第四十話 悪だくみ、見ちゃった。

 その男は髪を七三に分け、灰色の背広に、同じ色の外套を着ていた。一見、地味な人。

 腕時計をちらと見ると、参道脇に並ぶ露店のうち、子ども達で賑わう一つの露店の前に立った。

 男が見つめる先で、子ども達が興じているのは射的のような遊び。

 男の右側からその顔を覗きこんでみると、口元は微笑んでさえいる。でも、大の大人がこんな遊びをしたいのかしら? 


 すると男は小さく声を発した。


「正月早々、呼び出して悪かったね。」


 わ、私に言ってるわけではないわよね? 


 男は、いつの間にかその左側に並んだ若い女性に、軽く……左目だけを向けた!

 この人、右は義眼なんだわ。


 でも、その相手の女性を一目見て、私は驚いてしまった。


 切れ長の目、長いまつ毛。派手な口紅。その白い顔から浮いたような唇を、私は見たことがある。

 そう、それも学校だったはず。でも、誰だったかしら?


 すぐに女もささやくように男に応じた。


「かまわないわ。昔のよしみだもの。」


「たまたま君があの高校にいてくれたのは、不幸中の幸いだったよ。」


 やっぱり学校に間違いない。


「でも、なぜこんな所で? デリカシーがないのね。」


「木を隠すには森に、と言うだろう?

 大事な話をするには、人ごみのほうがいいんだよ。」


 ここでこの女と待ち合わせていたということね?

 男は遊んでいる子どもの保護者を装うかのように、時折わざとらしい笑顔まで浮かべている。

 私は二人の正面に回った。会話を聞き漏らさないようにしなきゃ。


「あのおばさん、金だけ受け取ったらいきなり辞めてしまったからね。

 それは回収したからいいものの。

 まだそんな歳でもないだろうに、呆けちまって……。」


 あのおばさんって、きっと武藤のことね。


「あんな女がどうなっていようと、私には関係ないわよ。」


「ああ、そうだね。

 でも、あのままじゃこちらも商売にならなくて、困っていたんだ。」


「今度は私があの女に代わって、あなたにデータを渡せばいいわけね?

 まずはこれでしょ?

 三年生の名簿……住所と家族構成の入ったファイル。」


 そう言って女は右手に持っていた小指ほどの小さな板を、男がぶら下げていた左手にねじ込んだ。

 それって確か、るみちゃんも使ってる「ゆーえすびーめもりー」という物だわ?

 ぱそこんで作った絵や文書を保存できる魔法の小さな板!


「合格。正式に雇いましょう?」


 そう言って今度は男が女に封筒を渡す。女から微かに笑い声が漏れた。


「やっぱり試したのね?

 いいわ。私にとっては造作もないことだもの。

 でも、メールに添付した方が早いんじゃない?」


「いや。

 こうしてシンプルに手渡ししてくれたほうが案外足がつかないものだよ。

 次も上手くいったら、報酬はあのおばさんに渡した額に上乗せするよ。」


「当然よ。進学実績でも私なら、あんな年増に負けないもの。」


「それはうちにいた時の話かい?

 そんな過去の話、あまり自惚れないほうがいいよ?

 またあのおばさんのように、つまらぬヘマを……」


「だからっ。あんな女と比べないで。気持ち悪い。」


「はいはい。きちんと仕事をしてもらえれば、言うことはない。」


「ご心配なく。あの女の穴を埋めるのに先生達、右往左往してるもの。

 データを盗むなら今よ。休みが明けたら、早々に取り掛かるわ。」


「随分積極的で助かるよ。では今度は二年生のデータを。」


「二年生? まだ受験に関係ないじゃない?」


「先手を打った顧客の確保は大事だよ? 競争は激しくなる一方だからね。」


「じゃ、今度は私から連絡するわ。」


 話が終わると、二人は会釈するでもなく、それぞれ背を向けて去っていった。


 男の目的がよく分からないけれど、聞いてるだけで十分悪そうじゃない?

 武藤や比留間だけじゃないわ。どうしてこうも悪だくみをする人が学校にいるのかしら?

 それも大人に!


 私はぎゅっと握りしめた右手の拳を見つめた。とにかく、一度るみちゃんの元に戻ろう。


 忍さんの話も気になるもの。静香さんのこと、急がなきゃならないわ!


 あ……静香さんで、つながった。


 そうよ……あの女、確か!!


************************************


 私は一人、忍さんについて行った。

 静香さんの家が参道沿いだったから知った道だし、るみちゃんには先に帰ってもらって。菊ちゃんにも『心配しないで』って伝えて。


 静香さんは帰るなり、自室のベッドに突っ伏してそのまま眠ってしまった。そんな静香さんの隣に腰を下ろした忍さんは、彼女を見つめながら静かに呟いた。


『静香、このところずっと眠れていなかったから。

 正木さんには強がって見せていたけど、友達に会えたからかしらね?』


 そして顔を上げると、しげしげと私を見つめる。


『でも薫さんって本当に守護霊なの?

 私、静香のそばから離れるなんて、できないわ?』


『私も最初そうだったんです。あの能力は菊ちゃんからもらったんです。

 体をこう、抱くように重ねたら……。』


『私、薫さんがいない間、あなたを真似て菊ちゃんを抱こうとしたのよ?

