはが多すぎたんだな」

 繰り出された拳の風圧が黒髪を揺らした。苛立たしげに顔を顰(しか)め、顰めた顔が、歪んだ。

 少年は脳みそが爆発したかと思った。思考が破壊され世界が反転する。いつの間にか、男の姿が後ろへ引いている。知覚する事もできない速度で右側頭部への鋭い蹴りが放たれていた。口端からは唾液が垂れ落ち、膝が崩れてアスファルトに惨めにつくばった。

 男は至極残念な風を演出過剰気味に披露する。長躯を屈めて少年のうるふと同色の髪を掴み、一切の手加減無しで引き上げて顔を覗き込む。否応無く視線を合わせられた。

「ほら、一撃で終っちゃうんだ。これじゃあ幾ら何でも詰まらないだろう?」

 終わっちゃうなんて低い声で淡々と発音し、言葉尻は失笑だった。乱暴に手を離され、前歯がアスファルトにぶつかった。

 屈辱で叫んだ。

「言葉も喋れないのか、腐れ狼」

 どうでもいいけどと目を眇めた呆れ半分の蔑みを、頬を地に付けたまま睨み据えた。何度か咳き込みながら、吐き捨てた。

「―――てめえも、同族だ」

「いや、違うよ。俺はお前らとは違うと思うよ。だってもう、お前死ぬしかないんだからさ」

 俺が殺すよと柔和に微笑する。顔の半分を血で染めて、そんな顔ができる相手の神経が知れない。

「畜生、人間に尻尾振ってんじゃねえよ飼い犬がぁあッ!」

 喚き立ち上がろうとして、手が滑って肘をぶつけた。男は無残な姿に腹を抱えた。

「おい、勘弁しろよ。これ以上笑わせんじゃねえよ」

「……うっせえよ」

「所詮、生き残った方が勝ちなんだよ」

 爪が、高慢な指揮者を装うように、優雅な動作で再度うるふの方を指し示した。

「そいつは弱いから死んだのさ」

「うぁあああああああああぁあああああぁあぁああぁあ! 殺す殺す殺す殺すっ! 死ね、お前なんか同族じゃねえ!」

「俺は死なないよ。お前なんかに殺されないよ」

 激昂する少年にまるで動じず髪を掻き揚げ、両手の指を絡ませた。矛盾した台詞を否定するでもなく、口にする。

「お前、ヒトじゃないよ」

「だから、ぅ、何だってんだよ!」

「お前、オオカミでもないよ」

「だから、何だってんだよぉおおぁあ!」

 

「だから、お前生きてる価値の無い屑だってんだよ」

 

 男は言い放つ。ふと顔を過ぎった微細な変化に少年は気づかなかった。鬱陶しげに襟を正して、コートの裾を翻す。

「命拾ったな、お前」

 微かな舌打ちを残して背後に視線を投げる。

「じきに結界が解ける。領域に生きた異能が一人じゃな。いいか、ヒトに見つかってとっ捕まるなんて興醒めなのは止めてくれよ。俺と戦う前に」

 げえげえ呻く間に、男は踵を返した。黒い姿が歩む道には一滴ずつ、血痕が残る。体から滴る、自らの傷で無い他人の血痕。赤い跡。灰色の風景に男の姿が跡形も無く溶ける。壁を抜け、取り込まれたように。男は、世界の向こう側へ行く。元の場所へと戻る。理由も分からない、まま。

 足が立たない、後を追えない。

 待てよ。

「俺がお前を殺す」

 ぎりぎりで放った掠れた声が届いたのか、男は足を止めた。

 後姿に向かって喋る。

「さはら」

 少年は言葉を紡ぐ。

砂原さはら 荒野こうや。姉貴は砂原さはら うるふ。俺は一つ違いの弟だ」

 てめえは名乗らなくていいと荒野は牙を鳴らす。

「名前なんか無くても、死ぬ奴は死ぬ」

 男は首だけ巡らせて黒い双眸を向けた。言葉を唇から搾り出す。俺達の名前を覚えておけ。

「喉笛食い破ってやるよ」

「そう、さようなら荒野」

 獣じみた唸り声に、軽く肩を竦めて男は再び背を向ける。

「――

 最後に言われたのが彼の名前かどうかを、確かめる術は無かった。もう構ってはいられないとでも言いたげに、急ぐ足取りで背中が風景に溶けた。次の使命が彼を急がせているように見えた。


 誰も居ない灰色領域グレーゾーンに一人。

 とり残された荒野は姉の名前を呼び、這いずり、うるふの傍まで行った。空ろな目を不確かな指で閉ざしてやった。震えた。 

 何の反応も返さなかった。

「うるふ」

 名前を呼んだ。何の反応も返さない。

 頭上で空の一部が乱れ、茜色が見えた。境界が消えかけている証拠だ。人込みが脳裏に蘇る。血だらけのうるふと荒野を見つけた人々の反応は、考えるまでも無い。

 脳が浮遊感にも似た不快感に未だ揺さぶられていたが唇を噛んで立ち上がり、荒野は力の宿らない体を肩に担いだ。重さに眩暈めまいがして足元がふらついた。視界が明滅し、吐き気がこみ上げる。

 空を仰げば、凍りついた太陽が見下ろしている。直視しても何の問題も無い灰色の太陽だった。

 ―――ここに居る自分に嫌気が差す。

 見飽きた光景だ。

 足を引きずりながら動き出し、跳躍する。動く一人と動かない一人の二人組が姿を消して、幕が取り払われたかのように風景に色彩が戻った。

 

 

「見つけた、。これ以上近づけないのが残念だわ」

「駄目ー?」

「そう。してしまう。〝仕掛け細工ガゼット〟があの辺りだから」

「高校生くらいだ」

「そうね」

「マジ、行くの?」

「あなたは心配しなくても大丈夫よ」

「してない。別に、いいんだけどさ。そーいうの、好きだね。姉ちゃん」

「さて、―――追いましょうか。面白そうだわ」

 

 

 走りながら、通行人に認識される前にと手近なビルの隙間に滑り込む。

 どこに居れば、見つからずに済むだろうか。

 ビルの壁と塀の間で気配を潜めて、うるふをなるたけ不自然に見えないよう抱え直した。日中に人間を抱きかかえている者はおいそれと見かけないから、抱き方を直しても対して意味を成さないとわかっていたがやらないよりはマシだ。

 荒野のシャツは血塗ちまみれで、きっと人が見れば両方共が怪我を負っているかのように見えるだろう。冷たい体を抱いてダンボール箱や板切れの後ろに座る。足元には雑草と共に、空き缶やビニール袋が転がっていた。ここが関係者にも、その他の人間にもゴミ箱扱いされているらしいと分かる。身を隠すのには最適だ。見つかる恐怖が肌に付き纏い、荒野は身震いした。

 早く移動した方がいいのは間違いが無い、と言うより確実にいつかは移動する破目になるだろう。留まる時間が長いだけ見つかる確率は高くなる。

 だが、どれだけ動けるだろうか。――うるふを抱えたままで。

 こんな状況に追い込んだ奴らが憎い。苦い思いを噛み締める。

 誰もが荒野達の存在すら知らないで生きている。

 許せねえよ。

 許せる訳ねえよ。

 荒野は歯噛みする。

 喋り、語り、怒り、泣き、笑顔を見せた姉でさえ、死んでしまえばただの汚れた死体だった。汚さに、泣きたくなった。ろくに頭が回転せず、うるふの肩に鼻先を突っ込む。冷たさを更に味わう結果になったが、こみ上げる感情を判別する余裕すら無かった。そもそも、荒野は感情の分析が得意では無い。怨みも憎しみも常に荒野と共に在る物だ。それ以外も皆溶けてしまっている。

 時間が経過して違和感に気付く。状況に一向に変化が無い。音と言えば自らが発する潜めた呼吸や、衣擦れのみ。果たして時間が経過しているのかさえも分からない。

 結界が解けていない。

(まだ、誰か居るのか?)

