第二十六話 なんとか、したいよ?

『でもあの子、産むのを悩んでるみたいでさ。

 もしかしたら俺、生まれる前に殺されるのかも。』


『自分の子どもよ? そんなこと!』


 驚く私を、将太君は手を振って遮った。


『薫姉ちゃんだって、知ってるだろ?

 食い物に困って生まれたばかりの赤子を間引きしたって、

 隣村でもあったじゃないか。』


『う、噂には何度か聞いていたけど……でも今とあの時では違うでしょう?!

 食べ物に困るなんてこと、今の時代ではないじゃない?』


『俺もこの時代の変りようには腰が抜けそうになったけど。

 でも、先のこと真剣に悩んでるのはあの子も変わりないよ?』


 そんなこと言われたって、それでいいわけがないわ?


『ねえ、将太君! 私、尊敬してる先生がいるの! 相談してみましょうよ!!』


『何を? 幽霊の俺たちが生きてる人にかい?』


 雨守先生はこの夏休み、美術系の大学に進学を考えている正木さん、副島君の個人指導に毎日いらっしゃっている。るみちゃんの教室と美術教室の直線距離は、私がるみちゃんから離れられる限界内には余裕であるから……って、そういえば!


『将太君は、あの朋子さんとずっと一緒にいるの? 離れたりできる?』


 するといきなり将太君はうろたえたように叫んだ。


『ふっ! 風呂と便所は入らないさ! 着替えだって見てないよ!!』


『な、なにをいきなり?!』


『薫姉ちゃんとは素っ裸で水浴びしたこともあったけどさ!』


『お、覚えてないわよ、そんなこと! それよりなによ! 私の裸、見たの?!』


『ガキの頃だし、いいじゃ


 と、突然将太君は ぎゅん と、朋子さんに引っ張られた。私もついていかなくちゃ!

 だいたいだけど、将太君が離れられるのは三十メートルくらいかしら。私の三分の一くらいだわ。そうなると朋子さんを雨守先生の近くに……せめて美術教室の近くに行かせられないかしら?


 将太君たら、私の裸見たな……ってことは、きっと間違いないけれど、今となってはほじくるだけ私の心理的被害のほうが大きくなるわ? この際仕方ないからそれは捨て置くとして……眉間に皺と右手の人差し指を寄せて、う~んと考え込むことしばし。目を開けたら、じっと私の顔を見つめていた将太君に気がついた。


『そうやって無理難題を一人で考えあぐねてる時の顔、変らないね。』


『もう! あなたのこと心配してるんじゃないの!』


 朋子さんの背後に二人、張り付くようにしてついていく。彼女は生徒玄関から二階に上がり、その踊り場の角からるみちゃんが補習を受けている教室を覗き見て、ため息をついた。


「ああ……どうしよう? あんなに人がいる……。」


そんな朋子さんを、将太君は呆れたように肩をすくめて見せる。 


『ずっとこうなんだよ。人目を避けるようにこそこそしてる。』


 それは無理もないわよ。高校生……十七歳でお腹に子どもって。私たちの時代なら驚くほどではないけれど、この時代では違うもの。


『待ってて。』


 私は朋子さんのブラウスの肩に手を置いて……さらに胸に向かって一気に沈める。一ノ瀬さんの心、知っておきたい!

 ぅうっ!

 いきなり「不安」という感情の渦が私に流れ込んでくる!!


『んああああっ!』


 思わず叫び声をあげながら腕を引っ込めてしまった。


『大丈夫? 薫姉ちゃん!』


『うん……ちょっと、朋子さんが抱えてる不安に当てられただけ。

 でも、朋子さん、今は一人になりたいみたい。だから念を送ったわ。』


『よくわかんないけど、やっぱり流石だね。』


 え? 褒められた? 将太君は澄ましたまま続ける。


『なに赤くなってるのさ?

 もう俺、言いたいことははっきり言うんだ。

 また言いそびれたまま、消えたくないからね。

 で? この子に何させたいんだい?』


 まっすぐに私を見つめる将太君から目を逸らし、恥ずかしさをごまかすように大きく声を上げた。


『図書館に行かせるのよ!』


 図書館なら美術教室の真上にあるから、そこなら将太君を雨守先生に会わせることができる!


 そして思惑どおり図書館にきた朋子さんは、入口近くにいた司書さんの目を盗むように、ささっと奥に入ると、人目に付きにくいように個人用の机に向かって衝立の陰に小さくなった。

 うん、しばらくそのままでいて。るみちゃんはまだ二科目も補習があるから時間も十分!


*************************************


 るみちゃん抜きで美術教室に現れた私を見て、雨守先生はすぐ察して下さったのか準備室に移ってくださった。

 教室の隅の暗がりにいた後代さん、少し元気がない様子でしたけれど?