 あの子が不安そうにしていたから。

 でも、やっぱりすり抜けるだけだったわ?

 それに菊ちゃん、しゃべれないんでしょう?

 それなのにあの子の気持ちがわかるなんて……。

 薫さんには、特別な力があるのかも知れないわね。』 


『そうですかね?

 ……でも、そんな力なんて、ないほうがいいはずですよ。』


 そう。

 それで私を巻き込むまいと、雨守先生は去ってしまったのだもの。まだ別れて一月も経っていないのに、先生……恋しいです。


『きっとあなた、私なんかより随分苦労なさったんでしょうね。』


 不意にそんなことを言われて、焦ってしまった。    


『いいえ、そんな!

 人生経験は忍さんのほうが、長いじゃないですか。

 守護霊になったのも、一年先輩ですし。

 ……それより忍さん、静香さんを自分の道具のように扱ってる人って?』


 私の問いに、それまで穏やかだった忍さんの目は、一瞬、冷たいものに変わった。


『図書館司書の、片桐。』


 やっぱりさっきの女だ!!

 るみちゃんはえっちな落書きばかりしてて滅多に図書館に行かないから、すぐに思い浮かばなかったけれど、私は夏にあの人を見ていたもの。


『一年生の頃から図書委員だった静香を、なんだかんだ雑用に使ってね。

 静香の都合は無視してメールで呼び出すわ指示するわ。

 まるで自分の小間使いのように。』


 忍さんは静香さんに視線をむけて、触れられはしないけれど、その髪を慈しむように撫でた。


『最初は静香も、それが仕事だと思っていたわ。

 でも委員長になって提案した図書館でのレクレーションを、

 あの女は難癖つけて全て却下したり。

 そんなことより進学者が自習に来るように生徒に呼びかけろって指示したり。

 そんな片桐に、静香はだんだん疑問を感じるようになったの。』


 司書って、読みたい本を探す手伝いや、本に興味を持てるように工夫するのが本来のお仕事じゃないのかしら? 

 それを静香さんは企画したのでしょう?

 その提案を全て潰すなんて、おかしいわ?


『そんな人が、どうして静香さんの……その、不合格の原因だと?』


『静香は最初、学校司書になりたかった。

 でも調べていくうちに今はほとんんど採用がないことを知って諦めたわ。

 それでも本の楽しさを教えたいって、次に小学校の先生を志したの。』


 と、突然、忍さんの表情は険しくなった。


『秋にそれを知ったあの女、いきなり静香を怒ったわ。

 なんで早く言わないんだ? 私なら合格させてやれる!

 自分は進学予備校で講師経験もあって、

 そこで何人も難関校に合格させたんだってね。』


 どこかで聞いたような言葉……。武藤を引き合いに出されていたのを毛嫌いしていたわけが、よくわかる。


『あまりの迫り方に大人しい静香は断れなかった。

 受験で提出する小論文に、あの女はいちいち口出しして。

 毎日司書室に閉じ込めて、静香が書いた文章には何から何までダメだし。

 挙句は自分が書いたとおりに写して出せって下書き渡して。

 それ私も見たけど、

 ただ難解な言葉を羅列しただけで、何が言いたいのかわからない文章だったわ?

 だから静香は最後に、白紙のまま志望校に送ったの。』


『それじゃ、落ちて当然……。まさか落ちるために?』


『ええ。

 それが静香に出来る精一杯の反抗だったの。

 でも、先方も推薦書まで同封されてたのに白紙だなんて、

 変だと思ったんでしょうね。

 きっと担任の山田先生に問い合わせが来たんじゃないかしら?

 不合格と知ったあとで山田先生に聞かれても、

 静香は「難しくて書けなかった」だなんて、正直に答えなかったわ。

 山田先生は入退院繰り返していたから、心配かけたくなかったのよ。』


 そう言えば文化祭の時、武藤に罵倒されて山田先生、胃に穴が開いてしまったのだっけ……。


『それなのにあの女。

 白々しく「落ちたのは静香の元々の成績が足りなかったんだ」だなんて。

 今度はもっと厳しく見てやるからって、恩着せがましく澄まして言ったのよ?

 静香は、もうどうしていいかわからなくなって、自殺まで考えるように……。』


 忍さんは声を震わせ、その目には涙をにじませていた。

 守護霊だから、憤るのはよくわかる。

 私だって目の前でるみちゃんがそんな目に遭わされたら、きっと同じだもの。

 でも、忍さんの言葉は、まるで……。


『きっと私のせいだわ。こんなふうになってしまったのは。』


 唇を噛みしめ、膝においた手でスカートに、皺をぎゅっと寄せる忍さんに私は尋ねた。


『守護霊が影響を与えることなんて、そんなにないですよ?

 私とるみちゃんだって、性格はかなり違いますもの。

 もしかしたら忍さん?

 あなたも静香さんと同じような経験をされて、

 それで一層悔しいのではないですか?』


『薫さん……。』


 驚いたように顔を上げた忍さんは、ご自身の死に至るまでのことを話してくれた。

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