第57話 お礼と秘書と

 皆が帰った後、残った材料でいくつかクレープを追加で作る。

 自分の追加分とベアトリーチェさんへのお礼、そしてトルネさんへのサンプルだ。


 まずはベアトリーチェさんだな。お礼と謝罪は迅速な対応が一番である。

 作ったクレープを『亜空間庫アイテムボックス』に収納し、教官棟に向かう。


 今まで教官棟には何度か来たことがある。

 一から三階に各学年の教官が駐在しており、最上階ということは三階、三年生の教官であるということだ。


 三階に上がり教官室を見回すが、ベアトリーチェさんは見当たらない。

 出直そうかなと思案しているところに、教官が話しかけてくれた。


「やぁ君、見たところ三年生ではなさそうだけど、誰かに用事かい?」

「はい、一年生のシリウスと申します。ベアトリーチェさんに会いに来たのですが」

「へぇ…… 約束はしているのかい?」

「今日という約束はしていませんが、いつでも来てよいと言われたもので。今日は不在でしょうか?」

「いつでも…… ほぉ……」


 教官は僕のことを頭からつま先までじーっと観察し、ニカッと笑った。


「うん、多分部屋にいらっしゃると思うよ。こっちにおいで」


 そう言うと教官室を出て、廊下を進んでいく。

 個室なのだろうか? そう思っていると、しばらく進んだ先に階段があった。


「この上だよ。また何か分からないことがあったら聞くといいよ」


 そう言うと、教官は手を振りながら去っていった。

 更に上の階があったのか、気づかなかった。


 階段を上がると、リッチな装飾が施された扉が鎮座していた。


 ――なんとなく想定はしていたけど……


 ふぅと一回息を吐き出してから、扉を二回叩く。


「シリウス・アステールです。ベアトリーチェさんはいらっしゃいますか?」


 数秒の沈黙の後、ドアが独りでに開いた。


「随分早かったの。入るがよい」

「失礼します」


 中に入ると広い部屋が広がっており、窓際の執務机には書類をバサッと投げ出したベアトリーチェが、そして脇には黒くキッチリしたスーツに身を包んだ女性が立っていた。

 黒スーツの女性は初めて見る人だが、佇まいと纏っている魔力から、只者ではないことが分かる。


 ベアトリーチェは執務机から立ち上がり、カフェスペースっぽい椅子に座った。


「まぁ、腰を掛けよ」

「分かりました」


 椅子に座ろうとすると、黒スーツのお姉さんが椅子を引いてくれた。


「あ、ありがとうございます」


「ヴィオラ、ノルドのファーストフラッシュじゃ」

「かしこまりました」


 黒スーツのお姉さん、ヴィオラさんがお茶を淹れはじめた。


「さてシリウスよ、今日はどうした? 寂しくなって遊びにでもきたか?」


 ベアトリーチェさんがハハハと楽しそうに笑う。


「そうですね…… それもあるのですが、本日は先日お世話になったお礼をお持ちしました」

「サラリと流してくるの…… 相変わらずの堅物じゃの…… で、礼か。勿論面白い物であるのだろうな?」

「面白いかは分かりませんが…… 喜んでいただけるといいのですが」


 『亜空間庫アイテムボックス』からクレープを取り出して机に置く。

 一応お礼の品であるので、市場で買ったそこそこ良い食器に乗せている。

 ちょうど良く、ヴィオラさんが紅茶を二つ持ってきてくれた。

 淹れたての紅茶の香りと出来たてのクレープの香りが合わさり、垂涎ものだ。


「これは…… 甘味か! まさかお主が作ったのか?」

「はい。お口に合うといいのですが」

「ふむ、いただこう」


 ベアトリーチェさんがクレープを手にとって少し眺めた後、ハムッと頬張った。

 二、三回もぐもぐした後、目を瞬かせ、すぐに残りをペロリと食べてしまった。

 紅茶をゴクゴクと飲み、一息ついたかと思うと凄い剣幕で迫ってきた。


「シリウス!!! これは何じゃ!?? 何じゃこれは!!? 妾も砂糖菓子をたまに食すことはあるが、これほど美味なものは初めてじゃぞ!!」


 近い、顔が近い。近すぎて唾が飛んでくるくらいだ。

 目を逸しつつベアトリーチェさんの肩を抑えて席に押し戻す。


「こ、これは、クレープという甘味です。小麦粉を薄く引き伸ばして焼いて、それに牛の乳から作ったクリームと果物を包んでいます」

「この甘くてふわふわした雲のような物が牛の乳じゃと!? 一体どんな魔術を使ったのじゃ!!?」

「い、いえ、魔術ではなくて、普通の料理なのですが……」

「まぁよい! これは、これは良いものじゃ……!」


 残りのクレープをムシャムシャと食べるベアトリーチェさん。

 時々目を瞑っては幸せそうな表情を浮かべている。


 そうだろうそうだろう、スイーツは偉大なのだ。


 そのあまりの反応を見て、無表情…… を装っているヴィオラさんがチラチラとベアトリーチェさんの胃袋に収まっていくクレープを盗み見している。

 一個くらい分けてあげれば…… いや、ベアトリーチェさんはクレープに釘付けで全く気づいていないな……


 唇を噛み締めてプルプルしているヴィオラさんが可愛そうだったのでトルネさんのサンプル用に作った物から一つ取り出し、ヴィオラさんにそっと差し出す。


「もしよかったらヴィオラさんもお一ついかがですか? 美味しい紅茶を淹れていただいたお礼に」


 ヴィオラさんはカッと目を開いて一瞬手を伸ばしたが、すぐに引っ込めて自らの手首をギリギリと握りしめている。


「お、お気遣いありがとうございます。しかし私は従者ですので、お客様からそのような高価な物をいただくわけには参りません。お気遣いなく……」


 唇を噛み締め、目に涙を溜めながらそう宣言するヴィオラさん。

 いやどう見ても無理してるじゃないですか……


「えっと…… 多めに作っちゃって、食べきれなくて困っていたんです。僕を助けると思って、食べていただけませんか?」


 そう言って再度差し出す。


「んあ? いらないのなら妾が――モガッ」


 差し出したクレープを掴み取ろうとしたベアトリーチェさんの口に、残っているクレープを一つ突っ込む。

 ベアトリーチェさんはそれをハムハムと頬張りながら再度トリップしていった。


「ぬ…… くっ…… そ、そこまでおっしゃるのでしたら…… ち、頂戴いたします……」


 葛藤の末、ヴィオラさんがクレープを受け取ってくれた。

 それを一口食べると、ベアトリーチェさんと同様に目を瞑ってトリップしてしまった。


 我慢は体の毒だからね、うん。



「シリウス様…… 先程は失礼いたしました。非常に美味でした、ありがとうございます」


 若干顔を赤らめながら、綺麗な姿勢で頭を下げるヴィオラさん。

 キリッとした表情作ってますけど、もう色々手遅れだと思います……


「うむ、素晴らしい甘味じゃった…… 妾は満足じゃ」


 幸せそうな顔をしているベアトリーチェさん。

 こうしているとただの可愛い幼女なんだけどなぁ。


「また近い内差し入れてくれることを信じておるぞ?」


 ……こうやって黒い微笑をしなければね。

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