 荒野は顔を上げて、周囲を静かに見渡す。見上げた空は灰色だ。牙も爪もそのままで、鼓動は変わらず胸を強く打つ。


 誰かが戯れに仕掛けたトラップのような領域は『』事を条件に発動し、外界と空間をへだてる結界に包まれる。

 境界から出れば、結界が解除されれば、荒野の特殊能力者としての力量では現在の姿を保てない。自然と獣化は解けるはず。


 新たな敵の存在が頭を過ぎる。だが逆に荒野は好都合だと解釈した。今は、自由に動ける方が有難い。ビルの隙間から外に出ると、人通りは無い。街路樹と建物のみがひたすら黙って立っている。肌を撫でる不気味な感触に眉をひそめた。

 辺り一帯の地理は頭に入っている。敵の気配を警戒しながら、荒野はうるふを近場の公園まで抱えて運んだ。

 水道で血液を洗い流そうとして、姉の体に触れる事を躊躇って指が止まる。余計な感情は打ち払うようにしたが、狼である以前に女の体だった。どんな男でも、うるふに触れる時これほど苦い思いを抱く事にはならなかったはずだ。

「うるふ」

 どんなに声をかけても反応しない、そこにあるのは入れ物の肉体だけだった。冷たいだけで、正しい肉体の弾力すら奇妙に思える。

「姉ちゃん」

 頬が濡れた。涙が零れた。

 憧れていた。強く強く。姉として、同族として。

 たった一頭切りの群れの仲間としてしたっていた。

 頭が割れそうにガンガンして、叫びそうになる声を押し殺した。死体をどうすればいいだろう。血を洗い流しながら考える。

 狼のしきたりでは、血に濡れたまま埋葬しなければならない事を途中で思い出したが、無残に汚れている姉の姿を見るに耐えず続けた。

 屍の処理が問題になる。確か、死体を埋める場所が在ったはずだ。代々群れによって密かに埋葬する場所がある。肉体は土に返すから。ただ、その場所は分からない。

 両親はうるふにだけ教え、荒野が聞く前にうるふは死んでしまった。普通の葬式など挙げられないし、葬送の仕方は詳しく知らない。うるふを放置はできない。これから涼しくなるのだとしても―――腐って行く姉の身体を思って、荒野は総毛だった。

「今晩は」


 荒野は全身ぐしょ濡れで、だるくてもう何も考えたくなくて振り向くのが億劫おっくうだった。昼も夜も無い常に無彩色の場所で、今晩はも今日はも果たして意味があるのだろうか。ともかく、公園に向かう道すがら感じていた視線の主が分かった。

 声の主を、公園の中央に一本だけある街灯が稼動して照らしていた。蛾が飛び交っているのを見て、結界は解け掛けているのだろうかと疑う。

 怪訝な面持ちで荒野は視線を移す。

 まるでスポットライトだ。照らされているのは髑髏どくろ柄の着物を身に付けた女で、嫌でも目を引く。生地は派手な紫で、赤い帯を締めている。足元はピンヒールのオープントウパンプス。畳んだ番傘の柄に手を置いて、長い金髪の長髪が顔の輪郭を囲って垂れていた。

 唇に艶やかな笑みを浮かべている。

 何て格好だよ。荒野は度肝を抜かれて、呆れる。

「初めまして、獣人セリアンスロープ

 一挙に空気が張り詰める。『獣人』荒野を見てそう呼ぶのはの人間だ。通常は単語すら知らない。領域を作り出している時点で、女が何らかの異能である事も明白だった。荒野は神経を尖らせた。尾が揺れる。

「……何もんだよ」

「道先案内人」

 女は荒野の問いに答える。

「葬送の手伝いをしに」

「うるふに手え出そうってのか」

「―――いいえ、そんなつもりは欠片も」

「体の部品を食ったら魔力がつくとかっつー話、信じてんならデマだぞ」

 苦々しく吐き出した荒野に、きょとんとして女は首を振った。

「興味は湧かないわ。流石にそういうヒトを食べる趣味は無くて、今は関係も無いし」

「大枚はたいて食いたがる奴もいるんだよ」

 うるふに手を出したら殺す。荒野は言う。女は微笑み、小首を傾げた。金髪が肩口から零れ落ちた。

「この場合は同類、同業者、同じ穴のむじなと思ってもらえれば。差し支えなければ、お名前伺うかがっても?」

「嫌だ」

 見た事も無い相手に、自らの情報を後悔するのは自殺行為だと知っている。そう簡単にはほだされない、と牙を剥いた。

「分かった。じゃあ先に、お披露目するわね」

 女は戦闘態勢の荒野を見たからか、一つ頷くと勝手に話を進めて街灯の更に傍へ寄って行く。髪を払いのけた際に、手首を飾った何本もの細い腕輪が煌いた。真下に辿り着いたと同時に、女のかかとから黒い霧が爆発して吹き上がった。

 影だ。

 女の影は増殖し、あるものは獣あるものは虫あるものは何かわからない何ものかの姿をとって従順に寄り添う。

「そうよね。勝手に御願いしに来たのだもの。教えないのは失礼だったわ」

 古風な話し方を装っているのか、癇に障った。睫を伏せて足元に纏わりつくものを見て、荒野に視線を投げる。

「これが、私が異能である証」

 影を従える女。荒野は力量を測る為、黙した。聞き覚えのある名前があった。こちら側の世界で称号を伴って語られる、影遣いの名前だ。

「……お前。知ってる。確か、もとみや」

 女は朱の番傘を開く。鋭い目でその先を制した。

黙亜もくあ、と」

 気圧されて荒野は一歩退(しりぞ)いた。

 紅の唇が間違いだと告げる。

「それでは無いの、元野もとの黙亜もくあと呼んで頂戴ちょうだい。今はね」

 女は軽い調子で掌を広げた。

「分かって頂けた?」

 ―――影遣い。『危険因子』と呼ばれる姉妹の、姉の方だ。

 明らかに不機嫌になった女は、開いた番傘を肩に乗せて唇を尖らせた。

「そっちの名前の方が通りは悪いはずなのだけれど。余程初期の頃でなければ、知らないでしょうね。今の所はもう使って無いわよ。色々都合が悪くて。あなたにも黙っていて欲しいわ」

「るっせーよ」

「二人切りならいいのよ」

「は?」

「あるいは知っている人同士とかなら」

 深みの欠片も無く、平然と話を続ける黙亜。

 こんな時だってのに黙亜の台詞に不埒ふらちな想像をした自分の頬にビンタをくれてやりたいような気分で、釈然としない膨れっ面になって荒野は尋ねた。苛々する。

「何が目的だよ」

「ボランティアよ。あなたが不安そうだから、手伝ってあげようと思って」

「信じられるか」

 荒野は鍵爪の生えた手を黙亜に向ける。そうねえと困った風に口元に手を寄せた。

「気持ちは分かるんだけど、信じて貰わないと困っちゃう」

「邪魔なんだよ、適当ばっかり言いやがって」

「やだ! ちょっと待ってよ、そんなつもり無いんだから」

 今にも飛び掛かりそうな荒野に向かって、慌てて片手を振って否定する。

「協力者をつのっているの。それだけ」

 荒野が眉間に深い皴を刻んだのを見て、重ねて説明する。

「私にも理由があって、今ちょっとその為に活動中なの。特殊能力者に片端から声を掛けている最中で」

 たまたま貴方が目に入ったからと微笑みを作る。

「ほら、困った時には持ちつ持たれつって言うでしょう? 特に、異能は少数だから」

 懐から紙束を取り出し、親しげに近付いて来る。ただし荒野が許可する範囲の限界を、明確に狙った場所で足を止める。傘を足に立てかけ紙を広げる。書き込みのなされた地図だ。

「〝異能の墓場〟で一番近いのはこの山ね。埋葬場所として使われている」

「……本当の話なのか」

 言ったって答える訳も無いだろうに、口を付いて疑問が出た。

「疑り深いのね」

「旨い話は疑えって言うだろ」

 刺がある言い方をしながらも、荒野は必要以上にざっくばらんな物言いになっている事に自分自身、驚いた。いつのまにかペースを向こうに取られていた。影遣い元野黙亜は、どこか他人の気持ちを緩ませる雰囲気を発しているとしか思えない。