「後代は真冬の朝に死んだからな。

 今日みたいに特に暑い日には弱いんだ。日中はあそこで休んでいるしかない。」


 そう言われてみれば、後代さんとは反対に、私は寒い冬が苦手かも。

 雨守先生と私を交互に見つめていた将太君は、内緒話をするように私に顔を寄せてくる。


『この人が……薫姉ちゃんのいい人?』


『ばっばかッ! 尊敬してる先生だって言ったでしょう?』


『だってこの人が薫姉ちゃん美人のままの姿に戻してくれたんだろ?』


『びッ美人とか、もうよしてよ!』


「ちょっとごめんよ。」


 雨守先生の目の前で、真っ赤になりながら言い合いを始めていたのは失礼でしたけれど、けどけどけどおッ!


『きゃッ!』


 なんてことするんです先生ッ! 私の胸に手を?!

 はああああああああああああああッ!!

 雨守先生は無表情のまま、私の体を突きとおして隣の将太君へとその腕を伸ばしていた!


『うわ? 俺の体が、戻ってる?!』


『ええ?』


 振り返ると、将太君の体は生前最後に会ったときのように……あれ? それより健康的に、たくましくさえ見えていた。


「驚いたな。

 話すより早いかと思ったんだが、やはり深田のイメージなんだろうな。」


『薫姉ちゃんが俺のこと、こんな風に見てたってこと……ですか?』


「ああ。俺は生前の君を知らないしな。

 だいたい今君は自分の姿を元に戻したいなんて、考えてなかっただろう?」


 少しの間、将太君は口をあけたまま自分の体を眺めまわして。ようやく声に出しながら雨守先生をまっすぐ見つめた。


『うわあ……嬉しいです!

 最初先生のこと、てっきり薫姉ちゃんが好きな人なのかって思って。

 みっともないけど、さっきまでやきもきしてたんです、俺。』


「睨んでたもんな。」


『すみませんでした。

 でも薫姉ちゃんが俺のこと、こんな風に見てくれてたのなら……。

 ありがとうございます!!』


 や、やめてよおお。そんな明るく爽やかな笑顔で見つめられたら私……。心臓なんて動いていないのに、どきどきしてしまうわ?


「俺は人の霊力をただ橋渡ししてるだけだよ。

 でも、君が浅野のクラスメートのお腹の子に転生するように呼ばれたのも……。

 案外、深田の思いがなにかしら影響したのかもな。」


 なによ、もう!

 将太君は先生の言葉の一つ一つに、にこにこして頷く。雨守先生を信頼してくれたのは嬉しいけれどおッ。

 なんだかこそばゆいような、恥ずかしいような……いえ、それどころじゃないわ? 私達、雨守先生に相談があって来たんじゃないの!


『そのことなんですが雨守先生! 実はですねッ!!』


************************************


 うーん、と雨守先生は腕を組み、目をつぶってかなり長い間唸っていらっしゃる。やがて静かに目を開けると姿勢を正して、まっすぐに将太君を見つめた。


「率直に言って一ノ瀬次第というところかな。

 こんなケース、いくつも見てきたが……。

 桐生君、だいたい君の予感どおりになることが多いよ。」


『そんな? お腹の子ども、堕しちゃうんですか?!』


『薫姉ちゃん、仕方ないよ。』


 愕然とする私とは対照的に、将太君の声は最初に聞いた時と同じ響きだった。

 なんでそんなに驚いたり、悲しんだりもしていないの? でも! 


『将太君、またそんなに簡単に諦めたりなんかして!

 雨守先生! どうにかならないんですか?』 


「どうにか考えなければならないのは、一ノ瀬とその相手だ。

 深田。父親は誰なのか、一ノ瀬と接触してそれはわかったのか?」


 不安の渦の中で、すがるような思いで朋子さんが見つめていたもの……それは一人の男子生徒の姿だった。


『「かず君」って、朋子さんが呼んでいたことと、顔は。

 それに服装はこの学校の制服でした。

 あとは不安の波に翻弄されてるばかりで……。』


「そうか。じゃあ……。」


 雨守先生は立ち上がって本棚に手を伸ばし、そこから一冊の写真集を私に広げてくださった。これは……ここの生徒たちの写真ですね?


「俺がめくっていくから、その顔を見つけたら教えてくれ。」


 その顔は……すぐに見つけられた!


『この子です!』


「本堂和真か。

 三年一組……げ!

 こいつも武藤のクラスか!?

 こりゃあ、直接本人に話を聞くしかないみたいだな。」


『じゃあ、彼の心に呼び掛けて、子どもを育てるようにって……』


 思わず立ち上がって叫んでいた私に、雨守先生は静かに首を振った。


「深田。人の心なんて簡単に変えられないって、先日わかっただろう?」


 そうだ……私、アラシに過ちを認めてほしかったのに。皆に謝って欲しかったのに、それは叶わなかったんだわ……。

 立ちすくんだ私を、雨守先生はじっと見つめる。


「そいつは父親になったことを知ってるのかどうか。

 知った上で男ならどう責任取るのか、だが……」


 そして先生は、将太君を見た。


「それを聞いて、場合によれば文句言っていい権利を持っているのは。

 きっと桐生君だけだろうな。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る