「勿論本当、それに付き添って行くわ。あ、嫌ならいいんだけれど」

「お前に何の利益がある?」

「まず二人以上で居れば結界が持続するし、例えばそこの彼女を移動しなければならないにしても人払いの心配は無いわね」

「じゃなくて、お前のだよ」

「ほら不意打ちで襲われる可能性は低くなるし、二人以上なら対応の仕様もあるでしょう」

「人の話、聞いてんのか。それだけじゃねえだろ」

 無人の公園で会話する二人。その奇妙さを咎める者も居なかったが、黙亜は話を渋った。

「話が長いのよねえ」

「喋らなきゃ行かない」

「歩きながらとかじゃ駄目? どっちにしたって、ずっとここにいる訳にもいかないし」

「嫌だ」

 黙亜は頑として譲らない荒野をそれとなく宥めすかして動かそうと試みたが、最終的に話す方が早いらしいと諦めた。

「つまり、さっきの理由の話になるのだけど……」

 溜息を吐いてから黙亜は口火を切った。

「この空間、だから、この領域。これが問題なのよ。貴方はそうは思わなかったの?」

 突如現れた異空間。

「まるで異能わたしたちだけを弾き出すようじゃないかしら?」


 黙亜は語り始める。

「あなたにもわかるわよね。こんな物が発生し始めたのはつい最近でしょう? 今まで何もなかったのに急に、特殊能力者だけを強引に異空間に放り込むようになった。異能の戦いが周囲に被害を与えないようにって事なのか、わからないけど。

 それにしても、急過ぎる。私は疑問を感じるの。

 結界って言うのは、遠慮なく戦闘できるって点は良いとしても、強制的に放り込まれるんじゃ不便で仕方無いでしょう。今はまだ、固定された地域でしか発生していないみたいだけれど、これからは分からないのだし。どっちに転んだって、この結界がある意味は知りたくないかしら。

 今の所これが誰かが仕掛けた巨大な仕掛け細工ガゼットだって事だけは、掴んだわ。ただもっと確かな情報が欲しい。どんな意図で、誰が、どうやって作り出しているのか。だから一体何が起こっているのか調べているっていうのが一つ。

 それにもしこれが、異能が危険だから排除しようって働きかけなら、危険だと私は思うわ。私だけじゃなくて、特殊能力を持つ人間全体にとって。明らかに、誰かが意図的に排除しようとしてるような気がする。掌で踊るのは願い下げだけど、手の持ち主がわからないって言うのも嫌じゃない?

 私は、このに気付いて欲しいの。誰も気付かないで気付いた時にはもう遅かった、じゃまずいでしょう。今はその為の行動中。積極的に特殊能力者に関わっていて、仲間は常に募集中よ。できれば協力もしてもらいたいんだけど、流石にそこまでは要求しないわ」


 黙亜が喋るのに、荒野は相槌も打たずほとんど無言で聞いていた。最初のうちは理解しようと勤めたが、説明とはいえよく喋る女だなと途中から口を挟む気も失せ、話の展開がいまひとつ掴めなくて結局ガゼットどうたらとか特殊能力者がこうたら辺りしか聞き取ってしかいない。集中力が途切れっぱなしで苛々してきた辺りで、気持ち悪いわよと黙亜が柳眉を寄せる。

「可能性として、特殊能力者の存在を知っていて尚且なおかつ、存在を良しとしない人物が関わっている可能性が高い」

「ふうん」

「そもそも私、人の言う通りにするのって大嫌いなのよ」

 黙亜は展開した理論をぶち壊すような台詞を平気で口にした。

「御都合主義で操られるのって嫌いだわ」

 一段と声を潜めて、言う。

「だから全部ぶっ壊すのよ」

 荒野は瞬きをした。

「―――私の自由の為に」

 異能に権利が無いってんなら、とんだ差別主義者だわ。

 黙亜は笑んだ。狼、砂原荒野ですら腰の引けるような凶暴な笑みだった。

「だからね、貴方にも出来れば特殊能力者の一人として自覚を持ってもらいたいの。獣人セリアンスロープ……狼人間ライカンスロープさん」

 尾と尖った耳を示され、苦りきった顔で荒野は返事に代える。

「結界の意味を知る事と、危機的意識を異能力者全体に広める事。どう? これが私の理由なんだけれど」

 細い指が二本、ピースサインと同じ形で立てられる。どう? とか聞かれても、怒涛のように喋られて考える暇もなかったというのが本心だ。荒野は戸惑った。あやふやな答えしか返せそうにない。

「そう言う事で、貴方と会った時点で利益は果たされている、と言ったら分かって貰える? 後は、ただの親切心と助け合い精神」

「何となく、分かるけど。俺は、結界が消えたら困る」

「消えたら困る? あら、本当に分かったの? 無害ならあってもいい、けど有害だと困るっていうの。私は普通に生活したいだけで」

「よくわかんねえ。俺には」

 一応言ってみた物の、荒野は容易たやすさじを投げ出した。自分で話を振ったまではいいが、返って来た答えが理解できないので何も仕様が無い。ひとまず、話を渋ったのは本当に長くて説明が面倒だっただけで荒野に対して悪意があった訳ではない、とは分かった。

「だから、両方とも得になるって話でしょう。ああ、うーん、もう理由はいいわよ。分からなくってもいい。信じられないって言う人も居るくらいだし。この行為は気紛れのお人よしだと思って頂戴」

 もし良かったら、お名前教えて頂ける? と黙亜は先程の問いを繰り返す。

「困っている人は放って置けないのよ。世の中持ちつ持たれつでしょう? 彼女、放って置くつもり?」

 荒野の事など関係無い出会ったばかりの赤の他人のはずなのに、自分の方が苦しいような顔をして、困ったとばかりに頬に手を寄せる。僅かに悲しそうに目を細めて、目線を向けた先には水道にもたせ掛けたうるふが居る。目を閉じ、ぐったりとした姿で全身水に濡れている。

 うるふを持ち出すのは卑怯な手口だ。胸に嫌な感情がこみ上げたが血の気の無い頬をした姿を見ただけで、最後の疑いが吹き飛んだ。


 黒髪の男を思い浮かべる。考えただけで憎しみが沸いた。相手を殺す前に、自分の感情を殺さねばならない。うるふはそう言っていた。分かっている。けれど分かっていてそうできるのなら簡単だ。うるふの項垂れた顔に手をやる。冷たくなった感触がここにある。血は洗い流されても、傷は残っている。男に、もてあそばれた傷だ。心臓を握られたように荒野の胸が軋む。

 姿を思い出せば今でも血が滾る。だから荒野は決断を下す。

 疑わしかろうがなんだろうが、それが重要か?

「砂原荒野。頼む」

「あら本当?」

「姉貴、ちゃんと葬ってやりたいから」

 復讐を。血には血を。罪は血と臓物によってあがなわれる。それが獣のおきて。荒野の肉体と精神に仕込まれた絶対だ。親が言いつけ、姉が教えた。

 復讐は掟。

 だから荒野は復讐を誓う。

 必ず、殺す。


 荒野の名乗りに嬉しそうに黙亜が応じる。そう。よかったと唇を綻ばせ、打って変わって何故か急に幼く見えた。荒野は変化を気にしたものの、実際余り興味が無かった。

 荒野は次の事を考えている。

 脳髄は極限まで冷え、氷水を頭から被ったみたいだ。うるふの敗北と死が意味する男の力量は、かなりと見なければならない。熱くなったら駄目だときつく掌を握り締める。

 戒めは単語だけで聞けば適当な御題目に似ている、けれども荒野の脳内では単純に必要に迫られてどこまでも冷徹な策略が展開される。全身の血が熱湯でも不思議ではないだろう、沸き立って居る感覚の中で保てる冷静さは訓練の賜物だ。うるふと共にこなした訓練の一つ、最悪を考えて何度もシミュレーションを繰り返したから。

 ―――とにかくあたし達は、生き残らなきゃならない。

 それがうるふの口癖だった。

 どんな犠牲でも払うのをいとわなければ、これほどの容易は無いと教わった。大切なのは忘れない事だ。一番重要な物を選び、見失わない事だ。

 生き残るのは簡単だと教わった。取捨選択と順位付けが大切だと偉そうな口振りで、真摯に告げる瞳が思い出される。

 ―――冷静にやるんだよ、あくまで。

 取捨選択と、順位付けと荒野は呟く。

 仇を討つのならばなおさら正確に、確実に攻撃を繰り出さなければならない。

「それでは、ちょっと待って貰えるかしら?」

 黙亜は番傘を肩に携帯電話を袂から取り出し、コールし始める。それにしても着物の中に一体どれ程の物を仕込んでいるのだろうか、謎である。

 荒野は姉の死体を見て呼吸するように静かに決断する。逃走が必要とされる場面になったら、迷わずうるふは捨てる。

 死んだうるふより、生き残った荒野の方が大切だ。

 何よりも大切な物も、捨てる事を躊躇わない。そうすれば切り抜けられる。先がある事を忘れなければ、先へ進める。捨てる決意をしたとしても、何よりも大切な物だと言う価値は変わらないけれど。

 荒野が先へ進む事は、使命だ。生き残らなければならない。何としても。自分が残ったのだから。

 

 携帯電話を閉じる音が強く届いた。考え込んでいる間に、話は済んだらしい。

「用は済んだか?」

「もう少しここで待って貰える?」

「何で」

「手ぶらで行くつもりなの?」

 それじゃ駄目なのかと言いかけ追求するのも面倒で、荒野は口を噤んだ。街灯の傍では変わりなく蛾が飛び交っている。五分も経たないうちに、

「そろそろ、来ると思うんだけれど」

「お待たせー!」

 甲高い声が空気を突き破った。軽い足音が聞こえて、両手に大きなコンビニ袋を提げた子供が植木の陰から平然と顔を見せる。艶々した、だが大分使い古しの赤いランドセルを背負った少女だ。胸の前で細い紐が交差している。見知らぬ闖入者ちんにゅうしゃを認め、荒野は目を丸くした。

「もくねえ持って来た、……って誰ソレぇ!」

「ついさっきでしょう、もう忘れたの?」

「忘れてない! ちょっと覚えてなかっただけ!」

 一緒じゃないのと呆れたように呟いた黙亜に向かって、少女がきゃんきゃん喚く。

「……小学生じゃねえかよ」

 領域に入って来られるのだから、異能である事に間違いは無いはずだ。よほど神経が太いのか、袋をぶら提げて無頓着に荒野の十センチ手前くらいまで幼い顔を近付けて来る。頭が荒野の腹の辺りになる。

「ふーん」

 少女がカーゴパンツを無遠慮に引っ張ったので、立ちっぱなしだった荒野は流石に後退する。

「結局こいつ捕まえたんだー。もくねえドジだから無理目かなーとか思ってたのにさー」

「何だ、これ」

 毒気を抜かれた荒野は鼻の頭に皴を寄せて、少女の鼻先に指を突きつけた。

「妹よ」

「そういう事だっつーの、ばーか」

「ちゃんと躾けろよ。神経がドラム缶みてーじゃねえか」

「ひどー! 聞いた今の!?」

「二人とも落ち着いて。手っ取り早く情報公開と行きましょう。丁度良かったわ。みな、あなたも」

 いつの間にか止まっていた息を吐き出して、意識的に呼吸を深くする。

 背負ったランドセルからは細長い革ケースが飛び出していた。

 頭の両側で括った髪が動作に連れて跳ね、金属同士が擦れるような重い音が重なる。咄嗟とっさに荒野は小動物を連想した。チワワだ。それも飛び切り甘やかされた我侭わがままなチビ。

 黙亜は少女をたしなめる。

「分かってるでしょうね。このお兄さんとはお話があるんだったら」

「わかってるよお。でもさ、気に入んないんだもん」

 こっちだって好きでいるわけじゃねえよ。

 眉間に皴を刻んだ荒野と少女の間に一触即発の気配が濃厚に漂い出す前に、黙亜が話を切った。

「じゃあ、まずは改めて自己紹介するわ。巷で噂の『キケンインシ』元野姉妹の姉、元野黙亜こと、素宮もとみやりょう

 ぎゃ! と妹が飛び跳ねて即座に姉を振り返る。

「バラすの本名!」

「あなたがそこで言わなければ、本名かどうかなんてわからないのに」

 これ見よがしに溜息を吐かれ、不満そうな顔付きで大人しく妹も名乗った。

「同じく、元野未成みなりこと素宮もとみやあやー」

 でも呼ぶ時はもくあ、みなりって呼んでねと姉妹は口を揃えた。今の名前にさほど執着は無いらしい。

「ていうか、そんな馬鹿ちゃんじゃねーの!」

 彰こと未成が叫ぶ。姉とは大違いでチビの癖に口が悪い。おまけに声が酷くキンキン響く。

「本名で本気でケンカできねーじゃん! そんなのっ。バレバレじゃん。だからぁ、学校だけ。こっちではモトノミナリ。つーか本名もさ、どうせならあきらって読み方が良かった。カッコいいもん。

 ほら、章って字に、ちょんちょんちょんって、さんずいの逆みたいなの書くのね。わかるっしょ」

 お喋りなのは姉妹で変わらないらしく、責めるような表情の荒野に対して黙亜は苦笑交じりで腕を組んでいた。

「どういう訳だ?」

「これでこちらの誠意を酌んでもらえないかしら? 一番の切り札を開けたつもりよ」

「そーそー!」

「私達、基本的に本名は明かさないの。表の生活があるから。……行き違いも多いでしょ、怨まれたり憎まれたり、あるし。それをかわすのにも偽名なんだけれど。だから、教えた事で信頼して欲しい。最低限ね」

 荒野は計算する。微かに頷く。

「みなっちゃん、後あれは?」

「んっ」

 みなりは胸の前で交差させた紐を解き、背負っていた自分の肩くらいまであるスコップを二本両手に持ち上げて黙亜に示した。

「重かったんだからねー」

「ありがとう」

「ね、ベンチ、ベンチ行こっ。もうやだ、おもーい」

 黙亜の手を借りてスコップや膨らんだビニール袋を忙しく持ち替え、背負っていた赤いランドセルを手渡すと未成は勝手にベンチに駆け寄って腰掛ける。

「おい!」

「じゃあ、少し待っていて貰えるかしら?」

「行ってきなよ、もくねえ。大丈夫あたしがコイツ見てる!」

「ん、なっ。何だよそれ」

「ごめんなさい、じゃ御願いね」

 ランドセルを大事に抱えて、黙亜はトイレの方へ歩いて行く。

 預かった番傘を振り回して自分の横に置いた未成は、コンビニエンスストアのロゴが入った袋から適当に菓子パンを見繕って、荒野に向かって爆弾であるかのように投げつけた。

「それアンタの分! リョウちゃんに―――もくねえに、頼まれたの!」

 姉妹の姉がしばらくして戻って来るまで、荒野は仔犬のように煩い妹に延々お喋りの相手をさせられて憔悴しょうすいした。荒野はうるふの体を水道から未成の横に移動させたが、すぐ傍に置いてるのを一旦目に留めただけで、未成は以降気にもせず猛烈な勢いで喋り続けている。只者ではない証拠だった。とはいえ、証拠とか証明とかもうどうでもいい気分だ。


 自分がここにいる意味とか考えるのも馬鹿らしい。考える行為が異様に面倒臭くなる位に荒野の体に疲労感が押し寄せていた。

 これから、この先、どうしたらいいか。本来なら考えるべき事は山ほどあるのに、考えられない。当然未成の話は耳を右から左で、聞いて無いと分かるたびに無遠慮に頭を数度はたかれた。文字通り噛み付かなかった自分自身を盛大に褒めてやりたい。

「お待たせしました」

 黙亜は髪をバレッタでまとめ、簡単なシャツとズボンだけの無防備な状態で現れた。足元もスニーカーになっている。荒野は目を丸くした。随分雰囲気が違う、どころか化粧を落とした姿が自分よりも年下なのは明らかだ。高校生かどうかも危うい外見で、どういう理由かわからない黙亜の昨今さっこん滅多に使われない慇懃にも思われる丁寧な物言いの奇妙さも増していた。

 黙亜はランドセルと大きく膨らんだ布バッグを渡して、代わりに未成の手からペットボトルを受け取り、一気に三分の一程度飲み干した。これがもくねえの分と未成が甲斐甲斐かいがいしく選んだパンを黙亜に渡す。

「食べながらでごめんなさい。すぐ済ませるわ。あなたは?」

「要らない」

「何でこいつアタシがわざわざ買ってきたのに!」

 未成、と手のひらで制す。立ち上がりかけた膝を元通りに直して膨れる。黙亜はものの数分でサンドイッチを一つ平らげ、立ち上がった。食事には栄養補給以外に意味は無いらしい。

「お待たせしました。それじゃあ行きましょうか」

「待ちくたびれた」

「ごめんなさい」

 唇に笑みを乗せて、黙亜は応える。スコップを片手に持ち、左手首に嵌めていた腕輪を外す。金属の腕輪を未成の細い手首に嵌めてやり、手を叩く。右腕の輪だけが音を立てる。

「いっぱい荷物持たせて悪いけれど、先に帰っていなさいね」

「わかったよー。ちゃんと教えてねー」

 荷物を慌ただしく背負った未成は、抜け落ちそうな手首の腕輪をさすってからあっという間に姿を消した。消える前に、「じゃあな!」と荒野に向けてキンキン声で叫んでいった。

「ここから先は、私だけが行くわよ? いい?」

「別に」

 荒野はうるふを肩に乗せ、揺すり上げた。

 公園を出て、人通りの少ない道を二人で連れだって歩いて行けば、自然と境界を越えたらしい箇所で結界が解ける。

 風景に色が戻る。

 荒野の獣化が同時に解けた。

 空に昇った月に目を細めた。月下にいるからと言って、変身する事は無い。僅かに体を熱くする感覚があるだけ、そして五感が研ぎ澄まされていくだけ。異能と言えど荒野の能力は低く、弱い。それでも、目覚めていない人間に比べれば脅威になるだけだった。

 意識して緊張を保つ荒野に反して、黙亜はノーマルどころかラフ過ぎて浮いているような服装に変わっても余裕綽々よゆうしゃくしゃくで堂々道を闊歩かっぽしている。手にした番傘とスコップが酷く浮いている。番傘の方は未成に持たせきれないと判断したのだろう。

 普段から強襲に備えて気を張るのは癖になっているはずなのに、見ているとこっちまで別に周囲を気にしなくてもいい気分になるのだから勘弁して欲しい。集中が途切れるたびに、頭をぶんぶん振って気合を入れなおす。

「この辺りは余り?」

「ん?」

「だって、あんまりきょろきょろしてるんだもの」

「詳しいのは公園から西までだ」

 現在はとっくに荒野達の行動半径の外である。見慣れない道筋をかなりの間歩いている。体力には自信がある荒野にとって距離は気にもならないが、細身の黙亜も平然としている事に若干驚く。

(侮れねーな)

 密かに見る目を改めた。

 今さらながらに思い出したが、相手が特殊能力者である場合見かけはさほど当てにならない。更に、戦闘は様々な状況を含んだ環境下で行われるから予測するだけ無駄だと言える。

 実力がどうであろうと、戦ってみないと分からない。

 戦いが終われば、勝者と敗者が居るだけだ。

 

 程なくして、小山と呼ぶのが正しい山に辿り着いた。突然目の前に現れたと表すのが一番適切な気がする。互いに会話も無く黙々とただ道を歩いて行くうちに、いつの間にか着いた。そんな感覚だった。立ち入り禁止の札が掛かった鎖を、黙亜が乗り越える。

 うるふの体を揺すり上げ荒野が中に入った途端、血が騒ぐのを感じた。肌に上等な布が触れるのに似た感触があり、背筋を指先が撫でたような不気味な感覚が訪れる。

「何だ、ここ」

「結界が張ってあるの。異能者を擁護してくれる人のお陰。これで、通常は気付かれないようになっているのね。大丈夫よ」

 黙亜はポケットから取り出した軍手を嵌めると、茂みに分け入り先導して進み始めた。まるきり茂みをかき分けて進む具合で、茎を手折り枝を押しのけ、蜘蛛の巣を払いながら前進する。足元はぬかるみ、気を許すと土が崩れて足を取られそうになる。

「だから着替えか」

「え? そうよ。だってヒールで山登れないわよ。汚れちゃうし」

 荒野はうるふを肩に担ぐのから背負うのに変えて、より歩きやすさを優先させた。足元で時折、何かひびれる乾いた音が鳴る。

 風が強く吹いている。頭上で木々の枝がうねり、泣き声のようなざわめきが響いていた。適当な位置で、黙亜は地面にスコップを突き立てた。

「始める前に少し質問。いいかしら」

 構わないと荒野は首肯する。黙亜は手馴れた様子で簡単に確認を取った。

「戸籍はある?」「わからない」「肉親とか、あなた以外で彼女の葬送に関わる人はいる?」「いない」「特別なしきたりとかある?」

 最後の質問だけ、答えが鈍った。荒野は聞いていない、ほとんど知らない。黙ってしまった荒野に対し、黙亜は質問を変えた。

「遺品じゃないけど、髪の毛とか取っておく?」

 髪の毛だけでも、残したらきっと狙われる。下手に残せば砂原うるふと言う少女の情報になる。ただの力を持たない人間か、それとも特殊能力者か。どちらであっても異能の力を狙う者はどこに居るか分からない。

 油断してはいけない。

 奪われた時のことを考えれば、残さない方がいい。

 荒野は唇を微かに噛んだ。

「……いい」

「分かった、確認は終わり。後、これは好奇心。彼女は誰?」

「姉貴だ」

 返答に、黙亜は少しだけ意外そうな表情を見せた。それから二人で協力して穴を掘った。一人を埋められる程度の深さはあるが、狭くて小さい穴だった。

 穴の底には体を丸めたうるふを丁寧に下ろす。昆虫の幼虫のような姿だった。湿った冷たい土に、黙亜の髪が触れている。土を埋め戻す時、荒野の胸は締め付けられた。

 何度も言い聞かせなければならなかった。ここにあるのは死体だけだ。屍。もう二度と生き返らない物体。ただそれだけ。

 間違えてはいけない。

 生き残るべきは荒野だ。死んだ者は生き返らないのだから。

「お前までやる事ねえだろ」

 荒野が零すのに、埋め戻すのを手伝いながら黙亜は言った。

「相手が嫌がらない限り、最後まで付き合うのが葬送を手伝った者としての鉄則(ルール)よ」

 うるふの体は土に包まれ、丁寧に土をスコップでならして踏み固めると、何が埋まっているのか見る限り完全に分からなくなった。身近な木の枝を折り、荒野は意味無く地面に突き刺した。目印としては余りに頼りない、だが体が勝手に動いてした行動だった。

「これで大丈夫」

 黙亜が額の汗を拭った。

「能力が無ければ気付かない場所だから、お姉さんが見つかる事は無い。お姉さんが利用される事も無い。これから土に還るだけ」

 だから、もうこれで大丈夫。行きましょうと促され荒野は、山を下りながら一度だけ振り返った。木々の隙間からはうるふがどこに居るのかもうわからなかった。


 山を出て、埋め終えた帰り道だった。黙亜は住宅街を人気の無い方へ無い方へと入っていく。何度目かの角を曲がり、道の右手に奥まった小ぶりの建物で黙亜は足を止めて、郵便受けを確認する素振りを見せた。階段に立ち荒野を呼ぶ。

「こっちよ」

 導かれたのはマンションだった。まだ新築で白い壁には汚れが少ない。丈夫な作りになっているに違いない。継ぎ目や基礎構造に目を走らせる。足を置いた感触で最低限、能力者に選ばれた建物だと知れた。防火、耐震構造、その他の衝撃にもばっちりだ。

 階段を三階まで上って、黙亜が首から提げた鍵を服の下から取り出し、部屋の扉を開く。スイッチで玄関の電灯を付けた。廊下に上がって、番傘を靴箱に立てかける。

 玄関から廊下を通り、黙亜は荒野を奥まで招き入れた。扉が四つ並んでいる。きちんとした部屋を眺めているうちに不安が掠めた。無言で女の背中に続いている自分が酷く奇妙だった。

 奇妙な居心地の悪さがある。ここは自分の居場所ではない、と強く感じるような。何でこんなに簡単に着いて来てしまったんだろう。選択を間違ったかもしれない、と後悔した。

 一番奥まった扉を開けて、白熱灯が点ったリビングに通される。3LDKのマンションなんて年若い女が使うには贅沢過ぎる住処(すみか)だ。そう思った所で、白熱灯に晒された女が最初の印象に比べて、遥かに年が若そうだと気付いた。

「何も出せないけど」

「別に」

 黙亜は荒野に背を向け、髪を撫でている。目の前、若干低い位置を女が通過する。廊下へ戻ろうとする。鼓動が早くなるのを感じた。この場に残されるのを本能が嫌った。

 脳裏に躍り上がった罠の可能性。

 リビングの窓から、月が見える。考える前に爪が伸びた。

 鍵爪が白い首筋に迫る。


 弾かれた。黙亜が肩越しにこちらを見た。ガラス板のように硬質化した影が、二人の間に立ち塞がり狼の爪を阻んでいる。

「無駄よ」

 荒野は知らず知らずのうちに喘いでいた。口元からは牙が飛び出し、目は血走っている。混乱しているらしいと見ても、女は塵ほども怯えないで金髪を揺らす。

「どうしたの?」

「置いて行くな」

 一人にするな、と呟く。

「罠じゃ、ないだろうな」

「嫌だ。どうしてそんな事思っているの?」

「どうしたの!?」

 物音を聞きつけたのか、パジャマ姿の未成が飛び出してくる。

 異変は微かな音だけだったろうに、聞き分けた能力の高さを知らせている。

「何でも無い……」

 力が体中から抜けていく。立っていられない。荒野は額を押さえて、フローリングの床に膝をついた。黙亜は無言で見ていたが、未成を連れて部屋を出て行った。


 何でも無い。ただ、理由の無い喪失感が胸に満ちるだけで。

 何でも…………………無い、のに。

 荒野は呻いた。目を覆い隠した指から、冷えた床に雫が落ちた。


 部屋に鍵が掛けられるからと説明付きで荒野は客間を宛がわれ、数日だけ元野姉妹の家に世話になり、知っている情報を相手に公開する事になった。

 荒野自身も、聞きたい事があった。

「教えて貰えねーか。うるふのかたきの素性が知りたい」

「すじょう、ってナニ?」

「黙ってろ」

「ぎゃー、ひでえ!」

 片腕で引っ付いてくる未成を押しのけ、黙亜に尋ねる。

「多分、名前を聞いたんだ。あいつが言い捨てて行った」

「ふうん……聞いた覚えがあるかしら。わからないけれど、一応聞くわよ」

「確か」

 頭の中を引っ繰り返す。襲われた時の光景までも瞼の裏に鮮やかに蘇り、苦痛と生々しい死の気配が身に迫った。振り切るように、口にする。

「コオリヤマヤタ、だ、多分」

 変わった名前だから覚えやすかった。振り向き、目を寄越し、ほんの少し唇を動かして。聞こえるか聞こえないかの狭間を狙った、捨てゼリフまがいの名乗り。元野姉妹は顔を見合わせる。

 二人は思い当たる箇所があるという表情で、荒野は身を乗り出した。

「聞いた事あるわ」

「本当か?」

「確か、〝借金取り〟みたいなニュアンスの。うーん、〝取立屋〟って方が近いかしらね、何だったかな。確か呼び名があったの。帳尻合わせの役目を担っている」

「てゆーか、かなり強いって言ってたじゃんね?」

「―――偽名じゃないな?」

 肌がざわめく。重ねて、確かめる。

、その、コオリヤマヤタって奴は」

「待って。でも、本名かどうかはわからないわよ。会った事は無いから、どんな容姿なのか知らないもの。可能性として騙っているとも考えられる」

 そう、でもと黙亜は目を伏せる。

「コオリヤマヤタを名乗る異能者は、存在するわ」

 それだけ分かれば十分だ。荒野は思った。

 一つの手がかりができた。後はとにかく探し出せばいい。早速、席を立とうとした荒野の腕を小さな薄い手が掴んだ。手の持ち主を辿ると、未成が上機嫌で笑っていた。

「自分だけ聞いておいてそれだけって、都合良過ぎじゃん?」

 げ。

 不吉な予感が過ぎった次の瞬間にはもう遅く、姉妹の両方から異能の状況について知っているだけ根掘り葉掘りさんざ引き出される結果になった。

 追及の果てに、最後に面白いもの見せてあげると黙亜が微笑んだ。何事か呟きながらテーブルの上の花に手を翳した。腕輪が鳴る。黙亜の影が足元から伸び上がり、薄い膜状なって花に覆いかぶさった。

 瞼を半分以上閉じて、言う。

「影はもう一人の自分だと聞いた事は無い?」

 今までと同じような、一方的なお喋りだと思ったから口は挟まない。

「私達は色々な物を、生きる上で肉体と影に分かち合っている。影は、見えない物を飲み込んでくれる。預かってくれている。……もっとも、私の持論だけれど」

 影は闇に近しいモノ。闇は何でも飲み込んでくれる。黙亜は呟くように語る。

「ただ、私の影は普通の影とはちょっと違うけれど」

 喋っているうちに黙亜の手元に影が戻り、手を引いた。朽ちた花弁がテーブルに散った。花は無残に枯れ果てていた。

「影に。早回しに経過させたの。だから余計な物が綺麗になくなる。灰にもできるのよ」

 もう一度手を翳す。今度は先ほどより短い時間で黙亜は手を離した。風が吹けば舞い散る灰が小さく山になっていた。

 腰に手を置いて立っていた荒野は、便利な能力だと思った。時を吸い取る、経過させる。加えて変質させられるというのは、 『影遣い』かなり応用の利く能力かもしれない。もっとも黙亜の戦闘スタイルを見た訳ではないから、断言はできないけれど。

「見えないモノなら、それでも制限はあるけれど、大抵吸い込める。これが私の能力」

「お前ら、後から変わった奴らだろ?」

「……どうでしょう?」

「わかるんだよ、大体」

 黙亜はちょっと頭を掻いた。感心した素振りで、未成が黙亜を見ている。

「スゲーね。分かるんだ」

 こっちに向かって視線を投げた未成に、まあなと頷く。

「物心ついた時から使えたから、あんまり実感は無いんだけれどね。でも、血とか歴史の意味で聞いているのだったら、そうよ。一代限り、私達限定の力だから」

 やはりそうかと確信する。この場合真偽を疑うのは必要無い。

 多岐にわたる能力の豊富さは後天的な能力者の特徴で、応用力があるのは後天的な能力者の強みだ。

 自分の能力を明かすのは、荒野から情報を引き出した対価だろう。黙亜の行動は、常に公平であろうとするかのように映った。荒野は食えない女だと言う感想を胸の内にしまった。


 結果的に、夜を待って荒野は自分の家に戻った。後ろ髪を引かれるような、気まずい顔をした荒野が出て行き、扉が閉じる。

「………姉ちゃんも人が悪いよねえ」

「何の事かしら?」

「だって、依頼だって一言も言わなかったっしょー」

「あら別に、本心なんだからいいんじゃない。私だって知りたいのよ、個人的にも」

「あいつ、知らないんだもんなあ。

「元野姉妹が用心棒業も引き受けている、って言うのを知らなかったのが彼の不運だったのよ。つまり、それは私達には関係無いわね」

「わかるけどー。多分、考えている以上にデカイっつーのに」

「言う必要が無い事は言わなくていいの。それがお互いの為なんだから」

「あーあ、かわいそ」

「それにしても面倒だわ。これから、『千獣の王キングオブサウザンビースト』『狗猫ハウンドキャット』にも偵察に行かなきゃならないし。どうして皆つるみたがるのかしら」

「面倒かもしれないけど、頑張んなきゃね。お仕事お仕事」


 ♦


 帰り道、つらつらと益体も無い考えを繰り返していたら唐突に、黙亜があれほど荒野に関わりたがった理由が分かった。

『私は普通に生活したいだけで』

 会話の最中に零した台詞の断片を思い返す。

 黙亜は荒野に、引いては異能力者という立場の者に悪目立ちして欲しくないのだ。自分達の、異能力者全体の平穏の為に。

 自分達は、一人が起こした行動で能力者全体が括られかねない状況下に居る。異能力者という立場に居るだけで。

 例えば事件が起こったとする。異能力者の存在が社会に知れ渡ったとしよう。もし存在が明らかになった時、〝危険〟だと異能力者を批判する人間が圧倒的多数に膨れ上がったら? 答えは簡単だ。争いは避けられないだろうし、絶対数の少ないこちらは圧倒的に不利になる。

 異能力者は飛躍的に生き辛くなる。

 黙亜が恐れるのは平穏の喪失だ。

 だから道先案内人などと称し、打てる布石は打って置こうと行動している。


 黙亜の行動は理解できないでもない。しかしそう考えると矛盾が生じてこないだろうか。荒野は思考を続ける。結界の中は、狼としての力を自在に使える世界だ。結界内は枷を外されたかのように能力が向上する。わざわざそんな場所を作り出す理由が、どこにあるのだ。

 誰の利益になるか、荒野には思い付かない。

 結界の存在は、誰かの思惑なのだろうか。

 だとしたら誰の思惑なのか。

 荒野は思考する。

(俺だけなんだ)

 とうとう一頭になってしまった実感が、まだ、湧かない。

 理由は分からないが何らかの力が働いているのは間違い無く、次元を超えた世界でだけ荒野は完全に能力を自分の意思でコントロールできる。

 結界が無くなったら、困る。

 身も蓋も無い意見だが、本心だ。荒野にとって結界は戦場を誂えて貰えるのと同じだ。結界があるから周囲を気にする事無く暴れられる。

 ただしそれが操られているのだとしたら。身勝手に、誰かの思惑で動かされている盤上の一部の駒にされているのだとしたら。

 生きる妨げになる可能性があるなら、思考しなければならない。

 荒野はしばらくして考えても詮無いことだと放棄する。考えて果たして分かるのかどうか。分からないのが答えだった。

 とにかく情報が少な過ぎる。なら、その場で備えるしかない。

 余計な事は動きが鈍るから忘れた方がいい。

 荒野は思考を止めた。


 久し振りに戻った部屋は変わらなかった。壊れかけて誰も住んでいない、半分くらいは廃墟と判断されそうなアパートの一室の汚れて傾いた惨めな部屋。人気が無いのを確かめて、驚くほど物が無い擦り切れた畳に横になった。何もする気になれない。

 ―――あたしがついてる。

「……姉ちゃん……うるふ」

 親は居ない。荒野とうるふはとうに巣立っていたし、親は既に行方も知れない。たった二頭の群れだった。

 声が鮮やかに蘇る。面影が離れない。癖のある髪、軽やかな微笑、たった一つだけ年上の姉の無残な死に様。汚れた屍。

 よく笑い荒野を励まし、手折れやすく倒れやすい自らを嫌い、時に誰よりも冷徹になる瞳を持っていた。姉が死ぬとは思ってもいなかった自分が居て、嫌気が差した。

 人間は死ぬ。例え狼でも。

 例えようも無く励まされていたのに気付いて頬を一筋、雫が伝う。嗚咽は押し殺した。一人で泣くのには慣れている。

 畳の上で丸くなって、月の光を浴びた背中がざわめいた。滑らかな毛並みが伸びて背を包む。耳の形が変わっていくのが分かった。

 喉が渇く。


 血が薄い荒野は、自らの意思では狼に成りきれない。

 日の光の下であっても、月の光の下であっても。

 荒野は元来の能力が低いため、月の光を浴びても意図しなければ姿が変わらない。能力が増しても、人間の姿を保つ事が出来る。ただ荒野の体力は落ちていた。月の投げかける光に翻弄される。月は気まぐれに光を投げて荒野の姿を変える。光に抵抗する気力が起きない。能力は増してゆき、コントロールが失われる。

 荒野が狼になれるのは結界の中だけだ。

 獣の毛が生えた醜い塊になって荒野は泣いた。常に自在に狼に変われる能力が欲しかった。間接が軋んだ。骨格が変わった、一頭の狼の押し殺した声でうるふを思って吼えた。

 

 ひとりであるという事が、急に強く意識された。

 ここには、たったひとりしかいない。

 ここだけにしか、いない。

 たったひとりだ。

 共に戦うものはいない。

 共に生きるものはいない。

 荒野は狼人間ライカンスロープだ。うるふも同じだった。

 母親がそうで、父親もそうだった。

 大分血が混ざって薄くなってはいたが、顕現する能力は血に流れている。


 荒野はある日、電車に乗って一日留守にした。

(近くてよかった)

 車窓からは海が見える。

 たまに二人で連れ立って来た海だ。駅からもう、海岸が見えている。荒野は歩き、砂浜に足を埋めながら波打ち際まで歩いた。

 荒野は背後を振り向いた。

 砂原うるふは死んだ。もう絶対に居ない。どこを見ても。

 波風が荒野の短い髪をなぶる。

 海が好きなのは姉弟で同じだった。滅多に来ないけれど特に冬の海がいい。冷たそうな灰色の波に、打ち寄せる音。荒い波。

 突き放すような風の中で目を閉じる。

 共に生きた者として、できる最後の事だと思っていた。


 さよなら、うるふ。


 荒野はたった一人の群れの仲間に、別れを告げた。


 帰って来た次の日から荒野はいつもの日課を再開した。

 夕暮れ頃から街に出る。早く月が昇るといい。そうすれば、調子が上がる。

 次第に高まる能力を感じながら、荒野はトレーナーのフードを深く被って獲物を探す。日が暮れると人通りは却って増す。世の中に光が溢れ、人はもはや夜闇を恐れない。

 なるべく眉間に皴を寄せて不機嫌そうにしている奴を狙う。

 なるべく私欲で肥え太っていそうな奴を狙う。

 なるべくまるでこの世界を諦めていそうな奴を狙う。

 なるべくこの世に絶望し行動を捨てていそうな奴を狙う。

 なるべく自分自身何をする気も無いこれ以上変えようと塵ほども考えて居なさそうな今の状況を感受しているだけで満足しきった堕落した脳味噌を所有していそうな人間を探す。

 荒野はそういう奴らが獲物に最も相応しいと思う。

 別に、深い意味は無い。

 ただ、高い場所に要る奴は否応無く低い場所に居る奴の存在を考えるべきだとは思う。不幸と幸せは同居人だと知った方がいい。そして不幸についてレベルとかランクとか、耐えられるか耐えられないか、破壊する為に打開する為にどう動くべきか考えるべきだ、例え欠片でもいいから。

 幸せを自覚しない奴は嫌いだ。

 黙ってたって訪れない。探さなきゃ見つからないんだ。

 ちゃっかり手に入れている癖に不幸そうな面をしている奴は見たくない。だったら俺にそれを寄越せ。

 うるふが行動する時、敵は無差別で選ばない主義を貫いていた。うるふの主義を、荒野も多少は考えに入れてもいいと思う。

 荒野の手が背中に軽く触れる。相手はぎょっとする。適当な路地に、有無を言わさず背広姿の中年を連れ込む。現れたのは荒野だけだ。手のひらには財布が握られている。見えない掌の内側には血が付着している。

 場所を変え、同じ事を繰り返す。決まりきった行動だった。ただ対象が変わるだけの。

 うるふが居ない今〝仕掛け〟を避けないで済む分、行動範囲は広まっていた。

 生きるには、金が要る。

 土地にすら値札が付いている世の中で、生きるには金が要る。

 財布から金を抜き取る。手に入れた金で食料を買って荒野は部屋に戻る。

 平穏な一日。

 うるふが好きだった菓子を箪笥の横に置いておく。よく、帰って来ては箪笥に寄りかかって食べていた。僅かに胸が締め付けられた。情けないかもしれないが、まだ泣けた。当分忘れられそうにない。荒野は笑顔の姉と死体となった姉の両方を交互に思い出す事にした。黒い男の姿も同時に思い浮かべるようにした。憎しみが心に焼きつくように。それだけが色褪せないように。

 死んだうるふは忘れて、自分が生きる事に集中すべきだったのかもしれない。何故なら荒野は生きなければならないのだから。でも、荒野は自分が全部を忘れて子孫を成している姿を想像できなかった。

 荒野は日課を続けた。

 

 灰色の領域が展開する。

 あどけない顔をした少女で、荒野を目にしてがくがく震えている。

 異能は二種類に分類できる。

 先天的な異能と、後天的な異能だ。

 荒野は先天的な物に当たり、元野姉妹は後天的な物に当たる。

 先天的な異能は特殊能力を持った血筋によって発生し、ある一定の血筋によって共通した能力を持つ。圧倒的に多いのが後天的な異能である日突然使えるようになり、能力は本人の資質、素質に深く関係して、遺伝する事は稀だ。

 起こっている現象は変わらない。どちらも、通常は有り得ない能力が使える。

 そして、現在中高生の異能は急増しているらしい。

 灰色の領域の中で、明らかに能力を手にしたばかりの少女は無力過ぎた。

「コオリヤマヤタって奴を知ってるか?」

「し、知らない! 何ソレ、知らないよぉっ!」

 異能と出会った時には、必ず尋ねる事にしている質問をして、荒野は鋭い爪を見せる。

 生きる為には金が要る。

 俺は早く強くなりたい。

 荒野は両手を血で染める。

 そうやって生きていく。速く、早く。

 黒服の男に追いつく位に強くなる。


 ♦

 

 ある日、灰色の領域。荒野は唐突に展開した結界にさして驚かず、完全に閉ざされるまでにビルの陰に隠れた。ニット帽を目深に被り、どこでも見かけるファーストフードチェーンの紙袋を抱えている。黙亜の言う厄介さとはこれだ。買い物している最中でも、飲み込まれてしまう。

 荒野の視界に一人の少年の姿が走りこんでくる。中学生くらいだろうか。動転している様子が明らかだ。周囲を慌ただしく見渡して、叫ぶ。

「なあおい、居るのは知ってんだよ! ここに入る前……人影、見たからな!」

 複数の人間が存在しない空間では、否応無く自分を呼んでいると知れた。灰色の領域を知らなかったように、狭い範囲を途方に暮れて右往左往している。

「これ、何? 俺、友達と来てんだけど! な、何か能力絡みなのか!? 教えてくれよッ!」

 滑らかな黒髪をした少年だ。能力絡みと言った事から、結界について知識は無いものの、少なくとも自分が能力者であることは自覚しているようだ。

 同じ臭いがした。

 獣の臭いだ。

 気まぐれに、荒野は僅かばかりの親切心が芽生えてビルの陰から姿を現し、少年の前に体を晒した。

「どうした?」

 荒野の姿を認めて明らかに安堵した顔付きで、少年は小走りに駆け寄って来る。

「なぁ、なぁ、なぁ! どうなってんだよ、一体これ」

 少年は言いかけ荒野の尾を見て、目を白黒させた。

「兄ちゃん、何?」

「俺は狼だ」

「マジで!」

「お前もだろ」

 荒野が喋る度口元から覗く牙、金色の瞳を見た少年はさっと顔を赤らめる。鎌をかけただけだが、荒野の発言はどうやら的を射ていたようだ。

「そうだけど、俺は、月が出ないと」

 口の中で言葉を捜しながら、少年は口に出した言葉以上の多少複雑な事情を持っているようだった。ここで喋るべきでないのではと少年の逡巡が明確に伝わって来て、荒野は幼さに苦笑した。鋭い瞳をしている癖に、低い声の喋りがどことなく幼稚なのもおかしかった。中学校へ入りたてなのか、それとも小学生なのか。

 紙袋からハンバーガーを一つ取り出して少年の手の中に押し付ける。自分も包み紙を開いてほお張りながら、包み紙を指差した。

「やるよ」

「え? あ、ありがと」

 兄貴面が出来るのが嬉しくて、得意顔で荒野は笑った。それ以上追求はせず、食べながら少年に説明する。

「と、言う訳だ。だからこの辺りを出れば、異能が複数で歩いても平気だ。黙亜は、範囲は駅の辺りぐらいまでとか言ってたかな」

 出てから探せばいいと言って教えてやると、少年はなんだよかったと息を吐いた。

 思い出したように荒野は聞いた。

「あ、そうだ。ガキ、知らねーか? 俺、コオリヤマヤタって奴探してるんだ」

 聞いた途端、少年の表情が強張った。少年は身を離す。

「何で?」

 青褪めた顔で少年は訊いた。荒野は聞き返す。

「は?」

「―――兄ちゃん。それ、俺だ」

「何だって」

氷山こおりやま弥斬やたって、俺の名前だ」

 

 疑問の次にあったのは痛みだった。突き抜けるような痛みだ。

 少年―――弥斬が叫んでいる。取り落とされたハンバーガーは、道路に無残に転がっていた。弥斬は後ろから羽交い絞めにされている。掌で目を塞がれて、現在の状態を何一つ把握できないようにされている。

「兄貴!? 離せ、離せよ! あ、兄貴、兄貴だろ! 兄貴ってば、何すんだよ!」

「弟が悪い事をしたな。俺は氷山こおりやま夜貴やきって言うんだよ。初めまして」

 体が傾く。完全に不意打ちだった。絶やしてはいけないはずの警戒も緩みきっていた。しくじった。こんな下らない事で。

 あまりの悔しさに舌打ちすら出ない。

 男は少年の目を塞いだまま、言葉を紡ぐ。流れるような滑らかな声音で、怯えた少年を宥めるように。

「な、何だよ、何っ……」

「弥斬、安心していいんだよ。俺はちょっとした悪者を始末しに来ただけだから。こいつは悪人なんだ。ちょっと優しそうな顔をしているけれど、何人も殺している。悪い奴は罰を受けなきゃならないんだよ。それまで人に与えた罪を、罰として背負わなきゃならないんだ。だから俺が殺した。それだけだよ」

「何だよ、罰とか……罪とか!」

 荒野は叫んだ。脇腹から道路に鮮やかな斑点が散る。

「金か? 金なら幾らでも払ったさ! てめえが奪うのは魂だ。命と、血液と、魂だ。全部終わったら身体も持ってくんだろ? 貴重で高価な〝狼〟の身体だ。そりゃあ高く売れるだろうな!」

「残念だけどな、俺にはお前等が金を持ってるとは思えない。世の中には金で買えない物もある。お前等が奪ったのはそれだ。借りた物は、返す。それが幼稚園か保育園で習う道理だろ」

 金の瞳孔、耳を尖らせ黒い尾が踊る。

 そこに居るのは一人の男であり間違い無く〝狼〟。

「奪ったもんは俺のだ。俺ので姉貴のだ。盗られた方が悪い」

 荒野の頬が上気していく。憎しみが胸で踊った。

「俺らから平気で奪う奴らに、何を遠慮する事がある?」

「その言い方は、頂けないな」

 飄々ひょうひょうとそんな事言いやがって。

 同族殺し。

 忌むべきその名を、口にした。


「〝狼狩り〟」

「俺はただの後始末番だ。始末屋、賞金稼ぎ、取り立て屋。何でも好きに呼ぶといい」

 誰も居ないスクランブル交差点。運命の十字路。

 たった今から、ここは戦闘地帯だ。誰も知らないアンダーグラウンド。ずっと前から行われている、命の取り合いが始まっている。

 狼が吼える。


 狼として生きて。

 それが姉の願いだった。


 荒野の視界が真っ赤に染まった。思考に霞が掛かる。真っ白に消える。

『いざとなったらあたしを殺せ。

 あたしは荒野以外には殺されないから。

 邪魔になったら、殺して。お願い。

 あんた以外には殺されないあたしでいるから』

 うるふの声が耳に蘇った。

 もっと傷を、もっと血を。

 死は死によって贖(あがな)われる。

 荒野は許せなかった。

 憎い人間につく同族が。許せない、裏切り者だ。

(何故加担する?)

 憎き仇に。人間に。俺達を差別する、人間に。

 同族殺しは、最悪の罪だ。狼によって行われる狼狩りなど、あってはならない。

 閉ざされた灰色の領域には異能が二人切り。静寂に苦しさと悔しさが全身を駆け巡る。他には誰も存在を知る人間は居ない。ただ能力を持っただけだというのに、自分の存在は社会の誰にも知られない。砂原荒野という名前を持つ異能力者を知る者は誰も居ない。この戦いを知る者は誰も居ない。無残に死んでいった自分の姉を知る者も誰も居ない。まるで最初から存在も無かったみたいに、無視されて。

(俺はここに居る。間違い無くここに居る)

 荒野は叫んだ。

 生きるのに邪魔だったら躊躇なく殺せ。

 瞬きせずに躊躇わず殺せ。

 あたしもきっと、そうするから。きっとじゃなくて、絶対。

 両方死ぬんじゃなくて、片方だけでも生き残ればそれでいい。

 あたし達は狼。

 血に誓った絆だった。生き残るためだけに、殺すのは互いでなければならなかった。どちらも怨まないと決まっていた。

 なのに。

「うるふは俺が殺すはずだった! 殺されたうるふも許せねえけど、殺したてめえも許せねえ!」

「幼稚な理論だね。じゃあ、殺した俺を殺して見せてくれるかな?」

 狼の血は狼の血で贖(あがな)う。

 荒野の足が道路を蹴った。


 プレイヤー、サハラウルフ。

 バッドゲーム、デッドエンド。

 ニュープレイヤー、サハラコウヤ。

 ゲーム、リロード。


  Now loading

  Next game 『before sleep』


  Cross road wolf

  To be continued....!!!!!!!!!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る